火の鳥って改めて読むと各シリーズの主人公がマイノリティばかりだし、現代にも通じる政治的なアングルがあったりして凄いなあと思うところはある。一般的には鳳凰篇と復活篇が傑作と言われるけど個人的には後者が好き。数千年単位の時系列をシャッフルしながら話を畳むのを単行本一冊でやってのけるのは単純に構成力高いなって思うし、脳に異変のあった青年がロボットが美少女に見えるようになるとか時代の先取り感半端ねえ。鳳凰篇の生涯で虫にしか愛されないってのも大した設定で、未来永劫愛されない呪いを掛けられた猿田一族というパーソナルな”個”と人類全体の歴史という”集”の抱える問題を対比的に円環を描くという構造も凄いし。
でも手塚漫画って今読むとダサいんだよね。復活篇も腕を失った主人公が「イチチ…」とか言って軽いノリで痛がるのも酷いけど途中で出てくる一味の女ボスなんて存在自体が失笑ものだし。「ボスはお前に惚れておるのじゃ」とか爺さんが言うので吹いちゃったよ。個人的に火の鳥で一番好きなシーンが、宇宙編の荒くれ者・牧村を大人しくさせるために鳥型宇宙人が嫁を差し出して、一時的に丸くなるんだけど人間の元カノの幻影から言われて結局その嫁を殺害。まあ、鳥じゃねえ…としか言いようがなく、説得力はめちゃくちゃあるんだけど、シリアスなシーンなはずなのに笑ってしまうんだよね。
そんな火の鳥で、特に面白いと思えないのがこの黎明篇。未来編以降の設定の壮大さに比べるとスケールが小さいし、なんかほんとに”まんが”だなあ…って感じ。悲惨な虐殺シーンも矢でプツプツ射られるだけで全然深刻に見えないし、事あるごとに相対化させるようなメタギャグを入れまくるのが今読むと完全に滑ってる。
一時期、劇画の台頭に押されて漫画家としての地位を下げ、鳳凰篇での我王と対決するときの茜丸の苦悩はそんな手塚の当時の心境そのままだという評論を何処かで読んだ記憶があるが、これは大人が読むもんじゃねえな、って感じはする。ヒミコが自分の老いに苦悩するところなんて白雪姫の女王かよ、ほんとディズニー好きなんだねって感じだし、彼女とスサノオがやりとりするシーンで急に定点カメラの構図になって舞台風の演出になるところなんて当時は斬新な漫画表現だったのかもだけど、今では完全にギャグでしかなくて笑っちゃう。
黎明篇は物語もわりとベタな権力闘争の話だった…というか、乱世篇とかヤマト篇とか太陽篇とかみんなそうなんだけども。乱世篇で電話で会話するのも凄かったな笑。ああいうケレンこそが手塚漫画の持ち味なんだろうけどそれが時代とともに古びて失笑するしかないという。
まー、令和にもなって漫画の神様とか言って神格化するのもあれだし、数々の手塚伝説みたいなのもサムいし、相対化の為の変人ぶりアピールみたいなのも滑ってるし、もう、いち漫画家の描いた”ただの漫画”として読者が好き勝手に読んだらいいんじゃないかな。速攻で消費されつくし時代の徒花となったワニについて娘さんが、父の漫画を超えたとかそんな事を言っていた記憶があるけど、そんな感じで扱ってもいいと思うんだよね。
だから素直な感想として、この黎明篇って、全然面白くないよね。あと、一冊で終わらないとは思わなんだ。
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