「無益な暴力」と「灰色の領域」はいずれも本書の章題の一つである。
レヴィの体験を凝縮した言葉として、読後強く心に残った。
レヴィは、「この題名は挑発的に響くか腹立たしく思えるかもしれない。果たして有益な暴力などあろうか。」と問いを立てる。
収容所で行われたあらゆる暴力を、被害者であるレヴィが、加害者の視点で検証していく試みでもある。
あれだけの心的外傷を被ったのだから、普通は憎悪一辺倒の呪詛を投げつけたとしても、誰も文句は言うまい。
しかし、化学者としての習性でもあるのだろうか、恐ろしい暴力における有益性を考察し、
加害者のおぞましい心性を逆説的に暴きだすのだ。レヴィは、加害者の依拠した有益性をこう喝破する。
「犠牲者は、死ぬ前に卑しめられる必要があった。それは殺人者が自分の罪を重く感じないためだった。」
それが無益な暴力の唯一の有益性であるという。
加害者の殺人行為を正当化するため、被害者は殺されるに値する愚か者へと貶められる必要があったわけである。
それは加害者の罪悪感を低減させるという点で、有益だったのである。
卑近な例で言えば、いじめの加害者が自らの嗜虐性を正当化するために、被害者の落ち度を次々と創出するのに似ている。
加害者も、酔狂でこのような残酷なことをしているのではない。みずからの存在性をかけて、必死で加害行為を繰り返しているのである。
なんという救いのない営みであろうか。被害者は、もはや死を賭して対抗するより活路は見いだせないだろう。
「灰色の領域」では、そのような加害者の心性がどのように形成されるのかを客観的に考察し、
善悪二分論で片付けられない複雑性をもった現象であることを論じている。
この考察も、読む者に衝撃と現実の厳しさをまざまざと示す。
安全な場所にいて、悪業に身を染める人を非難することはなんとたやすく、
その立場がつくづく幸運に彩られていることを痛感するはずだ。
溺れるものと救われるもの (朝日文庫) (日本語) 文庫 – 2019/11/7
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本の長さ312ページ
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言語日本語
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出版社朝日新聞出版
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発売日2019/11/7
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寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
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ISBN-104022619953
-
ISBN-13978-4022619952
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
アウシュヴィッツ体験を描いた名著『これが人間か』から約40年。記憶の風化を恐れたレーヴィは、改めて体験を極限まで考え抜き、分析し、本書を書いた。だが刊行の1年後、彼は自ら死を選ぶ。生還以来、罪の意識と戦い、証言し続けた彼を苦しめたものは何だったのか?
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
レーヴィ,プリーモ
1919年イタリアのトリーノ生まれ。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死
竹山/博英
1948年東京都生まれ。東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻科修了。現在立命館大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1919年イタリアのトリーノ生まれ。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死
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2016年9月18日に日本でレビュー済み
プリーモ・レーヴィが強制収容所について書いたものには、ある肯定的な特徴が感じられる。
それは、自分が同時代的に知りえなかったことについてはけっして踏み込まない、という倫理だ。
レーヴィは、強制収容所という極限状態において、当時自分が考えられたこと(というより考えることが不可能だったこと)をしっかりと記憶のなかにとどめ、そこに線を引き、その閾から超えるような記述を、すくなくとも囚人だったときの自分の体験談として披瀝するようなことはしない。
つまり、たとえば自分が生き延びたのは、現在このような証言を残すために与えられた使命だったのだ、という切実だが、安直な後づけによって記憶を再構成し、経験を物語化するような行為からは、レーヴィはきびしく距離を置いている。
本書でも言及されているように、強制収容所には未来も過去もなく、現在時においてそのつど延命していく時間しかなかったからだ。
あるいは、強制収容所がロシア兵たちによって解放されたとき、そこには生き延びたことや未来への喜びはなかった、ただひたすら恥辱だけがあったと述べるときの、たしかで明晰な口調。
そのある意味では「節度」と名づけてもいいかもしれない厳密さを、レーヴィは他者へのまなざしとしても振り向ける。
それがもっとも端的な、そして示唆にとむ主題として展開されるのが、「回教徒(溺れる者)」や灰色の領域にいる「特殊部隊」についての論だ。
強制収容所の「無益な暴力」に打ちのめされ、わずかな抵抗のそぶりも、暴力を回避するいっさいのすべも失った、ただひたすら貶められ虐げられた存在――考えることを放棄し、身体的な死の前に精神的な死をむかえていた存在である、「回教徒」と呼ばれていた人びと。
レーヴィは恥辱とともにその人びとのことを想起しながら、すでに証言することが不可能であった彼ら、地獄の底に触れて戻ってくることのなかった彼らこそ強制収容所の正確な意味での証言者であった、と述べる。
あるいは、ユダヤ人の同胞をガス室におくり、その金歯を抜き髪を刈り、遺体を焼却炉で処分する任務を負わされていた「特殊部隊」に所属する人びと。
迫害者と犠牲者のあいだである種の共犯関係が成立していた現象のことをレーヴィは「灰色の領域」と呼ぶのだが、その灰色の領域の顕著な例である「特殊部隊」のユダヤ人について、レーヴィはそれが「判断不能」のことがらであると述べる。
つまり、あのような複雑に入り組んだ状況にあっては、同胞に死をもたらす作業に従事したユダヤ人たちを断罪することはできないと。
このようなレーヴィの姿勢は、おそらくいかなる最終的な結論も判断ももたらさないだろう。
しかし、そのように結論や判断を保留され宙吊りにされるからこそ、レーヴィのことばはつねに刺激的だし、おりふし読みかえし、いつでも顧みる価値のあるものに成りえている。
とりわけ、異なる人間の排斥という不寛容な精神や、人間の基本的人権を否定しようとする権力の動きが消え去らないうちは、強制収容所なるものは、まったく同じ顔貌ではないにせよ、いつなんどきふたたび築かれてもおかしくはないのだ。
可能態として強制収容所は、私たちを脅かしつづけている。
本書を読み、レーヴィの不可能性としてのことばに考えをめぐらすことは、強制収容所の再来にくさびを打つことだ。
それは、自分が同時代的に知りえなかったことについてはけっして踏み込まない、という倫理だ。
レーヴィは、強制収容所という極限状態において、当時自分が考えられたこと(というより考えることが不可能だったこと)をしっかりと記憶のなかにとどめ、そこに線を引き、その閾から超えるような記述を、すくなくとも囚人だったときの自分の体験談として披瀝するようなことはしない。
つまり、たとえば自分が生き延びたのは、現在このような証言を残すために与えられた使命だったのだ、という切実だが、安直な後づけによって記憶を再構成し、経験を物語化するような行為からは、レーヴィはきびしく距離を置いている。
本書でも言及されているように、強制収容所には未来も過去もなく、現在時においてそのつど延命していく時間しかなかったからだ。
あるいは、強制収容所がロシア兵たちによって解放されたとき、そこには生き延びたことや未来への喜びはなかった、ただひたすら恥辱だけがあったと述べるときの、たしかで明晰な口調。
そのある意味では「節度」と名づけてもいいかもしれない厳密さを、レーヴィは他者へのまなざしとしても振り向ける。
それがもっとも端的な、そして示唆にとむ主題として展開されるのが、「回教徒(溺れる者)」や灰色の領域にいる「特殊部隊」についての論だ。
強制収容所の「無益な暴力」に打ちのめされ、わずかな抵抗のそぶりも、暴力を回避するいっさいのすべも失った、ただひたすら貶められ虐げられた存在――考えることを放棄し、身体的な死の前に精神的な死をむかえていた存在である、「回教徒」と呼ばれていた人びと。
レーヴィは恥辱とともにその人びとのことを想起しながら、すでに証言することが不可能であった彼ら、地獄の底に触れて戻ってくることのなかった彼らこそ強制収容所の正確な意味での証言者であった、と述べる。
あるいは、ユダヤ人の同胞をガス室におくり、その金歯を抜き髪を刈り、遺体を焼却炉で処分する任務を負わされていた「特殊部隊」に所属する人びと。
迫害者と犠牲者のあいだである種の共犯関係が成立していた現象のことをレーヴィは「灰色の領域」と呼ぶのだが、その灰色の領域の顕著な例である「特殊部隊」のユダヤ人について、レーヴィはそれが「判断不能」のことがらであると述べる。
つまり、あのような複雑に入り組んだ状況にあっては、同胞に死をもたらす作業に従事したユダヤ人たちを断罪することはできないと。
このようなレーヴィの姿勢は、おそらくいかなる最終的な結論も判断ももたらさないだろう。
しかし、そのように結論や判断を保留され宙吊りにされるからこそ、レーヴィのことばはつねに刺激的だし、おりふし読みかえし、いつでも顧みる価値のあるものに成りえている。
とりわけ、異なる人間の排斥という不寛容な精神や、人間の基本的人権を否定しようとする権力の動きが消え去らないうちは、強制収容所なるものは、まったく同じ顔貌ではないにせよ、いつなんどきふたたび築かれてもおかしくはないのだ。
可能態として強制収容所は、私たちを脅かしつづけている。
本書を読み、レーヴィの不可能性としてのことばに考えをめぐらすことは、強制収容所の再来にくさびを打つことだ。
ベスト500レビュアー
プリーモ・レーヴィ(1919~1987年)は、ユダヤ系イタリア人の化学者・作家。
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。同作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なものである。その後、様々な作品を出したが、1986年に『溺れるものと救われるもの』を発表し、翌年1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本書は、2000年に日本語訳が出版され、2019年に文庫化された。
レーヴィは何故、解放直後に既に『これが人間か』を世に出しながら、それから40年を経過した時期に、再度アウシュヴィッツを取り上げる作品を著したのかについて、序文にこう書かれている。「私はこの本で、今日でも不明瞭に見えるラーゲルという現象の、いくつかの側面を明らかにすることに寄与したい・・・私たちの話を読む機会を得たすべての人たちを不安にさせた疑問に答えることである。つまり強制収容所に関する事柄のうちで、どれだけのものが死に絶え、もう復活しないのか。・・・そしてどれだけのものが復活したのか、あるいは復活しつつあるのか。・・・その脅威を無力化するために、私たちのおのおのは何ができるのか。」と。
そして、究極の結論として述べているのは、「彼らは、素質的には私たちと同じような人間だった。彼らは普通の人間で、頭脳的にも、その意地悪さも普通だった。例外を除けば、彼らは怪物ではなく、私たちと同じ顔を持っていた。ただ彼らは悪い教育を受けていた。」ということである。つまり、何らかのきっかけがあれば、同じことはいつでも復活し得るのであり、そうさせないためには、自分たちにもそうした素地があることを強く自覚し、常に戒めることを忘れてはいけないと言っているのだ。それこそが、アウシュビッツを風化させないことなのだと。
更に、レーヴィは、そこまで突き詰めながらも(いや、突き詰めたからこそ、なのかも知れないが)、「おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を抱いていないだろうか。・・・私は他人の代わりに生きているのかも知れない、他人を犠牲にして。私は他人の地位を奪ったのかもしれない、つまり実際には殺したのかもしれない。・・・最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちは死んでしまった。」という思いを拭い去ることはできずに、本書出版の翌年に身を投げるのだ。
『これが人間か』から40年を経て、その体験の風化に危機感を抱いたレーヴィの遺言の書である。
(2020年7月了)
レーヴィは、トリノに生まれ、第二次世界大戦中、ナチスに対するレジスタンス活動を行ったが、1943年12月にイタリア・アルプスの山中で捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所に送られた。1945年1月にアウシュヴィッツが解放され、1947年に『これが人間か』 を発表して注目される。同作品は、アウシュヴィッツ収容所からの生還者が、自らの壮絶な体験を描いた記録として、オーストリアの精神科医V・フランクルの『夜と霧』(1946年)と並んで有名なものである。その後、様々な作品を出したが、1986年に『溺れるものと救われるもの』を発表し、翌年1987年、自宅アパートの3階(日本式の4階)の階段の手すりを乗り越え、階下に飛び降りて死亡した。
本書は、2000年に日本語訳が出版され、2019年に文庫化された。
レーヴィは何故、解放直後に既に『これが人間か』を世に出しながら、それから40年を経過した時期に、再度アウシュヴィッツを取り上げる作品を著したのかについて、序文にこう書かれている。「私はこの本で、今日でも不明瞭に見えるラーゲルという現象の、いくつかの側面を明らかにすることに寄与したい・・・私たちの話を読む機会を得たすべての人たちを不安にさせた疑問に答えることである。つまり強制収容所に関する事柄のうちで、どれだけのものが死に絶え、もう復活しないのか。・・・そしてどれだけのものが復活したのか、あるいは復活しつつあるのか。・・・その脅威を無力化するために、私たちのおのおのは何ができるのか。」と。
そして、究極の結論として述べているのは、「彼らは、素質的には私たちと同じような人間だった。彼らは普通の人間で、頭脳的にも、その意地悪さも普通だった。例外を除けば、彼らは怪物ではなく、私たちと同じ顔を持っていた。ただ彼らは悪い教育を受けていた。」ということである。つまり、何らかのきっかけがあれば、同じことはいつでも復活し得るのであり、そうさせないためには、自分たちにもそうした素地があることを強く自覚し、常に戒めることを忘れてはいけないと言っているのだ。それこそが、アウシュビッツを風化させないことなのだと。
更に、レーヴィは、そこまで突き詰めながらも(いや、突き詰めたからこそ、なのかも知れないが)、「おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を抱いていないだろうか。・・・私は他人の代わりに生きているのかも知れない、他人を犠牲にして。私は他人の地位を奪ったのかもしれない、つまり実際には殺したのかもしれない。・・・最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちは死んでしまった。」という思いを拭い去ることはできずに、本書出版の翌年に身を投げるのだ。
『これが人間か』から40年を経て、その体験の風化に危機感を抱いたレーヴィの遺言の書である。
(2020年7月了)
ベスト500レビュアー
アウシュビッツ絶滅収容所の生き残りであるレーヴィが自死1年前に書いた一冊です。
戦後40年を経て、廃れゆくホロコーストの記憶を呼び覚ますために書かれています。
時代は移り変わっても、全体主義の脅威はすぐそばにある、ナチス的なものが再び登場する可能性がある、そのことについて繰り返し警鐘を鳴らしています。
その悲痛な思いは、結論に込められています。
レーヴィの危機感、切迫感が胸に迫ります。
そして、この本を書き上げた翌年、レーヴィは自ら命を絶ちました。
レーヴィが繰り返し警告した危機は現在の我々にとって、今だアクチュアルなものであり続けます。
全体主義的な体制や暴力、他者への無関心が地球上を覆おうとしています。
このような時代にあって我々はどうすべきなのか。
一人一人が考えるべき問いです。
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その悲痛な思いは、結論に込められています。
レーヴィの危機感、切迫感が胸に迫ります。
そして、この本を書き上げた翌年、レーヴィは自ら命を絶ちました。
レーヴィが繰り返し警告した危機は現在の我々にとって、今だアクチュアルなものであり続けます。
全体主義的な体制や暴力、他者への無関心が地球上を覆おうとしています。
このような時代にあって我々はどうすべきなのか。
一人一人が考えるべき問いです。
2020年6月24日に日本でレビュー済み
アウシュビッツを生き残っただけで幸福と言われるのだろうが、それは本当だろうか。辛い経験の後に生き続けるとき、それはどんなものなのだろうという思いから本書を手に取った。
まずは、このように洞察力のある善良な人であろう筆者が、その貴重な数年を、死の強制収容所で過ごさねばならなかったことに怒りを覚える。しかしまた、その中で必死に生き延び、またその経験やそこから感じた想いを後世に伝えようとする真摯な人を殺すことができなかったことに、その大量無差別殺人の滑稽さを見ることができた。
被害者であるのに、主観を極力取り払いながら、同情を乞うわけでなく、しかし生々しく描く筆者の姿に感銘を受けた。瑞々しい文章に、翻訳者の力も感じられる。
また、日本についての記述も僅かながらある。ナチズムを遠くの国で起きたものと、日本とは全く切り離して考えている皆さんにも、ぜひおすすめしたい。
まずは、このように洞察力のある善良な人であろう筆者が、その貴重な数年を、死の強制収容所で過ごさねばならなかったことに怒りを覚える。しかしまた、その中で必死に生き延び、またその経験やそこから感じた想いを後世に伝えようとする真摯な人を殺すことができなかったことに、その大量無差別殺人の滑稽さを見ることができた。
被害者であるのに、主観を極力取り払いながら、同情を乞うわけでなく、しかし生々しく描く筆者の姿に感銘を受けた。瑞々しい文章に、翻訳者の力も感じられる。
また、日本についての記述も僅かながらある。ナチズムを遠くの国で起きたものと、日本とは全く切り離して考えている皆さんにも、ぜひおすすめしたい。