石母田「武士=在地領主階級」をずっと、そんなもんだろうな、と思って、その後の東国国家論、二つの王権論を権門体制論より正しいのではないかと思っていたのですが、それは階級闘争歴史観を自然なものとして取り入れていた結果なんだろうな、みたいなことを考えました。
武士を在地領主と考えると、貴族と荘園を打破して封建制を確立していく過程というのは、いかにも階級闘争的に正しい見方ですが、武士は職業的戦士だ、みたいな。現在では清盛、頼朝などは軍事貴族であり、官司請負制が公家社会内で次第に確立されていく中で、軍事の専門家が育ち、保元の乱・平治の乱と治承・寿永の乱(源平の争乱)で武家棟梁の地位が確立された、みたいな感じが正しいのかな、と。
当時の合戦は騎射戦が最も貴ばれ、職業的戦士である武士は流鏑馬のような訓練や狩りなどでその鍛錬に励んだが、源平の争乱で馬を使った訓練などを日常的には行えないような武士も動員しなくてはならなくなり、取っ組み合いでの決着などが多くなり、相撲が武家社会に定着した(p.26)、と。
徒然草にも報告されている1180-81の天候不順による飢饉で戦線が膠着したとか、東日本の被害が少なかったから頼朝陣営が強化されたそうですが(p.118)、他の戦乱ではどうなんでしょう。さらに、農閑期の稼ぎ場として農民も戦闘に参加したほか、人夫に近い歩兵も出現した、と(p.136-)。
後半では頼朝の政治力が描かれます。特に奥州藤原氏を攻め滅ぼしたのは、上総介広常らを粛清した後、自分への忠誠を求めるものであったと。それは祖父である頼義が前九年の役で確立したヘゲモニーを再確認するものでしたが、北条時政が平賀朝賀を実朝の代わりに擁立しようとしたのも、頼義の血を引いているからだ、というのは蒙を啓かれました(p.238)。
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