流転の海 第9部 野の春 (日本語) 単行本 – 2018/10/31
宮本 輝
(著)
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本の長さ405ページ
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言語日本語
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出版社新潮社
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発売日2018/10/31
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寸法13.2 x 2.9 x 19.1 cm
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ISBN-104103325194
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ISBN-13978-4103325192
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
自らの父をモデルにした松坂熊吾の波瀾の人生を、戦後日本を背景に描く自伝的大河小説「流転の海」。昭和四十二年、熊吾が五十歳で授かった息子・伸仁は二十歳の誕生日を迎える。「俺はこの子が二十歳になるまでは絶対に死なん」そう誓った熊吾の、大願成就の日を家族三人で祝うが…。熊吾の人生の最期には、何が待ち受けていたのか。妻の房江は、伸仁はどう生きていくのか。そして、幸せとは、宿命とは何だろうか。時代を超えて読み継がれる大河巨篇、完結。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
宮本/輝
1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。広告代理店勤務等を経て、77年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。その後、結核のため二年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞)『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)等著書多数。2010(平成22)年、紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。広告代理店勤務等を経て、77年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。その後、結核のため二年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞)『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)等著書多数。2010(平成22)年、紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2018/10/31)
- 発売日 : 2018/10/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 405ページ
- ISBN-10 : 4103325194
- ISBN-13 : 978-4103325192
- 寸法 : 13.2 x 2.9 x 19.1 cm
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 32,272位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 47位芥川賞受賞(76-100回)作家の本
- - 1,098位日本文学
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年11月4日に日本でレビュー済み
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戦中戦後の激動の時代を、止まることのないブルドーザーのように進み、事業を作るために壊すのか、壊すために作るのか、失っても失っても次のことだけを考えて生きてきた松坂熊吾の人生が終わるシリーズ最終巻。50歳の時に生まれた息子が20歳になるまで必ず生きるという誓いを果たして、言いたいこと、やりたいこと、やらなけれないけないことを数々残したまま迎える最期は、これが37年かけたシリーズの主人公の最期かと思うとともに人間のリアリティに迫る。息子に語るセリフに「わしはお前が生まれたときからずっと、この子には他の誰にもない秀でたものがあると思うてきた。(中略)それはどうも親の欲目じゃったようじゃ。お前にはなんにもなかった。秀でたものなんか、どこを探してもない男じゃった。お前は父親にそんな過大な期待を抱かれてさぞ重荷じゃったことじゃろう。」とある。この残酷なセリフをなぜ父が息子にいう必要があったのか、そう言われた息子はこの先どう生きていくのか、それはこのシリーズを読んできた読者に対して「松坂熊吾こそは(読者の期待に反して)所詮何者にもならなかった、そしてなんにもないと言われた息子もどうにかやってきてこの本を書き上げた」という回答なのかもしれない。宮本輝は松坂熊吾のモデルである自身の父親をヒーローに仕立てず、この小説に出てくる膨大な登場人物も含め無名の市井の人々の生老病死を描ききった。松坂熊吾が亡くなる71歳と同じ年齢で。
53人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年11月1日に日本でレビュー済み
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宮本輝作品に、駄作なし。
物語、文章表現、素晴らしい。
名言が至る所にあり、感銘を受ける。
なぜなら、
宮本輝氏は、実体験をstoryに
描写するから、リアリティーが違う。
「野に遺賢あり(なし)」
「魑魅魍魎」
「天網恢々粗にして漏らさず」等
氏の作品から学んだ言葉も
大変多い。
氏の実父の口癖、
「何がどうなろうと、
たいしたことはありゃあせん」
私の座右の銘となった。
女性には
「森の中の海」もオススメ。
夫の裏切りに傷ついた心が、
森の中の海で再生していく物語。
下巻152ページ1行目
『私はきのうの夜まで、
私を産んだ…‥』で、
毎回号泣してしまう。
何故泣けるのか自分でも解らない。
物語、文章表現、素晴らしい。
名言が至る所にあり、感銘を受ける。
なぜなら、
宮本輝氏は、実体験をstoryに
描写するから、リアリティーが違う。
「野に遺賢あり(なし)」
「魑魅魍魎」
「天網恢々粗にして漏らさず」等
氏の作品から学んだ言葉も
大変多い。
氏の実父の口癖、
「何がどうなろうと、
たいしたことはありゃあせん」
私の座右の銘となった。
女性には
「森の中の海」もオススメ。
夫の裏切りに傷ついた心が、
森の中の海で再生していく物語。
下巻152ページ1行目
『私はきのうの夜まで、
私を産んだ…‥』で、
毎回号泣してしまう。
何故泣けるのか自分でも解らない。
2018年11月11日に日本でレビュー済み
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読み始めて30年以上の年月がたった。ついに完結。著者と感慨を共にしたい。
最終巻の興味は、主人公の熊吾がいかに死ぬか、であろう。期待を裏切らない。誠に熊吾らしい死だった。深い味わいがあります。
(以下、ネタばれにならないよう注意して書きますが、終盤の物語の一部に触れます)
著者は創価学会の信仰で知られるが、この大河小説で描かれる群像は、まさに学会に集うような人たちだろう。国家権力や大企業に縁のある者は一人もいない。権力や大組織に守られない、小自営業者やその従業員のような、無名で無力な庶民たちだ。熊吾は中国人にしばしば共感的に言及するが、それは、国家を信じない中国の庶民とのあいだに、世界観の上で共通点があるからだろう。熊吾は才覚と人格だけでその人々の中心になる。そして本人は世間的な栄華と無縁に死ぬ。庶民の英雄、労働階級のヒーローだ。この小説には学会の活動や信仰は直接は描かれていない。描かないのは物語の背景を考えると逆に不自然だが、読者はその点を補って読む必要がある。熊吾を含めた登場人物たちが頻繁に漏らす世相についての意見がときおり学会的である、のはご愛嬌として読み流そう。
もちろんこの作品を書いた著者の動機はもっと個人的なものだ。死の直前、熊吾は、著者の投影である息子の伸仁に、言うべきでないことを言う。息子は傷つく。熊吾は発言を後悔するが、結局、息子に訂正しないまま死ぬ。それは物語としては、というか熊吾の心理としては不自然だが、著者の意図したものだろう。著者は、この物語を書き終えたことによってこそ、父にその「言葉」を訂正させることができ、「復讐」が成ったのである。
ただ1点、熊吾が終盤、大阪で偶然Tと会うのは、いくらなんでもあり得ない偶然ではないか。細心な著者らしくない。ここで少し醒めてしまう。編集者に注意して欲しかった。
流転の海の最初の部分は映画化され、熊吾は森繁久弥が演じた。今なら西田敏行が適任だ。
最終巻の興味は、主人公の熊吾がいかに死ぬか、であろう。期待を裏切らない。誠に熊吾らしい死だった。深い味わいがあります。
(以下、ネタばれにならないよう注意して書きますが、終盤の物語の一部に触れます)
著者は創価学会の信仰で知られるが、この大河小説で描かれる群像は、まさに学会に集うような人たちだろう。国家権力や大企業に縁のある者は一人もいない。権力や大組織に守られない、小自営業者やその従業員のような、無名で無力な庶民たちだ。熊吾は中国人にしばしば共感的に言及するが、それは、国家を信じない中国の庶民とのあいだに、世界観の上で共通点があるからだろう。熊吾は才覚と人格だけでその人々の中心になる。そして本人は世間的な栄華と無縁に死ぬ。庶民の英雄、労働階級のヒーローだ。この小説には学会の活動や信仰は直接は描かれていない。描かないのは物語の背景を考えると逆に不自然だが、読者はその点を補って読む必要がある。熊吾を含めた登場人物たちが頻繁に漏らす世相についての意見がときおり学会的である、のはご愛嬌として読み流そう。
もちろんこの作品を書いた著者の動機はもっと個人的なものだ。死の直前、熊吾は、著者の投影である息子の伸仁に、言うべきでないことを言う。息子は傷つく。熊吾は発言を後悔するが、結局、息子に訂正しないまま死ぬ。それは物語としては、というか熊吾の心理としては不自然だが、著者の意図したものだろう。著者は、この物語を書き終えたことによってこそ、父にその「言葉」を訂正させることができ、「復讐」が成ったのである。
ただ1点、熊吾が終盤、大阪で偶然Tと会うのは、いくらなんでもあり得ない偶然ではないか。細心な著者らしくない。ここで少し醒めてしまう。編集者に注意して欲しかった。
流転の海の最初の部分は映画化され、熊吾は森繁久弥が演じた。今なら西田敏行が適任だ。
2019年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
長く楽しみに読んできた流転の海の最終巻。
伸仁が20才になるまで生きると誓った熊吾。この巻で伸仁は20才になります。あのひ弱だった彼が大学でテニス部に入り、可愛い彼女も出来、熊吾より背も高くなります。一方、熊吾は持病の糖尿病の悪化や事業の衰退、入れ歯の不具合で好きなものも食べられなくなり、急激な老化に苦しめられます。
生き生きと働き自立してゆく房江の元へも帰れず、博美の、隣の赤ん坊の泣き声がうるさいアパートにも帰れず、三界に家なしのごとくの熊吾はすでに70才を過ぎているのです。
倒れる直前、熊吾は伸仁に「おまえは秀でたものなんかどこを探してもない男じゃった。お前は、父親にそんなに過大な期待を抱かれて、さぞ重荷じゃったことじゃろう。申し訳なかった。」と言い放ちます。この言葉の持つ意味の残酷さと同時に大きな愛情を伸仁はきっと感じて分かっていたとおもいます。いや、その時にはわからなくても、年を経るときっと。何者かになろうとあがいて全てを失う者のなんと多いことか・・辻堂は若くして証券会社の社長にまで上り詰めたが、その性根はどうなっていったか、名声を求め続けた海老原太一はどうなったか。熊吾は伸仁に語った言葉で己の愚を嗤っていたのです。熊吾の意図したものではなかったであろうが、伸仁にとってキツイ言葉を投げかける事によって房江が危惧した松坂家の宿命を断ち切る事が出来たのだとおもいます。
熊吾の死の情景は、実に美しく、明るい透明感のある哀しみに満ちており、タイトルの「野の花」はその情景を活写しており秀逸です。関根正二の描く原野を葬列の如く女達が花を提げて歩いている絵が浮かびました。
何年かのちにまた読み返したい作品でした。
伸仁が20才になるまで生きると誓った熊吾。この巻で伸仁は20才になります。あのひ弱だった彼が大学でテニス部に入り、可愛い彼女も出来、熊吾より背も高くなります。一方、熊吾は持病の糖尿病の悪化や事業の衰退、入れ歯の不具合で好きなものも食べられなくなり、急激な老化に苦しめられます。
生き生きと働き自立してゆく房江の元へも帰れず、博美の、隣の赤ん坊の泣き声がうるさいアパートにも帰れず、三界に家なしのごとくの熊吾はすでに70才を過ぎているのです。
倒れる直前、熊吾は伸仁に「おまえは秀でたものなんかどこを探してもない男じゃった。お前は、父親にそんなに過大な期待を抱かれて、さぞ重荷じゃったことじゃろう。申し訳なかった。」と言い放ちます。この言葉の持つ意味の残酷さと同時に大きな愛情を伸仁はきっと感じて分かっていたとおもいます。いや、その時にはわからなくても、年を経るときっと。何者かになろうとあがいて全てを失う者のなんと多いことか・・辻堂は若くして証券会社の社長にまで上り詰めたが、その性根はどうなっていったか、名声を求め続けた海老原太一はどうなったか。熊吾は伸仁に語った言葉で己の愚を嗤っていたのです。熊吾の意図したものではなかったであろうが、伸仁にとってキツイ言葉を投げかける事によって房江が危惧した松坂家の宿命を断ち切る事が出来たのだとおもいます。
熊吾の死の情景は、実に美しく、明るい透明感のある哀しみに満ちており、タイトルの「野の花」はその情景を活写しており秀逸です。関根正二の描く原野を葬列の如く女達が花を提げて歩いている絵が浮かびました。
何年かのちにまた読み返したい作品でした。
2018年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「蛮夷っちゅう輩は、物事の正邪や道理をどんなに丁寧にわかりやすうに教えてやっても、なかなか理解せんし、せっかくそれを覚えてもすぐに忘れて、生来の本能の方へ戻っていきよる...。」「自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」読み始めた未成年の頃から、人は人としてどう生きるべきか、正しい誇りをどう持つべきか、教えてくれた人生の書でした。宮本輝のすべてが詰まっている後世に残るべき名著です。
2019年7月21日に日本でレビュー済み
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私はこの作品を今年2019年に入ってから一部から全て間隔をあまり開けずに通しで読みました。最初から読んでいたファンの方は随分根気よく待たれたかと思います。9冊にも及ぶ量はかなり多く。登場人物も数知れず、間隔が開くとますます整理していかないと分からなくなるくらいです。魅力的な人物も数多く登場し、開始当初熊吾から最後に至るまで止まることなく読み進められました。最期は本当に呆気なくといった感じでの幕引きでしたが、ひとりの男の生き方を垣間見れました。人間隆盛があり熊吾本人も人生幸福は最後にならないと分からないと常言っていた本人の最期が幸せだったのかは分かりません。しかし、大変な時代を生き抜いた事だけはしっかりと伝わりました。いつの時代も大変なことはあるけれど戦争状態になってないだけマシと考えれば今はとても贅沢かもしれません。悪いところに目を背けるわけではありませんが確かな善い心はいつの時代も存在しますし、信じられる行動を自ら起こすことが肝要なんだと思いました。変になんでもできてしまう万能な者より、やはり人間臭い方が心には刺さりやすいようでした。
2019年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後の大阪を作者よりも少し遅れて歩いてきた私にとって、「流転の海」が60年前に連れ戻してくれたことで自らの暮らしをもう一度やり直しているように感じ、嬉しかったこと、悲しかったこと、さまざまな思い出が甦った作品でした。
勝手ながら、熊吾おじさんや伸仁さんの傍で自問自答を続けてきました。
やり直すことはできませんが、亡父や亡兄を思い出しながら小生の人生を見つめ直すことで自分なりに改めて反省し喜ぶ機会となった貴重な作品でした。
宮本輝 様
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちで一杯です。
勝手ながら、熊吾おじさんや伸仁さんの傍で自問自答を続けてきました。
やり直すことはできませんが、亡父や亡兄を思い出しながら小生の人生を見つめ直すことで自分なりに改めて反省し喜ぶ機会となった貴重な作品でした。
宮本輝 様
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちで一杯です。
2019年12月27日に日本でレビュー済み
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第9巻最終巻の本で、8巻までは地元の図書館で借りて読みました。
既に新刊が発売されたというのに、待てど暮らせど地元の商店からは納品されず、他に買って読んだ人もいるなか、結末を知りたくて購入しました
。注文してまもなく到着したので有り難かったです。こんなことなら、もっと早く頼めば良かった。
作者の父がモデルということで、どこまでが事実で、創作部分はどこなのかわかりませんが、最期の姿は予想を越えて落ちぶれたものでした。なぜあれほど自分が信頼し育てたともいえる人々に裏切られたのか。父は本意ではないのに愛人と暮らし、母は傷つき酒に飲まれる日々、不思議なような当たり前のような生活が淡々と描かれていて、読み進めていくほどにわからなくなりました。息子である作者の内面は父母の目を通してからしか描写されていませんが、どんな思いで筆を置いたのか気になるところです。いずれにしても30年以上を費やしての一代記、読みごたえはありました。第9巻だけに限ると、読み終えてすっきりしたものとはいえませんが、熊吾の人生に関わる人達の終焉と未来が透けて見える作品だと思いました。
既に新刊が発売されたというのに、待てど暮らせど地元の商店からは納品されず、他に買って読んだ人もいるなか、結末を知りたくて購入しました
。注文してまもなく到着したので有り難かったです。こんなことなら、もっと早く頼めば良かった。
作者の父がモデルということで、どこまでが事実で、創作部分はどこなのかわかりませんが、最期の姿は予想を越えて落ちぶれたものでした。なぜあれほど自分が信頼し育てたともいえる人々に裏切られたのか。父は本意ではないのに愛人と暮らし、母は傷つき酒に飲まれる日々、不思議なような当たり前のような生活が淡々と描かれていて、読み進めていくほどにわからなくなりました。息子である作者の内面は父母の目を通してからしか描写されていませんが、どんな思いで筆を置いたのか気になるところです。いずれにしても30年以上を費やしての一代記、読みごたえはありました。第9巻だけに限ると、読み終えてすっきりしたものとはいえませんが、熊吾の人生に関わる人達の終焉と未来が透けて見える作品だと思いました。