Sooooo, ummm, yea, I am writing this review immediately upon finishing this book. My mouth is just open and I am in shock! This is a well written book, a real page turner.
Are you kidding; this is perfect. If you don’t like it; there is something seriously wrong with your sense of humor.
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津軽 (新潮文庫) 文庫 – 2004/6/1
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私は全作品の中から何か一篇だけ選べと云われるなら、この作品を挙げたい。―亀井勝一郎
太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家"からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。
しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
詳細な注解を付す。
本文より
津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まあまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。(「序編」)
バスの時間が来た。私はT君と一緒に外へ出た。もう寒くはない。お天気はいいし、それに、熱燗のお酒も飲んだし、寒いどころか、額に汗がにじみ出て来た。合浦公園の桜は、いま、満開だという話であった。青森市の街路は白っぽく乾いて、いや、酔眼に映った出鱈目な印象を述べる事は慎もう。(「本編 一 巡礼」)
考えてみると、津軽というのは、日本全国から見てまことに渺(びょう)たる(注・きわめて小さいさま)存在である。芭蕉の「奥の細道」には、その出発に当り、「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」と書いてあるが、それだって北は平泉、いまの岩手県の南端に過ぎない。青森県に到達するには、その二倍歩かなければならぬ。そうして、その青森県の日本海寄りの半島たった一つが津軽なのである。(「本編 四 津軽平野」)
本書「解説」より
この作品でもう一つ見のがしえないのは、太宰のサーヴィス精神である。「人を喜ばせるのが何よりも好き」という気持には孤独者の悲哀があるが、また無類のお人好しのところもある。後に『斜陽』の中で、詳しくこの気持を語っているが、『津軽』では故郷人の気質として面白く描かれている。第二節蟹田の「Sさん」の饗応ぶりは、そのまま太宰の姿だと云ってよい。(略)
これは人間としての彼のすがたであっただけでなく、作家としての態度でもあった。その窮極の思想を、聖書の中の「隣人への愛」にまで結びつけて行った点に、私は彼の誠実をみる。
――亀井勝一郎(評論家)
太宰治(1909-1948)
青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。
太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家"からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。
しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
詳細な注解を付す。
本文より
津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まあまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。(「序編」)
バスの時間が来た。私はT君と一緒に外へ出た。もう寒くはない。お天気はいいし、それに、熱燗のお酒も飲んだし、寒いどころか、額に汗がにじみ出て来た。合浦公園の桜は、いま、満開だという話であった。青森市の街路は白っぽく乾いて、いや、酔眼に映った出鱈目な印象を述べる事は慎もう。(「本編 一 巡礼」)
考えてみると、津軽というのは、日本全国から見てまことに渺(びょう)たる(注・きわめて小さいさま)存在である。芭蕉の「奥の細道」には、その出発に当り、「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」と書いてあるが、それだって北は平泉、いまの岩手県の南端に過ぎない。青森県に到達するには、その二倍歩かなければならぬ。そうして、その青森県の日本海寄りの半島たった一つが津軽なのである。(「本編 四 津軽平野」)
本書「解説」より
この作品でもう一つ見のがしえないのは、太宰のサーヴィス精神である。「人を喜ばせるのが何よりも好き」という気持には孤独者の悲哀があるが、また無類のお人好しのところもある。後に『斜陽』の中で、詳しくこの気持を語っているが、『津軽』では故郷人の気質として面白く描かれている。第二節蟹田の「Sさん」の饗応ぶりは、そのまま太宰の姿だと云ってよい。(略)
これは人間としての彼のすがたであっただけでなく、作家としての態度でもあった。その窮極の思想を、聖書の中の「隣人への愛」にまで結びつけて行った点に、私は彼の誠実をみる。
――亀井勝一郎(評論家)
太宰治(1909-1948)
青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/6/1
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101006040
- ISBN-13978-4101006048
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出版社より
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晩年 | 斜陽 | ヴィヨンの妻 | 津軽 | 人間失格 | 走れメロス | |
【新潮文庫】太宰治 作品 | 妻の裏切りを知らされ、共産主義運動から脱落し、心中から生き残った著者が、自殺を前提に遺書のつもりで書き綴った処女創作集。 | ”斜陽族”という言葉を生んだ名作。没落貴族の家庭を舞台に麻薬中毒で自滅していく直治など四人の人物による滅びの交響楽を奏でる。 | 新生への希望と、戦争の後も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命をかけて新しい倫理を求めようとした文学的総決算。 | 著者が故郷の津軽を旅行したときに生れた本書は、旧家に生れた宿命を背負う自分の姿を凝視し、あるいは懐しく回想する異色の一巻。 | 生への意志を失い、廃人同様に生きる男が綴る手記を通して、自らの生涯の終りに臨んで、著者が内的真実のすべてを投げ出した小説。 | 人間の信頼と友情の美しさを、簡潔な文体で表現した「走れメロス」など、中期の安定した生活の中で、多彩な芸術的開花を示した9編。 |
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お伽草紙 | グッド・バイ | 二十世紀旗手 | 惜別 | パンドラの匣 | 新ハムレット | |
昔話のユーモラスな口調の中に、人間宿命の深淵をとらえた表題作ほか「新釈諸国噺」「清貧譚」等5編。古典や民話に取材した作品集。 | 被災・疎開・敗戦という未曾有の極限状況下の経験を我が身を燃焼させつつ書き残した後期の短編集。「苦悩の年鑑」「眉山」等 16 編。 | 麻薬中毒と自殺未遂の地獄の日々──小市民のモラルと、既成の小説概念を否定し破壊せんとした前期作品集。「虚構の春」など7編。 | 仙台留学時代の若き魯迅と日本人学生との心あたたまる交友を描いた表題作と「右大臣実朝」──太宰文学の中期を代表する秀作 2 編。 | 風変りな結核療養所で闘病生活を送る少年を描く「パンドラの匣」。社会への門出に当って揺れ動く中学生の内面を綴る「正義と微笑」。 | 西洋の古典や歴史に取材した短編集。原典「ハムレット」の戯曲形式を生かし現代人の心理的葛藤を見事に描き込んだ表題作等5編。 |
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きりぎりす | もの思う葦 | 津軽通信 | 新樹の言葉 | ろまん燈籠 | 地図―初期作品集― | |
著者の最も得意とする、女性の告白体小説の手法を駆使して、破局を迎えた画家夫婦の内面を描く表題作など、秀作 14 編を収録する。 | 初期の「もの思う葦」から死の直前の「如是我聞」まで、短い苛烈な生涯の中で綴られた機知と諧謔に富んだアフォリズム・エッセイ。 | 疎開先の生家で書き綴られた表題作、『短篇集』としてくくられた中期の作品群に、”黄村先生”ものと各時期の連作作品を中心に収録。 | 地獄の日々から立ち直ろうと懸命の努力を重ねた中期の作品集。乳母の子供たちと異郷で思いがけない再会をした心温まる話など 15 編。 | 小説好きの五人兄妹が順々に書きついでいく物語のなかに五人の性格を浮彫りにするという野心的な構成をもった表題作など 16 編。 | 生誕百年記念出版。才気と野心の原点がここにある。中学生津島修治から作家太宰治へ、文豪の誕生を鮮やかに示す初期作品集。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (2004/6/1)
- 発売日 : 2004/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 260ページ
- ISBN-10 : 4101006040
- ISBN-13 : 978-4101006048
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 46,972位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。
在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2019年6月19日に日本でレビュー済み
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2018年1月11日に日本でレビュー済み
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一時期弟が嫌いで、受験失敗しちゃえと思ってた、なんて極めて個人的で赤裸々な心情が書いてあるかと思えば、青森の歴史に触れてみたり、友人達との再会と交流が描かれていたり。「一人で仕事する友人の姿」を想像するその描写の見事さにはこちらまで切なくなり、
お寺に”手みやげ”を持って寄った件やその結末はユーモラスに、ラストの再会は感動的に。
旅行記の筈が小説のようです。
あと、短かく、兄や上記の弟が亡くなっていることが書かれていますが、極めて歳の近い肉親が亡くなっている体験から、
筆者にとって死は身近なものであったのかなとしんみりしてしまいました。
お寺に”手みやげ”を持って寄った件やその結末はユーモラスに、ラストの再会は感動的に。
旅行記の筈が小説のようです。
あと、短かく、兄や上記の弟が亡くなっていることが書かれていますが、極めて歳の近い肉親が亡くなっている体験から、
筆者にとって死は身近なものであったのかなとしんみりしてしまいました。
2020年7月8日に日本でレビュー済み
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本書は、津軽の風景描写と回想で紡がれた作品になります。
いくつか引用した文章の中に、太宰治のやや屈折した存在感を感じられます。
小説としての面白さを求めると少しとまどうだろうと思いますが、どこかはぐれ者の感じを持つ、太宰治自身に共感を感じた方は、ぜひ読んでみてください。
おすすめです。小説らしくない、極めて特殊な構造を持つ作品です。
個人的に、太宰治が大好きです。
屈折している考え、非常識でいいじゃないか。
僕自身も他の人と全く違う考えで、ぶっ飛んでいる方だと思う。
でも、ほかの人と同じことをしていたら人生もその他大勢の中での考えや行動、結果で終わってしまう。
そんなのでいいのか?
人生一度きりなんだから、自分の考えた通りに失敗してもいいじゃないか。
満足する人生を送ろうよ。
他人の価値観でなく、自分の人生を生きた方がよっぽど良い。
と改めて感じさせられました。
いくつか引用した文章の中に、太宰治のやや屈折した存在感を感じられます。
小説としての面白さを求めると少しとまどうだろうと思いますが、どこかはぐれ者の感じを持つ、太宰治自身に共感を感じた方は、ぜひ読んでみてください。
おすすめです。小説らしくない、極めて特殊な構造を持つ作品です。
個人的に、太宰治が大好きです。
屈折している考え、非常識でいいじゃないか。
僕自身も他の人と全く違う考えで、ぶっ飛んでいる方だと思う。
でも、ほかの人と同じことをしていたら人生もその他大勢の中での考えや行動、結果で終わってしまう。
そんなのでいいのか?
人生一度きりなんだから、自分の考えた通りに失敗してもいいじゃないか。
満足する人生を送ろうよ。
他人の価値観でなく、自分の人生を生きた方がよっぽど良い。
と改めて感じさせられました。
2015年9月16日に日本でレビュー済み
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太宰治の作品は、中学校時代に読んだ『走れメロス』のほか余り読んだことがない。ある人から『津軽』を読むように薦められて、この歳になって初めて読むことになった。
「序編」で、太宰治(津島修治)が生まれて20年を過ごした金木(生家)、五所川原、青森(中学校)、弘前(高等学校)、浅虫、大鰐の回想から始まる。その後は、東京帝国大学に入学、東京に住んだため故郷とは縁が薄かったようだ。
「本編」は、「生まれてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかって一周した~」ときの旅行記となっているが、読み進めているうちにこの旅行がいつだったのか、また、いつ小説として上梓されたのかがどうも気になって、途中でWikiを調べてしまった。この旅行は、昭和19年5月のことで、本書の完成は同年7月末のこと、まさに先の大戦で敗色が濃くなってきた時期に当たる。
さて、青森に到着した太宰はまず、青森半島の東海岸をN君のいる蟹田から始めて竜飛まで訪れる。その後は、蟹田に戻り、金木(生家のある)、五所川原、深浦、鯵ヶ沢、小泊、蟹田を経て帰京の途に就く。小泊では、太宰の養母であった「たけ」との再会が一つのクライマックスとなっている。
この小説には、津軽の海、岩木山そして林檎畑など津軽半島の自然や生活が描かれていて、この本を案内書として津軽の旅をする人に人気があるようだ。
しかし、ここでは前述の気になった時代背景に関して記しておきたい。まず、戦争中のことゆえ、知人に食糧調達の旅と思われないように気にしていること、そして、酒が配給制であって、入手に苦労していることが面白い。また、旅行の地理一部詳細は、機密保護のために記せないなど言い訳もどこまで本当か不明だが興味深い。
太宰の小説に「十二月八日」という小品がある。これは、主婦の眼を通してみた開戦日の気持を素直に記した作品である。若いころに左翼思想に憧れたという太宰治も戦争中は、一国民として素直に過ごしていたことがこの2作品から偲ばれる。
もう一つ、『津軽』のなかで、友人たちに囲まれた席で「日本の或る五十年配の作家の仕事云々」との発言がある。後に志賀直哉と諍いのもととなったようだ。
「序編」で、太宰治(津島修治)が生まれて20年を過ごした金木(生家)、五所川原、青森(中学校)、弘前(高等学校)、浅虫、大鰐の回想から始まる。その後は、東京帝国大学に入学、東京に住んだため故郷とは縁が薄かったようだ。
「本編」は、「生まれてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかって一周した~」ときの旅行記となっているが、読み進めているうちにこの旅行がいつだったのか、また、いつ小説として上梓されたのかがどうも気になって、途中でWikiを調べてしまった。この旅行は、昭和19年5月のことで、本書の完成は同年7月末のこと、まさに先の大戦で敗色が濃くなってきた時期に当たる。
さて、青森に到着した太宰はまず、青森半島の東海岸をN君のいる蟹田から始めて竜飛まで訪れる。その後は、蟹田に戻り、金木(生家のある)、五所川原、深浦、鯵ヶ沢、小泊、蟹田を経て帰京の途に就く。小泊では、太宰の養母であった「たけ」との再会が一つのクライマックスとなっている。
この小説には、津軽の海、岩木山そして林檎畑など津軽半島の自然や生活が描かれていて、この本を案内書として津軽の旅をする人に人気があるようだ。
しかし、ここでは前述の気になった時代背景に関して記しておきたい。まず、戦争中のことゆえ、知人に食糧調達の旅と思われないように気にしていること、そして、酒が配給制であって、入手に苦労していることが面白い。また、旅行の地理一部詳細は、機密保護のために記せないなど言い訳もどこまで本当か不明だが興味深い。
太宰の小説に「十二月八日」という小品がある。これは、主婦の眼を通してみた開戦日の気持を素直に記した作品である。若いころに左翼思想に憧れたという太宰治も戦争中は、一国民として素直に過ごしていたことがこの2作品から偲ばれる。
もう一つ、『津軽』のなかで、友人たちに囲まれた席で「日本の或る五十年配の作家の仕事云々」との発言がある。後に志賀直哉と諍いのもととなったようだ。
2020年9月30日に日本でレビュー済み
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There are some fictions in the novel that are different from the facts, but basically, I visited Tsugaru, Aomori Prefecture, where "I" = "Osamu Dazai" was born, met people who were taken care of in the past, and I am a person from Tsugaru. It is a story that establishes the identity of.
However, not only the story of such an encounter, but also the introductory texts of each region are written in a smooth manner, so it can be regarded as a travelogue.
However, not only the story of such an encounter, but also the introductory texts of each region are written in a smooth manner, so it can be regarded as a travelogue.
2014年6月2日に日本でレビュー済み
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司馬遼太郎の街道をゆく41巻 北のまほろばで青森を旅した際に、太宰の津軽が引用されていたので
かなり久しぶりに古い作家の本を買うことに決めた
太宰の津軽紹介であるが なかなか難解である
当時、志賀直哉が美しい文章で文壇において人気を集めていたことに対する太宰の反論
どこにその自信があるのかが分からない
全く自信がないのかもしれない
津軽人は自分を愛するが、また同時に自分を憎む
たとえ軍人が凱旋しても、あるいは文人が故郷に錦を飾ろうが
津軽人は素直に讃歌を謳わない
たまたま運が良かっただけのくせに偉そうにするのではないといわれるのが落ちだ
開けっぴろげでない屈折した気質なのであろうか
この根底にあるのはやはり自己愛と自己憎なのであろう
それがどこから来るのか
厳しい自然からなのか あるいは日本史の中で決して一度も中心となることもなく
かといって戦争で負けたことも一度もなく
ある意味日本の北端であったがために いじけるしかなかったのであろうか
昭和19年の3週間のたびで太宰は津軽は、誇るべきものもないが、卑下するものもなく
ただ純粋に津軽に生きていたということを再確認するだけであった
けっして読みやすい文章ではないが、太宰が絞り出す言葉には津軽弁の朴訥さが残っているかのようであった
かなり久しぶりに古い作家の本を買うことに決めた
太宰の津軽紹介であるが なかなか難解である
当時、志賀直哉が美しい文章で文壇において人気を集めていたことに対する太宰の反論
どこにその自信があるのかが分からない
全く自信がないのかもしれない
津軽人は自分を愛するが、また同時に自分を憎む
たとえ軍人が凱旋しても、あるいは文人が故郷に錦を飾ろうが
津軽人は素直に讃歌を謳わない
たまたま運が良かっただけのくせに偉そうにするのではないといわれるのが落ちだ
開けっぴろげでない屈折した気質なのであろうか
この根底にあるのはやはり自己愛と自己憎なのであろう
それがどこから来るのか
厳しい自然からなのか あるいは日本史の中で決して一度も中心となることもなく
かといって戦争で負けたことも一度もなく
ある意味日本の北端であったがために いじけるしかなかったのであろうか
昭和19年の3週間のたびで太宰は津軽は、誇るべきものもないが、卑下するものもなく
ただ純粋に津軽に生きていたということを再確認するだけであった
けっして読みやすい文章ではないが、太宰が絞り出す言葉には津軽弁の朴訥さが残っているかのようであった