私は、サヨクの発言のダブルスタンダードが嫌いである。また、弱者の中の一部のかたが、居丈高にタダ乗り(フリーライダー)をし、利益享受を当然と主張していることが腹が立ってたまらないのだ。それらの主張をしている人はリベラルを自称している人に多いと感じている。
さて、この本の著者はリベラルである。が、私が前記したヤカラ達とは一味違う人物のようだ。
著者は、正義は多様であることを述べ、それでも、「いろんな種類の正義があったとしても、それらには共通する追究姿勢があるのではないか」と模索している。
その結果、4本の柱を提示していて、その①と②が、フリーライダー禁止とダブスタ禁止である。素晴らしいと思う。
③で反既得権益を説いているが、その説明に、個人の隣の家との日照権を持ち出しているのには疑問を感じた。こんな極個人的な話をもちだして「公共性にとって既得権益は悪」というような論理を展開するのにはビックリした。
また、④では反集団エゴを主張している。多数派の暴力に対して警戒するよう主張している。なんかモゴモゴした言い方で、マイノリティの過剰要求がもしあったときはどうするのかは言ってるのか言ってないのか読み取れない。
ただ、わたしにとっては、①②で充分価値ある一冊になった。
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法という企て 単行本 – 2003/9/1
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- ISBN-104130311735
- ISBN-13978-4130311731
- 出版社東京大学出版会
- 発売日2003/9/1
- 言語日本語
- 本の長さ302ページ
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商品の説明
著者からのコメント
「法とは何であるか」そして「法は何であるべきか」
法哲学は古くからある学問ですが,名前はいかめしいものの,一体何を「学び問う」のか,一般の人々にはよく知られていないようです.実は,法哲学者の看板を掲げている私自身,「法哲学って,何ですか」と聞かれるのが一番当惑する質問で,本当のところ,よく分からないのです.法学と哲学に二股をかけて慢性的な同一性危機にある学問です,と冗談半分に答えたりしますが,これは真面目半分の答えでもあります.
残り半分の真面目な答えをあえて試みるなら,法哲学の課題は結局,二つの問いに集約されます.「法とは何であるか」と「法は何であるべきか」です.前者は法概念論,後者は正義論と呼ばれます.1970年代初頭に,ジョン・ロールズという昨年(2002年)亡くなった著名な哲学者の『正義の理論』という大きな影響力をもった著作が出て以来,正義論は活況を呈してきましたが,法概念論は例外もあるものの,概して元気がなくなりました.それ以前は法概念論の方が元気だったのですが.
元気がなくなったというのは,論文著作の生産量がこの分野で落ちたということではありません.むしろ,飛躍的に増えてきたぐらいです.ただ,正義論が法哲学や法学一般をも超えて,政治学,倫理学,社会学,経済学など様々な領域の間の学際的議論を喚起し,一般市民の問題関心にも訴える論議を展開してきたのに対し,法概念論の方は,分析の緻密性は増したものの,「内輪でだけ盛り上がり,内輪でしか話が通じない」ような内閉化・密教化の傾向を示してきました.これは元気というより空元気です.自分たちの孤立感を権的な孤高意識に転化し,それがさらに孤立と内閉を促進するという悪循環もあります.さらに,法概念論の自律性を示すために,何のための法概念論かという問題意識を棚上げし,法の概念なるものを独特の概念分析の技法により初めて把捉されうる神秘的な本質実体として物神化する傾向さえありました.
本書は袋小路に陥った感のある法概念論を大道に引き戻し,空元気ではなく本当に元気にする試みです.そのために,法概念論と正義論との統合を企てました.といっても,「不正な法は法ではない」という自然法論の立場に戻ろうというわけではないのです.この主張は一見勇ましいようですが,法の存在が提起する固有の困難な問題を直視する勇気を欠くものです.不正な法も法でありうることを承認しつつ,正義と法との内的な関係を明らかにし,法実証主義と自然法論との対立を超えた地平において,法の脱物神化を図ること,これが本書のプロジェクトです.法の脱物神化とここで言うのは,正義をめぐる私たちの論争・闘争を超えた中立性の高みに鎮座する特権的存在としてではなく,この論争・闘争のただ中で絶えず自己自身を問い直し批判的に再編する実践として法を位置づけ直すことです.これだけではまだ何を言ってるのか,よく分からないかもしれません.しかし,何を言ってるのか,もう少し分かりたくなった,そのために本書を覗いてみたくなった,そう感じていただければ幸いです.
法哲学は古くからある学問ですが,名前はいかめしいものの,一体何を「学び問う」のか,一般の人々にはよく知られていないようです.実は,法哲学者の看板を掲げている私自身,「法哲学って,何ですか」と聞かれるのが一番当惑する質問で,本当のところ,よく分からないのです.法学と哲学に二股をかけて慢性的な同一性危機にある学問です,と冗談半分に答えたりしますが,これは真面目半分の答えでもあります.
残り半分の真面目な答えをあえて試みるなら,法哲学の課題は結局,二つの問いに集約されます.「法とは何であるか」と「法は何であるべきか」です.前者は法概念論,後者は正義論と呼ばれます.1970年代初頭に,ジョン・ロールズという昨年(2002年)亡くなった著名な哲学者の『正義の理論』という大きな影響力をもった著作が出て以来,正義論は活況を呈してきましたが,法概念論は例外もあるものの,概して元気がなくなりました.それ以前は法概念論の方が元気だったのですが.
元気がなくなったというのは,論文著作の生産量がこの分野で落ちたということではありません.むしろ,飛躍的に増えてきたぐらいです.ただ,正義論が法哲学や法学一般をも超えて,政治学,倫理学,社会学,経済学など様々な領域の間の学際的議論を喚起し,一般市民の問題関心にも訴える論議を展開してきたのに対し,法概念論の方は,分析の緻密性は増したものの,「内輪でだけ盛り上がり,内輪でしか話が通じない」ような内閉化・密教化の傾向を示してきました.これは元気というより空元気です.自分たちの孤立感を権的な孤高意識に転化し,それがさらに孤立と内閉を促進するという悪循環もあります.さらに,法概念論の自律性を示すために,何のための法概念論かという問題意識を棚上げし,法の概念なるものを独特の概念分析の技法により初めて把捉されうる神秘的な本質実体として物神化する傾向さえありました.
本書は袋小路に陥った感のある法概念論を大道に引き戻し,空元気ではなく本当に元気にする試みです.そのために,法概念論と正義論との統合を企てました.といっても,「不正な法は法ではない」という自然法論の立場に戻ろうというわけではないのです.この主張は一見勇ましいようですが,法の存在が提起する固有の困難な問題を直視する勇気を欠くものです.不正な法も法でありうることを承認しつつ,正義と法との内的な関係を明らかにし,法実証主義と自然法論との対立を超えた地平において,法の脱物神化を図ること,これが本書のプロジェクトです.法の脱物神化とここで言うのは,正義をめぐる私たちの論争・闘争を超えた中立性の高みに鎮座する特権的存在としてではなく,この論争・闘争のただ中で絶えず自己自身を問い直し批判的に再編する実践として法を位置づけ直すことです.これだけではまだ何を言ってるのか,よく分からないかもしれません.しかし,何を言ってるのか,もう少し分かりたくなった,そのために本書を覗いてみたくなった,そう感じていただければ幸いです.
出版社からのコメント
「正義への企て」としての法理論を提示
法とは何か? 法とは「正義への企て」である.法は正義と同一ではなく,不正な法も法でありうる.法が正義に適合しているかの絶えざる批判的吟味が必要なのである.「正義への企て」としての法の理念を理論的・現実的問題をめぐって提示する.
法とは何か? 法とは「正義への企て」である.法は正義と同一ではなく,不正な法も法でありうる.法が正義に適合しているかの絶えざる批判的吟味が必要なのである.「正義への企て」としての法の理念を理論的・現実的問題をめぐって提示する.
内容(「BOOK」データベースより)
法とは何か。本書はこの問いを問い、それに一つの解答を提示する試みである。本書の解答を一言で要約するなら、法とは「正義への企て」である。
内容(「MARC」データベースより)
法とは何か-。法と正義の関係はどのようなものでなければならないかを解明することが、法概念論の課題である。この課題に「正義への企てとしての法」という法概念によって応え、その含意を明らかにする。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
井上/達夫
1954年大阪に生れる。1977年東京大学法学部卒業。現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授(法哲学専攻)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1954年大阪に生れる。1977年東京大学法学部卒業。現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授(法哲学専攻)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (2003/9/1)
- 発売日 : 2003/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 302ページ
- ISBN-10 : 4130311735
- ISBN-13 : 978-4130311731
- Amazon 売れ筋ランキング: - 190,891位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2019年12月16日に日本でレビュー済み
本作に対するレビューではないことを述べてしまうことは心苦しいのだが、幾人かのレビュアーが本作の内容を全く理解していないにも関わらず、したり顔で批判を述べているため、その指摘をしたいと思う。
まず初めに、彼らの主張の根幹に存在しているのは、著者が自分の主張を明確にかつ具体的に提示していないことが不満であり、納得することが出来ないということであったが、これは全く本当に彼らが本作を読破したのかということが疑問に思えてくるほど愚かな主張である。
本作の中で著者は、法は正義への企てであり、法のあるべき姿を規定するためには、正義とはどのようなものなのか考えていく必要があると述べている。そして、正義等というものはそもそも規定できるものではなく、時勢によって変遷しうるものであり、もっと言ってし合えば価値相対主義的に必ず否定されうるものである。著者もそれを理解しているからこそ、功利主義であるとか、リバタリアニズムであるとか、単一の正義構想を正しいと主張するのではなく、正義構想の要件、つまり「正義のレース」の参加条件を定めようとしているのである。
これに関して言えば、「普遍化不可能な差別の撤廃」、つまり自分がやるのはいいけれど、君がやるのはダメだよ、といったような、普遍化することが出来ないような差別の撤廃を要件として主張している。
これを前提に考えると、幾人かのレビュアーが要求しているような、具体的な著者自身の正義構想を本作に記すという行いは、その自身の主張を否定するような、自壊的なまでの矛盾の要求に他ならないのである。それにも関わらず、「著者の主張が見えてこないために☆1」、等と愚かにもほどがある主張の下に知識人ぶって批評を行っているとは、実に嘆かわしいと言わざるを得ない。
ここからは感想となりますが、本作はその「正義のレース」の参加要件を規定し、それに合致しないままに、つまり差別を前提にしているままに正義であると主張しているような理論をバッサバッサと切っていく著者の主張の力強さと、論理的な一貫性が非常に面白い書物であり、一読に値する書物となっています。
率直に言っておすすめです!
まず初めに、彼らの主張の根幹に存在しているのは、著者が自分の主張を明確にかつ具体的に提示していないことが不満であり、納得することが出来ないということであったが、これは全く本当に彼らが本作を読破したのかということが疑問に思えてくるほど愚かな主張である。
本作の中で著者は、法は正義への企てであり、法のあるべき姿を規定するためには、正義とはどのようなものなのか考えていく必要があると述べている。そして、正義等というものはそもそも規定できるものではなく、時勢によって変遷しうるものであり、もっと言ってし合えば価値相対主義的に必ず否定されうるものである。著者もそれを理解しているからこそ、功利主義であるとか、リバタリアニズムであるとか、単一の正義構想を正しいと主張するのではなく、正義構想の要件、つまり「正義のレース」の参加条件を定めようとしているのである。
これに関して言えば、「普遍化不可能な差別の撤廃」、つまり自分がやるのはいいけれど、君がやるのはダメだよ、といったような、普遍化することが出来ないような差別の撤廃を要件として主張している。
これを前提に考えると、幾人かのレビュアーが要求しているような、具体的な著者自身の正義構想を本作に記すという行いは、その自身の主張を否定するような、自壊的なまでの矛盾の要求に他ならないのである。それにも関わらず、「著者の主張が見えてこないために☆1」、等と愚かにもほどがある主張の下に知識人ぶって批評を行っているとは、実に嘆かわしいと言わざるを得ない。
ここからは感想となりますが、本作はその「正義のレース」の参加要件を規定し、それに合致しないままに、つまり差別を前提にしているままに正義であると主張しているような理論をバッサバッサと切っていく著者の主張の力強さと、論理的な一貫性が非常に面白い書物であり、一読に値する書物となっています。
率直に言っておすすめです!
2017年10月23日に日本でレビュー済み
昔、井上教授の授業を履修したときに、教科書指定されていたので、読みました。
最初は何を書いてあるのかほとんどよくわかりませんでしたが(苦笑)、授業を聞きながら、試験のために何度も読みなおすうちに、少しずつ内容も理解できるようになっていきました。もう少しわかりやすく書いてほしいところですね。
それでも、その時に感じたのは、この本は「物を考える」ということを教えてくれる本だということです。学生の時に読んで最も役に立ったのは、この本かもしれない、と社会人になった今ではそう思います。
最初は何を書いてあるのかほとんどよくわかりませんでしたが(苦笑)、授業を聞きながら、試験のために何度も読みなおすうちに、少しずつ内容も理解できるようになっていきました。もう少しわかりやすく書いてほしいところですね。
それでも、その時に感じたのは、この本は「物を考える」ということを教えてくれる本だということです。学生の時に読んで最も役に立ったのは、この本かもしれない、と社会人になった今ではそう思います。
2006年1月27日に日本でレビュー済み
著者は『共生の作法』で法哲学界に衝撃的なデビューを飾って以来、次作『他者への自由』でその理論を洗練させてきた法哲学界の第一人者。その切れ味鋭いリベラリズム論を使って、現代的なテーマにも『現代の貧困』『普遍の再生』といった著作によって応答を試みてきた。本書はそれらとは少し毛色が違い、本来の守備範囲である英米系法理念論(狭義には正義論)ではなく大陸系法概念論を論じた研究書である。第17回和辻哲郎文化賞受賞作。
井上達夫の本は全部読みにくいが、間違いなくこれが最も難解だろう。文章が読みにくいのは相変わらずとしても、ケルゼンとドゥオーキンを論じた第2部は特に難渋。
といっても議論の切れ味はさすがである。例によって井上の著作は知的刺激を受けるに申し分ない。個人的には、第4部第9章「公正競争とは何か」でやっと市場の問題を扱い始めてくれたので、法・政治と経済の関係を井上達夫が今後どう料理するのか、次作に期待している。
井上達夫の本は全部読みにくいが、間違いなくこれが最も難解だろう。文章が読みにくいのは相変わらずとしても、ケルゼンとドゥオーキンを論じた第2部は特に難渋。
といっても議論の切れ味はさすがである。例によって井上の著作は知的刺激を受けるに申し分ない。個人的には、第4部第9章「公正競争とは何か」でやっと市場の問題を扱い始めてくれたので、法・政治と経済の関係を井上達夫が今後どう料理するのか、次作に期待している。
2014年10月21日に日本でレビュー済み
他の法哲学者の著作で参考文献としてあげられていたので、購読しました。
一読して、著者は「法とは正義への企てである」というご自分の提言に固執しすぎておられるという印象を受けました。
過去の著作を一冊にまとめたという本作の性質上やむを得ないのかもしれませんが、著者が前書きで謙遜しているとおり、しばしば全体としてみると意味が通らない、ないし同書の別の箇所とつじつまが会わない部分が見られました。逆に、「法は正義への企てである」という提言は一貫していて、なんの議論をしていても強引にそこへもっていこうとするため、無理な理屈付けがなされている箇所もありました。持って回ったような言い回しが多く、人によっては自分の頭がよくなったような錯覚を覚えるかもしれませんが、得るものは少ないです。
法哲学について初めて学ぼうとする人が初めて読むような本ではないですし(どういう層の読者なら得るものがあるのかはわかりませんが)、あえて新品を買って読むほどの本ではないでしょう。それでも読むなら、中古品を買うか、書店で流し読む程度で十分です。
厳しい評価となりましたが、著者の別の著作を読んだ後にも感想は変わらなかった(むしろより悪い印象を持った)ので、ご容赦ください。
一読して、著者は「法とは正義への企てである」というご自分の提言に固執しすぎておられるという印象を受けました。
過去の著作を一冊にまとめたという本作の性質上やむを得ないのかもしれませんが、著者が前書きで謙遜しているとおり、しばしば全体としてみると意味が通らない、ないし同書の別の箇所とつじつまが会わない部分が見られました。逆に、「法は正義への企てである」という提言は一貫していて、なんの議論をしていても強引にそこへもっていこうとするため、無理な理屈付けがなされている箇所もありました。持って回ったような言い回しが多く、人によっては自分の頭がよくなったような錯覚を覚えるかもしれませんが、得るものは少ないです。
法哲学について初めて学ぼうとする人が初めて読むような本ではないですし(どういう層の読者なら得るものがあるのかはわかりませんが)、あえて新品を買って読むほどの本ではないでしょう。それでも読むなら、中古品を買うか、書店で流し読む程度で十分です。
厳しい評価となりましたが、著者の別の著作を読んだ後にも感想は変わらなかった(むしろより悪い印象を持った)ので、ご容赦ください。
2014年10月23日に日本でレビュー済み
本書のキーワードは、法とは正義への企て、すなわち、法は正義そのものではないが、正義を希求していく不断の試みであるとする。しかし、この提言はそれ自体としては結局何の解決をももたらさない。私は、第一章のこの提言に続けて、筆者が本書でその具体的内容と意義を示してくれると期待していた。しかし、期待に反して、後の章はまとまりのない内容の薄い論説が続くだけであった。これでは、冒頭の提言を投げっぱなしにしただけであり、筆者のなかでは完結したつもりなのだろうが、一冊の本としてはあまりにお粗末である。
2010年6月6日に日本でレビュー済み
この著作は、この著者一流の、難解を装って誠実な普通人をけむにに巻く類の「作品」といえます。ですから、この著者自身が真に生きる上で保持している「哲学」は、その行間をどうほじくっても一向にうかがい知ることはできません。ちなみに、私はかつてこの著者の論文口答試問を受けた経験がありますが、たった5分のプレゼン内容を(何か別の考え事をしてたんでしょう)上の空で全く聞いていないうえに、(恥知らずにも)プレゼンの内容と全く同じことを質問してきて、おまけに「私はあなたの書いたのは読んできてないから知らない」などと平然と言ってのけるほどの、自身の哲学の無さは一向に変わっていないようです。ハーバードなら、こんなプロフは学生投票でクビです。ロジカルシンキングのカッコよさのみを競うだけなら、頭がちょっと切れる高校生が読めるくらいの分かりやすい文章で、本当に地頭の良い人間をうならせるような著作を期待しましょう。知的読み物としてもあまりに平板です。





