俳句作りに勤しんでいたが、短歌にも関心を持ち始め、まずは入門書をと
手に取った。しかし、さまざまな人が各々の作歌論を展開しているため、
雑然としていて頭に入らず、かなり読み飛ばした。例歌として挙げられる
現代短歌にも興味を惹かれるものはほとんどなかった。
もともと俳句に比べて短歌は自由すぎるため、心に引き締まるものがなく、
好きになれなかったが、今回改めて感じたのは、伝統を踏まえない自由は
戯れ言に近いものを生みがちだということだ。俳句にはそれを抑える季語
があるが、短歌は音数律しかないため、恣意を抑えづらい。
それでも作歌上、目を開かれた指摘は散見されたため、挙げてみる。
・「源氏物語」は、実は作中の人物の感情の一番微妙な部分、深い部分は
和歌によって表現されていて、その詠歌の数はほぼ八百首にも及びます。
・定型があるからゲーム感覚で楽しめる。子供たちは五七五七七で遊ぶの
が得意です。
・暮らしに身近な短歌は、人間の体温にもっとも近い詩型です。たとえて
言えば、体温三十六度の詩型。短歌は自分が考えていること、感じてい
ること、感じていることをすくい上げるのが得意な詩なのです。
・(短歌革新運動までは)その題で詠われた歌の歴史・伝統をまず知るの
です。その上でその歴史・伝統の上に、自分の創意・工夫・個性を重ね
ようとしたわけです。(短歌革新運動はそれを否定し)、近代歌人たち
は二つの方法を考え出しました。
①自分の主題を決めて、一生かけてその主題を詠う方法。
②とくに主題は決めず、日記をつけるように、日々に体験するあれこれ
や、日々の思いを詠う方法。
・短歌は抒情詩です。つまり「情(こころ)」を「抒(の)」べる詩です。
・赤彦たちは自然に敬意を払い、ひれ伏しています。一生懸命に、自然の
声を聞こうとしています。ところが、現代歌人は自然と拮抗しているよ
うに見えます。作者の存在、個の存在がそれほどに作品の中心に座って
います。
・(スランプだと感じた時は)まずはリズムを体の中に呼び戻すことを考
えます。そのために私は、「端正な歌集」を読むことにしています。
・私の見るところ、作歌する人にはその人なりに得意とする素材、テーマ
が必ずあるようです。~その独自な鉱脈を「変化」を求めるあまりおろ
そかにすると作歌が行き詰まり、苦しくなったりします。自身の鉱脈を
大切にしつつ、その上に変化、深化は求めたいものです。
・世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。ど
こかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。僕は僕だけの、
自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。
短歌は俳句と比べ、心の奥に潜むものを音数律によって導き出せる。また、
そのためには自分の心が動く主題を深めていくことが大事か。作歌とは、
自分がどんな人間かを追い求める行為なのかもしれない。
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