池波正太郎さんの食についてのエッセーは学生時代のほとんど読みつくしているが、本書は、その最期を飾る、いわば総集編である。
本書は、池波正太郎さんが、その死の間際まで書いていた銀座商店街の雑誌「銀座百点」に寄せた日記、いわば絶筆である。本書中に猫の最期は立派だという記述が出てくるが、池波正太郎さんの最期も、なかなかどうして堂々たる立派なものである。途中、健康に関する記述が増え、家の中で転んだだの、鍼に通っているだの、三井記念病院に入院しただの、酒が飲めなくなっただの、食が細くなっただの出ているが、平成2年1月25日に67歳の誕生日を迎え、3月12日に三井記念病院に入院し、そこで急性白血病と診断され、5月3日になくなっているのだから、立派なものである。闘病などとは無縁の見事な最期と言っていい。まあ、平成2年になってからこそ、食が細くなってはいるが、それまでは常人の二人前は食べ、かつ飲んでいるのだから、大したものである。
本書に良く出てくるのが、日本橋高島屋四階の「特別食堂」に出店しているウナギの「野田岩」、日本橋の「たいめいけん」、銀座の中華料理「楼蘭」(本書ではなぜかRと記載)、銀座の洋食屋「煉瓦亭」のカツレツ。銀座のすし屋「与志乃」、銀座の洋食屋「今村」、神田神保町の中華料理屋「揚子江菜館」の上海焼きそばとシューマイ、駿河台の山の上ホテルの天麩羅、中華料理、神田の「藪そば」、「まつや」、それに外神田の日本料理「花ぶさ」に本当に足しげく通っている。
池波正太郎さんは執筆者によくあるように深夜に仕事を始めて明け方に床に入り、昼の11時過ぎに起きてきては、まず銀座、虎ノ門界隈にある映画会社の試写室に行って映画を見る。映画を観終わると、上記のいずれかのレストランで外食し、そして戸越銀座あたり、星薬科大学そばの自宅までタクシーで帰る。こういう暮らしを67歳で亡くなるまで延々と続けられているのである。
池波さんお気に入りのレストランには片っ端から通っている。学生の時には、文字通り一軒もいったことのないお店ばかりだったが、社会人のいま、そのほとんどのお店を知り尽くしているのは感慨深い。うなぎは神田のきくかわばかりに通って「野田岩」にはほとんど通っていないが、今度行ってみることにする。また神保町の中華料理屋のなかでは揚子江菜館は「値段がやたらと高いお店」という印象で、もっぱら新世界菜館ばかりに通っていたが、今度行ってみることにする。
映画については1990年前後の映画なので、見たことのある映画も幾つか出ている。いわゆる名画というより「ダイハード」だの「大逆転」だのの娯楽作品が中心であることが印象的だ。
池波正太郎が、なぜここまで食にこだわるのか。それにいて絶妙の解説が巻末の「解説」に出てくる。池波さん曰く「人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向かって歩みはじめる。死ぬために、生きはじめる。そして生きるために食べなくてはならない。何という矛盾だろう」「死ぬために食うのだから、念を入れなければならない」「なるべく、うまく死にたいからこそ、日々、口に入れるものへ念をかけるのである」そうだ。それにしても67歳。いまなら夭折である。人生100年時代と言われる昨今、池波正太郎の生き方は、これから長生きする人間の道しるべとなろう。
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芥川賞は宇佐見りん『推し、燃ゆ』。直木賞は西條奈加『心淋し川』。
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