梯久美子著「狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ」(2016)を遅ればせながら読み、これまで見たことがなかったので、小栗康平監督の映画も見てみようと思った次第です。映画評というつもりではなく、とりとめのないことを書きます。
原作にはトシオの愛人の名前は出てきません。この映画では、木内みどり(昨年、亡くなられました。残念です)が演じる愛人には「邦子」という名前がつけられています。邦子が登場する場面は2箇所ですが、特に前半のトシオが邦子の家を訪ねていき、妻が狂乱してしまったのでもう会えないと告げる場面の木内さんの演技がとてもよかったです。内から滲み出てくるエロスを感じました。
終盤近く、邦子が見舞金をトシオとミホの引越し先に持ってくる場面。原作小説でもクライマックスと言って良い場面ですが、映画のこの場面には少し物足りなさを感じました。ところで、映画ではこの場面で、邦子は「現在の会」からの見舞金を持ってきたとトシオとミホに言います。しかし、原作では「現在の会」という言葉は出てきません。原作の愛人は「zさんからたのまれて」「zさんたちがお見舞金を集めましたからあたしが代表しておとどけしたのです」と言います。
梯久美子さんは関係者の人たちへの丹念な取材に基づいて、『死の棘』のトシオの愛人のモデルが誰であるのかを明らかにしました。梯久美子さんの調査によれば、その人は現実に存在し、島尾敏雄も参加した文学同人誌「現在」の同人であった女性であるとのことです。しかし、原作小説には、愛人がどこの誰で、どうしてトシオと知り合ったのか、などの事柄に関してはっきりしたことは書かれていません。おそらくトシオの文学仲間の一人だろう、ということしかわかりません。
小栗監督は、この映画を制作する段階(1980年代後半)で、トシオの愛人が現在の会の同人であったということをすでに知っていたということになります。梯さんの作品は2012年から16年にかけて雑誌に連載され、18年に本になりました。
そう考えてくると、この映画の中で愛人の名前が「邦子」となっていることにも合点がいきます。というのは、「狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ」の中で、現実の島尾敏雄の愛人であった女性は「女優の三宅邦子さんの若いころに似ていた」とあるからです。そう証言しているのは同じく当時現在の会の同人であった別の女性です。梯さんが取材する以前に、すでに小栗監督は現在の会の関係者に取材していたのかもしれない。
そう思ってもう一度映画の前半部のトシオが邦子の家を訪ねる場面を見直してみると、その場面の木内さんはどことなく若い頃の三宅邦子に似ているような気がする。より三宅邦子に似るように意図的に演出されているような気がします。梯さんの本によれば、現実の愛人はその当時下北沢に住んでいて島尾敏雄はおそらく何度もその家に行っていた。映画では、愛人と別れて、駅のホームで電車を待つトシオが映されている場面があります。画面の手前左側に駅名を表示する表示版が映っていますが、かなり斜めの角度からの映像なので、その表示版の文字を読み取ることは難しい。しかし、なんとなく「しもきたざわ」と書かれているような気がするのです。

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