英語タイトル "The End of History and last man"は既に購入済み読了していたのでその日本語訳がどういったものか興味があり購入しました。
仕事柄こういった学術的文章を高校生に読ませることも大事だと感じているので、その和訳という意味合いもあり購入しました。
総じてわかりやすくある程度の原文の意味ニュアンスを堅実に維持したまま翻訳されていると感じました。
文明論、政治論、国際関係論、哲学、人類学、と幅広くその影響を及ぼしている本書はまさに必読の書だと心得ています。
一回だけでなく何度も読むことでいくつにも違った意味をくみ取れるまさに「するめ本」でしょう。
発刊後10年以上たっても大学でいまだに教科書としての意味合いを持つ本書は、まさにその内容の斬新さと重要さを物語っており、ぜひ一冊持っていて損はないと思います。
また民主主義の根底にある人間の "Desire for the equal recognition" という論点は政治的な視点のみでなく、人間の本質をついた哲学的な思索を引き起こします。
そここそが、まさにこの「歴史の終わり」という議論に終わりの来ない理由だと思います。
歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間 (日本語) 単行本 – 2005/5/1
Francis Fukuyama
(原著),
フランシス フクヤマ
(翻訳),
渡部 昇一
(翻訳)
&
0
その他
フランシス フクヤマ
(翻訳)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
この著者の 検索結果 を表示
あなたは著者ですか?
著者セントラルはこちら
|
-
本の長さ332ページ
-
言語日本語
-
出版社三笠書房
-
発売日2005/5/1
-
ISBN-104837956564
-
ISBN-13978-4837956563
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- 国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)ダロン アセモグル文庫
- IDENTITY (アイデンティティ) 尊厳の欲求と憤りの政治単行本
- 文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)サミュエル・ハンチントン新書
- 帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕単行本
- 文明の衝突サミュエル・ハンチントン単行本
- 文明の衝突 上 (集英社文庫)サミュエル・ハンチントン文庫
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- 新版 歴史の終わり〔下〕: 「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり (単行本)佐々木 毅単行本
- 歴史の終わり〈下〉「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まりFrancis Fukuyama単行本
- IDENTITY (アイデンティティ) 尊厳の欲求と憤りの政治単行本
- 文明の衝突サミュエル・ハンチントン単行本
- パンデミック以後――米中激突と日本の最終選択 (朝日新書)新書
- 政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで単行本
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ今一つの歴史が終わるのか!幻想のうちに崩壊した「自由の王国」。社会進歩のメカニズムと新しい歴史を創造させるエネルギーとは。現代史を総括する歴史的教訓。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
フクヤマ,フランシス
1952年シカゴ市生まれ。日系三世。ハーバード大学で政治学博士。アメリカ国務省政策企画部次長、ワシントン・D・Cのランド研究所顧問を経て、ジョンズ・ホプキンズ大学教授
渡部/昇一
上智大学名誉教授。深い学識と鋭い評論で知られる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1952年シカゴ市生まれ。日系三世。ハーバード大学で政治学博士。アメリカ国務省政策企画部次長、ワシントン・D・Cのランド研究所顧問を経て、ジョンズ・ホプキンズ大学教授
渡部/昇一
上智大学名誉教授。深い学識と鋭い評論で知られる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 三笠書房; 新装版 (2005/5/1)
- 発売日 : 2005/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 332ページ
- ISBN-10 : 4837956564
- ISBN-13 : 978-4837956563
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 238,702位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 12,601位歴史・地理 (本)
- - 23,357位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち3.8
星5つ中の3.8
28 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2010年1月2日に日本でレビュー済み
違反を報告
Amazonで購入
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
ベスト500レビュアー
フランシス・フクヤマ「歴史の終わり 上」を読みました。
ベルリンの壁が崩れ、東欧の脱共産主義が始まり、ソ連も崩壊し、資本主義対共産主義の長年の闘いが終焉しました。
この本はそんなタイミングの1992年に出版され、大部で難しい内容でしたが話題となりました。
歴史、哲学、思想、イデオロギーが現実世界に与える影響と関連を、骨太く丁寧に解説しています
歴史上、君主政治や貴族政治、神権政治、ファシズム、共産主義など様々な統治形態がありました。
そのなかで生き残こり現代の世界の政治体制の主流になったのが欧米の自由主義に基盤をおいた民主主義です。
「歴史の終わり」とは国際社会において民主主義と自由経済で政治社会制度の発展が終結するのではないかという仮説です。
これを論証するため、世界・国家・社会を動かしてきた政治と哲学の歴史的展開についてコッテリと論じています。
ロック、ホッブス、ルソー、マルクス、ヘーゲルが時代と政治に与えた影響と限界についての考察が展開されています。
歴史を動かす原動力の人間観では、ヘーゲルを評価し、マルクスの失敗は、底の浅い人間観にあると論じます。
プラトンの説いた「気概」、ヘーゲルの「認知への欲望」、マキャベリの「栄光を求める欲求」、ホッブスの「誇りと虚栄」、ルソーの「自尊心」などが歴史、政治を動かすパワーだとします。
私には、マズローの欲求の6段階説(生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求)のなかの承認欲求のように思えます。
この本が書かれて25年経ちました。
イスラム圏国家、インド、中国の台頭などで、フクヤマの描いた未来の自由主義を基盤に置く民主主義が歴史の終わりの体制なのかどうかは予断を許さなくなってきました。
この本は、アングロサクソンの歴史と哲学についてはキメていますが、日本を含めて他の文明についてはほとんど言及されていません。
共感、納得、触発されることが多かった読後です。
ベルリンの壁が崩れ、東欧の脱共産主義が始まり、ソ連も崩壊し、資本主義対共産主義の長年の闘いが終焉しました。
この本はそんなタイミングの1992年に出版され、大部で難しい内容でしたが話題となりました。
歴史、哲学、思想、イデオロギーが現実世界に与える影響と関連を、骨太く丁寧に解説しています
歴史上、君主政治や貴族政治、神権政治、ファシズム、共産主義など様々な統治形態がありました。
そのなかで生き残こり現代の世界の政治体制の主流になったのが欧米の自由主義に基盤をおいた民主主義です。
「歴史の終わり」とは国際社会において民主主義と自由経済で政治社会制度の発展が終結するのではないかという仮説です。
これを論証するため、世界・国家・社会を動かしてきた政治と哲学の歴史的展開についてコッテリと論じています。
ロック、ホッブス、ルソー、マルクス、ヘーゲルが時代と政治に与えた影響と限界についての考察が展開されています。
歴史を動かす原動力の人間観では、ヘーゲルを評価し、マルクスの失敗は、底の浅い人間観にあると論じます。
プラトンの説いた「気概」、ヘーゲルの「認知への欲望」、マキャベリの「栄光を求める欲求」、ホッブスの「誇りと虚栄」、ルソーの「自尊心」などが歴史、政治を動かすパワーだとします。
私には、マズローの欲求の6段階説(生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求)のなかの承認欲求のように思えます。
この本が書かれて25年経ちました。
イスラム圏国家、インド、中国の台頭などで、フクヤマの描いた未来の自由主義を基盤に置く民主主義が歴史の終わりの体制なのかどうかは予断を許さなくなってきました。
この本は、アングロサクソンの歴史と哲学についてはキメていますが、日本を含めて他の文明についてはほとんど言及されていません。
共感、納得、触発されることが多かった読後です。
殿堂入りベスト10レビュアー
①本書を文庫本から単行本、そして今回の新装版単行本と出る度に購入し、読み直した、読む度に新たな発見がある。
②フランシス・フクヤマ死は政治哲学者であり、著書の翻訳も多数ある。しかも、ヘーゲル弁証法を世界史に適用する。正と反の対立を合が止揚(アウフヘーベン)すると考える。
③資本主義と社会主義の対立をリベラル(自由な)民主主義が止揚すると考える。
資本主義は「自由」を志向するが、その矛盾として、不平等な社会、「格差」を生み出す。この「格差」を否定し、「平等」な社会を目指す社会主義が成立する。しかし、社会主義は高級官僚、共産党指導者のみが富を入手し、一般市民は平均的に貧しい。新たな「格差」が生まれる。こうした資本主義と社会主義の対立を④止揚するのがリベラル民主主義である。これがフクヤマが考えるヘーゲル弁証法の完成態であるけどこれをもってフクヤマはイデオロギー対立の終焉とみなし、「歴史の終わり」と考えた。
④しかし、これが間違いであることは、各地における民族紛争・地域紛争、イスラム過激派によるテロ等の発生が証明する。
これらの争いはハンチントンが指摘する通り、キリスト教文明とイスラム教文明の対立に見えるが、本質は「格差」にある。宗教間の対立に見えるものが、根底には「格差」があったのだ。先進国と発展途上国の南北問題、貧富の差は資本主義と社会主義では解決するどころか、ますます拡がった。
⑤これをリベラル民主主義が解決するのは困難である。それは下巻が取り組む課題である。
本書はいつまでも色褪せることなく、何回読んでも新鮮さに満ちている。
お勧めの一冊だ。
②フランシス・フクヤマ死は政治哲学者であり、著書の翻訳も多数ある。しかも、ヘーゲル弁証法を世界史に適用する。正と反の対立を合が止揚(アウフヘーベン)すると考える。
③資本主義と社会主義の対立をリベラル(自由な)民主主義が止揚すると考える。
資本主義は「自由」を志向するが、その矛盾として、不平等な社会、「格差」を生み出す。この「格差」を否定し、「平等」な社会を目指す社会主義が成立する。しかし、社会主義は高級官僚、共産党指導者のみが富を入手し、一般市民は平均的に貧しい。新たな「格差」が生まれる。こうした資本主義と社会主義の対立を④止揚するのがリベラル民主主義である。これがフクヤマが考えるヘーゲル弁証法の完成態であるけどこれをもってフクヤマはイデオロギー対立の終焉とみなし、「歴史の終わり」と考えた。
④しかし、これが間違いであることは、各地における民族紛争・地域紛争、イスラム過激派によるテロ等の発生が証明する。
これらの争いはハンチントンが指摘する通り、キリスト教文明とイスラム教文明の対立に見えるが、本質は「格差」にある。宗教間の対立に見えるものが、根底には「格差」があったのだ。先進国と発展途上国の南北問題、貧富の差は資本主義と社会主義では解決するどころか、ますます拡がった。
⑤これをリベラル民主主義が解決するのは困難である。それは下巻が取り組む課題である。
本書はいつまでも色褪せることなく、何回読んでも新鮮さに満ちている。
お勧めの一冊だ。
2017年7月19日に日本でレビュー済み
フクヤマ氏は人間の行動様式をたった3つの要素から説明しています。その3つとは1、欲望(酒を飲みたい)、2、理性(ビールを買いにコンビニへ行く)、3、気概(でも医者に止められているからやめておこう)といった感じです。欲望と理性は動物も本能として持っていますが(水を飲みに川へ行く)気概というのは人間だけが持つものだとフキヤマ氏は論じています。ここでいう「気概」という言葉は多義で「見栄」や「優越願望」(ビールは飲みたいが腹がこれ以上出っ張るのは我慢がならん。人に笑われたくない)も含まれます。確かに動物は自分の健康に気を使ったりブランド品や高級車を買って自己満足するということを知りません。この「気概」こそが有史以来人類の歴史を突き動かしてきたものの正体であり動物と人の境界線なのだとフクヤマ氏は繰り返し述べています。歴史の始まりにおいてフクヤマ氏は腹をすかせて野山をさまよう狩猟期の原始人から論を起こしています。山林を獲物を求めてさまよっているうちに二人の人間がばったり出会う。警戒心の強いものは恐れから一目散に逃げ出し、友好的なものは自分の食物を分け与えようとする。しかし気概(見栄、優越願望)を人一倍持った人間がその中には何人かいて「自分は肉体的、精神的に相手よりも優れているのだから、それをこいつに認めさせてやる。ついでにいえばこいつの持ち物は俺のものだ」と直感し相手に殴りかかっていく。この戦いはどちらか一方が死ぬまで続けられるが、中には死を選ぶよりも、相手に服従し、自分の持ち物をすべて相手に渡して延命を望む者が出てくる。弱肉強食の社会における親分子分関係の発生というわけだ。これは猿や狼の社会にも見られるが、人間ほどの高等生物になると、言葉によるコミュニケーションを通して気概を人一倍持った頭脳明晰な親分が子分を指揮命令してより広範な地域を支配するようになる。これが独裁国家、君主国家の始まりになる。ここでフクヤマ氏はヘーゲル、コージェブの言葉を借りている。つまり「人間の本性に反した制度はより人間的で優れた制度と接触しているうちにだんだん排除されて、最終的にはすべての人間にとって最も望ましい形になる」というやつだ。すべての人間は気概(見栄、優越願望)を持っている。君主制度の下で自分の気概を充実させているのは君主ただ一人だけであって家来は隙あらば自分が君主になりたいと願ってやまない。虐げられている人は命が惜しいから無自覚に従っているだけだ。やがて君主制度は革命(フランス革命、アメリカ独立戦争等)を通じてロックやホップスが提案した民主主義制度にとって代わられる。そこではすべての人が平等で国家がすべての人間の衣食住を最低限保障し人々は自分の気概(高い地位や金を人より多く手に入れて周りから認められたい等)を満足させるために日夜努力するようになる。こうして自分の気概を満足させるために命を懸けて戦う必要はもはやなくなり、人々はより穏健な方法で(金儲けの方法を考える、高度な技術、知識を発明し後世に名を残す等)自己の気概を満足させることが可能になるというわけです。リベラルな民主主義、資本主義国家は二つの大戦を通して新しいイデオロギー(ドイツ、日本のファシズム国家、旧ソ連の共産主義国家)の挑戦を受けたが結局生き残った。ドイツ、日本は民主主義国家になりサダムフセインは民主主義国家の圧倒的な軍事力を目の前に何も出来なかった。フクヤマ氏はアメリカと対峙し一時は素晴らしい制度に思えた共産主義国家ソビエトが消滅した今、もはや歴史は終わったと結論づけている。それは歴史的な事件や出来事がもはや起こらないという意味ではなくてもはや民主主義以上にすべての人間の気概を満足させる制度はこの世に存在しなくなったという意味だ。核拡散、環境破壊、中東やアフリカといった国々にいまだ存在する独裁国家はフクヤマ氏に言わせれば民主主義国家の力をもってすればどれも解決可能な問題でソビエトという国がリアリティーを持っていた時代と比べればどれもたいした問題ではないということになるらしい。出版からだいぶ経ちますがこの本は現在私達が置かれている状況を明確にする上で大きなヒントを与えてくれるものだと思います。フクヤマ氏は時にはユーモラスに時には格調高い文章で歴史の全体像を語り読者を魅了します。何かスケールの大きな本を読みたくなったときには二読、三読に値する本だと思いました。
2018年10月6日に日本でレビュー済み
ソ連邦・共産主義国家解体に伴い歴史の終わりを論じてベストセラーとなった本書では、有史以来歴史を動かしてきた正体としての気概(=人間の尊厳・自由を追求する特質)を分けて、優越願望、平等願望の二大概念を指摘している。生命と財産の安全の追求だけでなく、人間がお互いに認め合うという認知を求める働きが歴史を動かす動因となっているという。著者は歴史の終わりとしているが、優越願望〜競争原理にはプラスとマイナスの面があり、今後の歴史は、その質の転換(プラスの面)が現れてくるのではないだろうか。
2007年6月18日に日本でレビュー済み
ヘーゲル・カントらを引用しており「哲学」に分野わけされる本書だが、むしろ現代の国際政治・外交問題などに欠かせない一冊だろう。特にアメリカのイラク政策や、日本外務省の「自由と繁栄の弧」といったトピックにも通じるものがある。
フクヤマは自由・民主主義liberal democracyの体制があらゆるイデオロギーに勝利した、人類が行き着く最終であるとしている。民主主義国家はファシズムに「軟弱な国家」、共産主義に「ブルジョワジー支配」と呼ばれ非難されていたが、いずれの体制も実質崩壊した。正に自由・民主主義の勝利、というわけである。
また富める民主主義国どうしは平和を享受し、戦争の可能性は低い。よってフクヤマは、アメリカは民主主義を推進させ、「歴史の終わり」を地球上で完結すべきだと説く。全ての国が自由・民主主義国であれば、(理論上)国家間の戦争はなくなるわけだ。
よって本書は以下の内容をを示唆している。民主主義の「価値」や、それを「推進」しようとつとめる国・政治家の知的根拠である。テレビや新聞で政治家が「人権」「民主主義」に訴えているとき、本書で述べられている思想がたぶん背後にあるのだろう。
が、こういった説を唱える人は、古くは「夢想主義者idealist」、現代では「ネオコンneo-consevertive」と呼ばれ、批判の対象となることもしばしばである。
という訳で、本書は反論書などと共に一読されることをオススメする。ただ、冷戦後の国際関係・政治の本ならば大体は触れているが。ともかく冷戦後には避けて通れないトピックなのだ。
フクヤマは自由・民主主義liberal democracyの体制があらゆるイデオロギーに勝利した、人類が行き着く最終であるとしている。民主主義国家はファシズムに「軟弱な国家」、共産主義に「ブルジョワジー支配」と呼ばれ非難されていたが、いずれの体制も実質崩壊した。正に自由・民主主義の勝利、というわけである。
また富める民主主義国どうしは平和を享受し、戦争の可能性は低い。よってフクヤマは、アメリカは民主主義を推進させ、「歴史の終わり」を地球上で完結すべきだと説く。全ての国が自由・民主主義国であれば、(理論上)国家間の戦争はなくなるわけだ。
よって本書は以下の内容をを示唆している。民主主義の「価値」や、それを「推進」しようとつとめる国・政治家の知的根拠である。テレビや新聞で政治家が「人権」「民主主義」に訴えているとき、本書で述べられている思想がたぶん背後にあるのだろう。
が、こういった説を唱える人は、古くは「夢想主義者idealist」、現代では「ネオコンneo-consevertive」と呼ばれ、批判の対象となることもしばしばである。
という訳で、本書は反論書などと共に一読されることをオススメする。ただ、冷戦後の国際関係・政治の本ならば大体は触れているが。ともかく冷戦後には避けて通れないトピックなのだ。