ご自身の半生を、ここまで赤裸々に綴り当時を振り返る事が出来る有美さんに、頭が下がります。と共に、私自身の生き方を再度改めて見直す機会を与えて下さいました。
彼女はどうしてここまで強くなれるのか。いや、強い訳じゃなく、『諦めない気持ち』を持ち続ける事が出来るのか。その笑顔の裏では想像できない程の苦しみや辛さを乗り越えてきた有美さんの生き方に、感動と勇気を頂きました。
これからも有美さんを応援させて頂きます。
歩き続けよう (日本語) 単行本 – 2012/7/28
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本の長さ224ページ
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言語日本語
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出版社飛鳥新社
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発売日2012/7/28
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ISBN-104864101833
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ISBN-13978-4864101837
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商品の説明
出版社からのコメント
北海道日本ハムファイターズ・稲葉篤紀選手からのメッセージ!
「僕は有美さんの作詞した曲『歩き続けよう』から大きなパワーをもらいました!
今年は、この曲を入場曲に使わせていただいています。これからも有美さんを応援していきたいです。」
「僕は有美さんの作詞した曲『歩き続けよう』から大きなパワーをもらいました!
今年は、この曲を入場曲に使わせていただいています。これからも有美さんを応援していきたいです。」
内容(「BOOK」データベースより)
「日本レコード大賞企画賞」受賞のアルバムの中の詞がモチーフのエッセイ集。先天性四肢欠損症で生まれた「あみちゃん」の笑顔と人気の秘密が満載。著者と親交が深く公私共に支えているノンフィクション作家が周辺の人たちの声を取材。著者も知らなかった事実を赤裸々に書いたルポと著者のエッセイが組み合わされた。
著者について
佐野有美(さの・あみ)
1990年愛知県生まれ。先天性四肢欠損症で生まれ、あるのは短い左足の3本の指のみ。高校在学中、チアリーディング部に所属し"車椅子のチアリーダー"として地元マスコミで話題となる。2011年6月、自らの詩集「あきらめないで」(主婦と生活社)から選ばれた詞が曲になり、㈱テイチクエンタテイメントからシングル「歩き続けよう」、アルバム「あきらめないで」としてCDを発売。著書には「手足のないチアリーダー」(主婦と生活社)など。
藤本美郷(ふじもと・みさと)
ノンフィクション作家。東京都出身。長年『週刊女性』(主婦と生活社)「人間ドキュメント」取材・執筆にかかわり、障害者や認知症患者の就労、バリアフリー化、がん撲滅、高齢者の介護問題なd、深刻化する社会問題の現状と対策に向き合う。著書には「ドキュメント 若年認知症」など。
1990年愛知県生まれ。先天性四肢欠損症で生まれ、あるのは短い左足の3本の指のみ。高校在学中、チアリーディング部に所属し"車椅子のチアリーダー"として地元マスコミで話題となる。2011年6月、自らの詩集「あきらめないで」(主婦と生活社)から選ばれた詞が曲になり、㈱テイチクエンタテイメントからシングル「歩き続けよう」、アルバム「あきらめないで」としてCDを発売。著書には「手足のないチアリーダー」(主婦と生活社)など。
藤本美郷(ふじもと・みさと)
ノンフィクション作家。東京都出身。長年『週刊女性』(主婦と生活社)「人間ドキュメント」取材・執筆にかかわり、障害者や認知症患者の就労、バリアフリー化、がん撲滅、高齢者の介護問題なd、深刻化する社会問題の現状と対策に向き合う。著書には「ドキュメント 若年認知症」など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐野/有美
1990年生まれ。先天性四肢欠損症として生まれ、短い左足の3本の指と右足の1本の指ですべてをこなす。高校在学中、チアリーディング部に所属し“車イスのチアリーダー”として地元マスコミで話題となる。高校卒業後、事務員として年金事務所に就職し、その後に退職。詩集『あきらめないで』(主婦と生活社)の中の作品が、(株)テイチクエンタテインメントからシングル「歩き続けよう」、アルバム「あきらめないで」としてCDが発売される。アルバムは2011年、「第53回輝く!レコード大賞企画賞」を受賞
藤本/美郷
ノンフィクション作家。東京都出身。長年『週刊女性』(主婦と生活社)「人間ドキュメント」取材・執筆にかかわり、障害者、高齢者、難病、がん患者などの記事を多数執筆。フリーライターを経て(株)Mプランニングを設立、代表取締役。書籍プランナー、講師紹介、講演会や各種プロデュース活動などを行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1990年生まれ。先天性四肢欠損症として生まれ、短い左足の3本の指と右足の1本の指ですべてをこなす。高校在学中、チアリーディング部に所属し“車イスのチアリーダー”として地元マスコミで話題となる。高校卒業後、事務員として年金事務所に就職し、その後に退職。詩集『あきらめないで』(主婦と生活社)の中の作品が、(株)テイチクエンタテインメントからシングル「歩き続けよう」、アルバム「あきらめないで」としてCDが発売される。アルバムは2011年、「第53回輝く!レコード大賞企画賞」を受賞
藤本/美郷
ノンフィクション作家。東京都出身。長年『週刊女性』(主婦と生活社)「人間ドキュメント」取材・執筆にかかわり、障害者、高齢者、難病、がん患者などの記事を多数執筆。フリーライターを経て(株)Mプランニングを設立、代表取締役。書籍プランナー、講師紹介、講演会や各種プロデュース活動などを行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 飛鳥新社 (2012/7/28)
- 発売日 : 2012/7/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4864101833
- ISBN-13 : 978-4864101837
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 640,064位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 7,952位近現代日本のエッセー・随筆
- - 64,147位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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ベスト50レビュアー
何気なく手にした『歩き続けよう――手と足のない私にできること(文庫版)』(佐野有美・藤本美郷著、飛鳥新社)には、驚かされると同時に、勇気づけられました。
著者の佐野有美は、先天性四肢欠損症として生まれましたが、短い左足の3本の指と右足の1本の指で全てをこなす25歳の女性です。高校在学中、チアリーディング部に所属し、その前向きな姿が地元マスコミで話題になりました。高校卒業後、民間企業で事務職を経験し、現在は講演活動を行っています。
いずれのエピソードからも彼女の前向きな頑張りぶりが伝わってきますが、私が一番驚いたのは、「100メートル泳げるようになった理由」です。私は子供の頃、水泳が苦手で、人並みに泳げるようになったのは44歳の時だったからです(その後は水泳が趣味になりました)。
「小学校3年生の夏休み。普段の休日はゴルフや会社の付き合いが多く、あまり私にかかわる時間のない父が、『おい、有美! プールに行くぞ!』と、突然、張り切って声をかけてきました。いつも『なんで私は泳げないのかな』と、家族に呟いていたので、父は娘が泳げないことを悔しく思っているようでした。・・・気合十分な父に急かされ、家の近くの市民プールに出かけていきました。水着に着替えた私を腕に抱っこしてプールサイドを歩くと、私の体の障害に気づいた人たちが振り返ります。けれど父は、そんなことはまったく気にせずプールに入りました。・・・言われた通り必死に体をグニャグニャとくねらせますが、すぐに沈んでしまいます。・・・父も必死ですが、私も必死です。父を真似してぐにゃ、ぐにゃ、ゴボッ、ゴボッ。何度もやっているうちに、水に浮かぶと体が勝手に動き出しました。そして、『もうダメ・・・』と思ったとき、ふっと体が軽くなると同時に、父の声が耳に入りました。『やったぞ! 有美!!』。興奮する父に抱かれながら周りを見回すと、泳ぎ始めたところよりだいぶ前に進んでいました。『できた、できた。ねえ、もう1回』。すぐ水に戻り、さっきよりも早く体をくねらすと――。『私、泳げた!』。少しツンとする鼻の痛みが、夢ではないことを伝えてくれました。こうして週末になる度、父と一緒にプールに通って練習をしたのですが、確実に前に進めるようになってくると、どんどん欲が出てきました。私は、『25メートルを泳ぎたい!』と父にせがむようになりました。でも、それがどれだけ無謀なことか、ふたりにはよくわかっていました。問題は息継ぎです。両腕はなく、足も、短い左足に3本の指、1本だけ指のある右足はほとんどないと言えるものです。そのためバランスを取るのがとても難しく、体を横にして口を開いて息継ぎすることは不可能でした」。読みながら、私もつい、力が入ってしまいました。
「『じゃあな、今度は体全体を回転させてクルンって上を向いて、息を吸って、またクルンって戻る。どうだ、一度やってみろ!』。――お父さんがついているんだから、絶対に大丈夫! そう思うと勇気が湧き、父に言われたように体を上に、かいて、ん・・・。クル、バッシャ。自分では回転しているつもりなのに、中途半端に体が横になり沈没。思いっきり上に向くんだ、という父のアドバイス通りに再びチャレンジ。クルン! ゴボッ。ブクブクブクブク。何度やってもバランスが崩れてしまいます。『いいか! 仰向けになろうと思えばできるぞ!』。父の言葉とは反対に『無理なのかな』と、だんだん弱気になりかけましたが、それ以上に『泳ぎたい』『絶対にできる!』という気持ちが強くなっていき、バシャンバッシャン、クルンを繰り返しました。失敗してしまうのは、思い切りが足りないから。今度は、――思い切って空を見るんだ! 心の中で叫びながら、グリンッ――。すると、目の前に青空が広がりました。すでに息が苦しかったので、上に顔が出たのと同時に自然に息を吸いこみ、夢中でクルンと元に戻り、体をくねらせました。2、3回体をくねらすと、くねり、くねり、クルン、くねり、くねり、クルン。立派に息継ぎになっていました。何度かやるうちに、ついにはプールの端から端までを泳ぎ切っていました。『やったよ! 有美、ひとりで泳げた!』。このときの父の嬉しそうな笑顔は、今でもよく覚えています」。思わず、拍手をしたら、脇の女房が何事かと驚いています。私が初めて25mを泳ぎ切った時の感激が生々しく甦ってきました。彼女は、さらにターンをマスターして、100m泳げるようになったのです。
「障害者と言われて消極的になり、悩んだりすることもたくさんあります。ですが、もし他の人との間に壁があると思ったら、胸に手を当てて(私は心の手を胸に当て)じっと考えるのです。――自分自身が、みんなとの間に壁を作っていないだろうか? 涙は涙を、悲しみは悲しみを、不安は不安を、自分に跳ね返してしまいます。最近では、講演会に来てくださる皆様と直に触れ合うことで、自分の笑顔が自分以外の人たちの笑顔を生んでいる、こう実感できるようになりました。これからも、たくさんの素敵な出会いを通して、笑顔の輪を広げていきたい、それが私の生きる役目だと信じています」。彼女のことを思ったら、どんな困難も乗り越えていけると、沸々と勇気が湧いてきました。
著者の佐野有美は、先天性四肢欠損症として生まれましたが、短い左足の3本の指と右足の1本の指で全てをこなす25歳の女性です。高校在学中、チアリーディング部に所属し、その前向きな姿が地元マスコミで話題になりました。高校卒業後、民間企業で事務職を経験し、現在は講演活動を行っています。
いずれのエピソードからも彼女の前向きな頑張りぶりが伝わってきますが、私が一番驚いたのは、「100メートル泳げるようになった理由」です。私は子供の頃、水泳が苦手で、人並みに泳げるようになったのは44歳の時だったからです(その後は水泳が趣味になりました)。
「小学校3年生の夏休み。普段の休日はゴルフや会社の付き合いが多く、あまり私にかかわる時間のない父が、『おい、有美! プールに行くぞ!』と、突然、張り切って声をかけてきました。いつも『なんで私は泳げないのかな』と、家族に呟いていたので、父は娘が泳げないことを悔しく思っているようでした。・・・気合十分な父に急かされ、家の近くの市民プールに出かけていきました。水着に着替えた私を腕に抱っこしてプールサイドを歩くと、私の体の障害に気づいた人たちが振り返ります。けれど父は、そんなことはまったく気にせずプールに入りました。・・・言われた通り必死に体をグニャグニャとくねらせますが、すぐに沈んでしまいます。・・・父も必死ですが、私も必死です。父を真似してぐにゃ、ぐにゃ、ゴボッ、ゴボッ。何度もやっているうちに、水に浮かぶと体が勝手に動き出しました。そして、『もうダメ・・・』と思ったとき、ふっと体が軽くなると同時に、父の声が耳に入りました。『やったぞ! 有美!!』。興奮する父に抱かれながら周りを見回すと、泳ぎ始めたところよりだいぶ前に進んでいました。『できた、できた。ねえ、もう1回』。すぐ水に戻り、さっきよりも早く体をくねらすと――。『私、泳げた!』。少しツンとする鼻の痛みが、夢ではないことを伝えてくれました。こうして週末になる度、父と一緒にプールに通って練習をしたのですが、確実に前に進めるようになってくると、どんどん欲が出てきました。私は、『25メートルを泳ぎたい!』と父にせがむようになりました。でも、それがどれだけ無謀なことか、ふたりにはよくわかっていました。問題は息継ぎです。両腕はなく、足も、短い左足に3本の指、1本だけ指のある右足はほとんどないと言えるものです。そのためバランスを取るのがとても難しく、体を横にして口を開いて息継ぎすることは不可能でした」。読みながら、私もつい、力が入ってしまいました。
「『じゃあな、今度は体全体を回転させてクルンって上を向いて、息を吸って、またクルンって戻る。どうだ、一度やってみろ!』。――お父さんがついているんだから、絶対に大丈夫! そう思うと勇気が湧き、父に言われたように体を上に、かいて、ん・・・。クル、バッシャ。自分では回転しているつもりなのに、中途半端に体が横になり沈没。思いっきり上に向くんだ、という父のアドバイス通りに再びチャレンジ。クルン! ゴボッ。ブクブクブクブク。何度やってもバランスが崩れてしまいます。『いいか! 仰向けになろうと思えばできるぞ!』。父の言葉とは反対に『無理なのかな』と、だんだん弱気になりかけましたが、それ以上に『泳ぎたい』『絶対にできる!』という気持ちが強くなっていき、バシャンバッシャン、クルンを繰り返しました。失敗してしまうのは、思い切りが足りないから。今度は、――思い切って空を見るんだ! 心の中で叫びながら、グリンッ――。すると、目の前に青空が広がりました。すでに息が苦しかったので、上に顔が出たのと同時に自然に息を吸いこみ、夢中でクルンと元に戻り、体をくねらせました。2、3回体をくねらすと、くねり、くねり、クルン、くねり、くねり、クルン。立派に息継ぎになっていました。何度かやるうちに、ついにはプールの端から端までを泳ぎ切っていました。『やったよ! 有美、ひとりで泳げた!』。このときの父の嬉しそうな笑顔は、今でもよく覚えています」。思わず、拍手をしたら、脇の女房が何事かと驚いています。私が初めて25mを泳ぎ切った時の感激が生々しく甦ってきました。彼女は、さらにターンをマスターして、100m泳げるようになったのです。
「障害者と言われて消極的になり、悩んだりすることもたくさんあります。ですが、もし他の人との間に壁があると思ったら、胸に手を当てて(私は心の手を胸に当て)じっと考えるのです。――自分自身が、みんなとの間に壁を作っていないだろうか? 涙は涙を、悲しみは悲しみを、不安は不安を、自分に跳ね返してしまいます。最近では、講演会に来てくださる皆様と直に触れ合うことで、自分の笑顔が自分以外の人たちの笑顔を生んでいる、こう実感できるようになりました。これからも、たくさんの素敵な出会いを通して、笑顔の輪を広げていきたい、それが私の生きる役目だと信じています」。彼女のことを思ったら、どんな困難も乗り越えていけると、沸々と勇気が湧いてきました。
2016年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本を読み終えました。
以前は手足のないチアリーダーの方を読んだが、今回はこれを。
筆者は重度の障害者である事で、周囲から特別な扱いを受けます。
良いも悪いも、健常者と違うレールの上で生きています。
そして一目見て、世間のあまり病気や障害の知識のない人から、
可哀想とか惨めとか、悲惨な人生を送っている。
などと一方的に思われてしまう傾向があります。
ですが、人間というのは人それぞれ宿命や運命を持っていきているものだと思います。
この人一人が強烈な不幸を持って生きている、というわけでもないと思うんですが、
見た目のインパクトが強烈なので、
"不幸にも負けないで生きていく"という様なキャッチフレーズに合う要素があり、
障害者ビジネスというジャンルとしては利用される傾向もあります。
それは乙武と同じで、普通の人よりラッキーな面も併せ持っています。
歌手デヒューや弁論大会で優秀した、などの経験は
自身が障害者である事を打ち明けて、何かするという事を人に見て貰った結果で、
本来の人間の才能とはかけ離れています。
そうなると、障害を利用して簡単に夢が叶った、という理由が生じるし。
あまり関心できるものではありません。
この人も健常者の世界の厳しい競争社会を知らないと思いますし。
全体を読んでみて一番疑問に思ったのが視聴者の方だ。
講演会でこの人の姿を見て、感動した、勇気付けられたと思い、
簡単に感情移入してしまう人は、思考パターンが浅はかではないのか?
乙武も同じ様なテーマの講演会を行っていたと思うが、
だが乙武の場合は、不倫問題や色々な問題が報道された後で、
本当にみんなそういう気持ちになるのだろうか?
いわゆる筆者のピュアな部分しか露出していなくて、
プロデューサーの視点でイメージのコントロールされている。
それで簡単に同情してファンになってしまう人もマヌケだと思います。
"重い障害を持っているが、明るく前向きに生きている"
カメラが回っている時だけニコニコ笑顔を作る事、
なんてのは誰でもできるし、才能でも技術でもない。
脳が正常なら誰でもできる事だ。
それも周囲の手助けや過保護があって、何とか心が傷付かずに済んだのだと思う。
心が折れてない、というのも周りが優しくしてくれてるからだと思う。
歌に関しては、障害あるなしに関わらず、本当に心に響くものがあれば、
褒めてやってもいいけど、私は変わったものを見た、という風にしか思わなかった。
無理やり、"重い障害を持っているが、明るく前向きに生きている"
というテーマに乗せた様な違和感がある。
本の内容にしても、珍しい病気の人が書いただけの本という感じかな。
人並みに努力したとか、友達ができた!とか小学生の作文みたいなの読まされても
何の感動も起きなかった。
もう少し深い部分まで掘り下げて、色々な事を独特な視点で書けたらまだ評価できたが、
文才もなかった様に思う。
これを読んでおおげさに感動した!と言ってる人は、知識がないと思いますね。
こういうタイプの視聴者は異常で、一部の障害者を持ち上げる風潮に流されてるんではないか?
言わゆるこの人は障害者タレントというか、そういう扱いをされてると思う。
最後に、この人の人格は良い意味で普通。
これだけ重い障害を持っているのに、普通の感覚を持っている、
という好感が持てる要素もあります。
正直な感想を言うと、
それと若さだけが利点で、周囲が持ち上げて可愛がってる感じかな。
本人はそれに気付いてないと思う。
以前は手足のないチアリーダーの方を読んだが、今回はこれを。
筆者は重度の障害者である事で、周囲から特別な扱いを受けます。
良いも悪いも、健常者と違うレールの上で生きています。
そして一目見て、世間のあまり病気や障害の知識のない人から、
可哀想とか惨めとか、悲惨な人生を送っている。
などと一方的に思われてしまう傾向があります。
ですが、人間というのは人それぞれ宿命や運命を持っていきているものだと思います。
この人一人が強烈な不幸を持って生きている、というわけでもないと思うんですが、
見た目のインパクトが強烈なので、
"不幸にも負けないで生きていく"という様なキャッチフレーズに合う要素があり、
障害者ビジネスというジャンルとしては利用される傾向もあります。
それは乙武と同じで、普通の人よりラッキーな面も併せ持っています。
歌手デヒューや弁論大会で優秀した、などの経験は
自身が障害者である事を打ち明けて、何かするという事を人に見て貰った結果で、
本来の人間の才能とはかけ離れています。
そうなると、障害を利用して簡単に夢が叶った、という理由が生じるし。
あまり関心できるものではありません。
この人も健常者の世界の厳しい競争社会を知らないと思いますし。
全体を読んでみて一番疑問に思ったのが視聴者の方だ。
講演会でこの人の姿を見て、感動した、勇気付けられたと思い、
簡単に感情移入してしまう人は、思考パターンが浅はかではないのか?
乙武も同じ様なテーマの講演会を行っていたと思うが、
だが乙武の場合は、不倫問題や色々な問題が報道された後で、
本当にみんなそういう気持ちになるのだろうか?
いわゆる筆者のピュアな部分しか露出していなくて、
プロデューサーの視点でイメージのコントロールされている。
それで簡単に同情してファンになってしまう人もマヌケだと思います。
"重い障害を持っているが、明るく前向きに生きている"
カメラが回っている時だけニコニコ笑顔を作る事、
なんてのは誰でもできるし、才能でも技術でもない。
脳が正常なら誰でもできる事だ。
それも周囲の手助けや過保護があって、何とか心が傷付かずに済んだのだと思う。
心が折れてない、というのも周りが優しくしてくれてるからだと思う。
歌に関しては、障害あるなしに関わらず、本当に心に響くものがあれば、
褒めてやってもいいけど、私は変わったものを見た、という風にしか思わなかった。
無理やり、"重い障害を持っているが、明るく前向きに生きている"
というテーマに乗せた様な違和感がある。
本の内容にしても、珍しい病気の人が書いただけの本という感じかな。
人並みに努力したとか、友達ができた!とか小学生の作文みたいなの読まされても
何の感動も起きなかった。
もう少し深い部分まで掘り下げて、色々な事を独特な視点で書けたらまだ評価できたが、
文才もなかった様に思う。
これを読んでおおげさに感動した!と言ってる人は、知識がないと思いますね。
こういうタイプの視聴者は異常で、一部の障害者を持ち上げる風潮に流されてるんではないか?
言わゆるこの人は障害者タレントというか、そういう扱いをされてると思う。
最後に、この人の人格は良い意味で普通。
これだけ重い障害を持っているのに、普通の感覚を持っている、
という好感が持てる要素もあります。
正直な感想を言うと、
それと若さだけが利点で、周囲が持ち上げて可愛がってる感じかな。
本人はそれに気付いてないと思う。