2020年3月末、あるアイドルグループのひとりのメンバーが冠番組にて番組MCから卒業証書を授与され、はなむけの言葉を送られていた。番組では一切触れられなかったが、彼女のグループ卒業の理由は恋愛スキャンダルだった。
番組MCコンビのうちネタを書く方の芸人が、今にも泣きだしそうなメンバーを前にして必死になって彼女を肯定していた。喉の奥が抑えられているような聞きなれないトーンで、何かを確かめるように相方に視線が向く、何度も。それでも、ゼロから漫才ネタを作るように、湧き上がる人間の言葉を連ねて何とか彼女に思いを届けようと苦心している事が見てとれた。
そのメンバーが優れた共感力を持っていた事も幸いしたのだと思う、しばらく芸人の思いを聞きながら、自責の念で強張っていた彼女の顔が少しだけ笑ったような気がした。あ、今届いた!と思った。お金を払って性欲を発散するようなひとりよがりな関係でなく、言葉に自分の思いを託しぶん投げ続けた結果、むきだしで幾条か傷跡が見える魂同士がひっそりとコール&レスポンスしていたように見えた。人間と人間のコミュニケーションだった。
この不格好で最高にかっこいい芸人の魂の系譜に連なる人たちが何人かいて、そのうちの一人が本書の著者、朝井リョウである。
本書は一人の高校生アイドルを主人公に、グループアイドルを応援していて一番楽しい時期のアイドル側からの物語を紡いでいる。卒業や増員などのサプライズ発表に右往左往したり、思いがけず炎上したらメンバー個人ができる事は謝罪だけだったり、運営が「君たちを思って言っている」と言いながら説教したりと、本書が上梓された2015年から5年後の今日のグループアイドルにも十分通用するあるあるイベントが起こりつつ、メンバーがそれぞれの思いを抱えそれぞれの生き方を選択していく。
私は、冒頭で述べた恋愛スキャンダルからの卒業の放送後、ネットにあがったドルオタの感想を見てひとりで腹を立てていた。「可哀相だけど恋愛禁止というルールを破ったのだから仕方がない、卒業後の人生に幸あれ」みたいなコメントが大半だったからだ。スキャンダル報道直後のバッシングもすさまじかった。ひとりの女性をこんなになるまで追い込んでおいて無責任じゃないか?と思った。おそらく著者もドルオタだった頃に同じような憤りを感じた瞬間があったのではないだろうか、本書には無自覚なドルオタを刺すような言い回しが散見された。
「私たちの体は、変化するのが早い(中略)体の一部が形を変え始めて、そこにこれまでにはなかった視線が向けられて…」
→10代の女性アイドルに性的な目を向けている書き込みはよく見る。後述するがこれがドルオタの全てかと思う。
「匿名での悪口、盗撮、執拗なまでの過去の詮索(に対する)煽り耐性、スルースキル(中略)をあらかじめ持ち合わせていることを当然のように求められる」
→ドルオタは何を言ってもいいし何を探ってもいい、アイドルは謝罪&謹慎する事しか許されないという風潮。ではなぜ彼らは好きなアイドルの過去やプライベートをわざわざ詮索するのか?
「熱心なアイドルファンはやがて、ただそのアイドルに愛情を注ぐだけでなく(中略)ファン以上の役割を自負し始める」
→パフォーマンスやバラエティでの振る舞いや今後の方針について、運営目線でダメだしするドルオタがいる。なぜアイドル側の身内だと自分を妄信できるのか?
自分が生まれて初めてアイドルを応援するようになって浮かんできた様々な疑問は、以下の問いに集約されると思った。「ドルオタはなぜ『アイドルは恋愛禁止』を不文律と信じ込んでいるのか?」本書にはアイドル側からの描写しかほぼ出てこないが、ドルオタ側からの目線を考えてみた。
ドルオタは好きになったアイドルに恋をしていて本当は付き合いたいし自分のものにしたいしエッチもしたい。アイドル運営から提示された推しメン攻略法だけが、彼女と付き合える唯一の方法と信じてお金をかけまくる。
お金かけるだけでは他のドルオタライバルを出し抜けない、と思ったら運営側に勝手に立ってアドバイスしだす。こんなに君の事考えてるんだよ、とアピールしてるつもり。また、運良く付き合えた時の事をあらかじめ考えておいて、前の男と比べられるのが怖いから処女性をとても気にして解析しまくる。ぼくが初めての男じゃなきゃ許さない。
でももしこんなにお金かけても彼女が知らんやつと付き合いだしたらどうしよう…そんな時に盲信するのが「アイドルは恋愛禁止」ルールである。ドルオタはこのルールを自分に都合よくアイドルを応援するうえでの前提条件と思い込む。その前提の上で安心して彼女を自分のものにするために身銭を切りまくる。だから恋愛スキャンダルが出た時にルール違反だ!と叫べる。明文化されてないけどおれの中では契約時の、アイドルを応援して金出す時のルールだったと妄信してるからこんな事が言える。
運営サイドはこの不文律について何も言わないし、なんなら公式にはそんなもの無いとまで言う。このルールをドルオタが勝手に信じていた方が儲かるから。アイドル史を通してドルオタに深く根付いているルールだから今更運営サイドが強調することもない。
普通の女の子がアイドルに変わる時、アイドルオタク相手に商売を始める時、自由恋愛の権利は、事実上ドルオタと運営が剥脱する(「大地を好きなことも、小さなころからずっとずっと、変わらないんです。だけど、大地を好きなことだけ、あるときから急に、ダメになったんです」)。アイドル恋愛禁止ルールは、アイドルを使って商売する立場の人間が末永く商売できるように、ドルオタを洗脳しドルオタが次々と進んでその洗脳を受け入れた結果今なお続いている暗黙裡のルールだ。アイドルは客商売だから売り上げ減らないように恋愛しちゃいけない、などというドルオタコメントも散見したが、こいつは勝手に運営側に自分が立ってると思い込んで自ら洗脳されにいってる事に全く気付いてない。
運営は、ドルオタがアイドルに恋して付き合いたいエッチしたいと思う事に何の制限も課さない。それどころか恋心を煽りまくる。でもアイドルを落とすためのアプローチは運営により厳密に定められ、その過程で運営側にガンガンお金が流れるように仕組まれている。
ドルオタは、運営に指定されたアプローチで本当に意中のアイドルを落とせるのかは考えない。考えなくていいために恋愛禁止というルールがあると信じこんでいる。そんなもの実際の恋愛に有るわけないのだから、アイドルを普通の女の子として誘う男性は確実にいる。恋愛スキャンダルの発生だ。この時ドルオタは、相手の男も責めるけど圧倒的にアイドル本人を責める。可愛いと思い撫でようと伸ばした手を野良犬に噛まれたから、カッとなってぶん殴るように。
ただ、性欲を疑似恋愛と言い換えさせてアイドルの仕事が完結するわけではないとも思う。歌って踊って演技して、さらには様々なメディア使って商売コンテンツを生み出す仕事がある中で、エロ目的ではないスタンスの仕事がむしろ多いかと思う。例えば憧れのアイドルになりたいと言ってオーディションに参加する女の子は、これらの非エロ活動を見て憧れる事だろう。
アイドルが運営の商売のための疑似恋愛商品という事実は変わらないかもしれない。しかし、アイドル活動に励む人間としての姿を応援するなら、彼女らを疑似恋愛商品としてでなくひとりひとりの人間と認識できるのなら、見ているこちら側も人間として彼女らの恋愛や生き方を認められるのではないか、というのが著者のメッセージだと私は受け取った。
冒頭の卒業式は、番組スタッフ及び若林さんという人間たちが、井口さんという人間を思いやった素晴らしいシーンだった。しかし両者は、アイドルとアイドルファンという取引がベースにある関係ではなく、だからこそ真っ当なコミュニケーションができたのかもしれない。では、アイドルファンが疑似恋愛にお金をペイすることなく、アイドルを人間として応援する事はできるのだろうか?私は自分と日向坂46を使ってその実験をしていきたい。いつか、若林さんや朝井さんのような魂の輝きを持てるといいのだが。
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