「平等」概念は有用だろうか?一律にどの社会にも妥当する平等基準なんてあるのか?そんな懐疑が存する今日、ウォルツァーは各社会の伝統や多様性に配慮しつつ、多様な平等の基準を導くための理論を作り上げました。次の通りです。
不平等とは不当な支配であって、不当な支配は、ある社会がある財に対して考える配分の仕方(ex高等教育という財は能力に応じて配分されるべき=正義の領域)を侵害するところに存在する(ex高等教育が金持ちに独占される=金という財が、能力に応じて配分されるべき高等教育の配分を歪めている=正義領域の侵犯。この時「金」が不正に「教育」に「転換」すると呼び、「金」のような財を「優越財」とウォルツァーは呼んでいます)から、この正義領域の侵犯(優越)をなくすことが!不当な支配をなくし、平等を実現するとしています。
そして、ある社会がある財に対して考える、あるべき配分の仕方を正当視するため、各社会の伝統や多様性を尊重することにもなります。
ただ、①ある社会がある財に対して考える配分の仕方自体が争われている場合にどうするのか②生まれついた身分によって財配分の不均衡が生じている場合に、それを社会が承認している場合(カースト制度とか)には、これを覆そうとする少数者はかえってこの理論では不正者になってしまう③そもそもどうやって優越をなくすんだ?・・・等の素朴な疑問が生まれました。
それでも平等について新しい発想を盛り込んでおり、視野を広げたいならばお勧めします。
訳は日本語としておかしい箇所もあり、英語の得意な人は原著を読んだほうが良いと思われます。
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