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価格: | ¥2,800 |
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登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- Is Discontinued By Manufacturer : いいえ
- 言語 : 日本語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 400 g
- EAN : 4934569360793
- 監督 : 長井龍雪
- メディア形式 : 色, 限定版, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 14 分
- 発売日 : 2017/3/24
- 出演 : 河西健吾, 細谷佳正, 梅原裕一郎, 内匠靖明, 村田太志
- 販売元 : バンダイビジュアル
- ASIN : B01LY0LQLX
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 57,327位DVD (の売れ筋ランキングを見るDVD)
- カスタマーレビュー:
商品の説明
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
長井龍雪監督による「ガンダム」シリーズの新作TVアニメ第2シーズン第2巻。可能な限りの戦力を投入し、サンドバル・ロイターの捕獲に向かう鉄華団。そこにアリアンロッドも参戦し…。第28話から第30話を収録。原案集ほかを封入。
内容(「Oricon」データベースより)
地球への旅で世界の実情を知ったクーデリアが設立したアドモス商会が行う、ハーフメタル採掘場の視察。その護衛を依頼された鉄華団団長オルガ・イツカは、新たな敵の襲撃を察知する。三日月・オーガスは、オルガの指揮の下、敵撃退へと向かうが…。TVアニメ「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第2期を収録したBlu-ray第2巻。
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
15 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
【早期予約特典あり】 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 弐 2 (特装限定版) (A4クリアファイル付) [Blu-ray]が¥7,582-で
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 弐 2 (特装限定版)[Blu-ray]が¥6,265-で
A4クリアファイルがつくだけでその差額¥1,317-です。
同じ金額なら理解できるけど早期予約特典の意味なくないですか?
価格保証の意味がない。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 弐 2 (特装限定版)[Blu-ray]が¥6,265-で
A4クリアファイルがつくだけでその差額¥1,317-です。
同じ金額なら理解できるけど早期予約特典の意味なくないですか?
価格保証の意味がない。
2017年6月17日に日本でレビュー済み
内容については、もう他の方々が書いて下さっているので思い切って割愛し、別の切り口から書いてみたいと思います。制作側のインタビュー等で度々登場する「ライブ感」という言葉についてです。
本来は、ドラマ等の撮影中に、役者さんの演技やセリフ等が台本通りでなくても「こっちの方がいいかも?」と思われれば予定を変更して採用することがある、という意味の言葉が「ライブ感」なのだそうです。言い換えるなら、「枠にとらわれない」とか「自由な発想で」といったところでしょうか。
私の記憶にある範囲で、制作側のインタビューでこの言葉が最初に使われたのは、平成仮面ライダーシリーズで2000年代の最初の頃、多分、仮面ライダー龍騎あたりだったのではないかと思います。(※記憶を遡りながら書いていますので詳細は違っていたら済みません。)
この龍騎は、結末が複数作られて公開されたことで有名な作品です。最初に構想されていた結末は、なんと夏休み(TVシリーズの中盤あたりの時期)の劇場版で採用されて先に公開されてしまいました。キャッチは「龍騎、衝撃の結末。最終回、先行映画化」でした。では、先に最終回を公開しちゃってTV版はどうなったのかというと、白紙から構想を組み立てて全く別のストーリー&結末を作るとの発表がありました。その発表の際、制作側から「元々構想があった結末(劇場版)にとらわれず、全く新しい発想で、新しいストーリーを、そして新しい結末を描きます」のような趣旨のコメントがありました。その中で確か「ライブ感」という言葉が登場しました。先に公開された劇場版にとらわれてしまったらそれと似たようなものになってしまうのですから、それにとらわれずに作りますというのは当然といえば当然ですよね。
では結末はその2種類で済んだのかと言うと、秋にTVスペシャルというものが放送されまして。そこで、劇場版ともTV版とも異なる結末が放送されました。また、このTVスペシャルの最後の部分は2種類作られ、視聴者の投票でどちらを放送するかを決めるという前代未聞の手法が採られました。(選ばれなかった方の結末はDVDに一緒に収録されました。) その数か月後、TVシリーズが予定通り全話放送を終えました。ですので結局、劇場版、TVスペシャル版A、TVスペシャル版B、TVシリーズ版、全部で4種類の結末が描かれることになりました。そして勿論、似たような結末は一つもありませんし、そしてどの結末もたいへん面白い(intersting)ものでした。
時は流れて現代。鉄血のオルフェンズのインタビューで度々「ライブ感」という言葉が登場しますが、本来の「枠にとらわれない」「自由な発想で」というニュアンスは、作品からは全く感じ取れません。伝わってくるのは「行き当たりばったり」「何も考えていない」くらいのものです。(そう言えば、龍騎の結末の中には、バッドエンドと呼べるようなものもありますが、その結末もたいへんに壮絶で、魅力的で、素晴らしいものでした。(批判はかなりあったようですが。))
オルフェンズの映像からは、制作現場(各スタッフや声優さんらも含めて)の人間関係が酷いことになっていそうな感じがヒシヒシ伝わってくるので、もう今更無理なことだろうとは思いますが、もし叶うことならもう一度作り直して欲しいと願ってやみません。その際は、すでに放送されたTV版にとらわれないよう、ぜひ"本来の「ライブ感」"でお願いします。
本来は、ドラマ等の撮影中に、役者さんの演技やセリフ等が台本通りでなくても「こっちの方がいいかも?」と思われれば予定を変更して採用することがある、という意味の言葉が「ライブ感」なのだそうです。言い換えるなら、「枠にとらわれない」とか「自由な発想で」といったところでしょうか。
私の記憶にある範囲で、制作側のインタビューでこの言葉が最初に使われたのは、平成仮面ライダーシリーズで2000年代の最初の頃、多分、仮面ライダー龍騎あたりだったのではないかと思います。(※記憶を遡りながら書いていますので詳細は違っていたら済みません。)
この龍騎は、結末が複数作られて公開されたことで有名な作品です。最初に構想されていた結末は、なんと夏休み(TVシリーズの中盤あたりの時期)の劇場版で採用されて先に公開されてしまいました。キャッチは「龍騎、衝撃の結末。最終回、先行映画化」でした。では、先に最終回を公開しちゃってTV版はどうなったのかというと、白紙から構想を組み立てて全く別のストーリー&結末を作るとの発表がありました。その発表の際、制作側から「元々構想があった結末(劇場版)にとらわれず、全く新しい発想で、新しいストーリーを、そして新しい結末を描きます」のような趣旨のコメントがありました。その中で確か「ライブ感」という言葉が登場しました。先に公開された劇場版にとらわれてしまったらそれと似たようなものになってしまうのですから、それにとらわれずに作りますというのは当然といえば当然ですよね。
では結末はその2種類で済んだのかと言うと、秋にTVスペシャルというものが放送されまして。そこで、劇場版ともTV版とも異なる結末が放送されました。また、このTVスペシャルの最後の部分は2種類作られ、視聴者の投票でどちらを放送するかを決めるという前代未聞の手法が採られました。(選ばれなかった方の結末はDVDに一緒に収録されました。) その数か月後、TVシリーズが予定通り全話放送を終えました。ですので結局、劇場版、TVスペシャル版A、TVスペシャル版B、TVシリーズ版、全部で4種類の結末が描かれることになりました。そして勿論、似たような結末は一つもありませんし、そしてどの結末もたいへん面白い(intersting)ものでした。
時は流れて現代。鉄血のオルフェンズのインタビューで度々「ライブ感」という言葉が登場しますが、本来の「枠にとらわれない」「自由な発想で」というニュアンスは、作品からは全く感じ取れません。伝わってくるのは「行き当たりばったり」「何も考えていない」くらいのものです。(そう言えば、龍騎の結末の中には、バッドエンドと呼べるようなものもありますが、その結末もたいへんに壮絶で、魅力的で、素晴らしいものでした。(批判はかなりあったようですが。))
オルフェンズの映像からは、制作現場(各スタッフや声優さんらも含めて)の人間関係が酷いことになっていそうな感じがヒシヒシ伝わってくるので、もう今更無理なことだろうとは思いますが、もし叶うことならもう一度作り直して欲しいと願ってやみません。その際は、すでに放送されたTV版にとらわれないよう、ぜひ"本来の「ライブ感」"でお願いします。
2017年5月20日に日本でレビュー済み
二期なのに一期の序盤なみに新キャラや新勢力が多い、という感想は第1巻の時点でありましたがストーリーのテンポ自体はまだ悪くありませんでした。各登場人物に関する描写も回想ではなくリアルタイムで描写され、モビルスーツ戦も後日談ではなく戦闘前から戦闘後まで途切れることなく行われています。二期のある作品の立ち上がりとしてならば、十分期待できる内容だったのです。問題はここから先が尻切れトンボ状態になってしまい、ストーリー同士のつながりが希薄なライブ感丸出しの展開で最悪な最終話へとつながってしまうことなのです...
前巻の第1巻においては一期から二期の空白の時間に関する説明や鉄華団の現状説明などに多くの時間が割かれていました。これはお決まりのパターンなのですが...ともかく新キャラと新勢力が多すぎて3期や劇場版を見据えた作品なみになっていました。「モブキャラまでネームドキャラにして収拾可能なの?」「セブンスターズの権力争いとかテイワズ内紛とか時間足りるの?」「そもそもガエリオが生きてるって滅茶苦茶すぎない?」と視聴者を不安にさせる要素満載だったとはいえ、序盤からギャラルホルンでさえ苦戦を強いられる夜明けの地平線団という凶暴な敵の襲来がそういった不安を吹き飛ばしてくれていたのです。
鉄華団をはるかに上回る大戦力との真っ向勝負!この危機を鉄華団はどう乗り切るのか!?御都合主義とはいえ苦戦を強いられる少数精鋭の主人公達が暴虐を誇る巨大組織に立ち向かい勝利するというのは、現実ではないからこそいつの時代も憧れであり視聴者の心をつかむものがあります。そういった意味において、今巻において描かれた夜明けの地平線団との戦いと決着は悪くない出来だったのかもしれません。問題は今巻のテンポはここでいきなり打ち切られ、視聴者をウンザリ、ダラダラという暗い気分にさせた割りに長いだけで後のストーリーに全く影響しなかったガラン・モッサ編に突入してしまうことなのです...せっかく夜明けの地平線団編のラストとなった第30話にてモビルアーマー発掘という鉄血のオルフェンズにおける重要なシーンが描かれていたというのに、その流れを一気に打ち切るどころか視聴者でさえ忘れかけるほど期間が経ってからようやくハシュマル覚醒編にて再登場...せっかくの好材料なのに非常にもったいない扱いとなってしまっています。
先述した通り、間に挟んでしまったガラン・モッサ編はひたすら長くて丁寧な描写の割りに後のストーリーにはほぼ無関係です。しかも終わり方は夜明けの地平線団へと同じくオルガとマクギリスの利害関係に関する交渉で占められており、内容もほぼかぶっているのです...思わせぶりな重要単語などが出てくるなど違いは一応ありますが、あまりにも尺をとりすぎたせいでストーリー全体の終盤ではモビルスーツの戦闘シーンがほぼカットされたことを考えれば、ガラン・モッサ編を全てカットして、夜明けの地平線団編からハシュマル覚醒編へ繋げた方がまだマシであったという感じになってしまっています。もちろんその後のテイワズ内紛編やクーデター編など、鉄華団が製作陣によって酷い扱いを受けるという流れを変えることはできなかったのかもしれませんが、それでも視聴者がwあとしては「まだマシだったかも」とい言えるくらいにはなったかもしれません。
好材料を詰めて詰めて詰め込んで、詰め込みすぎてパーンと破裂した結果が後の最終話であったということを考えれば、製作陣が大事にしていたというライブ感よりも「芸術ではなく娯楽、芸術と違って娯楽は作りたいものを作ればいいというわけではない」という自制心ではなかったのではないかと強く思います。
大変酷評になってしまいましたが皆さんの参考になれば幸いです。
前巻の第1巻においては一期から二期の空白の時間に関する説明や鉄華団の現状説明などに多くの時間が割かれていました。これはお決まりのパターンなのですが...ともかく新キャラと新勢力が多すぎて3期や劇場版を見据えた作品なみになっていました。「モブキャラまでネームドキャラにして収拾可能なの?」「セブンスターズの権力争いとかテイワズ内紛とか時間足りるの?」「そもそもガエリオが生きてるって滅茶苦茶すぎない?」と視聴者を不安にさせる要素満載だったとはいえ、序盤からギャラルホルンでさえ苦戦を強いられる夜明けの地平線団という凶暴な敵の襲来がそういった不安を吹き飛ばしてくれていたのです。
鉄華団をはるかに上回る大戦力との真っ向勝負!この危機を鉄華団はどう乗り切るのか!?御都合主義とはいえ苦戦を強いられる少数精鋭の主人公達が暴虐を誇る巨大組織に立ち向かい勝利するというのは、現実ではないからこそいつの時代も憧れであり視聴者の心をつかむものがあります。そういった意味において、今巻において描かれた夜明けの地平線団との戦いと決着は悪くない出来だったのかもしれません。問題は今巻のテンポはここでいきなり打ち切られ、視聴者をウンザリ、ダラダラという暗い気分にさせた割りに長いだけで後のストーリーに全く影響しなかったガラン・モッサ編に突入してしまうことなのです...せっかく夜明けの地平線団編のラストとなった第30話にてモビルアーマー発掘という鉄血のオルフェンズにおける重要なシーンが描かれていたというのに、その流れを一気に打ち切るどころか視聴者でさえ忘れかけるほど期間が経ってからようやくハシュマル覚醒編にて再登場...せっかくの好材料なのに非常にもったいない扱いとなってしまっています。
先述した通り、間に挟んでしまったガラン・モッサ編はひたすら長くて丁寧な描写の割りに後のストーリーにはほぼ無関係です。しかも終わり方は夜明けの地平線団へと同じくオルガとマクギリスの利害関係に関する交渉で占められており、内容もほぼかぶっているのです...思わせぶりな重要単語などが出てくるなど違いは一応ありますが、あまりにも尺をとりすぎたせいでストーリー全体の終盤ではモビルスーツの戦闘シーンがほぼカットされたことを考えれば、ガラン・モッサ編を全てカットして、夜明けの地平線団編からハシュマル覚醒編へ繋げた方がまだマシであったという感じになってしまっています。もちろんその後のテイワズ内紛編やクーデター編など、鉄華団が製作陣によって酷い扱いを受けるという流れを変えることはできなかったのかもしれませんが、それでも視聴者がwあとしては「まだマシだったかも」とい言えるくらいにはなったかもしれません。
好材料を詰めて詰めて詰め込んで、詰め込みすぎてパーンと破裂した結果が後の最終話であったということを考えれば、製作陣が大事にしていたというライブ感よりも「芸術ではなく娯楽、芸術と違って娯楽は作りたいものを作ればいいというわけではない」という自制心ではなかったのではないかと強く思います。
大変酷評になってしまいましたが皆さんの参考になれば幸いです。