『海の博物館』などで知られる建築家・内藤廣が、東大工学部土木学科の教授として行った講義を本にしたもの。『環境デザイン講義』『形態デザイン講義』と続くシリーズ三部作の第一作である。
この『構造デザイン講義』においては、建築家としての内藤が、これまでに積み重ねて来た建築家としての経験の中から、建築における構造とは何か、デザインとは何か、構造とデザインはどのような関係にあるのか、といった根源的な問いに対し、逃げることなく、内藤自身の考え方を明確に示すことを目指している。
といっても、抽象的な言葉を連ねている訳ではない。本書の最大の特徴は、その具体性だ。内藤は、古今東西の建築物、建築家を取り上げ、それらへの自身の見方を提示する。また、自らの作品を取り上げ、その中で、自分がどのように問題に取り組んだのかを具体的に示していく。そこで貫かれているのは、そうした経験に根差したエンジニアとしての感性の重視だ。抽象的な思考から導かれた思想ではなく、モノとのぶつかり、素材との触れ合いの中から生み出され、養われる感性だ。現場主義と言ってもいいだろう。
本書、あるいは本書の元となった講義の構成は、現代の建築における主要な構造あるいは素材である、組積造、鉄、コンクリート、プレキャストコンクリート、木、について順に取り上げ、それらの構造・素材の歴史、現状、長所と短所、使用するときに留意すべき点、内藤自身の考え方について、様々な建築物や内藤の作品を題材として語るのだから、これが面白くないはずがない。
現場主義と言いながらも、経験に裏打ちされた内藤の言葉は、一流の思想家のような深みを持ち、本書も名言、抜き出しておきたい箇所、目から鱗な発想のオンパレードだ。
「デザインがなければ、どんなに優れた技術もそれを享受する人々の心に届かない」「技術と人を繋ぐ、モノの論理とヒトの論理を繋ぐ、それがデザインなのだ」「デザインとは翻訳すること」「場所の持っている固有の価値を翻訳出来なければ、すなわちデザイン出来なければ、構築物はその場所に存在する必然性を失ってしまいます」「その時代の最先端の技術を駆使した構築物というのは、その時代の最上の文化を組み込んでつくられるべきです」「技術と文化の融合こそが最高の成果物なのだ」「木こそが近代の枠組みや思考を乗り越えることができる素材だ」「土木でも建築でもリダンダンシーか、今後の構造のメインテーマ」「情け容赦ない非情な技術というものを人間の感情やモラルにどう繋げられるか」・・・。キリがない!
現代の建築の流行に対する批判的な見方も内藤ならではだ。本来のコンクリートの荒々しさを忘れ、表面的な綺麗さを追求する打放しコンクリート建築への懐疑。国立競技場のコンペを勝ち取ったザハ・ハディドは、観念的なことが大好きで、建築の既成概念を壊したい、建築を通して社会に対してインパクトのあるものを提案したいという欲望に支配された学生のようなプロジェクトの元祖のような建築家、だそうだ。国立競技場コンペの審査員であった内藤は、まさか自分を含む審査委員会が、ザハの建築を選ぶことになるとは思わなかっただろう。
ユーモアを交えつつ、温かい人柄の伝わってくる講義で、大変読みやすいのも本書の特徴だ。建築を志す学生のみならず、建築に関心のある全ての者に読んで欲しい。評者自身も、20歳、いや、30歳までにこの本に出会っていたら、建築家を目指していたことだろう。
(2014/3/9読了)
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構造デザイン講義 単行本 – 2008/8/1
内藤 廣
(著)
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- 本の長さ235ページ
- 言語日本語
- 出版社王国社
- 発売日2008/8/1
- ISBN-104860730402
- ISBN-13978-4860730406
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
東京大学における講義の集成。建築と土木に通底する構造デザインとは何か。実践に裏打ちされた構想力による建築家の次代へのメッセージ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
内藤/廣
1950年横浜生まれ。74年早稲田大学理工学部建築学科卒業。74‐76年同大学院にて吉阪隆正に師事、修士課程修了。76‐78年フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(マドリッド)。79‐81年菊竹清訓建築設計事務所勤務。81年内藤廣建築設計事務所設立。2001年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻助教授。03年同大学大学院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1950年横浜生まれ。74年早稲田大学理工学部建築学科卒業。74‐76年同大学院にて吉阪隆正に師事、修士課程修了。76‐78年フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(マドリッド)。79‐81年菊竹清訓建築設計事務所勤務。81年内藤廣建築設計事務所設立。2001年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻助教授。03年同大学大学院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 王国社 (2008/8/1)
- 発売日 : 2008/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 235ページ
- ISBN-10 : 4860730402
- ISBN-13 : 978-4860730406
- Amazon 売れ筋ランキング: - 87,689位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 126位建築構造・施工 (本)
- カスタマーレビュー:
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2014年3月11日に日本でレビュー済み
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2015年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「海の博物館」「牧野富太郎記念館」などの設計を手がけた建築家による、東京大学土木・建築系学生向けの講義集です。「デザイン」というと捉えどころのない感じですが、著者独自の再定義では「デザインとは翻訳すること」であり、技術・場所・時間の翻訳であるとのこと。デザイン感性を養うため、葉脈やトンボの羽など自然の美しさに触れ、その構造に対してイメージすることを説いています。
有史以来の組積造、近代のスティールやコンクリート、そして古くて最先端な木造について、物質の特性、歴史や場所を踏まえ、代表的な建築物を見ていきます。注釈に建築物の写真が添えられ、親切です。総論では「構造」と「デザイン」の矛盾性について述べられているものの、内容は「構造デザイン」として一体となっている感があります。
9.11テロによるWTC崩落の原因は、経済性、合理性、効率性を極めた完結性であり、完結性のため「部分的な破壊が全体に決定的なダメージを与える」という考えです。本書を通じて、「効率性を超えた冗長性(リダンダンシー)」の重要性が語られています。現場の空洞化を危惧する著者は、エンジニアには「工学知」だけでなく、「経験知・体験知」などの身体的な感覚から得られる「知」が必要と説きます。
私はエンジニアでは無いものの、興味深く読めました。現場の空洞化や合理化・効率化の果てに大きな事故があるということで、こういった警鐘は、広く次代へ伝えられるべきだと思います。
有史以来の組積造、近代のスティールやコンクリート、そして古くて最先端な木造について、物質の特性、歴史や場所を踏まえ、代表的な建築物を見ていきます。注釈に建築物の写真が添えられ、親切です。総論では「構造」と「デザイン」の矛盾性について述べられているものの、内容は「構造デザイン」として一体となっている感があります。
9.11テロによるWTC崩落の原因は、経済性、合理性、効率性を極めた完結性であり、完結性のため「部分的な破壊が全体に決定的なダメージを与える」という考えです。本書を通じて、「効率性を超えた冗長性(リダンダンシー)」の重要性が語られています。現場の空洞化を危惧する著者は、エンジニアには「工学知」だけでなく、「経験知・体験知」などの身体的な感覚から得られる「知」が必要と説きます。
私はエンジニアでは無いものの、興味深く読めました。現場の空洞化や合理化・効率化の果てに大きな事故があるということで、こういった警鐘は、広く次代へ伝えられるべきだと思います。
2021年10月25日に日本でレビュー済み
題名の通り内藤廣氏の大学での講義録である。大架構を持つ建物の具体的な技術に関して、歴史・形態・現場・感性など多岐にわたる視点で説明をしてくれる。特に「想像力」というキーワードが繰り返し登場するが、これが設計者へ求められる能力なのだと説得されてしまった。もし大学時代にこの講義を受けていたら、見える世界も随分変わっていたかもしれない。特に気になった内容として、2021年の現代から時代はいくらか遡るが、スティールに関する事例として、朱鷺メッセの連絡橋崩落事故(2003)が取り上げられている。ここで内藤氏は震災や大災害といった極端な事態ではなく、平時に起こった事故にこそ設計者の想像力を巡らせるべきではないかと、問いを読者に投げかけている。
2014年1月1日に日本でレビュー済み
本書「構造デザイン講義」は建築家・内藤廣氏の東京大学社会基盤学科(前・土木工学科)での講義録で、後に発刊されている「環境デザイン講義」、「形態デザイン講義」と続く各要素に先駆け、デザインをテーマにして行われたものである。
なぜデザインなのか?
冒頭にもあるように、物理的な仕組みを扱う「構造」と人間の思考や感情がもたらす「デザイン」は本来まったく別のものであり、事実土木分野においてデザインというのは、かつては構造物が技術的に検討・設計された後の最後を飾る化粧程度と認識されていたという。
一方で筆者はデザインというものをモノの論理とヒトの論理を繋ぐものであるとしている。現在の工学技術では、ともすればコンピューターが自動的に最適な構造を解析することが可能であり、モノの論理だけを追求することは誰でもできる。だからこそ全てのエンジニアはそれに依存せず、ヒトの論理すなわち工学技術だけでは見えない想像力や感性をフルに働かせるべきだと主張する。
構造計算で得られる合理的な解のみでは、地震や台風等による自然環境の変化、構造物の材料の変質、更には刻々と変化する建設現場の状況に対応できないこともある。複雑な形態の構築物ではコンピューターによる解析結果に対し違和感を覚える想像力や感性を持つことができるかどうか、それによって構造に多少の冗長性や遊びを設けられるかどうかが、他でもない人間が構造デザインをやる意味なのだと感じられた。
更に、本書は建築構造を概観する本としても優れていると思う。序盤はこのようなデザインという概念に対する筆者の考えをまとめてあるが、その後は組構造、スティール、コンクリート、プレキャストコンクリート、木造、並びに構造デザインの最新事例等といった具合に、構造形式ごとの概要を追うものとして非常に読みやすい。自身の作品を含む豊富な事例や経験を踏まえ、筆者の考える「構造デザイン」が語られる。
余談であるが、表紙をめくった先の扉絵でまず指を止めてしまった。それは筆者の作品の一つである島根県芸術文化センターの絵であるが、荒々しい壁の質感を表したラフスケッチかと思えば、よく見たらコンクリート打設前の鉄筋が飛び出す施工途中の現場写真だったのだ。一瞬、絵なのか写真なのか判別がつかなかったこの扉絵に、モノの論理をヒトの論理に繋ぐ過程、すなわち「構造デザイン」が集約されていると感じた。
筆者がそこまでを意図して扉絵を決定したかは不明であるが、正しくこの作品は、モノとヒトのどちらが欠けても実現し得なかったものではないかと読み終わって改めて気付く。
なぜデザインなのか?
冒頭にもあるように、物理的な仕組みを扱う「構造」と人間の思考や感情がもたらす「デザイン」は本来まったく別のものであり、事実土木分野においてデザインというのは、かつては構造物が技術的に検討・設計された後の最後を飾る化粧程度と認識されていたという。
一方で筆者はデザインというものをモノの論理とヒトの論理を繋ぐものであるとしている。現在の工学技術では、ともすればコンピューターが自動的に最適な構造を解析することが可能であり、モノの論理だけを追求することは誰でもできる。だからこそ全てのエンジニアはそれに依存せず、ヒトの論理すなわち工学技術だけでは見えない想像力や感性をフルに働かせるべきだと主張する。
構造計算で得られる合理的な解のみでは、地震や台風等による自然環境の変化、構造物の材料の変質、更には刻々と変化する建設現場の状況に対応できないこともある。複雑な形態の構築物ではコンピューターによる解析結果に対し違和感を覚える想像力や感性を持つことができるかどうか、それによって構造に多少の冗長性や遊びを設けられるかどうかが、他でもない人間が構造デザインをやる意味なのだと感じられた。
更に、本書は建築構造を概観する本としても優れていると思う。序盤はこのようなデザインという概念に対する筆者の考えをまとめてあるが、その後は組構造、スティール、コンクリート、プレキャストコンクリート、木造、並びに構造デザインの最新事例等といった具合に、構造形式ごとの概要を追うものとして非常に読みやすい。自身の作品を含む豊富な事例や経験を踏まえ、筆者の考える「構造デザイン」が語られる。
余談であるが、表紙をめくった先の扉絵でまず指を止めてしまった。それは筆者の作品の一つである島根県芸術文化センターの絵であるが、荒々しい壁の質感を表したラフスケッチかと思えば、よく見たらコンクリート打設前の鉄筋が飛び出す施工途中の現場写真だったのだ。一瞬、絵なのか写真なのか判別がつかなかったこの扉絵に、モノの論理をヒトの論理に繋ぐ過程、すなわち「構造デザイン」が集約されていると感じた。
筆者がそこまでを意図して扉絵を決定したかは不明であるが、正しくこの作品は、モノとヒトのどちらが欠けても実現し得なかったものではないかと読み終わって改めて気付く。
2008年12月21日に日本でレビュー済み
東京大学の社会基盤(土木)工学科での講義内容をまとめた本です。
以下7回の講義の中で、それぞれの主題について説明すると同時に、
「デザインとはなにか?」という問いに対して著者が考える本質が語ら
れてていきます。
第1章 総論
第2章 組構造
第3章 スティール
第4章 コンクリート
第5章 プレキャストコンクリート
第6章 木造
第7章 構造デザインの最前線
著者は建築家。長いキャリアの中で得た知識や経験を土木系の学生
に伝えるべく、この講義は行われます。学校の講義なのに、あえて、
著者の考えや好み、捉え方を言い切ります。そして、「私はこう考え
る。君たちは自分の頭で考えなさい。」と問いかけていく姿勢に好感
を持ちました。
リダンダンシー(冗長性)に対する認識の大切さ、ものづくりの「空洞
化」への対応等々、学生しかも土木系の人だけに聞かせるにはもっ
たいない話が続きます。社会で活躍しているエンジニアこそ読むべき
本です。
「解析するだけなら自動でコンピュータで答えが出せる時代です。そ
んな時代で極めて大切なのは、構造、力、材料などに対して、エンジ
ニアがいかにイメージを持てるかです。」
以下7回の講義の中で、それぞれの主題について説明すると同時に、
「デザインとはなにか?」という問いに対して著者が考える本質が語ら
れてていきます。
第1章 総論
第2章 組構造
第3章 スティール
第4章 コンクリート
第5章 プレキャストコンクリート
第6章 木造
第7章 構造デザインの最前線
著者は建築家。長いキャリアの中で得た知識や経験を土木系の学生
に伝えるべく、この講義は行われます。学校の講義なのに、あえて、
著者の考えや好み、捉え方を言い切ります。そして、「私はこう考え
る。君たちは自分の頭で考えなさい。」と問いかけていく姿勢に好感
を持ちました。
リダンダンシー(冗長性)に対する認識の大切さ、ものづくりの「空洞
化」への対応等々、学生しかも土木系の人だけに聞かせるにはもっ
たいない話が続きます。社会で活躍しているエンジニアこそ読むべき
本です。
「解析するだけなら自動でコンピュータで答えが出せる時代です。そ
んな時代で極めて大切なのは、構造、力、材料などに対して、エンジ
ニアがいかにイメージを持てるかです。」