著者についてアルベルト・フジモリ氏がペルーの大統領に選ばれた時の対立候補だったぐらいの認識しかなかったが、画家ゴーギャンとその祖母である革命(思想)家フローラという帯が目に止まって本屋で購入。実は夏休みの家族旅行に携行してあまり読まないうちに機内におき忘れて再購入した。時間ができて読み始めたら引き込まれて一気に読んでしまった。
本作は祖母と孫という関係にある二人の人物の「楽園を目指す最後の旅」から、それぞれの「楽園への道」をたどった生涯を描いている。主人公のモノローグ〜主観描写が妙に心地よい。筆者は翻訳小説を苦手と感じるが、抵抗なく読めてしまったのは訳者の力量のおかげだろう。ゴーギャンの臨終への描写などは特にそうだが、そのあたりでの日本への言及がジャポニスム的過剰な買いかぶりで、読んでいて小恥ずかしかった。
まずフローラ・トリスタンという人のことは知らなかったが、こういうすごい人物がいたのかと感心。最後の方にマルクスが出てくるのもご愛嬌だが、実は「空想から科学へ」を他に先駆けて実践していた人なのではないか?そして彼女がまだ知られていないということは、女性への抑圧が依然としてある証拠ではないか。
またゴーギャンについてはゴッホの脇役と思っていたのだけれど、本作でのその絵画作品への描写を読んで、図版などで作品を目にして初めて、そのすごさの片鱗を理解できたように感じた。
ある意味、20世紀(とそれにつながる現在の)の社会・思想・芸術を準備するターニングポイントにこの二人がいたのではないかと思えてしまう。
とりあえずゴーギャンが死んだヒバ・オア島(Hiva Oa)に行きたくなった。
楽園への道 (河出文庫) (日本語) 文庫 – 2017/5/8
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本の長さ632ページ
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言語日本語
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出版社河出書房新社
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発売日2017/5/8
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ISBN-104309464416
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ISBN-13978-4309464411
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
女性は人類に入らないとされていた十九世紀半ばのヨーロッパで、虐げられた女性と労働者の連帯を求めて闘った革命家フローラ・トリスタン。芸術の再生を夢見て、家庭を捨てヨーロッパを捨ててひとり逆境に身をおいた。フローラの孫ゴーギャン。自由への道を求めつづけた二人の反逆者の波瀾の生涯を、異なる時空をみごとにつなぎながら壮大な物語として描いたノーベル賞作家の傑作。
著者について
1936年ペルー生れ。ラテンアメリカ文学を代表する作家。2010年ノーベル文学賞受賞。著書『都会と犬ども』『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』『世界終末戦争』『チボの狂宴』『つつましい英雄』他。
1947年新宮市生れ。著書『百年の孤独を歩く』『サラマンドラ』他。訳書にバルガス?リョサ『楽園への道』『つつましい英雄』、J・フランコ『ロサリオの鋏』『パライソ・トラベル』、『ネルーダ詩集』他。
1947年新宮市生れ。著書『百年の孤独を歩く』『サラマンドラ』他。訳書にバルガス?リョサ『楽園への道』『つつましい英雄』、J・フランコ『ロサリオの鋏』『パライソ・トラベル』、『ネルーダ詩集』他。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
バルガス=リョサ,マリオ
1936年、ペルー生まれ。ラテンアメリカ文学を代表する作家。2010年、ノーベル文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1936年、ペルー生まれ。ラテンアメリカ文学を代表する作家。2010年、ノーベル文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2017/5/8)
- 発売日 : 2017/5/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 632ページ
- ISBN-10 : 4309464416
- ISBN-13 : 978-4309464411
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 129,891位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 43位スペイン文学
- - 63位スペイン・ポルトガル文学研究
- - 426位河出文庫
- カスタマーレビュー:
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2010年10月16日に日本でレビュー済み
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その絵をよく知っていても、ゴーギャンの生涯については、ブルジョワで比較的恵まれた画家であるという印象があるくらいだった。ポスト印象派の展覧会でゴーギャンの有名な自画像を見てなにか感じるものがあった。とらえがたいという印象。
池澤夏樹さん個人編集で珠玉の作品ぞろいで気に入ったこの文学全集のうちの一冊を読んでいて、この本を知って早速注文した。ゴーギャンとその祖母であるスカートをはいた革命家フローラとの生涯が交互に章ごとに描かれている。最初は、文中にある呼びかけがだれのものであるのかが気になったが、あとで著者であることを知ってその技法の独創性に驚いた。
この本ほど読み終わったあとに茫然自失となる経験は私にはめずらしかった。
ゴーギャンもその祖母も当然お互いに会ったことがないにもかかわらず、その生涯を通底しているものに共通点がある。その意志の強靭さ、自由な精神、孤独、肉体を蝕むものとの闘い、みずからを燃焼させた人生。
ゴッホが出てくる箇所もある。その純粋さ、その理想の高さ、その狂おしいまでの誠実さに涙が出た。
生とはこれほど鮮烈で残酷なものでありうるのだ。
見事な小説家の手になる芸術家の生涯を読むと絵を見るときの理解度が増すことを痛いほど知らされたということもある。
著者がノーベル文学賞を受けたことを知り、とてもうれしく思ったのは言うまでもない。
池澤夏樹さん個人編集で珠玉の作品ぞろいで気に入ったこの文学全集のうちの一冊を読んでいて、この本を知って早速注文した。ゴーギャンとその祖母であるスカートをはいた革命家フローラとの生涯が交互に章ごとに描かれている。最初は、文中にある呼びかけがだれのものであるのかが気になったが、あとで著者であることを知ってその技法の独創性に驚いた。
この本ほど読み終わったあとに茫然自失となる経験は私にはめずらしかった。
ゴーギャンもその祖母も当然お互いに会ったことがないにもかかわらず、その生涯を通底しているものに共通点がある。その意志の強靭さ、自由な精神、孤独、肉体を蝕むものとの闘い、みずからを燃焼させた人生。
ゴッホが出てくる箇所もある。その純粋さ、その理想の高さ、その狂おしいまでの誠実さに涙が出た。
生とはこれほど鮮烈で残酷なものでありうるのだ。
見事な小説家の手になる芸術家の生涯を読むと絵を見るときの理解度が増すことを痛いほど知らされたということもある。
著者がノーベル文学賞を受けたことを知り、とてもうれしく思ったのは言うまでもない。
2010年11月8日に日本でレビュー済み
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画家ポール・ゴーギャンとその祖母で社会革命家フローラ・トリスタンの物語。
フローラの死後ポールが生まれているため2人の接点はないが、
生き様が似ており、2つの物語は時を超えてシンクロしているようだ。
特筆すべきは、ポールとフローラへの語りかけ。2人称の文体だ。
「この頃のおまえは本当に苦しかったね。でも決してあきらめなかったね…」
まるで子へ向けられた親のまなざしのようである。
ともに古い「西洋」を捨てて次の角にある(はずの)「楽園」を目指した。
決して賢明とは言えない生き方を選び、ついに「楽園」を見ることなく、
志半ばで若くして病に倒れこの世を去ってしまった。
この上なく優しいリョサの彼らへの語りかけを聞いていると、
本書は2人に贈る鎮魂の書でもあるのだろうかと思えてくる。
情緒的あるいは抒情的な描写はほとんどない。
命をかけて生き抜いた2人の人生そのままにスピード感を持って最後の最後まで物語は失速しなかった。
最後の、ゴーギャンの死に際の記述など、淡々と書かれているのだがその想像力は圧巻であり、
決して涙など流さず最後までペンを離さず書き切ったと言わんばかりの迫力を感じた。
とにかくスケールの大きさを感じる。偉大な2人の主人公に劣らない巨匠の傑作。
フローラの死後ポールが生まれているため2人の接点はないが、
生き様が似ており、2つの物語は時を超えてシンクロしているようだ。
特筆すべきは、ポールとフローラへの語りかけ。2人称の文体だ。
「この頃のおまえは本当に苦しかったね。でも決してあきらめなかったね…」
まるで子へ向けられた親のまなざしのようである。
ともに古い「西洋」を捨てて次の角にある(はずの)「楽園」を目指した。
決して賢明とは言えない生き方を選び、ついに「楽園」を見ることなく、
志半ばで若くして病に倒れこの世を去ってしまった。
この上なく優しいリョサの彼らへの語りかけを聞いていると、
本書は2人に贈る鎮魂の書でもあるのだろうかと思えてくる。
情緒的あるいは抒情的な描写はほとんどない。
命をかけて生き抜いた2人の人生そのままにスピード感を持って最後の最後まで物語は失速しなかった。
最後の、ゴーギャンの死に際の記述など、淡々と書かれているのだがその想像力は圧巻であり、
決して涙など流さず最後までペンを離さず書き切ったと言わんばかりの迫力を感じた。
とにかくスケールの大きさを感じる。偉大な2人の主人公に劣らない巨匠の傑作。
2015年9月30日に日本でレビュー済み
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私はもともと、音楽と文学にはたいへん深い興味を持っており、いろいろな作品を鑑賞してきましたが、
絵画にはあまり食指が動かず、本書の主人公のひとりであるゴーギャンのことも、その名前と、晩年タヒチへ行ったこと、
それから数点の作品(『われわれはどこから来たのか…』『タヒチの女』など)を知るばかりでした。
また、恥ずかしながら、もうひとりの主人公でありゴーギャンの祖母でもある、フローラ・トリスタンのことは名前すら知っておりませんでした。
しかし、この作品を読み進めていくうちに、ゴーギャンとフローラという似ても似つかない、それでいてどこか共通した
精神を内に燃やしたような人物に惹かれていき、久しぶりに読み終わるのが惜しい読書体験となりました。
人は誰しも、自分の心のなかに想像上の楽園をもっていて、それがこの地上のどこかに実在してほしいと願っているものですが、
それを単なる「想像」におしとどめることを潔しとせず、「信念」にまで昇華させたことが、
ゴーギャンとフローラの偉大さのゆえんなのではないかなと思いました。
これが並の人間であれば、挫折と絶望を幾度もくりかえす内に、もはや「想像」は「想像」にすぎないのだとして諦めてしまい、
楽園とはほど遠いような環境のなかで人生を浪費していってしまうものです。
しかし、ゴーギャンとフローラは何度「ここは楽園ではない」と現実をつきつけられても、
それでも「きっと次の角には……」と信じて邁進し続けたのです。
そしてたとえ最後まで楽園が見つからなかったとしても、その勇猛果敢な姿に私は心からの感動を覚えました。
私にも、私以外のこの作品の読者の方にも、そして今このレビューを読んでくださっているみなさんにも、きっと心のなかに描く自分だけの楽園があるはずです。
重要なのは、その楽園から目を背けないこと、そして、それがきっとどこかに実在するのだと信じて追い求め続けることではないでしょうか。
それは大変なことかもしれない。ゴーギャンやフローラのように、最後まで見つからずに終わってしまうかもしれない。
それでも、次の角に楽園があるかどうかは、自分の目で見てみるまではわからないのです。
絵画にはあまり食指が動かず、本書の主人公のひとりであるゴーギャンのことも、その名前と、晩年タヒチへ行ったこと、
それから数点の作品(『われわれはどこから来たのか…』『タヒチの女』など)を知るばかりでした。
また、恥ずかしながら、もうひとりの主人公でありゴーギャンの祖母でもある、フローラ・トリスタンのことは名前すら知っておりませんでした。
しかし、この作品を読み進めていくうちに、ゴーギャンとフローラという似ても似つかない、それでいてどこか共通した
精神を内に燃やしたような人物に惹かれていき、久しぶりに読み終わるのが惜しい読書体験となりました。
人は誰しも、自分の心のなかに想像上の楽園をもっていて、それがこの地上のどこかに実在してほしいと願っているものですが、
それを単なる「想像」におしとどめることを潔しとせず、「信念」にまで昇華させたことが、
ゴーギャンとフローラの偉大さのゆえんなのではないかなと思いました。
これが並の人間であれば、挫折と絶望を幾度もくりかえす内に、もはや「想像」は「想像」にすぎないのだとして諦めてしまい、
楽園とはほど遠いような環境のなかで人生を浪費していってしまうものです。
しかし、ゴーギャンとフローラは何度「ここは楽園ではない」と現実をつきつけられても、
それでも「きっと次の角には……」と信じて邁進し続けたのです。
そしてたとえ最後まで楽園が見つからなかったとしても、その勇猛果敢な姿に私は心からの感動を覚えました。
私にも、私以外のこの作品の読者の方にも、そして今このレビューを読んでくださっているみなさんにも、きっと心のなかに描く自分だけの楽園があるはずです。
重要なのは、その楽園から目を背けないこと、そして、それがきっとどこかに実在するのだと信じて追い求め続けることではないでしょうか。
それは大変なことかもしれない。ゴーギャンやフローラのように、最後まで見つからずに終わってしまうかもしれない。
それでも、次の角に楽園があるかどうかは、自分の目で見てみるまではわからないのです。
2008年10月10日に日本でレビュー済み
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打ちのめされました。
うたい文句の「ポール・ゴーギャンと彼の祖母のたたかい」に何の疑いもなく読んでゆきました。南の島に渡ったポール、そしてフランスで戦う祖母。
彼らは強い。たぶん、我々日本人が彼らのメンタリティに敵うかどうかすらわからないほどに強い。
本書が21世紀になってから書かれた本だと知ったときはもっと打ちのめされた。こんな素晴らしい小説が60代のバルガス=リョサが書いたなんて。
タイトルこそ「楽園への道」(原題の直訳ではありません。念のため)ですが、果たして主人公二人に「楽園」はやってくるのか、まったくわからない。それだけならまだいい。フローラ・トリスタン(ゴーギャンの祖母)は、「楽園」もくそもなく、戦いながら若くして死んでしまった。ポール・ゴーギャンには、ひょっとしたら、「楽園」を感じられたかもしれないが。
私は、フローラ・トリスタンの報われない戦いと虚しい死に、徹底的に打ちのめされた。まさしく「正直者は馬鹿をみる」(フランスにこのようなことわざがあるかどうかはわかりませんが)がごとき死。
マリオ・バルガス=リョサはどこまでもクールだ。ゴーギャンの南の島での生活も、フローラの犬死がごとき生涯も、クールな視線で描いている。それがゆえ、私は徹底的に打ちのめされた。ペルー生まれの(60代の)バルガス=リョサにとっては、彼自身が経験したであろう、厳しい現実を、ただ書いただけなのである。
19世紀のフランスでも、やはり女性差別はあった。それを上っ面だけ書くのではなく、個人のたたかいとして、バルガス=リョサは書ききった。まるで19世紀のフランスに転生して、フローラにのりうつったがごとく。素晴らしい。
ゴーギャンの生涯だってそうだ。ゴーギャンは本を残したが、ただそれを読んだだけ、とは思えないほど、緻密な描写である。
絶対に購入して読んで、損をすることはない。そして打ちのめされて欲しい。かつて、クラッシュのヴォーカル、ジョー・ストラマーが言ったように、「今ある自由は、これまで人々が戦って得た自由なんだ。それを知らない奴が多すぎる」と、感じて欲しい。
蛇足:嘆かわしいことに、バルガス=リョサの傑作「都会と犬ども」は品切れ状態。面白いのになあ。本書を楽しめた方にならお勧め。図書館で借りてきて読みましょう。
うたい文句の「ポール・ゴーギャンと彼の祖母のたたかい」に何の疑いもなく読んでゆきました。南の島に渡ったポール、そしてフランスで戦う祖母。
彼らは強い。たぶん、我々日本人が彼らのメンタリティに敵うかどうかすらわからないほどに強い。
本書が21世紀になってから書かれた本だと知ったときはもっと打ちのめされた。こんな素晴らしい小説が60代のバルガス=リョサが書いたなんて。
タイトルこそ「楽園への道」(原題の直訳ではありません。念のため)ですが、果たして主人公二人に「楽園」はやってくるのか、まったくわからない。それだけならまだいい。フローラ・トリスタン(ゴーギャンの祖母)は、「楽園」もくそもなく、戦いながら若くして死んでしまった。ポール・ゴーギャンには、ひょっとしたら、「楽園」を感じられたかもしれないが。
私は、フローラ・トリスタンの報われない戦いと虚しい死に、徹底的に打ちのめされた。まさしく「正直者は馬鹿をみる」(フランスにこのようなことわざがあるかどうかはわかりませんが)がごとき死。
マリオ・バルガス=リョサはどこまでもクールだ。ゴーギャンの南の島での生活も、フローラの犬死がごとき生涯も、クールな視線で描いている。それがゆえ、私は徹底的に打ちのめされた。ペルー生まれの(60代の)バルガス=リョサにとっては、彼自身が経験したであろう、厳しい現実を、ただ書いただけなのである。
19世紀のフランスでも、やはり女性差別はあった。それを上っ面だけ書くのではなく、個人のたたかいとして、バルガス=リョサは書ききった。まるで19世紀のフランスに転生して、フローラにのりうつったがごとく。素晴らしい。
ゴーギャンの生涯だってそうだ。ゴーギャンは本を残したが、ただそれを読んだだけ、とは思えないほど、緻密な描写である。
絶対に購入して読んで、損をすることはない。そして打ちのめされて欲しい。かつて、クラッシュのヴォーカル、ジョー・ストラマーが言ったように、「今ある自由は、これまで人々が戦って得た自由なんだ。それを知らない奴が多すぎる」と、感じて欲しい。
蛇足:嘆かわしいことに、バルガス=リョサの傑作「都会と犬ども」は品切れ状態。面白いのになあ。本書を楽しめた方にならお勧め。図書館で借りてきて読みましょう。
VINEメンバー
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著者のノーベル賞受賞のニュースを見て、すぐに本書を注文した。
本書は、画家であるポール・ゴーギャンとその祖母であったフローラ・トリスタンの波乱に満ちた物語が交互する形で展開される。
ゴーギャンといえば最後の楽園タヒチで描いた作品が有名で、
モームの「月と六ペンス」のモデルにもなっている。
「月と六ペンス」と比べると、ずっと人間臭く親しみやすいゴーギャンとして描かれている様に感じたが、
決して画家としての天才性や型破りなキャラクターが損なわれることはない。
ゴーギャンの代表作とされる絵画についての記述が実に的確で、
実物を見ているかのように活き活きと伝わって来るのはさすが。
最後の方で、「時々、日本にいる自分を彼は想像していた」とあり、
「おまえは月並みなポリネシアではなくて、あの国へ楽園を探しに行くべきだったのだよ」
と著者はゴーギャンに語りかけている。
もしゴーギャンが日本に滞在していたら、
どんな傑作を描いていただろうかと想像せずにはいられない。
社会主義活動家の祖母フローラの物語もとても興味深く、
ゴーギャンの物語とあまりシンクロする訳ではないが、
フローラのDNAがゴーギャンに確実に受け継がれていると感じさせる所もあって面白かった。
本書は、画家であるポール・ゴーギャンとその祖母であったフローラ・トリスタンの波乱に満ちた物語が交互する形で展開される。
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決して画家としての天才性や型破りなキャラクターが損なわれることはない。
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実物を見ているかのように活き活きと伝わって来るのはさすが。
最後の方で、「時々、日本にいる自分を彼は想像していた」とあり、
「おまえは月並みなポリネシアではなくて、あの国へ楽園を探しに行くべきだったのだよ」
と著者はゴーギャンに語りかけている。
もしゴーギャンが日本に滞在していたら、
どんな傑作を描いていただろうかと想像せずにはいられない。
社会主義活動家の祖母フローラの物語もとても興味深く、
ゴーギャンの物語とあまりシンクロする訳ではないが、
フローラのDNAがゴーギャンに確実に受け継がれていると感じさせる所もあって面白かった。