光のない「極夜」の世界を冒険家とともに体感する
極夜(きょくや)とは南極圏や北極圏で起こる太陽が昇らない現象で、三〜四ヶ月から六ヶ月間は闇に包まれる。極夜の反対は白夜だ。
探検家の角幡唯介氏は、グリーンランド北西部にある地球最北のイヌイット村、シオラパルクに拠点を置き、極夜の中、グリーンランドとカナダの国境付近を四ヶ月かけて探検した。
角幡氏を極夜へと駆り立てたのは、イヌイットの言い伝えで「お前は太陽から来たのか。月から来たのか」と、今から二百年前、初めて部族以外の人間に出会ったイヌイットが発した言葉だという。この一言が角幡氏の心の琴線に触れた。「極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか」
四十年前、私は一ヶ月ほどシオラパルクで極夜を撮影したことがある。気温はマイナス四十度にも達し、吸い込んだ空気が肺の中で凍る思いがした。不覚にも滞在三日目、アザラシ猟の途中に犬ゾリで転倒し、右目を失明しかけた苦い経験がある。
こうして私は極夜の恐ろしさを思い知ったのだが、角幡氏は何も見えない闇の世界を、二台の橇(そり)に百五十キロもの荷物を乗せ、一頭の犬とともに標高差一千メートルの氷河を登高し、強烈なブリザードに足止めを食らいながら、ツンドラや湿地帯、ときには海氷をひたすら歩き続けた。平坦と思われる海氷も、乱氷群が立ちはだかり行く手を阻まれることも少なくない。
極夜行のため一年半前から食糧を設置しておいたが、保管庫が二箇所も白熊に食い荒らされていた。旅の半ばにして「完璧に終わった。すべて終わった」と吐露する。しかし、これが極夜だ、ノンフィクションだと自らを奮い立たせる。これが角幡氏の真骨頂だ。
食糧を失い窮地に立たされた氏は目的地を諦める。犬もガリガリに痩せてきた。人を寄せつけない闇の恐怖に怖れ、怒り、落胆する日々が続く。
ようやく現れた月光の輝きに心が癒されていく。壮絶なまでに美しく、地球上の風景のレベルを超えているとあるのは、いったいどんな光景なのだろうか。角幡氏の極夜行を追体験しているような臨場感にぐいぐいと引き込まれていった。
帰路の途中、テント内に日差しが差し込んでくる。戸惑い高揚する角幡氏。四ヶ月に及ぶ壮絶な極夜行で、優しい温もりがあることさえ忘れていたと述懐する。
極夜を歩き続けあれほど待ち望んでいた四ヶ月ぶりの太陽。空も雪原もオレンジ色に染める、丸く大きな太陽を見た角幡氏の頬を涙が伝う。イヌイットたちが見ていた本物の太陽だ。
評者:中村征夫
(週刊文春 2018年3月22日号掲載)
極夜行
地球上には太陽光が何カ月も届かない「極夜」というものがあるという。著者はそのまっくら闇を約4カ月間ひとり+犬1匹で探検し、現代人が忘れつつある、闇や太陽への原初の感覚を体験しようと試みる。探検家であり、数々の文学賞を受賞したノンフィクション作家でもある著者による、渾身の探検記録だ。
生死を懸けた単独行の過酷さに圧倒されるとともに、探検の描写のひとつひとつに宿る生々しさにも魅了された。ここぞというところで用いられる「ぶーん」「すげえ……」などの単純な語彙が圧倒的なリアルさを持っているのだ。著者自身も言及しているが、表現者としていかに感覚を表現しうるか、あるいはできないのか、という強い自覚のもとで選ばれたことばの力なのだろう。迷いのない文体に、著者の強靱な精神を感じた。
評者:石原さくら
(週刊朝日 掲載)
--このテキストは、
tankobon_hardcover版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
ひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だった―。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。
--このテキストは、
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