初めは楢山節考だけ読めばいいかなと思っていました。
表題作があまりにも素晴らしくて、そのおかげで他の作品にも興味を持ち夢中になって読んでしまいました。イメージ的にもっと堅苦しい文体で疲れる読書になるだろうと予想して体力があるときにでも読もうと後回しにしていたのを後悔しました。
「楢山節考」は民話をベースに優しさとユーモアで満ち溢れ、婆さんが血まみれで笑うシーンなどは大笑いしてしまい、何度もそのページを読み返して腹がよじれるほど笑ってしまいました。火打石で歯を叩いたり無茶をする映像は思い出し笑いをしてしまうほどです。ギャグマンガみたいだと思っていると、いつしか胸を打たれてページをめくる手が止まらなくなり目頭が熱くなっていました。久しぶりにこれぞ小説といえる小説を読んだ気がします。ただの暗い話ではありません。感動もユーモアも優しさも憤りもあります。子を思う母、母を思う子、それらを疎ましく思う年代、は万国共通のテーマ、外国のかたにも読んでほしい昔の日本の雰囲気を持ついぶし銀の妙味ある作品です。まっさらな気持ちで読んでほしい作品です。
「東京のプリンスたち」もまた図抜けたおもしろさがありました。この時代にしては文壇からは嫌われそうな軽い文体ですごく好きな作品です。私はエルヴィスの曲を全く知りませんが楽しんで読めました。学生の頃に好きだったバンドなどでイメージすれば登場人物たちの気持ちがわかりやすいです。先生との睨み合いのシーンでは大笑いしました。不良にはなりきれない中途半端な男子学生の心根をえがくのが非常にうまいです。十代のころ、親や世間、異性に対して、思っていてもうまく言葉にできなかった沈黙や、苛立ち、自分をコントロールできないほどの爆発的な衝動に駆られ体が動き出す感情が、この短篇のなかに詰め込まれています。オチや筋ではなく感じるタイプの小説です。拍子抜けする終わり方もいかにもな十代っぽくてとても好きです。
「月のアペニン山」は不思議な感覚でした。読んだ直後は、なんだかいまひとつだな、と思っていましたが時間が経つにつれてふとした時に不安を覚える映像が頭を過ぎりぼうっと考えているうちにいつの間にか好きな作品になっていました。場面場面の描写が印象に残り行動や心情がおもしろかったです。
「白鳥の死」は人によっては乱暴に思える表現もありますが、それらは全て愛と優しさからくるものだとわかります。政宗白鳥のことを大事に想って丁寧に素直な気持ちで書いた作品だと伝わってきました。凄く優しくかわいらしくグッとくる話しでした。
日本文学でもかなり重要な作家だと読めばわかります。小難しいことは考えずに、おもしろい、と言えます。
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楢山節考 (新潮文庫) 文庫 – 1964/8/3
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残酷な棄老伝説を通して
人間の矜持と生と死の尊厳を極限まで問う名作。
「お姥(んば)捨てるか裏山へ裏じゃ蟹でも這って来る」
雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しい部落の掟なのだ――因習に閉ざされた棄老伝説を、近代的な小説にまで昇華させた「楢山節考」。ほかに「月のアペニン山」「東京のプリンスたち」「白鳥の死」の3編を収める。
目次
月のアペニン山
楢山節考
東京のプリンスたち
白鳥の死
解説・日沼倫太郎
本書収録「楢山節考」より
その次の夜、おりんはにぶりがちの辰平を責めたてるように励まして楢山まいりの途についたのである。宵のうちに明日みんなが食べる白萩様もといでおいたし、椎茸のことも、いわなのことも玉やんによく云っておいた。家の者達が寝静まるのを窺って裏の縁側の戸をそっとはずした。そこで辰平のしょっている背板に乗ったのである。……
深沢七郎(1914-1987)
山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年『楢山節考』で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。『東北の神武たち』『笛吹川』などを発表するが、1960年の『風流夢譚』がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、1979年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞。
人間の矜持と生と死の尊厳を極限まで問う名作。
「お姥(んば)捨てるか裏山へ裏じゃ蟹でも這って来る」
雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しい部落の掟なのだ――因習に閉ざされた棄老伝説を、近代的な小説にまで昇華させた「楢山節考」。ほかに「月のアペニン山」「東京のプリンスたち」「白鳥の死」の3編を収める。
目次
月のアペニン山
楢山節考
東京のプリンスたち
白鳥の死
解説・日沼倫太郎
本書収録「楢山節考」より
その次の夜、おりんはにぶりがちの辰平を責めたてるように励まして楢山まいりの途についたのである。宵のうちに明日みんなが食べる白萩様もといでおいたし、椎茸のことも、いわなのことも玉やんによく云っておいた。家の者達が寝静まるのを窺って裏の縁側の戸をそっとはずした。そこで辰平のしょっている背板に乗ったのである。……
深沢七郎(1914-1987)
山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年『楢山節考』で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。『東北の神武たち』『笛吹川』などを発表するが、1960年の『風流夢譚』がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、1979年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞。
- ISBN-104101136017
- ISBN-13978-4101136011
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1964/8/3
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ224ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
お姥捨てるか裏山へ、裏じゃ蟹でも這って来る。雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しい部落の掟なのだ―因習に閉ざされた棄老伝説を、近代的な小説にまで昇華させた『楢山節考』。ほかに『月のアペニン山』『東京のプリンスたち』『白鳥の死』の3編を収める。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
深沢/七郎
1914‐1987。山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年「楢山節考」で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。’60年の「風流夢譚」がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、’79年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1914‐1987。山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年「楢山節考」で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。’60年の「風流夢譚」がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、’79年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1964/8/3)
- 発売日 : 1964/8/3
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4101136017
- ISBN-13 : 978-4101136011
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 30,686位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
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著者について
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.2
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1983年に映画化された「楢山節考」ロケ地となった新潟県糸魚川市の海谷渓谷へ行ったことがあります。誰ともすれ違うことのないさみしい山の中でした。シカがいました。「神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越えて行く遠い所にある山であった」うちに92歳のおばあちゃんがいます。介護度もあがり先日から施設に入ったのですが…自分の家があるのに本人はなぜ施設に行くのかもわからないようでした。迎えが来てそのまま連れて行かれました。その時すごく罪悪感を感じました。そして「楢山節考」を思い出しました。それが読もうと思ったきっかけです。本作を読む人は何を求めて読むのでしょう?私は罪悪感が薄れることや癒しや求めて「同病相憐れむ」ではないですが辰平と気持ちを分かち合い同情し合いたかった。そして読後罪悪感は消えた?癒しはあった?「月のアペニン山」アペニン山脈は話にあまり関係ないですが…アペニン山脈はイタリアにあるんですね。一番高い山は2912メートル。夫が妻を見た時の比喩として出てきます。サスペンス風の話であり怖さもあります。「楢山節考」信州の山々の間にある村の生活が知れます。食料不足や祭りなどの風習。おりんは今年69。村では70になれば楢山まいりに行く。「倅はやさしい奴だ!」楢山へ行くことは「山の神さんにほめられる」本人にとっても家族にとっても祭りです。椎茸に乾したいわなに白米の白萩様やどぶろくを村の人に振る舞います。「うしろをふり向かず物も云わぬこと」お山へ行く作法で必ず守ること。冥界に入り死んだ妻を取り戻したかに思えたオルペウス。最後に後ろを振り向いてしまいそれが妻との最後の別れとなりました。おりんに「おっかあ、雪が降ってきたよう」と山の掟を破り大きな声を出した辰平。山から帰り着くと後妻の玉やんの姿がどこにも見えない。もしかしておりんを助けに!?そういえば「楢山節考」にはその続編のような「デンデラ」がありましたね。復讐の物語。「東京のプリンスたち」高校生の会話がおもしろい。「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」「スペシャルはいないよ」ラブしたいのではないか?エルヴィス・プレスリーにジャズ思う存分ロカビリーを聞いて「これで、死んでもいいよ」と思った嫌なことや不愉快なことは耐え忍んでいる必要はないのだ松本隆の小説「微熱少年」を思い出しました。「白鳥の死」白鳥は渡り鳥の白鳥ではなく正宗白鳥のことです。賢い者も阿呆の者も美しい者も醜い者もどんなに地位や権力があっても死ねば誰でも同じ物。死骸はもうなにもいらない。解説は日沼倫太郎第一回「中央公論新人賞」の当選作として1956年11月号の同誌に発表された楢山節考は当時選者だった伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫に少なからぬショックを与えた。正宗白鳥は「人生永遠の書の一つ」といいきった。とあります。
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2019年7月19日に日本でレビュー済み
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14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年1月12日に日本でレビュー済み
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有名な姨捨山の話。私自身、読む前は老人たちを騙したり無理やりに山に捨てに行くと勘違いしていましたが、主人公は家族の食い扶持を減らすために自ら率先して山に向かう覚悟を持った人物です。作中には予想通り死ぬのが怖くなって山からおりてくる人や無理やり山に捨てられる描写もあります。驚くような風習と家族愛の美しさだけでも本作品は純粋に楽しめます。
加えて本作品の凄さは、現代日本や今後の世界の問題へ通じる普遍的テーマが根底に流れていることです。医療現場での治療法や延命技術の進歩によって引き起こされる高齢社会が若い世代に医療費、年金、少子化という莫大な負債を残していくサイクル、および人口爆発や環境破壊によって地球の資源を搾取し続け、お互いに戦争を起こして残される世代を顧みない人類の罪深い性...
豊かさが増す一方で、人間は動物として進化しているのであろうか?人として気高く生き美しく死ぬことを教えてくれる、後世に語り継がれるべき名著と思います。
加えて本作品の凄さは、現代日本や今後の世界の問題へ通じる普遍的テーマが根底に流れていることです。医療現場での治療法や延命技術の進歩によって引き起こされる高齢社会が若い世代に医療費、年金、少子化という莫大な負債を残していくサイクル、および人口爆発や環境破壊によって地球の資源を搾取し続け、お互いに戦争を起こして残される世代を顧みない人類の罪深い性...
豊かさが増す一方で、人間は動物として進化しているのであろうか?人として気高く生き美しく死ぬことを教えてくれる、後世に語り継がれるべき名著と思います。
2018年11月17日に日本でレビュー済み
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三島由紀夫氏をして「戦慄たる思ひ」(『小説とは何か』)を惹起せしめた本作を、私も是非読んでみたいと思って購入した。そこには、簡素な文体で以て、しかし乍ら実に生々しく、驚くべき一つの「世界」が開示されていた。即ち、人間の営為の一切が「食糧」で測られるという、その世界である。通常尊いとされる「生命の誕生」から「死」に至るまでの「生の経過」という人生という歴程そのものが、如何に「食糧」を消費するかという観点からのみ見て取られる。生を持続させ、人の心性を豊かにする「食」という人間性に密着した文化が崩壊し、「食糧のための生」が立ち現れてくる。村の文化行為――唄、祭祀、信仰――は、すべて「食糧」に結びつき、村の価値観は「村を食糧の面に於いて如何に困らせないこと」に集約される。楢山の神が誉めてくれるのも、常に「食糧」の欠乏に困っている村に、その身を捨てることで食糧を浮かすという点に於いてである。生命を肯定し、奮い立たせるものとしての文化が、全面的に否定される。それは詰まり、人間存在の無意味性、人世の煩雑な秩序、取り決め、経済行為と言ったような、目下多くの人間が頽落し、その中に価値を見いだすところの「文明」の無根拠性の暴露である。
おりんの「山への意志」は若しかすると、彼岸を求めて現世を否定する宗教的姿勢や、生への潔さという自害の精神にも似ているように見えるであろう。そういったものは、たとえどんなに死を眼差しの内に把捉していようとも、矢張り「生命への憧憬、肯定」なのである。そうした精神は死の淵の瀬戸際まで迫ることで、なお一層生を輝かす。そこにはデュオニュソス的な陶酔もあろうし、反対に静謐に包まれた安寧もあろう。併しおりんの「山への意志」はそれとはまったく異なる。それはもう死しか目指してはいない。より正確に言えば、死に肉薄して生を輝かすという宗教・文化の有するあの特質とは全く異なる、現事実的な死への歩みなのである。其処には「彼岸への志向」は感じられない。飢えと死は極めて日常的なものとなり、死への先駆が生み出す力の迸りはなく、死は閑散な村に野ざらしにされている。その死に向かって歩みだすことは、決意でも何でもない。「生をよりよくするための死の直視」は存在せず、微かに「死への身支度」として「文化」がある。勿論、「食糧」という極めて現実的な要素を纏わりつかせ乍ら。おりんが或いは若しかしたら抱いているかもしれない、村に対する貢献という「善行」に神仏が報いてくださるという信仰も、一切明かされはしない。簡潔に描写される登場人物らの心理は、どこまでも「此岸的」な、オンティッシュなものである。併しだからこそ、オントロギッシュで不安を煽るような現実の不気味さがほのかに現れてくる。
『楢山節考』は、作中の烏のように、読み手が安らっているところの存在的な世界の懐に潜り込み、内側から食い破ってくる。読み手が気が付く頃には、自分の「腹」から蠢く黒い影が不気味に顔を覗かせているという寸法なのである。この作品は所謂「人間真理」や、人間が一度は「考えるべきこと」などを表しているのではない。これはそういった「人間の真実相」を遥かに飛び越え、前述したような「存在的な暈かし」を容赦なく啄んでくる。『楢山節考』は正しくオントロギッシュな、一つの「不安」である。
おりんの「山への意志」は若しかすると、彼岸を求めて現世を否定する宗教的姿勢や、生への潔さという自害の精神にも似ているように見えるであろう。そういったものは、たとえどんなに死を眼差しの内に把捉していようとも、矢張り「生命への憧憬、肯定」なのである。そうした精神は死の淵の瀬戸際まで迫ることで、なお一層生を輝かす。そこにはデュオニュソス的な陶酔もあろうし、反対に静謐に包まれた安寧もあろう。併しおりんの「山への意志」はそれとはまったく異なる。それはもう死しか目指してはいない。より正確に言えば、死に肉薄して生を輝かすという宗教・文化の有するあの特質とは全く異なる、現事実的な死への歩みなのである。其処には「彼岸への志向」は感じられない。飢えと死は極めて日常的なものとなり、死への先駆が生み出す力の迸りはなく、死は閑散な村に野ざらしにされている。その死に向かって歩みだすことは、決意でも何でもない。「生をよりよくするための死の直視」は存在せず、微かに「死への身支度」として「文化」がある。勿論、「食糧」という極めて現実的な要素を纏わりつかせ乍ら。おりんが或いは若しかしたら抱いているかもしれない、村に対する貢献という「善行」に神仏が報いてくださるという信仰も、一切明かされはしない。簡潔に描写される登場人物らの心理は、どこまでも「此岸的」な、オンティッシュなものである。併しだからこそ、オントロギッシュで不安を煽るような現実の不気味さがほのかに現れてくる。
『楢山節考』は、作中の烏のように、読み手が安らっているところの存在的な世界の懐に潜り込み、内側から食い破ってくる。読み手が気が付く頃には、自分の「腹」から蠢く黒い影が不気味に顔を覗かせているという寸法なのである。この作品は所謂「人間真理」や、人間が一度は「考えるべきこと」などを表しているのではない。これはそういった「人間の真実相」を遥かに飛び越え、前述したような「存在的な暈かし」を容赦なく啄んでくる。『楢山節考』は正しくオントロギッシュな、一つの「不安」である。
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1983年に映画化された「楢山節考」
ロケ地となった新潟県糸魚川市の海谷渓谷へ行ったことがあります。
誰ともすれ違うことのないさみしい山の中でした。シカがいました。
「神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越えて行く遠い所にある山であった」
うちに92歳のおばあちゃんがいます。
介護度もあがり
先日から施設に入ったのですが…
自分の家があるのに本人はなぜ施設に行くのかもわからないようでした。
迎えが来てそのまま連れて行かれました。
その時すごく罪悪感を感じました。
そして「楢山節考」を思い出しました。
それが読もうと思ったきっかけです。
本作を読む人は何を求めて読むのでしょう?
私は罪悪感が薄れることや癒しや求めて
「同病相憐れむ」ではないですが辰平と気持ちを分かち合い同情し合いたかった。
そして読後
罪悪感は消えた?癒しはあった?
「月のアペニン山」
アペニン山脈は話にあまり関係ないですが…
アペニン山脈はイタリアにあるんですね。
一番高い山は2912メートル。
夫が妻を見た時の比喩として出てきます。
サスペンス風の話であり怖さもあります。
「楢山節考」
信州の山々の間にある村の生活が知れます。
食料不足や祭りなどの風習。
おりんは今年69。村では70になれば楢山まいりに行く。「倅はやさしい奴だ!」
楢山へ行くことは「山の神さんにほめられる」本人にとっても家族にとっても祭りです。
椎茸に乾したいわなに白米の白萩様やどぶろくを村の人に振る舞います。
「うしろをふり向かず物も云わぬこと」
お山へ行く作法で必ず守ること。
冥界に入り死んだ妻を取り戻したかに思えたオルペウス。最後に後ろを振り向いてしまいそれが妻との最後の別れとなりました。
おりんに「おっかあ、雪が降ってきたよう」と山の掟を破り大きな声を出した辰平。
山から帰り着くと後妻の玉やんの姿がどこにも見えない。もしかしておりんを助けに!?
そういえば「楢山節考」にはその続編のような
「デンデラ」がありましたね。復讐の物語。
「東京のプリンスたち」
高校生の会話がおもしろい。
「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」
「スペシャルはいないよ」
ラブしたいのではないか?
エルヴィス・プレスリーにジャズ
思う存分ロカビリーを聞いて
「これで、死んでもいいよ」と思った
嫌なことや不愉快なことは耐え忍んでいる必要はないのだ
松本隆の小説「微熱少年」を思い出しました。
「白鳥の死」
白鳥は渡り鳥の白鳥ではなく正宗白鳥のことです。
賢い者も阿呆の者も美しい者も醜い者もどんなに地位や権力があっても死ねば誰でも同じ物。
死骸はもうなにもいらない。
解説は日沼倫太郎
第一回「中央公論新人賞」の当選作として
1956年11月号の同誌に発表された楢山節考は当時選者だった伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫に少なからぬショックを与えた。
正宗白鳥は「人生永遠の書の一つ」といいきった。とあります。
ロケ地となった新潟県糸魚川市の海谷渓谷へ行ったことがあります。
誰ともすれ違うことのないさみしい山の中でした。シカがいました。
「神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越えて行く遠い所にある山であった」
うちに92歳のおばあちゃんがいます。
介護度もあがり
先日から施設に入ったのですが…
自分の家があるのに本人はなぜ施設に行くのかもわからないようでした。
迎えが来てそのまま連れて行かれました。
その時すごく罪悪感を感じました。
そして「楢山節考」を思い出しました。
それが読もうと思ったきっかけです。
本作を読む人は何を求めて読むのでしょう?
私は罪悪感が薄れることや癒しや求めて
「同病相憐れむ」ではないですが辰平と気持ちを分かち合い同情し合いたかった。
そして読後
罪悪感は消えた?癒しはあった?
「月のアペニン山」
アペニン山脈は話にあまり関係ないですが…
アペニン山脈はイタリアにあるんですね。
一番高い山は2912メートル。
夫が妻を見た時の比喩として出てきます。
サスペンス風の話であり怖さもあります。
「楢山節考」
信州の山々の間にある村の生活が知れます。
食料不足や祭りなどの風習。
おりんは今年69。村では70になれば楢山まいりに行く。「倅はやさしい奴だ!」
楢山へ行くことは「山の神さんにほめられる」本人にとっても家族にとっても祭りです。
椎茸に乾したいわなに白米の白萩様やどぶろくを村の人に振る舞います。
「うしろをふり向かず物も云わぬこと」
お山へ行く作法で必ず守ること。
冥界に入り死んだ妻を取り戻したかに思えたオルペウス。最後に後ろを振り向いてしまいそれが妻との最後の別れとなりました。
おりんに「おっかあ、雪が降ってきたよう」と山の掟を破り大きな声を出した辰平。
山から帰り着くと後妻の玉やんの姿がどこにも見えない。もしかしておりんを助けに!?
そういえば「楢山節考」にはその続編のような
「デンデラ」がありましたね。復讐の物語。
「東京のプリンスたち」
高校生の会話がおもしろい。
「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」
「スペシャルはいないよ」
ラブしたいのではないか?
エルヴィス・プレスリーにジャズ
思う存分ロカビリーを聞いて
「これで、死んでもいいよ」と思った
嫌なことや不愉快なことは耐え忍んでいる必要はないのだ
松本隆の小説「微熱少年」を思い出しました。
「白鳥の死」
白鳥は渡り鳥の白鳥ではなく正宗白鳥のことです。
賢い者も阿呆の者も美しい者も醜い者もどんなに地位や権力があっても死ねば誰でも同じ物。
死骸はもうなにもいらない。
解説は日沼倫太郎
第一回「中央公論新人賞」の当選作として
1956年11月号の同誌に発表された楢山節考は当時選者だった伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫に少なからぬショックを与えた。
正宗白鳥は「人生永遠の書の一つ」といいきった。とあります。
1983年に映画化された「楢山節考」
ロケ地となった新潟県糸魚川市の海谷渓谷へ行ったことがあります。
誰ともすれ違うことのないさみしい山の中でした。シカがいました。
「神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越えて行く遠い所にある山であった」
うちに92歳のおばあちゃんがいます。
介護度もあがり
先日から施設に入ったのですが…
自分の家があるのに本人はなぜ施設に行くのかもわからないようでした。
迎えが来てそのまま連れて行かれました。
その時すごく罪悪感を感じました。
そして「楢山節考」を思い出しました。
それが読もうと思ったきっかけです。
本作を読む人は何を求めて読むのでしょう?
私は罪悪感が薄れることや癒しや求めて
「同病相憐れむ」ではないですが辰平と気持ちを分かち合い同情し合いたかった。
そして読後
罪悪感は消えた?癒しはあった?
「月のアペニン山」
アペニン山脈は話にあまり関係ないですが…
アペニン山脈はイタリアにあるんですね。
一番高い山は2912メートル。
夫が妻を見た時の比喩として出てきます。
サスペンス風の話であり怖さもあります。
「楢山節考」
信州の山々の間にある村の生活が知れます。
食料不足や祭りなどの風習。
おりんは今年69。村では70になれば楢山まいりに行く。「倅はやさしい奴だ!」
楢山へ行くことは「山の神さんにほめられる」本人にとっても家族にとっても祭りです。
椎茸に乾したいわなに白米の白萩様やどぶろくを村の人に振る舞います。
「うしろをふり向かず物も云わぬこと」
お山へ行く作法で必ず守ること。
冥界に入り死んだ妻を取り戻したかに思えたオルペウス。最後に後ろを振り向いてしまいそれが妻との最後の別れとなりました。
おりんに「おっかあ、雪が降ってきたよう」と山の掟を破り大きな声を出した辰平。
山から帰り着くと後妻の玉やんの姿がどこにも見えない。もしかしておりんを助けに!?
そういえば「楢山節考」にはその続編のような
「デンデラ」がありましたね。復讐の物語。
「東京のプリンスたち」
高校生の会話がおもしろい。
「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」
「スペシャルはいないよ」
ラブしたいのではないか?
エルヴィス・プレスリーにジャズ
思う存分ロカビリーを聞いて
「これで、死んでもいいよ」と思った
嫌なことや不愉快なことは耐え忍んでいる必要はないのだ
松本隆の小説「微熱少年」を思い出しました。
「白鳥の死」
白鳥は渡り鳥の白鳥ではなく正宗白鳥のことです。
賢い者も阿呆の者も美しい者も醜い者もどんなに地位や権力があっても死ねば誰でも同じ物。
死骸はもうなにもいらない。
解説は日沼倫太郎
第一回「中央公論新人賞」の当選作として
1956年11月号の同誌に発表された楢山節考は当時選者だった伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫に少なからぬショックを与えた。
正宗白鳥は「人生永遠の書の一つ」といいきった。とあります。
ロケ地となった新潟県糸魚川市の海谷渓谷へ行ったことがあります。
誰ともすれ違うことのないさみしい山の中でした。シカがいました。
「神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越えて行く遠い所にある山であった」
うちに92歳のおばあちゃんがいます。
介護度もあがり
先日から施設に入ったのですが…
自分の家があるのに本人はなぜ施設に行くのかもわからないようでした。
迎えが来てそのまま連れて行かれました。
その時すごく罪悪感を感じました。
そして「楢山節考」を思い出しました。
それが読もうと思ったきっかけです。
本作を読む人は何を求めて読むのでしょう?
私は罪悪感が薄れることや癒しや求めて
「同病相憐れむ」ではないですが辰平と気持ちを分かち合い同情し合いたかった。
そして読後
罪悪感は消えた?癒しはあった?
「月のアペニン山」
アペニン山脈は話にあまり関係ないですが…
アペニン山脈はイタリアにあるんですね。
一番高い山は2912メートル。
夫が妻を見た時の比喩として出てきます。
サスペンス風の話であり怖さもあります。
「楢山節考」
信州の山々の間にある村の生活が知れます。
食料不足や祭りなどの風習。
おりんは今年69。村では70になれば楢山まいりに行く。「倅はやさしい奴だ!」
楢山へ行くことは「山の神さんにほめられる」本人にとっても家族にとっても祭りです。
椎茸に乾したいわなに白米の白萩様やどぶろくを村の人に振る舞います。
「うしろをふり向かず物も云わぬこと」
お山へ行く作法で必ず守ること。
冥界に入り死んだ妻を取り戻したかに思えたオルペウス。最後に後ろを振り向いてしまいそれが妻との最後の別れとなりました。
おりんに「おっかあ、雪が降ってきたよう」と山の掟を破り大きな声を出した辰平。
山から帰り着くと後妻の玉やんの姿がどこにも見えない。もしかしておりんを助けに!?
そういえば「楢山節考」にはその続編のような
「デンデラ」がありましたね。復讐の物語。
「東京のプリンスたち」
高校生の会話がおもしろい。
「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」
「スペシャルはいないよ」
ラブしたいのではないか?
エルヴィス・プレスリーにジャズ
思う存分ロカビリーを聞いて
「これで、死んでもいいよ」と思った
嫌なことや不愉快なことは耐え忍んでいる必要はないのだ
松本隆の小説「微熱少年」を思い出しました。
「白鳥の死」
白鳥は渡り鳥の白鳥ではなく正宗白鳥のことです。
賢い者も阿呆の者も美しい者も醜い者もどんなに地位や権力があっても死ねば誰でも同じ物。
死骸はもうなにもいらない。
解説は日沼倫太郎
第一回「中央公論新人賞」の当選作として
1956年11月号の同誌に発表された楢山節考は当時選者だった伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫に少なからぬショックを与えた。
正宗白鳥は「人生永遠の書の一つ」といいきった。とあります。
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