つい、アメリカは歴史が浅いと思いがちですが、「あとがき」にもあるように合衆国憲法制定からは230年たっており、日本国憲法よりも3倍もの歳月にわたり《連邦と国家を運営し、初代から第45第まで44人の大統領を、憲法二条にもとづいて途切れることなく選び続けてきたこの国は、もはや決して若い国でも、歴史の浅い国でもない》といえるかもしれません。
独立戦争に向かう流れはだいたいこんなもんかな、という感じですが、考えてみれば《寄せ集めの13邦が、当時最強のイギリス軍に果敢に挑んだ戦い》だったという視点は忘れてはならないな、と。イギリスはドイツからも傭兵部隊を送り込んだわけですし、よく勝ったな、と(p.123)。また、最初13州は13の独立した国(邦)という意味のSTATEだった、という視点も大切だな、と思いました。
だから、独立戦争終結後の13州の連合会議に認められた目的は規約改正とされていたんですが、いったん集まると秘密会議にして、一気に憲法制定へ(p.155)という流れは日本の幕末を思い出しました。州(邦)の独立という志向の強い人々にとって、憲法を制定してアメリカ合衆国をつくる話しを秘密会議でやられたというのは、倒幕が終わったらいつのまにか攘夷がなくなったことに驚く尊皇派志士たちの姿を思い出しましたが、いつの時代にも先が見えるのは少数だから仕方ないのかな、と。
初代のワシントン、二代目のアダムズに続き、三代目の大統領となったジェファソンは1782年に妻をなくし再婚することはなかったが、妻が連れてきた混血の黒人奴隷サリー・ヘミングス(写真)と深い仲にあったといわれます。サリーは妻の父ジョン・ウェイルズを同じ父とする異母姉妹で3/4白人。つまり、ジェファソンは亡き妻の面影をサリーにみていたわけです。奴隷制度では、所有する黒人女性との関係は「慣行」とされていました。生まれた子どもは原則奴隷なので、財産も増える仕組みというのはおぞましいかぎりです。
1808年に奴隷貿易が禁止されたのは、ハイチ革命の影響もあるが、黒人奴隷の自然増で米国国内での調達・維持が可能となっていたからだとされています(p.204-)。サリーは6人の子を産み、4人が成人。その中の3人は見かけ上、白人として通り、「ワン・ドロップ・ルール」にもかかわらず白人として生きたそうです(パッシングと呼ばれる)。ちにみに、ハイチを革命で失ったナポレオンは、ルイジアナを維持するよりも戦費調達のため、最初はニューオリンズの購入をもちかけたジェファソンに対し、逆に全体の売却を逆提案したそうです(p.197)。
ジェファソンの子孫たちは1990年代になってDNA鑑定を求めましたが、彼ら全員は弟を含むジェファソン一家の子孫である可能性が高いものの、全容解明は難しいとのことです。しかし、逆にジェファソンとサリーの関係を否定することも難しい、としています(p.204-)。にしても、弟もですか…。ワシントンから五代目のモンローまで、二代目のアダムズを除く4名は南部ヴァージニア出身だったというのは重要かな、と(p.208)。かれらは皆、奴隷制の大プランテーションの経営者であり、そうした所業も無理はないかもしれません。
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