1966年の同じ日に生まれた女性、ふたりの人生の選択を描く
一九六七年生まれの私が二十七歳で嫁に行くときに、明治生まれの祖母が遠方からはるばるやってきて、ほにゃりとした京都弁で嫁の心得を説いた。「毎朝、夫のために化粧をしなさい」、「結婚は忍耐。なにごともガマン」など、どれも「女性は男性をたてるべし」だった。
そんな時代だった。
総合職につく女性が出始めたものの、結婚が決まると周囲が仕事は続けるのかと訊き、二十五歳を過ぎると賞味期限切れのクリスマスケーキと揶揄された。景気はよかったが、女性にとってはまだ選択肢が少ない、息苦しい時代でもあった。
「森へ行きましょう」は、一九六六年生まれのふたりの女性が主人公。「留津」と「ルツ」という。
留津とルツの世界は、同じ時間のなかの異次元に存在するパラレルワールドだ。
同じ日に生まれ、団地住まいの父母の名前も一緒。巡りあう男性や友人も重なる。しかし彼らはだまし絵のように微妙にディテールを変えながら、それぞれの世界に関わってくる。
同じ他者が少しずつリンクする仕掛けにより、留津とルツそれぞれの結婚、恋愛、仕事など、人生における岐路の選択が、より濃く浮き上がってくる。
ほんのわずかにずれているだけで、人生はおおいに変化する。
誰もが思うことだろう。
「あのとき違う道を歩んでいれば、まったく別の人生をおくっていたかも」と。
留津とルツの人生は、世間一般の女性たちと同じく、悦びや受難に満ちている。
私なんぞは、「モヤモヤするけど、まぁいいか」の日々だが、人生を思索するふたりの言葉は、じつに明快だ。自己分析というよりは神々しく、智恵に近いかもしれない。
その言葉たちに急所をつかれたり、胸をえぐられたり、救われたりしながら、引き寄せられていく。まるで暗い森のなかに光をおびて浮かぶ道しるべのように感じる。
留津とルツは、いかなる切ない状況に陥ったとしても、深い森に迷い込んでいるような閉塞感はない。
それはふたりの誕生から五十歳を越えるまでの人生が、一歳ずつ年を重ねながら、交互に描かれているからだろう。
私たちは、どんなに悲しい出来事に突き当たり、絶望したとしても、命あるかぎり次の誕生日に向かって歩いていく、じつにたくましい生き物なのだ。しみじみ自覚した。
多くの人が共有し、愛おしく思うであろう留津とルツの世界は、私のパラレルワールドでもある。
評者:松井 雪子
(週刊文春 2017.11.30 号掲載)
1966年ひのえうまの同じ日に生まれた留津とルツ。「いつかは通る道」を見失った世代の女性たちのゆくてには無数の岐路があり、選択がなされる。選ぶ。判断する。突き進む。後悔する。また選ぶ。進学、就職、仕事か結婚か、子供を生むか…そのとき、選んだ道のすぐそばを歩いているのは、誰なのか。少女から50歳を迎えるまでの恋愛と結婚が、ふたりの人生にもたらしたものとは、はたして―日経新聞夕刊連載、待望の単行本化。
著者について
川上 弘美
作家
1958年東京都生れ。96年「蛇を踏む」で芥川賞。2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞。15年『水声』で読売文学賞。ほかの作品に『神様』『龍宮』『ニシノユキヒコの恋と冒険』『古道具 中野商店』『どこから行っても遠い町』『七夜物語』『大きな鳥にさらわれないよう』『ぼくの死体をよろしくたのむ』など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
川上/弘美
1958年、東京生まれ。1996年「蛇を踏む」で芥川賞。2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。2007年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞。2015年『水声』で読売文学賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)