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棋士の一分 将棋界が変わるには (角川新書) Kindle版
スマホ不正疑惑をなぜ未然に防ぐことができなかったのか。将棋ソフト、プロなき運営、見て見ぬふりをしてきた将棋ムラ…「憧れの職業どころか食えない職業になる日も近い」という将棋界の実情を現役棋士が明かす。
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2016/12/10
- ファイルサイズ1002 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
スマホ不正疑惑をなぜ未然に防ぐことができなかったのか。将棋ソフト、プロなき運営、見て見ぬふりをしてきた将棋ムラ…「憧れの職業どころか食えない職業になる日も近い」という将棋界の実情を現役棋士が明かす。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
著者について
●橋本 崇載:将棋棋士。1983年石川県小松市生まれ。故・剱持松二九段門下。1994年に奨励会入会。2000年に四段昇格。2011年度の順位戦でA級昇級、八段昇格を決め、一流棋士の仲間入りを果たす。2009年より将棋が指せる酒場「SHOGI-BAR」を経営。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
橋本/崇載
将棋棋士。1983年石川県小松市生まれ。故・剱持松二九段門下。1994年奨励会入会。2001年に四段昇段。2011年度の順位戦でA級昇級、八段昇段を決め、一流棋士の仲間入りを果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
将棋棋士。1983年石川県小松市生まれ。故・剱持松二九段門下。1994年奨励会入会。2001年に四段昇段。2011年度の順位戦でA級昇級、八段昇段を決め、一流棋士の仲間入りを果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B01MTY9HQR
- 出版社 : KADOKAWA (2016/12/10)
- 発売日 : 2016/12/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1002 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 94ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 312,583位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 1,686位角川新書
- - 5,571位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 75,167位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2021年3月29日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
内部告発本みたいな感じだか、結局筆者が何を言いたいのかがわからない。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2016年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さらっと一読してみると筋の通った主張をしているようにも感じられるが、実際には個人的な愚痴をライターがそれなりの文章に仕上げただけのものであるため、主張の内容に一貫性がない。
今の新聞社の好意に寄りかかった将棋界に未来がなく、将棋連盟の未来を真剣に考えなければならないという問題意識はそのとおりであろう。
しかし、だからこそ米長会長は今後ますます発展してゆくであろうコンピュータとの付き合い方を模索し、それをビジネスとして成功させたのだし、将棋連盟は近年、将棋ウォーズやスマホによる棋譜中継にも力をいれ将棋ファンからの直接的な収入源を得ることにも成功している。
橋本氏はコンピュータとの関わりが将棋界をダメにした、というような旨を書いているが、実際には、新聞がインターネットの台等でスポンサーとしてあり続けるのが厳しくなっただけの話であり、むしろ近年の将棋連盟は商売上手であるように見受けられる。
スマホ不正事件についても、橋本氏の発言の一貫性の欠如についてはここで述べるまでもないが、案の定、本の中でも「そもそも私が断定できることではない」との弁明しかされておらず、苦笑するしかなかった。
コンピュータが発展する一方、公正な対局ルールの整備が遅すぎるという内容は同意であるが、もうあらゆる場所で指摘されていることなのでこの本の新規性という意味ではない。
とはいえ、1人の棋士として、「俺はコンピュータ将棋が嫌いだし、今の電王戦とかがもてはやされる風潮はムカつく」との意見を持つことは自由だし、それを公衆の前で発言している気概は買ってもいいかなと思ったので星2つ。
今の新聞社の好意に寄りかかった将棋界に未来がなく、将棋連盟の未来を真剣に考えなければならないという問題意識はそのとおりであろう。
しかし、だからこそ米長会長は今後ますます発展してゆくであろうコンピュータとの付き合い方を模索し、それをビジネスとして成功させたのだし、将棋連盟は近年、将棋ウォーズやスマホによる棋譜中継にも力をいれ将棋ファンからの直接的な収入源を得ることにも成功している。
橋本氏はコンピュータとの関わりが将棋界をダメにした、というような旨を書いているが、実際には、新聞がインターネットの台等でスポンサーとしてあり続けるのが厳しくなっただけの話であり、むしろ近年の将棋連盟は商売上手であるように見受けられる。
スマホ不正事件についても、橋本氏の発言の一貫性の欠如についてはここで述べるまでもないが、案の定、本の中でも「そもそも私が断定できることではない」との弁明しかされておらず、苦笑するしかなかった。
コンピュータが発展する一方、公正な対局ルールの整備が遅すぎるという内容は同意であるが、もうあらゆる場所で指摘されていることなのでこの本の新規性という意味ではない。
とはいえ、1人の棋士として、「俺はコンピュータ将棋が嫌いだし、今の電王戦とかがもてはやされる風潮はムカつく」との意見を持つことは自由だし、それを公衆の前で発言している気概は買ってもいいかなと思ったので星2つ。
2016年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
基本的に「コンピュータ将棋とプロ棋士の対戦など許可しないほうが良かった。そんなこと始めたために何もかもおかしくなり、将棋界もダメになった。」みたいな論調なので、期待したようなコンピュータ将棋と将棋界のかかわり方についての深い洞察や含蓄などはまるでない浅薄な内容で、全然期待したほど面白くなかったです。
ご本人が「私が示しておきたいのは”正論”である。」と書かれている通り、「私が述べているのが正論です」という論調なので、私の感じていることがただしく、当たり前で、それ以外の意見を持っている人たちは邪論で普通じゃない感覚の人たち、やましい人たち、といった調子のなので、米長氏、谷川氏のようにご自身と異なる意見や立場の方たちの考えや立場についての深い理解や咀嚼もまるでなく、論評も平面的、一面的、一方的で深みや含蓄にかける印象です。
例えば前半で「コンピュータ将棋はカネのために始まった」といった調子でコンピュータ将棋やその理解者がなにか「カネのために汚いこと」でもしているかのような調子で非難しているのですが、書の後半では、将棋界はファンにどうやってお金を使ってもらうか考える必要がある、といったような主張をしており、まったく論理的に整合性がないと思います。
どのような競技でも誰かしらからお金を払ってもらわないとプロの世界が成立しないのは当たり前のことで、それを自分が良く思わないコンピュータ将棋に好意的な人たちがすれば汚いことのように非難し、自らの主張については当然必要な「善行」のように主張してその矛盾にすら全く無自覚のようで、あきらかに公平性や異なる立場の方々への深い理解・考察を欠く、一方的かつ浅薄な非難だと思います。
医療、法律、金融、翻訳やニュース記事の作成といったようなことまで、あらゆる知的専門職業で今後、人との代替が進むということも含めて AI の存在感が大きくなって行くことは間違いないことで、さまざまな分野の専門家が、自らの仕事が AI に代替されてしまうかもしれないという可能性や危機感も含め、今後 AI とどのように付き合い、AI をどう活用して行くか、ということを真剣に考えているとおもいます。
そうした状況で、一番将来に希望や展望のない対応姿勢が、この著者のように「AI なんかに我々の専門の仕事をさせるから我々の立場が危うくなるので、AI にそんなことはさせないようにすればよい」という姿勢のように思います。
例えば、我々の立場が危うくなるから AI にトレードなんかさせるなとか、AI が法律文書を調査するのを禁止しろとか、AI 翻訳を禁止しろみたいなことを言っていも、それで技術の進展が止まって従来の「専門家」の仕事が守られるようになるといかいうことはまったくありえないことで、そんなことをいくら言っていてもまったくどうしようもないわけで、それは将棋も同じだと思います。
著者が非難している「将棋界がいかに AI と協調してゆけるかを考える」という谷川氏の姿勢などのほうが、よほど視野が広く、将来に希望や展望を持てる考え方であると思います。
もし著者と同様の意見を持つ棋士が将来将棋界で多数派になれば、ほんとにもう現在あるプロ将棋界は著者の懸念する通りのまったく将来に希望の持てない、時代からもスポンサーからも一般ファンからも見放された、テクノロジーから背を向けた人たちの特殊なムラとしてすたれて行くしかないように思います。
ネットの普及でいろいろな人とプレーしやすくなったり、AI とプロ棋士との対戦のことも世間の注目を集めていますし、技術の進展をチャンスととらえる発想も十分可能のように思えるのですが、著者はただコンピュータとの協力は「邪道(正論、正道じゃない)」というような調子で切り捨てたり、ネット将棋についても「協会の対応が悪いのでチャンスを活かせない」等々「人の責任」を述べ立てるばかりという印象です。
著者自身は「ものを恐れずいうべきことをいう若き改革者」という感じに思われているのかと想像しますが、ご主張の内容は、「テクノロジーなんか関係ない昔のままがよかった。AI なんかと関わり始めたためにすべておかしくなった。」という調子のムラの長老みたいな「ウルトラ保守主義」という感じに思えます。
歴史上大きな技術革新が起きた時には必ずこのような「昔のままだったら何もかもよかった。変な技術を持ち込んで何もかもおかしくなった。」というような主張をする人が必ず現れるのは歴史の必然のようですので(いわゆる「ラッダイト運動」)、それはそれで仕方がないことかとは思います。
ご本人はもうプロ将棋界の将来に限界を感じており、違う世界へ転出することも視野に入れられているとのことですが、その要因は著者の言うように「協会がだめだから」とか「みんなが”正しいこと”を主張しないから」とか「羽生世代が何も発言しないから」「AI のやつらがカネにつられて汚いことをやってるから(笑)」とかではなく、ただ単にご本人がテクノロジーの発展した状況でどうやって棋士として職業を成立させて行けるかという算段や展望を立てることができるかどうか、というだけのことのように思えます。
著者のような考えの棋士がどれだけプロ将棋の将来を悲観しているか、離脱を含め将来的な展望に絶望しているか、ということをはっきり知ることができた点では、読んだ価値があったと思います。
また、有限のゲームである将棋の可能性がすでにかなりの程度掘りつくされてしまっている、このままだとどれだけ正解手順を覚えられるかの暗記ゲームになってしまう、という危機感が述べられており、その点は私自身もあまり将棋に興味を持てなくなった理由でもあるので、プロ棋士でもやはりそのような感想や危機感があるのか、という点はとても参考になりました。
ただ、だからといって AI を事前の研究に使うことすら邪道視し、プロとの対局から排除したところで、それでプロ棋士のムラが昔のような繁栄を取り戻す、ということは全くありえないことに思えますが。
著者は繰り返しプロ棋士の世界を、「慣れあいのムラ」という感じで非難していますが、著者の主張がだれよりも「プロ棋士のムラ」の時代が良かったという「ウルトラ保守主義」「ラッダイト主義」的主張であるように思います。
願わくば、著者のような「ウルトラ保守主義、懐古主義、ラッダイト主義」的な主張がプロ棋士間で多声となってプロ棋士の組織全体が沈没・マイナー化・滅亡の方向へ舵を切ってしまうことなく、AI やネットなど新しいテクノロジーと調和しながら将来に希望や展望を持って発展して行く方向へ進まれることを期待しています。
個人的には今は将棋よりもどちらかというと囲碁の愛好家なので、プロ囲碁棋士の方々にはもう少し発展的な方向で上手にテクノロジーの発展に対処していただけると嬉しいと思いました。
ご本人が「私が示しておきたいのは”正論”である。」と書かれている通り、「私が述べているのが正論です」という論調なので、私の感じていることがただしく、当たり前で、それ以外の意見を持っている人たちは邪論で普通じゃない感覚の人たち、やましい人たち、といった調子のなので、米長氏、谷川氏のようにご自身と異なる意見や立場の方たちの考えや立場についての深い理解や咀嚼もまるでなく、論評も平面的、一面的、一方的で深みや含蓄にかける印象です。
例えば前半で「コンピュータ将棋はカネのために始まった」といった調子でコンピュータ将棋やその理解者がなにか「カネのために汚いこと」でもしているかのような調子で非難しているのですが、書の後半では、将棋界はファンにどうやってお金を使ってもらうか考える必要がある、といったような主張をしており、まったく論理的に整合性がないと思います。
どのような競技でも誰かしらからお金を払ってもらわないとプロの世界が成立しないのは当たり前のことで、それを自分が良く思わないコンピュータ将棋に好意的な人たちがすれば汚いことのように非難し、自らの主張については当然必要な「善行」のように主張してその矛盾にすら全く無自覚のようで、あきらかに公平性や異なる立場の方々への深い理解・考察を欠く、一方的かつ浅薄な非難だと思います。
医療、法律、金融、翻訳やニュース記事の作成といったようなことまで、あらゆる知的専門職業で今後、人との代替が進むということも含めて AI の存在感が大きくなって行くことは間違いないことで、さまざまな分野の専門家が、自らの仕事が AI に代替されてしまうかもしれないという可能性や危機感も含め、今後 AI とどのように付き合い、AI をどう活用して行くか、ということを真剣に考えているとおもいます。
そうした状況で、一番将来に希望や展望のない対応姿勢が、この著者のように「AI なんかに我々の専門の仕事をさせるから我々の立場が危うくなるので、AI にそんなことはさせないようにすればよい」という姿勢のように思います。
例えば、我々の立場が危うくなるから AI にトレードなんかさせるなとか、AI が法律文書を調査するのを禁止しろとか、AI 翻訳を禁止しろみたいなことを言っていも、それで技術の進展が止まって従来の「専門家」の仕事が守られるようになるといかいうことはまったくありえないことで、そんなことをいくら言っていてもまったくどうしようもないわけで、それは将棋も同じだと思います。
著者が非難している「将棋界がいかに AI と協調してゆけるかを考える」という谷川氏の姿勢などのほうが、よほど視野が広く、将来に希望や展望を持てる考え方であると思います。
もし著者と同様の意見を持つ棋士が将来将棋界で多数派になれば、ほんとにもう現在あるプロ将棋界は著者の懸念する通りのまったく将来に希望の持てない、時代からもスポンサーからも一般ファンからも見放された、テクノロジーから背を向けた人たちの特殊なムラとしてすたれて行くしかないように思います。
ネットの普及でいろいろな人とプレーしやすくなったり、AI とプロ棋士との対戦のことも世間の注目を集めていますし、技術の進展をチャンスととらえる発想も十分可能のように思えるのですが、著者はただコンピュータとの協力は「邪道(正論、正道じゃない)」というような調子で切り捨てたり、ネット将棋についても「協会の対応が悪いのでチャンスを活かせない」等々「人の責任」を述べ立てるばかりという印象です。
著者自身は「ものを恐れずいうべきことをいう若き改革者」という感じに思われているのかと想像しますが、ご主張の内容は、「テクノロジーなんか関係ない昔のままがよかった。AI なんかと関わり始めたためにすべておかしくなった。」という調子のムラの長老みたいな「ウルトラ保守主義」という感じに思えます。
歴史上大きな技術革新が起きた時には必ずこのような「昔のままだったら何もかもよかった。変な技術を持ち込んで何もかもおかしくなった。」というような主張をする人が必ず現れるのは歴史の必然のようですので(いわゆる「ラッダイト運動」)、それはそれで仕方がないことかとは思います。
ご本人はもうプロ将棋界の将来に限界を感じており、違う世界へ転出することも視野に入れられているとのことですが、その要因は著者の言うように「協会がだめだから」とか「みんなが”正しいこと”を主張しないから」とか「羽生世代が何も発言しないから」「AI のやつらがカネにつられて汚いことをやってるから(笑)」とかではなく、ただ単にご本人がテクノロジーの発展した状況でどうやって棋士として職業を成立させて行けるかという算段や展望を立てることができるかどうか、というだけのことのように思えます。
著者のような考えの棋士がどれだけプロ将棋の将来を悲観しているか、離脱を含め将来的な展望に絶望しているか、ということをはっきり知ることができた点では、読んだ価値があったと思います。
また、有限のゲームである将棋の可能性がすでにかなりの程度掘りつくされてしまっている、このままだとどれだけ正解手順を覚えられるかの暗記ゲームになってしまう、という危機感が述べられており、その点は私自身もあまり将棋に興味を持てなくなった理由でもあるので、プロ棋士でもやはりそのような感想や危機感があるのか、という点はとても参考になりました。
ただ、だからといって AI を事前の研究に使うことすら邪道視し、プロとの対局から排除したところで、それでプロ棋士のムラが昔のような繁栄を取り戻す、ということは全くありえないことに思えますが。
著者は繰り返しプロ棋士の世界を、「慣れあいのムラ」という感じで非難していますが、著者の主張がだれよりも「プロ棋士のムラ」の時代が良かったという「ウルトラ保守主義」「ラッダイト主義」的主張であるように思います。
願わくば、著者のような「ウルトラ保守主義、懐古主義、ラッダイト主義」的な主張がプロ棋士間で多声となってプロ棋士の組織全体が沈没・マイナー化・滅亡の方向へ舵を切ってしまうことなく、AI やネットなど新しいテクノロジーと調和しながら将来に希望や展望を持って発展して行く方向へ進まれることを期待しています。
個人的には今は将棋よりもどちらかというと囲碁の愛好家なので、プロ囲碁棋士の方々にはもう少し発展的な方向で上手にテクノロジーの発展に対処していただけると嬉しいと思いました。
2017年1月12日に日本でレビュー済み
まるで棋界のご意見番かのように振る舞っている橋本八段が書いた本である。色々と言いたいことはあるが一点だけ書く。橋本八段が批判する中高年世代の棋士は現在のプロ将棋界の興隆に大きな役割を果たした世代である。谷川や羽生世代がいなければプロ棋士という仕事がここまで注目されることはなかっただろう。橋本八段は彼らのように何らかの形で棋界に貢献したことがあるのだろうか?
彼がやっていることと言えば奇抜なファッションをしてみたりツイッターで暴言を吐いてみたりとろくなことがない。本業とは関係ないところで目立ちたがりな性格をあらわにしているだけである。
所詮は上の世代のおこぼれで生活して好き勝手やっているだけに過ぎないのにあんまりな言いぐさの連続に腹が立ってしまった。このあたりの世代にはこういう人間が多いようだが教育の影響なのだろうか?
タイトルをとったことがないどころか挑戦したことすらない。棋士として中途半端な功績しかないのに言っていることだけはいっちょまえだ。こんな人間の言うことをまともに取り合う必要があるのだろうか。
彼がやっていることと言えば奇抜なファッションをしてみたりツイッターで暴言を吐いてみたりとろくなことがない。本業とは関係ないところで目立ちたがりな性格をあらわにしているだけである。
所詮は上の世代のおこぼれで生活して好き勝手やっているだけに過ぎないのにあんまりな言いぐさの連続に腹が立ってしまった。このあたりの世代にはこういう人間が多いようだが教育の影響なのだろうか?
タイトルをとったことがないどころか挑戦したことすらない。棋士として中途半端な功績しかないのに言っていることだけはいっちょまえだ。こんな人間の言うことをまともに取り合う必要があるのだろうか。
ベスト1000レビュアー
関心のない人が多いだろうが、将棋界を揺るがせた三浦九段冤罪事件に関わった一人として、現在ネット上では悪役として叩かれている橋本八段?が、その渦中で発表した著作。冒頭にその件について触れられているものの、これ以上の言及は避ける、と言う責任逃れみたいな内容で肩透かし。思えば第三者委が三浦九段に掛けられた疑惑を完全否定し、ネット上の世論が百八十度風向きを変えた頃の出版だったから、これ以上は書けまい。
棋士とコンピュータは安易に対局すべきでないと言う主張は確かに一つの見識とは思うが、棋士とコンピュータとの初めての団体戦で大将として出場し破れた三浦九段を非難しているのを読んで、何だコイツ以前から三浦九段に含むところがあったんじゃないか、と感じたのが正直なところ。そして今回ソフト不正使用の疑惑を掛けられた三浦九段に対し、「1億パーセントクロ・・・」などとツイッターで公然と非難したが、風向きが変わると見るや、これは自身が経営する将棋BARのスタッフが勝手にツイートしたのだと言い訳して削除した。この行為だけでも責任感ある大人の対応ではない。それ以後口を閉ざしている橋本八段だが、自身の中傷ツイートについて謝罪するつもりはないらしい。仮にスタッフであっても橋本崇載の名前でツイートされたのだから、俺には責任ないよ、で逃げ切ろうとは甘過ぎる。たとえ含むところがあろうとも、三浦九段に対して謝罪すべきであろう。それが出来ないのは、結局まだ三浦九段はクロだと思っているからに相違ない。
将棋界のために「正論」を吐く、と大上段に構える橋本八段だが、自分自身で「正論」だなどと言い切ってしまう奴にロクな奴はいない。本書の中のさまざまな提言にうなずけるものもあるが、首をかしげたくなるような支離滅裂なものもかなりあった。例えばコンピュータを使った将棋の研究自体に否定的なのに、それを全面に押し出している千田プロには肯定的だ。何か屁理屈を書いてるけど、要するに仲が良いからだろ、としか読めない。あるいは、棋戦がなくなるばかりで新棋戦が作られないのを嘆くかたわら、コンピュータと棋士がタッグを組むと言う棋戦には真っ向から反対して、それを潰してやったと武勇伝のように語る。そんな棋戦でお金を稼ごうとは嘆かわしい、なんて非難するかと思えば、棋士の収入減を憂えてみる。そりゃ橋本八段は芸能活動もし将棋BARも経営し、何より高段棋士だから収入に不安はないのだろうけど、本当に収入に不安な棋士の事なんか知ったこっちゃない、と言う態度・・・つまり橋本八段の好き嫌い、もっと言えば損得勘定で語っているから発言に一貫性がないのである。
私はネットで本の批判などはしないのが基本で、気に入らなければ黙殺すべきと思っている。が、自分で他人を批判している人の著作なら構うまいと思って、私見を述べさせてもらった。「ある意味」面白い本には違いない。
棋士とコンピュータは安易に対局すべきでないと言う主張は確かに一つの見識とは思うが、棋士とコンピュータとの初めての団体戦で大将として出場し破れた三浦九段を非難しているのを読んで、何だコイツ以前から三浦九段に含むところがあったんじゃないか、と感じたのが正直なところ。そして今回ソフト不正使用の疑惑を掛けられた三浦九段に対し、「1億パーセントクロ・・・」などとツイッターで公然と非難したが、風向きが変わると見るや、これは自身が経営する将棋BARのスタッフが勝手にツイートしたのだと言い訳して削除した。この行為だけでも責任感ある大人の対応ではない。それ以後口を閉ざしている橋本八段だが、自身の中傷ツイートについて謝罪するつもりはないらしい。仮にスタッフであっても橋本崇載の名前でツイートされたのだから、俺には責任ないよ、で逃げ切ろうとは甘過ぎる。たとえ含むところがあろうとも、三浦九段に対して謝罪すべきであろう。それが出来ないのは、結局まだ三浦九段はクロだと思っているからに相違ない。
将棋界のために「正論」を吐く、と大上段に構える橋本八段だが、自分自身で「正論」だなどと言い切ってしまう奴にロクな奴はいない。本書の中のさまざまな提言にうなずけるものもあるが、首をかしげたくなるような支離滅裂なものもかなりあった。例えばコンピュータを使った将棋の研究自体に否定的なのに、それを全面に押し出している千田プロには肯定的だ。何か屁理屈を書いてるけど、要するに仲が良いからだろ、としか読めない。あるいは、棋戦がなくなるばかりで新棋戦が作られないのを嘆くかたわら、コンピュータと棋士がタッグを組むと言う棋戦には真っ向から反対して、それを潰してやったと武勇伝のように語る。そんな棋戦でお金を稼ごうとは嘆かわしい、なんて非難するかと思えば、棋士の収入減を憂えてみる。そりゃ橋本八段は芸能活動もし将棋BARも経営し、何より高段棋士だから収入に不安はないのだろうけど、本当に収入に不安な棋士の事なんか知ったこっちゃない、と言う態度・・・つまり橋本八段の好き嫌い、もっと言えば損得勘定で語っているから発言に一貫性がないのである。
私はネットで本の批判などはしないのが基本で、気に入らなければ黙殺すべきと思っている。が、自分で他人を批判している人の著作なら構うまいと思って、私見を述べさせてもらった。「ある意味」面白い本には違いない。
2017年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハッシーとか呼ばれて、異端児扱いの棋士ですし、本人もそれを気取っているようでしたが、書物の中身は、けっこう正統派の流れをくむものでした。確かに、著者の言うように、将棋界は方向性が定まっていないようですね。人気の棋士を追い回して、食事の内容まで報道するようなマスコミに乗っかって、はしゃいでいるようでは将棋連盟も身をただす必要があるでしょう。
村社会から、開放された知的ゲームの社会へと、どのようにすればいいのか、著者も深めてほしいものだと思いました。好著です。
村社会から、開放された知的ゲームの社会へと、どのようにすればいいのか、著者も深めてほしいものだと思いました。好著です。
2017年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一言で言うと名著。本人の将棋界に対する憂いが論理的に訴えられており、知識のない方にもなるほどと思わせてくれるような内容。断っておくが私はこの方のファンでも、アンチソフトでもない。ソフトの導入やニコ生、AbemaTVによって、ライトな層に将棋の普及が著しい中、その意義は大きいものであったと思っている。ただし一方で何のために将棋プロがいるのか、それを考えさせてくれた本著。別の方の感想に、「本著は一方的なソフト批判ばかりで、活かす方策が書かれていない」というものがあったが、さにあらず。ぜひ先入観を持たず読んでみてほしい。





