“旅に出たくなったのだ。なぜか。理由などない”と書き出されるこの本の中で、作者は漂然と日帰りの旅に出る。早稲田へ王子へ鎌倉へ銀座へ上野へ……何ということもないエッセイの素材が、町田氏の手にかかると……たとえば江の島の洞窟に入り奥の方の仏様を拝むところはこんなふう。“私も暗くて音のしない洞窟を歩くうち、こんな「東京漂然」などと嘯いて、ろくに働きもしないでのらのらしている自分はいつか、歩いていたら突如として頭上に豚の丸焼きが落ちてくる、動物園で見知らぬ人におされて虎の檻の中に落ちる(略)といった手ひどい罰があたるに違いない、という抑鬱的な気分になってきて、せかせか急いで仏様を捜すと、ああ、よかった、奥の方に仏様がおわしたので、手を合わせて拝み、お顔を見ると仏様は、/「おまえだけは許さない」/と言っているような顔をしていた”一事が万事この調子だから、読み始めたらやめられまへん。
時に漱石ふう、時に太宰ふうな雰囲気を醸し出しつつ、不思議な浮遊感があるのは、対象との距離感が独特だから。描かれている土地の多くはよく知っている場所なのに、なぜか外国のような気がする。随所にちりばめられた町田氏本人撮影の写真からも同じ気配が。氏のレンズを通すと銀座も鎌倉も異界になり、散歩エッセイも文学作品になる。
特に高円寺をめざす巻末の旅はものがなしい。それは過去の自分に会う旅でもあるのだが、辿り着いたライブハウスの光景は、そのまま町田氏の小説の世界。……そう、“やっとここまで辿り着いた”という文章は氏の世界観を象徴しているかも知れない。辿り着いた場所に主人公の求めていたものは何もない。しかし読者は偉大な町田ワールドに辿り着くのだ。
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。

Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。