平成7年夏、ユニバーシアード福岡大会で「語学ボランテア」としてフェンシング会場で活動した際、台湾選手団の役員の方とお話しする機会がありました。その男性は、なんと7か国語を操るマルチリンガルの人でした。英語一つさえ流暢とは言えない自分から見れば、はるかな能力の違いを感じさせられ、かつ羨ましく思えた記憶があります。「本当は語学が得意な日本人」という題名に加え、著者が台湾人の李氏であり、15か国語を操るマルチリンガルの語学講師と知り、非常な興味を覚えました。
李氏は日本の歴史を古代からたどり、6世紀末の遣隋使、遣唐使といった中国への留学生を初めとして、幕末、明治時代にいたるまでの歴史上の人物たちの語学への真摯な取り組みや豊かな才能を紹介しながら、実は日本人のDNAは語学が得意なのでは、と主張されている。
中でも印象に残るものを挙げると、
① 平安時代の名僧・空海がほんの2年間で当時の中国語や梵語(サンスクリット語)を習得した
② 幕末の医師・蘭学者の緒方洪庵はオランダ語を的確に翻訳したばかりか、それまで日本にない新しい造語を作り出したこと。彼は晩年でさえ英蘭辞書を用いオランダ語を通して英語を学んだ
③ 高知の一漁師であったジョン万次郎は、アメリカにおいて勉学に励み、帰国後は語学力と専門知識を生かし、日本最初の邦訳聖書まで完成させた
④ 幕末や明治時代には、押し寄せる諸外国の脅威や西洋文明の波に迫られた幕府、諸藩、明治政府の後押しもあり、津田梅子といった女性たちも含めた各分野の先覚者たちの多くが語学の達人、天才として活躍して、日本の近代化に大いに貢献した
台湾出身の李氏は、台湾の近代化に直接的役割を果たした後藤新平、新渡戸稲造、児玉源太郎、八田与一といった、明治時代の偉人たちの活躍と共に、実は、彼らは非常な語学力とコミュニケーション力を備えていたことを興味深い事実やエピソードを通して紹介しています。これらの人達の業績は何度となく知る機会がありましたが、語学力や見識の高さから評価している点がとても新鮮な驚きでした。現在の台湾の土台を作り上げた偉人たちに共通する「利他の心」「公への献身的行為」に対する李氏の賞賛と敬意の思いは、今の日本の国内外で起きている数々の問題は日本人の本来の力によって解決できるはずだという期待へとつながっています。ここまで信頼されると面はゆい感じもしますが、第1章では、語学に苦手意識のある日本人に自信を持ってもらいたいという李氏の切望が感じられます。
第2章では、マルチリンガルの存在を語っています。世界のマルチリンガルとしては、YouTube動画で有名な、20言語以上を話す17才のティモシー・ドナー氏、日本在住の数学者であり大道芸人でもあるピーター・フランクル氏の名前も含まれ一方、日本人の例としては、現代の日本人の中から、京都大学名誉教授だった梅棹忠夫氏をまず挙げておられ驚きました。なんと約30言語を理解されていたということです。他にその存在や名前を知らないニューヨークの開業医の新名氏と文化人類学者・言語学者の西江雅之氏を紹介しています。お二人はそれぞれ、40数言語、50言語をマスターされているというのですから、全く想像を絶します。
マルチリンガルの頭の中はどうなっているか?イメージしやすいように著者はこう言います。『「言語ごとのメモリーチップ」が「複数の配線」でつながっていて、しかも「異なる言語のあいだ」も「芋づる式」になって、つながっている』「マルチリンガルやバイリンガルの脳は、母国語しか話さない人の脳と比べて、特に複雑ではなく、2つの言語を学ぶのにおいて、頭脳の面積が特に大きい必要はない」とこれまでの研究で分かっているそうです。
マルチリンガルの多い国は、多言語の国で生まれ、なおかつそこで生活している人々に顕著なことは頷けることです。ただし、そういった環境が一番強い要因ではなく、西江氏や新名氏のように強烈な志や目標、並々ならぬ努力が一番だと李氏は強調しています。【語学は才能か?誰でも出来るものなのか?】に対して、『語学は才能ではなく、トレーニングの賜物であり、誰でも習得できる』と結論付けて、『必要なのは「センス・才能」ではなく、「旺盛な好奇心と努力」であり、ある程度「母国語ができている人」なら誰でも可能性がある』と言います。トレーニングとは、「毎日の一歩一歩の練習の積み重ね」と言われると、三日坊主でなく、倦まず弛まず続けていくことを求められますから、飽きっぽい人間には、語学学習以前にいろいろな工夫が必要で、その点からすれば、この本は直接的かつ具体的アドバイスは与えていないのが残念です。
一方、この本で得られたことは、日本語への再認識だと思います。日本人の語学力におけるアドバンテージは、「音とイメージ」を基とした語彙と表現の豊かさであり(大辞典(平凡社)全26巻では収録語彙数が70万語)、外国語学習以前に先人たちの編み出してきた日本語に目覚めるべきだという主張には共感を覚えます。自然に耳を傾ける日本人の感性と価値観はさらに日本語を使い続けることで研ぎ澄まされ、万葉集は、「繊細でち密なもの(ミクロ)から宇宙的な広がりを持つもの(マクロ)」とし、和歌は、「芸術の域まで達する高度な技を有する、文芸の傑作」だと語り、「奥行きの広さ」を抜きに日本語の曖昧さを欠点のように言うことは誤まりであり、むしろ成熟した言語だとする李氏の理解の深さに驚きます。李氏は日本のことを、「麗しの島国」と呼び、日本文化と精神、そして日本語の大切さ、未知の忘れかけられた日本語にも目を向けてほしいといわれ、日本語に対する造詣の深さは、色合いを表す日本語の表現の多さや「音遊び・言葉遊び」の具体例にも表れています。そんな言葉遊びに馴染んできた日本人だからこそ、語学の習得に便利な「音素」も遊びの感覚で身につけられるというのです。ポイントは、① 音素には複数の意味がある ② 音素は似た「意味・イメージ」のグループに分けられる という。
第4章の後半では、世界中の言葉とつながる日本語、日本語と英語のつながり、といった面白い例を挙げていて、一見お互い関係のないような言語同士の共通要素に気付くと、「人類共通の祖先の言葉」の存在の可能性を感じるのは容易です。
p146にある「語学習得にとって大事な7つのポイント」とp148からの本気のスイッチが入ってからのやり方と行動はためになります。
個人的には、①頭の中の独り言を外国語に! ②「自分の語録」をメモする! ③「マイストーリー」を外国語に! ④自分の専門と趣味分野を外国語で! この4つの攻略法が役に立つと思います。この中の一つをまず実行し続けて自信を得られたら、この本を買った意味があります。李氏に感謝です!
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