久しぶりに重松清さんの本を購入。
いくらか前のゼツメツ少年ぶりで、それは個人的にはゼツメツ少年で重松さんが描いてきた家族、友達、学校、子供がメインテーマの作品の集大成であったと感じていたから。
今作の話は、表紙も内容も著作の「疾走」をやや思い出させるところがあるし(ファンにはたまらない)、序盤の先が気になる展開の構築は流石と言える。また、中盤の女の子の発言はああ、そうだよな…といつもの親しみに似た共感を湧き立てられた。
しかし、終盤の展開はらしくないんじゃないか。
リアルにしても空想にしても?。ネタバレになるので必要以上には書かないが、キーになる小瓶のネタは著者の過去短編でも出てきたものとほぼ同じで、けれども前回のようには染み込んでこない。それは勝手な理屈だが、日常を切り取ることと日常を作り出し描くことではリアリティの構築が違うからで、今回の話のテイストには合わない気がした。
10年近く中学生の頃から読ませて頂いている作家さんなので、今回の作品は珍しい暗黒系だ!と思い久々に手に取ってみたけれど、うーん、陳腐な闇を描きたいのか。現代の悪や子供の闇って秩序立っていない分だけ薄っペらさはぬぐえなくて、それ故不気味で。それに対して、いつものように沈みゆく価値観の中に、言葉にならない思いの中に、何か大切なものがあるんだって言うのを伝えたいのだとは感じるのですが…。何か、投げ捨ててしまった気がするんです。いや、一度そうすることでしか、このテーマで描くことはもうできないのだとそう達観してしまったのか。もし、そうでないのなら、一体何を描きたかったのか?
そもそも今の子供はって言う言葉が割りと死後な気がするので(より相対化、個人化が進んだから)、それらから切り取ってくる素材に感じる感情が僕と重松さんではもうズレてしまっているのかもしれません。
何となくでわかるはずのものが、言葉にしても概念化しても何もわからないように。
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