岡口裁判官の名を知らない法律家はほとんどいないだろう。
司法研修所で「秘儀」のように教えられてきた民事要件事実論(各要件ごとの立証責任の振り分け)を集大成し出版した著書は、司法修習生の必携の書となっていた。
そして、岡口裁判官は、司法と裁判のあり方についてツイッターで発言する珍しい裁判官でもあった。私も、弁護士として、岡口さんのツイッターをフォローしてきた一人である。(その岡口裁判官のツイッターのアカウントが一方的にロックされ、現在は読めなくなっている。)
そのツイッターの中で、岡口裁判官は、政府に迎合した司法判断、たとえば原発の稼働を安易に認めるような判断を厳しく批判してきた。いわば、裁判官自らが「同僚としての批評」(ピア・レビュー)を展開してきたのである。このような言論活動は、司法判断を市民が検証する上で、有用であり、貴重な発信であった。多くの市民が、岡口裁判官のツイッターをフォローしてきたことそのものが、そのことを証明している。
その岡口裁判官が最高裁による分限裁判で「戒告」とされ、次には国会の訴追委員会からの喚問を受けるという事態となっている。裁判官として、さらには法律家として仕事を続けられるかどうかと言うところにまで、追い詰められているのである。
その渦中にある本人が、自らの置かれた状況をあくまで客観的に「自己批評」しようとして書かれたのが本書である。第1部が前史、第2部が分限裁判、第3部が「変貌する最高裁、揺らぐ裁判所」、第4部が「司法の民主的コントロールは可能か?」という構成となっている。
裁判官が、市民として、表現の自由をもっていることは当然である。この自由は裁判官の職責から一定の制限を受ける。たとえば、裁判官が自らが現在担当している事件について、裁判外で意見を述べるようなことは認められない。岡口裁判官のツイッターの中には、その職責と矛盾するようなものはない。
個人的には、後半の第3部、第4部があることにより、岡口裁判官のような自分の意見をはっきりと持ち、それを臆せず発信する裁判官が、今の司法の中でどんどん減っていて、だからこそ攻撃の対象とされているのだということが理解できる。
岡口裁判官は、第3部の冒頭で、最近の最高裁判例のいくつかを取り上げて、具体的に批判している。
NHK受信料判決、金沢市役所前広場事件、君が代再雇用拒否事件、マンション共用部分不当利得返還請求事件、ハマキョウレックス事件が取り上げられ、現在の最高裁の判断が、現場の裁判官の実務感覚と大きくずれて「王様化」しているのではないかと論じている。そして、その原因が最高裁の憲法判断の歴史、その仕事量、さらには裁判官の選任方法の変化に起因するのではないかと論じている。
さらに、民事事件の審理にあたる裁判官の能力が全般的に低下していること、それが裁判官養成の過程、とりわけ司法研修所教育の形骸化に原因しているのではないかとも述べている。
いずれも、裁判所の中にあって、日々裁判の実務を重ねながら思索を深めてきた裁判官でなければ論ずることのできない貴重な意見である。
今の日本の司法は、自らの官僚主義と、政府からの圧力によって、市民の人権を保障するという機能が劣化しているようにみえる。このような危機に立つ司法にとって、岡口裁判官は「坑道のカナリヤ」のような存在だ。
今後も、日本の司法の民主的コントロールのために、岡口裁判官が、裁判の営みを続けられること、そして、その仕事の中で感じた司法の問題点を発信し続けられることを願ってやまない。
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最高裁に告ぐ 単行本 – 2019/3/28
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ツイッターを止めるか,裁判官を辞めるか――SNS上での投稿が原因で,異例の「分限裁判」の当事者となった現職判事は,何を考え,何と闘っていたのか? 続出する不可思議な判決,ずさんな手続,自信のない判事の増加……自らの体験を機に,時代に逆行する裁判所に警鐘を鳴らし,司法の未来を問う.渾身の書き下ろし.
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2019/3/28
- ISBN-104000613316
- ISBN-13978-4000613316
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ツイッターをやめるか、裁判官を辞めるか。自らの関与しない訴訟記事を紹介したツイートが原因で、現職の判事が「分限裁判」(裁判官の懲戒などに関する裁判)にかけられ、最高裁判事と対峙することに―。前代未聞の事態の当事者となって体験したこと、そこから見つめ直した司法、そして社会の現実を、平易な筆致で綴る。なぜSNSを続けるのか。どうして「白ブリーフ判事」と呼ばれるようになったのか。最高裁、そして裁判所の変質の背景には何があるのか。この時代に、裁判官に本当に期待されることとは何なのか…。司法の未来を考えるために必読の書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岡口/基一
1966年大分県生まれ。1990年東京大学法学部卒業。東京地方裁判所知的財産権部特例判事補、福岡地方裁判所行橋支部判事を経て、現在、東京高等裁判所判事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1966年大分県生まれ。1990年東京大学法学部卒業。東京地方裁判所知的財産権部特例判事補、福岡地方裁判所行橋支部判事を経て、現在、東京高等裁判所判事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2019/3/28)
- 発売日 : 2019/3/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 216ページ
- ISBN-10 : 4000613316
- ISBN-13 : 978-4000613316
- Amazon 売れ筋ランキング: - 227,137位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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裁判官は「天上人」なのか。それとも私たちの隣人なのか。本人のツイッターや報道から抱いていた著者のイメージが変わった。氏が言うように、あらゆる分野で権威が失墜するいま、従来のように一般から隔絶された存在として、「高貴で立派な裁判官像」を漠然と持ち続けていてよいのか。最高裁の告発本かと思ったが、変わる時代の中で、司法や裁判に何を期待するのかを考えさせられた。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年3月29日に日本でレビュー済み
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124人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の最大の特徴は、現役裁判官が実名で裁判所の抱える構造問題を、まさに著者自身に
降りかかった事例を題材に忌憚なく語り続けていることだろう。著者は本書で、表現の自由
や裁判官の独立等が、「自由の砦」たる裁判所によって脅かされているという警鐘をならし
ている。一方、目線を変えてると、著者は裁判所という職場で働く公務員=(失礼ながら)
一介の勤め人、である。その勤め人が実名で、職場(=裁判所)の人材劣化を指摘し、
組織としての事なかれ主義を糾弾し、更には人事政策や人材登用の在り方まで批判
しているのだ。このようなことは、普通の勤め人なら、居酒屋で酒を酌みながら、同僚と
くだを巻きながら話しこそすれ、社長の前では決して言えない。まして実名出版などあり得ない。
著者自身も抱いたであろう本書出版後の今後の立場や処遇などに対する懸念は、察して余りある
ものがある。
まさに身を呈して著者が訴える指摘が多くの共感に繋がり、体制迎合装置と化した今の裁判所が、
「自由の砦」に変わるよう願わずにはいられない。
降りかかった事例を題材に忌憚なく語り続けていることだろう。著者は本書で、表現の自由
や裁判官の独立等が、「自由の砦」たる裁判所によって脅かされているという警鐘をならし
ている。一方、目線を変えてると、著者は裁判所という職場で働く公務員=(失礼ながら)
一介の勤め人、である。その勤め人が実名で、職場(=裁判所)の人材劣化を指摘し、
組織としての事なかれ主義を糾弾し、更には人事政策や人材登用の在り方まで批判
しているのだ。このようなことは、普通の勤め人なら、居酒屋で酒を酌みながら、同僚と
くだを巻きながら話しこそすれ、社長の前では決して言えない。まして実名出版などあり得ない。
著者自身も抱いたであろう本書出版後の今後の立場や処遇などに対する懸念は、察して余りある
ものがある。
まさに身を呈して著者が訴える指摘が多くの共感に繋がり、体制迎合装置と化した今の裁判所が、
「自由の砦」に変わるよう願わずにはいられない。
2019年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近の最高裁の判決ってあっさりしてるなとは思ってたんです。でも勉強中の身だからそう見えるだけなのかなと。法学教室にも「ああいうのは手練の技だから初心者が真似してはいけない」とか書いてあったし。
でもこの本を読んだら、構造的に問題があるっていうことに気付かされました。一つには仕事量が多すぎる。人選にも問題がある。
著者は指摘していませんが、高齢化の問題もあるんじゃないかと思います。60歳超えると、緻密な思考がだんだん鈍ってきますから。
いちばん大事なところはもっと若い人が担った方がいいんじゃないですかね。
民法の起草者って皆30代でしたよね。120年たっても色あせない立派な仕事をしたと思いますよ。
いろいろ刺激的な本でした。
以下、重要判例解説を読んでの追記です。
岡口基一氏が通説の通り変態であるとします。
問題設定は「変態は裁判官であって良いのか?悪いのか?そこに線引があるとしたらそれはどういう線なのか?」ということです。
最高裁の答えは「そんなの考えなくてもわかるだろう」ということです。
つまり国民に向けて「そんなの、考えなくてもいいよ」と宣言してしまったのです。
それはさすがにまずいのではないでしょうか。
でもこの本を読んだら、構造的に問題があるっていうことに気付かされました。一つには仕事量が多すぎる。人選にも問題がある。
著者は指摘していませんが、高齢化の問題もあるんじゃないかと思います。60歳超えると、緻密な思考がだんだん鈍ってきますから。
いちばん大事なところはもっと若い人が担った方がいいんじゃないですかね。
民法の起草者って皆30代でしたよね。120年たっても色あせない立派な仕事をしたと思いますよ。
いろいろ刺激的な本でした。
以下、重要判例解説を読んでの追記です。
岡口基一氏が通説の通り変態であるとします。
問題設定は「変態は裁判官であって良いのか?悪いのか?そこに線引があるとしたらそれはどういう線なのか?」ということです。
最高裁の答えは「そんなの考えなくてもわかるだろう」ということです。
つまり国民に向けて「そんなの、考えなくてもいいよ」と宣言してしまったのです。
それはさすがにまずいのではないでしょうか。
2019年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
〇 始めに
本書は、現役裁判官が裁判所内部の事情を批判するものとして、注目を集めていると思われます。そして、著者である岡口裁判官の裁判官としての身分や知名度からすると、客観性、公平性が保たれた著作と期待する方も多いのではないかと思われます。
このレビューは、主にその客観性、中立性について疑問を呈することを目的としています。よって、著者・著作の狙いに沿うことを目指しておらず、むしろ批判的内容が多いことを予め明示しておきます(合わせて、大筋としては同名のツイッターアカウントで既に書いたことと同様であることをお断りします)。
〇 最高裁の戒告決定に対する批判について
この部分は、最高裁の現状に対する批判の根拠として本書の中でも重要と思われますが、少なくとも1か所には看過できない明らかな誤りがあります。本書105~107ページで,補足意見の「the last straw」について,該当箇所の一部を引用して触れられている部分です。
ここでは,まず戒告処分に必要な要件として,ⅰ懲戒事由に該当する行為があり,かつ,ⅱその行為を理由に懲戒処分をするのが相当である場合と説明され(このこと自体はそのとおりです)、その上で
「ところが,補足意見は,「過去の厳重注意処分」+「ラストストロー」でⅰを充足すると判断している。つまり,過去の厳重注意処分をⅰの問題としてしまっているものである。」
としています。しかし補足意見の該当箇所は,
「懲戒処分相当性の判断に当たり,本件ツイートは,いわば「the last straw」」
と記載されていて,ⅱの問題としているのは明らかです。しかも,本書には補足意見が一部引用されているのに,なぜか「本件ツイートは」の直前にある「懲戒処分相当性の判断に当たり」という部分は引用が省略されています。議論としての客観性・公平性を保って慎重な記述をしていれば、まずあり得ないことと思われ、議論をする上で致命的な誤りと言わざるを得ないでしょう。
その他にも私の目から見て疑問は多く、1点挙げると、例えば同書の93~96ページの部分があります。
ここでは、特定のアカウントのツイートを読むのは通常ほとんどがフォロワーと更にそのフォロワー程度であり、そして当該アカウントが表現方法等について特殊なスタイルを採用していればフォロワーらはそれを意識して読むものであり、戒告決定の対象ツイートはほとんど拡散されていないなどとした上、そのようなSNSの特性を最高裁判事らは全く理解していないという趣旨の批判をしています。しかし、これは名誉毀損の判例・実務を踏まえた場合に、批判として成り立つのでしょうか。
刑事事件で言うと、名誉毀損罪は行為がなされた時点で成立する(抽象的危険犯)とされ、民事事件でも不特定多数人への伝播可能性があれば成立するとされています。また読者が行為者のスタイルを意識しているはずだとの点についても、例えば、興味本位の記事を掲載することを編集方針とする新聞のような場合であっても、編集方針、主な読者の構成及びこれらに基づく当該新聞の性質についての社会の一般的な評価は、名誉毀損の成否を左右しないとした判例があります(最高裁平成9年5月27日第三小法廷判決)。これらの点を踏まえれば、上に挙げたような、具体的な拡散の程度やアカウントのスタイルといったものを問題とする本書の批判が成り立つものかどうか、私には理解できません(判例・実務そのものを批判することも議論としてはあり得るでしょうが(たまたま見たものとしては、例えば阪本昌成『憲法2基本権クラシック〔第4版〕』166ページ)、本書にそういう議論があるわけでもありません)。
〇第Ⅳ部について
他にも私の目から見た疑問点は複数ありますが、ツイッターで書いたこととの重複は避けて、第Ⅳ部について素朴な感想を書きます。ここは同書の結論的な部分と思われますが、私にはどうにも論旨を的確につかむことができません(なお、以下の内容は主に議論の筋道の検討であり、書かれた事実関係の全部について私自身が同意しているわけではないことをお断りしておきます(全部を否定するという意味でもありませんが))。
この部分が描く裁判所(特に最高裁)のイメージは、世論や政治部門からの批判に対しては脆弱であり、そのため内部の情報発信に対する統制を強め、それ(のみ?)によって国民は裁判所を判決の内容にかかわらずとにかく信頼するようになり(?)、そして最高裁は「王様」化(内容がおかしく、適切な理由付けもない裁判を連発)している、といったものと思われます。しかし、このような状態はそもそも安定的に成り立つのでしょうか。
また、これが成り立っているとして、結局のところどの部分をどのように改善するのが適切という論旨なのでしょうか。裁判所の判決を、その理由付けも含めてもっと検証していくべきだという点は正当な意見だと思いますが、それ以外の具体的な提案やその帰結の見通しが、私にはよく読み取れません。特に、仮に裁判所に対する国民の信頼のみが短期的に取り去られるような事態が生じた時に、どういう帰結が生じるという見込みなのでしょうか。
(誤解のないように付け加えると、国民の盲目的な信頼がとにかく維持されるべきだ、などと言いたいわけではありません(私自身は、むしろそのようなものがどの程度存在するのか疑っています)。ただ、上に書いたような事態の帰結を本書の著者がどう見ているのか、私には理解できないのです。)
この点については、本書のエピローグの部分も合わせて理解すべきかもしれません。しかしそれを合わせても、専門的知見に基づいた具体的・建設的な提案があるとは私には読み取れません。
〇 まとめ
このように私の目から見て重要と考える疑問点を指摘しました。ここではこれ以上個別の点は書きませんが,本書の全体的な印象として,法律的な問題について公平性を保って様々な角度から論じられていたり,取り上げる問題・情報の軽重の評価が適切になされているとは思いにくく,むしろ著者の主張や関心に合うように選別している面が強いのではないか,という疑問を拭えません。
ただ、誤解のないよう一つ言っておきたいのは、本書の大まかなテーマを「最高裁の判断・理由付けが適切なものかどうかよく検討・批判されるべき」と捉えれば、それ自体はむしろ当然なされるべきことです。そこには何も反対しません。
また、一般論として意見表明や著作の発表の際に常に客観性や公平性が厳密に保たれていなければならないわけではなく、例えば誇張や挑発等を含んだ問題提起の著作が高く評価されるといったこともあるでしょう。『最高裁に告ぐ』も、そういう読まれ方をされるのであれば,それ自体は否定しませんし、特に現役裁判官による著作という点の希少性を高く評価する方もおられるでしょう。
しかし、冒頭に書いたように客観性、公平性が保たれた著作と期待する方がおられるとすれば、それに対してはよく注意されるべきだと私は思います。その見極めは、専門的な内容について具体的・建設的な議論をする際には欠かせないことのはずだと思うので。
なお、3点とした趣旨は、冒頭で書いたとおりレビュー内容が著者・著作の狙いに沿ったものではないので、点数としての評価は中立にすべきと考えたためです。
(※2019.4.18 「まとめ」の部分を一部追加・修正しました)
本書は、現役裁判官が裁判所内部の事情を批判するものとして、注目を集めていると思われます。そして、著者である岡口裁判官の裁判官としての身分や知名度からすると、客観性、公平性が保たれた著作と期待する方も多いのではないかと思われます。
このレビューは、主にその客観性、中立性について疑問を呈することを目的としています。よって、著者・著作の狙いに沿うことを目指しておらず、むしろ批判的内容が多いことを予め明示しておきます(合わせて、大筋としては同名のツイッターアカウントで既に書いたことと同様であることをお断りします)。
〇 最高裁の戒告決定に対する批判について
この部分は、最高裁の現状に対する批判の根拠として本書の中でも重要と思われますが、少なくとも1か所には看過できない明らかな誤りがあります。本書105~107ページで,補足意見の「the last straw」について,該当箇所の一部を引用して触れられている部分です。
ここでは,まず戒告処分に必要な要件として,ⅰ懲戒事由に該当する行為があり,かつ,ⅱその行為を理由に懲戒処分をするのが相当である場合と説明され(このこと自体はそのとおりです)、その上で
「ところが,補足意見は,「過去の厳重注意処分」+「ラストストロー」でⅰを充足すると判断している。つまり,過去の厳重注意処分をⅰの問題としてしまっているものである。」
としています。しかし補足意見の該当箇所は,
「懲戒処分相当性の判断に当たり,本件ツイートは,いわば「the last straw」」
と記載されていて,ⅱの問題としているのは明らかです。しかも,本書には補足意見が一部引用されているのに,なぜか「本件ツイートは」の直前にある「懲戒処分相当性の判断に当たり」という部分は引用が省略されています。議論としての客観性・公平性を保って慎重な記述をしていれば、まずあり得ないことと思われ、議論をする上で致命的な誤りと言わざるを得ないでしょう。
その他にも私の目から見て疑問は多く、1点挙げると、例えば同書の93~96ページの部分があります。
ここでは、特定のアカウントのツイートを読むのは通常ほとんどがフォロワーと更にそのフォロワー程度であり、そして当該アカウントが表現方法等について特殊なスタイルを採用していればフォロワーらはそれを意識して読むものであり、戒告決定の対象ツイートはほとんど拡散されていないなどとした上、そのようなSNSの特性を最高裁判事らは全く理解していないという趣旨の批判をしています。しかし、これは名誉毀損の判例・実務を踏まえた場合に、批判として成り立つのでしょうか。
刑事事件で言うと、名誉毀損罪は行為がなされた時点で成立する(抽象的危険犯)とされ、民事事件でも不特定多数人への伝播可能性があれば成立するとされています。また読者が行為者のスタイルを意識しているはずだとの点についても、例えば、興味本位の記事を掲載することを編集方針とする新聞のような場合であっても、編集方針、主な読者の構成及びこれらに基づく当該新聞の性質についての社会の一般的な評価は、名誉毀損の成否を左右しないとした判例があります(最高裁平成9年5月27日第三小法廷判決)。これらの点を踏まえれば、上に挙げたような、具体的な拡散の程度やアカウントのスタイルといったものを問題とする本書の批判が成り立つものかどうか、私には理解できません(判例・実務そのものを批判することも議論としてはあり得るでしょうが(たまたま見たものとしては、例えば阪本昌成『憲法2基本権クラシック〔第4版〕』166ページ)、本書にそういう議論があるわけでもありません)。
〇第Ⅳ部について
他にも私の目から見た疑問点は複数ありますが、ツイッターで書いたこととの重複は避けて、第Ⅳ部について素朴な感想を書きます。ここは同書の結論的な部分と思われますが、私にはどうにも論旨を的確につかむことができません(なお、以下の内容は主に議論の筋道の検討であり、書かれた事実関係の全部について私自身が同意しているわけではないことをお断りしておきます(全部を否定するという意味でもありませんが))。
この部分が描く裁判所(特に最高裁)のイメージは、世論や政治部門からの批判に対しては脆弱であり、そのため内部の情報発信に対する統制を強め、それ(のみ?)によって国民は裁判所を判決の内容にかかわらずとにかく信頼するようになり(?)、そして最高裁は「王様」化(内容がおかしく、適切な理由付けもない裁判を連発)している、といったものと思われます。しかし、このような状態はそもそも安定的に成り立つのでしょうか。
また、これが成り立っているとして、結局のところどの部分をどのように改善するのが適切という論旨なのでしょうか。裁判所の判決を、その理由付けも含めてもっと検証していくべきだという点は正当な意見だと思いますが、それ以外の具体的な提案やその帰結の見通しが、私にはよく読み取れません。特に、仮に裁判所に対する国民の信頼のみが短期的に取り去られるような事態が生じた時に、どういう帰結が生じるという見込みなのでしょうか。
(誤解のないように付け加えると、国民の盲目的な信頼がとにかく維持されるべきだ、などと言いたいわけではありません(私自身は、むしろそのようなものがどの程度存在するのか疑っています)。ただ、上に書いたような事態の帰結を本書の著者がどう見ているのか、私には理解できないのです。)
この点については、本書のエピローグの部分も合わせて理解すべきかもしれません。しかしそれを合わせても、専門的知見に基づいた具体的・建設的な提案があるとは私には読み取れません。
〇 まとめ
このように私の目から見て重要と考える疑問点を指摘しました。ここではこれ以上個別の点は書きませんが,本書の全体的な印象として,法律的な問題について公平性を保って様々な角度から論じられていたり,取り上げる問題・情報の軽重の評価が適切になされているとは思いにくく,むしろ著者の主張や関心に合うように選別している面が強いのではないか,という疑問を拭えません。
ただ、誤解のないよう一つ言っておきたいのは、本書の大まかなテーマを「最高裁の判断・理由付けが適切なものかどうかよく検討・批判されるべき」と捉えれば、それ自体はむしろ当然なされるべきことです。そこには何も反対しません。
また、一般論として意見表明や著作の発表の際に常に客観性や公平性が厳密に保たれていなければならないわけではなく、例えば誇張や挑発等を含んだ問題提起の著作が高く評価されるといったこともあるでしょう。『最高裁に告ぐ』も、そういう読まれ方をされるのであれば,それ自体は否定しませんし、特に現役裁判官による著作という点の希少性を高く評価する方もおられるでしょう。
しかし、冒頭に書いたように客観性、公平性が保たれた著作と期待する方がおられるとすれば、それに対してはよく注意されるべきだと私は思います。その見極めは、専門的な内容について具体的・建設的な議論をする際には欠かせないことのはずだと思うので。
なお、3点とした趣旨は、冒頭で書いたとおりレビュー内容が著者・著作の狙いに沿ったものではないので、点数としての評価は中立にすべきと考えたためです。
(※2019.4.18 「まとめ」の部分を一部追加・修正しました)
2019年4月1日に日本でレビュー済み
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「NHK受信料大法廷判決文」をよむと、最高裁の「王様」化もきわまった!と本書を読んであらためておもう。この現実に高裁判事が、SNSに白ブリーフのすがたで耳目にさらすか、判決の事実を「え?あなた犬を捨てたんでしょう・・・裁判の結果・・・」とツィートしたことに、最高裁「岡口分限決定」がくだされた。ここでも結論ありき、をなんとか正当化するためのコトバの羅列といってよい。もっと法律論を明示した判決がほしい、できないからありきたりの「裁判官の公正、中立」をいうだけ。
著者は当事者であるのに、つとめて判事として自らを裁き、時に留保し、法的根拠を呈示してている、そこだ本書の面白さ。これでは、痴漢でもなんでも一度捕まれば、もう逃げることができずえん罪はまぬがれない。これも著者が訴えたいことだ。ツィッターの問題で終わらせてはならない。
著者は当事者であるのに、つとめて判事として自らを裁き、時に留保し、法的根拠を呈示してている、そこだ本書の面白さ。これでは、痴漢でもなんでも一度捕まれば、もう逃げることができずえん罪はまぬがれない。これも著者が訴えたいことだ。ツィッターの問題で終わらせてはならない。







