確かに曽野綾子氏の書くものは思い込みが激しく、一般人の常識から見ると世間知らずでピントがはずれていると思います。曽野氏のどんな分野の発言に対しての批判なのかと読んでみました。(山崎氏は未知の著者でどんな人なのかと楽しみに。)
内容は曽野氏というより「曽野綾子的なもの」に対しての御二人の批判の文章といえます。どうも二人とも自分の意見・主張を、それを受け入れてくれる相手に開陳することにより満足をしているようで、なんだかお互いを自分の考えをさらす為の手段としているような感を受けます。歯切れのいいようで、あまり内容のあるものとはいえません。(特に山崎氏の饒舌なのには驚きました。最近の評論家の常として、どこかで自分の知識を自慢しているような雰囲気を感じて仕方がないのは自分の偏見でしょうか?)
それにしても佐高氏が、「発言が下品でもよい」し、書く物は「時評の方がいいじゃないですか。消えて行く方がかっこいいじゃない。猪瀬直樹は昔対談した時、猪瀬は自分の作品は残るけどお前の作品は消えて行くみたいな偉そうなことを言っていたんです。お前のが残っても生ゴミみたいなものじゃねえかと思いましたが。」(P110)と言うのには開き直っているとしか思えません。その猪瀬氏との対談本は読んだことが有りますが、猪瀬氏が佐高氏の書く物を「プロパガンダだけのパンフレットのようなもの」と言っていたのはその通りだと思いますし、少なくとも猪瀬氏の書く物のいくつかはノンフイクションとして読まれていくと思います。
それでも確かにいくつか読ませる箇所があります。「瀬戸内晴美の成功の秘訣は女性の評伝を書いたこと」(P48) 姜尚中氏に関する記述(P98~)などは面白い観点からの批評であると認めます。ただ、丸山真男氏や大江健三郎氏・吉本隆明氏・江藤淳氏に関する記述は、あまりにも思い込みが強くそれこそ陰口のような誹謗か、褒めるにしても高みからの見降ろしたような文章になんとなくいかがわしさを感じ、不愉快でさえあります。論争というより難くせをつけているような、それこそ下品な文章に今回も少々うんざりさせられました。
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曽野綾子大批判 単行本(ソフトカバー) – 2014/4/19
下品? 意地が悪い? 大いに結構! 上品と綺麗事こそが論壇を劣化させたのだ!
辛口評論家・佐高信と、『保守論壇亡国論』の論客・山崎行太郎のスリリングな対談。現代日本の論壇を右から左までメッタ斬り。曽野綾子だろうが姜尚中だろうが容赦はしない。論争なき論壇は滅ぶべし。
「はじめに」より抜粋
佐高氏と私は「曽野綾子批判」という問題で一致している。私は「沖縄集団自決論争」や「沖縄集団自決裁判」以来、曽野綾子批判を繰り返してきた。佐高氏も、私より前から曽野綾子を批判していた。そういうわけで、この本のタイトルも「曽野綾子大批判」にすることにした。
しかし、「曽野綾子」は一つの素材であって全てではない。「曽野綾子」ではなく、「曽野綾子的なもの」こそ、本書のテーマである。
現在の論壇やジャーナリズムには「曽野綾子的なもの」がはびこっている。軽薄、無知、論理破綻……。これは保守論壇だけでなく、左翼論壇にも言えることである。(中略)
私たちは本書で、江藤淳や丸山眞男、魯迅などについて議論している。彼らを論じることで、現在の論壇が失った「批評力」や「批判力」をもう一度見直す必要があると考えたからだ。これが本書のもう一つのテーマである。
辛口評論家・佐高信と、『保守論壇亡国論』の論客・山崎行太郎のスリリングな対談。現代日本の論壇を右から左までメッタ斬り。曽野綾子だろうが姜尚中だろうが容赦はしない。論争なき論壇は滅ぶべし。
「はじめに」より抜粋
佐高氏と私は「曽野綾子批判」という問題で一致している。私は「沖縄集団自決論争」や「沖縄集団自決裁判」以来、曽野綾子批判を繰り返してきた。佐高氏も、私より前から曽野綾子を批判していた。そういうわけで、この本のタイトルも「曽野綾子大批判」にすることにした。
しかし、「曽野綾子」は一つの素材であって全てではない。「曽野綾子」ではなく、「曽野綾子的なもの」こそ、本書のテーマである。
現在の論壇やジャーナリズムには「曽野綾子的なもの」がはびこっている。軽薄、無知、論理破綻……。これは保守論壇だけでなく、左翼論壇にも言えることである。(中略)
私たちは本書で、江藤淳や丸山眞男、魯迅などについて議論している。彼らを論じることで、現在の論壇が失った「批評力」や「批判力」をもう一度見直す必要があると考えたからだ。これが本書のもう一つのテーマである。
- 本の長さ204ページ
- 言語日本語
- 出版社ケイアンドケイプレス
- 発売日2014/4/19
- ISBN-104906674577
- ISBN-13978-4906674572
商品の説明
出版社からのコメント
キンドル(電子)版で「はじめに」全文と雑誌『月刊日本』2013年12月号に掲載した佐高信氏と山崎行太郎氏との対談「論争なき保守は滅びよ」を100円でお読みいただけます。 曽野綾子大批判 はじめに [Kindle版] http://www.amazon.co.jp/dp/B00JGMAFHG
内容(「BOOK」データベースより)
キレイごとの仲間ぼめが、論壇を劣化させたのだ。決して媚びない辛口評論家・佐高信と、『保守論壇亡国論』の論客・山崎行太郎とのスリリングな対談が、ついに実現!
著者について
佐高信(さたか・まこと)
1945年、山形県生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。高校教師、経済誌編集長を経て、現在、評論家、『週刊金曜日』編集委員。著書に『西郷隆盛伝説』、『安倍政権10の大罪』ほか多数。近著に、『喧嘩の勝ち方』(佐藤優氏との共著)
山崎行太郎
1947年、鹿児島生まれ。慶応義塾大学大学院(哲学)終了。東工大、埼玉大学を経て、現在、哲学者、日大芸術学部講師。著書に『保守論壇亡国論』(弊社刊)、『小林秀雄とベルクソン』ほか。『柄谷行人論序説―唯物論的転倒の哲学』を近刊予定。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐高/信
1945年、山形県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。高校教師、経済誌編集長を経て、現在、評論家、『週刊金曜日』編集委員
山崎/行太郎
1947年、鹿児島県生まれ。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学を経て、現在、哲学者、日本芸術学部講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1945年、山形県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。高校教師、経済誌編集長を経て、現在、評論家、『週刊金曜日』編集委員
山崎/行太郎
1947年、鹿児島県生まれ。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学を経て、現在、哲学者、日本芸術学部講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : ケイアンドケイプレス (2014/4/19)
- 発売日 : 2014/4/19
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 204ページ
- ISBN-10 : 4906674577
- ISBN-13 : 978-4906674572
- Amazon 売れ筋ランキング: - 791,324位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 15,089位政治 (本)
- - 78,629位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2016年2月16日に日本でレビュー済み
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2015年6月17日に日本でレビュー済み
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若い頃彼女が三浦朱門氏とバイク旅行した本を読んでいいなあと思いました。その彼女が庶民性悪説の金持ち目線のおばあさんになって残念。文才なき作家なんですかな。櫻井よしこさんも謎のインテリじゃないかな。庶民を憎んでいるという共通点があります。ふたりとも金持ち日本人たちにも辟易している孤独なインテリ。日本人が日本がドロに思えるかも。ひとは破滅すべきだと嫌悪している悲しい女性…失礼ながらお顔が円満な老成をうかがえない。人間への絶望がさぞかし深いのですね。憐憫を贈る愛を持ちたいです。読んで考えてください。神の愛や仏の慈悲を…
2014年5月4日に日本でレビュー済み
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左と右の論客二人の対談本で、劣化した保守論壇の象徴としての曽野綾子氏とその亜種が俎上に載せられる。付録に江藤淳・佐高対談と山崎論考。
話題は多岐にわたるが、最も具体的で詳しいのが、渡嘉敷島の集団自決を扱ったノンフィクション「ある神話の背景」である。曽野氏はここで自決命令を出したと言われる赤松隊長擁護の論陣を張り、一部の人には「現地調査に基づく決定版」と高く評価された。しかし、山崎氏が示す実態は驚くべきものだ。なにしろ、主張の根拠は捏造文書、論理は杜撰、公の席での発言は嘘、さらには誤読もという有様である。この本を根拠に大江氏と岩波書店を相手取って名誉毀損の裁判を起こした人がいたことを思えば、昨今世間を騒がせている捏造事件なぞかわいいものである。
曽野氏は山崎氏の批判をこれまで黙殺しているようだ。しかし、理を尽くした批判にはきちんと応ずるのが言論人の誠実さというものだろう。ことに、曽野氏は中学校の道徳副読本に登場し、生徒諸君は氏から誠実さを学ぶことになっている。範を垂れることを望む。
曽野綾子的なものが跋扈するようになった原因は、著者らによれば論壇が批判力を失って劣化したことである。しかし、曽野氏の場合、現に本書の佐高、山崎両氏という手強い論敵がいるのに何故という疑問がわく。そこには、曽野氏の巧みな、論争をかわす交渉術、論壇遊泳術、人心掌握術があったということだろう。これにまつわるエピソードと対談者の見方は興味深い。
佐高氏によると曽野氏批判はタブーになっているとのこと。しかし、論壇にそのようなものはあってはならず、論争の場に裁判を持ち込むなぞ言語道断。言論による真剣勝負こそが論壇の劣化を防ぐ道だと熱っぽく語る二人のスリリングな対談である。
話題は多岐にわたるが、最も具体的で詳しいのが、渡嘉敷島の集団自決を扱ったノンフィクション「ある神話の背景」である。曽野氏はここで自決命令を出したと言われる赤松隊長擁護の論陣を張り、一部の人には「現地調査に基づく決定版」と高く評価された。しかし、山崎氏が示す実態は驚くべきものだ。なにしろ、主張の根拠は捏造文書、論理は杜撰、公の席での発言は嘘、さらには誤読もという有様である。この本を根拠に大江氏と岩波書店を相手取って名誉毀損の裁判を起こした人がいたことを思えば、昨今世間を騒がせている捏造事件なぞかわいいものである。
曽野氏は山崎氏の批判をこれまで黙殺しているようだ。しかし、理を尽くした批判にはきちんと応ずるのが言論人の誠実さというものだろう。ことに、曽野氏は中学校の道徳副読本に登場し、生徒諸君は氏から誠実さを学ぶことになっている。範を垂れることを望む。
曽野綾子的なものが跋扈するようになった原因は、著者らによれば論壇が批判力を失って劣化したことである。しかし、曽野氏の場合、現に本書の佐高、山崎両氏という手強い論敵がいるのに何故という疑問がわく。そこには、曽野氏の巧みな、論争をかわす交渉術、論壇遊泳術、人心掌握術があったということだろう。これにまつわるエピソードと対談者の見方は興味深い。
佐高氏によると曽野氏批判はタブーになっているとのこと。しかし、論壇にそのようなものはあってはならず、論争の場に裁判を持ち込むなぞ言語道断。言論による真剣勝負こそが論壇の劣化を防ぐ道だと熱っぽく語る二人のスリリングな対談である。
2014年4月22日に日本でレビュー済み
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ジャーナリスト・佐高信氏と文芸評論家・山崎行太郎氏との対談。
本書のメインテーマは、「曽野綾子批判」であるが、「曽野綾子的なもの」、「保守論壇」に対する批判でもある。
曽野綾子批判は本文中にもあってかなりおもしろいが、付録の「曽野綾子大批判・序説」で「沖縄集団自決論争」「沖縄集団自決裁判」における曽野綾子氏の主張がいかにひどいものかが、資料分析を中心にきっちり示されている。これだけ批判されてだんまりを決め込んでいるのは、みずから非を認めるに等しい。そうでないならば、ぜひ疑惑を晴らす反論をしてほしいと思う。
ご両人は世代も近く江藤淳を熱心に読んできたという共通体験もあり、対談をとても楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。しかし、ここの議論の核心は、「沖縄の独立」がありうる、という危機感に直結している。「そんなばかなことは断じてありえない」、と思っている人も沖縄の芥川賞作家・大城立裕氏の小説を数時間読むだけで、そんな思いはぐらつくはずだ。
ともあれ、西部邁や柄谷行人に対する見解の相違や丸山眞男、江藤淳、かんさんじゅ、小林秀雄らについての話、裏話など読みどころ満載。実はディープな内容なのにポップに語り合える両氏には今後も注目したい。(このおっさんたちはかなりパンク・ロックだ!)
本書のメインテーマは、「曽野綾子批判」であるが、「曽野綾子的なもの」、「保守論壇」に対する批判でもある。
曽野綾子批判は本文中にもあってかなりおもしろいが、付録の「曽野綾子大批判・序説」で「沖縄集団自決論争」「沖縄集団自決裁判」における曽野綾子氏の主張がいかにひどいものかが、資料分析を中心にきっちり示されている。これだけ批判されてだんまりを決め込んでいるのは、みずから非を認めるに等しい。そうでないならば、ぜひ疑惑を晴らす反論をしてほしいと思う。
ご両人は世代も近く江藤淳を熱心に読んできたという共通体験もあり、対談をとても楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。しかし、ここの議論の核心は、「沖縄の独立」がありうる、という危機感に直結している。「そんなばかなことは断じてありえない」、と思っている人も沖縄の芥川賞作家・大城立裕氏の小説を数時間読むだけで、そんな思いはぐらつくはずだ。
ともあれ、西部邁や柄谷行人に対する見解の相違や丸山眞男、江藤淳、かんさんじゅ、小林秀雄らについての話、裏話など読みどころ満載。実はディープな内容なのにポップに語り合える両氏には今後も注目したい。(このおっさんたちはかなりパンク・ロックだ!)
2014年5月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大江健三郎の「沖縄ノート」を誤読しておきながら、言論で勝てないものだから裁判に訴えるという誠に卑劣な「お嬢さんババア」を完膚なきまでに打ちのめしたすばらしい作品である。
2014年11月7日に日本でレビュー済み
佐高にしろ 山崎にしろ かなり 屈曲した精神構造を持ってるのが分かった はっきり言って 彼らの根底には おもしろく??不愉快なものもある 村上春樹などは 彼らよりも はるかに 劣るので 罵っていますし なかなか おもしろい 人物批評が多かったのが 利益か 彼らの 根底を 読者は 知るかどうかは わからんけど ぼく 66歳は 彼らとほぼ 同じ年齢だから やや わかる それは 書かないですが^^ ただ かなり 登場人物のことを 知っておかないと 内容についていけないのは はっきりしている ついでながら 買うほどの価値はないと思ったので 図書館のっで 読みました おもしろいのは おもしろいです!!
2014年6月12日に日本でレビュー済み
他の評者が論ずるように本書は曽野綾子批判そのものより、曽野綾子的なものへの批判が多い。評者はかつて、山崎氏に曽野綾子と赤松隊の会合写真と「第34回司法制度改革審議会」での曽野の個別に会ったとの発言を教示した。
私は、ある神話の背景を読んで曽野の古波蔵元村長と安里巡査との会話部分を何度読み返しても違和感が抜けなかった。曽野が後から会ったように記載する安里巡査との会話では曽野は、渡嘉敷の地理に不案内であるが、古波蔵氏との会話では渡嘉敷の地理に詳しい。曽野の訪問順序が逆で古波蔵氏との会話も順序を変更させていると気づいたことが、私のある神話の背景の嘘を暴く動機であった。 曽野を信じた秦郁彦は恩納河原を渡嘉敷の北端とする地図を創作する失態を演じた。 曽野の方法はサーカスや大芝居を想起させるものである。
ソ連を離れたシャガールは「放蕩で破産した成金と理想を忘れた革命はサーカスに似ている」と語り、サーカスを主題とした絵画を多数残した。権力と金力を礼賛する曽野は成金に近い。 他方、最近の東アジアでは権力が血縁的・系譜的正統性(レジテマシー)を主張することが多い。金王朝は、戦前唯一日本に武力抵抗したと称して正統性を誇示する。腐敗にまみれる中国共産党は、専ら植民地化の阻止を果たした勢力としての正統性を誇示し、過去に反近代思想として批判してきた儒教を中華の正統とみなし、自らの支えとする。そのことと、日本の特定の歴史・伝統・文化を正統とするベクトルは同じであろう。月面着陸時を境として近代科学推進のペースは落ち込み、オカルトの跋扈が始まる。希望と未来の展望を失ったドグマ(イデオロギー)勢力が正統に反転することと、保守勢力のサーカス的軽薄な言動は時代を一にするものであろう。語りの精緻・細分化は人間に感動を与えない。サーカスは見世物であり、ピエロは自我の未発達な子ども達を感心させようとする。
山崎氏が広松渉と丸山真男を読んでいたとは意外だった。仏教の関係的世界観の究極的到達点はアジア的共同体の自然を擬人化し自然>全体>個を血縁擬制的ヒエラルキー神話(共同主観)の皮膜で被った事的世界観(歴史的事実として古代では氏族的血縁的靱帯が消失し、自然・全体・個の連続性が原理的に断絶したことから事的世界観の虚構性が顕わになる)を相対化した華厳教の事事無礙法界観であり、相対化は結局、家族的現世利益的呪術(密教、曼荼羅)に繋がった。
事実の一面を暴露することが未来を開くとは限らない。 丸山真男には複眼的思考があった。技術論で技術は機械なのか、法則の意識的適用なのかという議論がある。模倣呪術は似而非法則の意識的適用であり、他界や魂を自立化させることで成り立つ祭祀は似而非機械のようなものである。ニュートン力学は祭祀からではなく呪術から錬金術などを経て進化した。呪術は祭祀より技術としては現実志向であった。祭祀は、共同主観に支えられるものであり観念的なものである。祭祀は象徴性と様式美で飾られることがあり、これに嵌まる人たちがいる。イデオロギー(ドグマ)に嵌まる人と共通性があるのではないか。
丸山のクラシック好きも話題となっている。佐高氏と山崎氏は、クラシックが嫌いで演歌や青春歌謡を聞くという。そのことが丸山理解を妨げている可能性がある。ベートーベンを神のように慕ったロマンロランは(ベートーベンの気持ちを推し量れず)ウェリントンの勝利という小作品に品格がないとして、ベートーベンほどの人物がこんなにも堕ちることができるのかと嘆いた。私はナポレオンが皇帝になったと聞き英雄交響曲の献呈書を破ったことと同様、(ワーテルローでウェリントンに負けた)ナポレオンの人品を揶揄しているにすぎないと思う。 丸山はゼミ生の集いで出世頭を任じ自慢話を続ける門下生に平手打ちを喰わせ、1943年フルトヴェングラー指揮の「運命」について「私にはハッタリを好む性格が潜んでいるのかもしれない」と語り、大音量で聴いて奥さんによくしかられたという。丸山は「運命」はハッタリなどではなく英雄同様フランス革命賛歌だったと理解していたはず。ベートーベン以外の音楽をほとんど聴かない評者にとって、丸山氏の生き様にはベートーベンの投影があると思えてならない。ハッタリと語るのは氏が自身の存在理由の一端を吐露しているものと私は理解する。
山崎氏の青春歌が好きな方向は、ドグマ正統に絡まれることを妨げる氏の気質を示している可能性がある。しかし、演歌好きの方向には、保田與重郎ばりの日本浪漫派に引き寄せられる可能性があるとも考えている。
私は、ある神話の背景を読んで曽野の古波蔵元村長と安里巡査との会話部分を何度読み返しても違和感が抜けなかった。曽野が後から会ったように記載する安里巡査との会話では曽野は、渡嘉敷の地理に不案内であるが、古波蔵氏との会話では渡嘉敷の地理に詳しい。曽野の訪問順序が逆で古波蔵氏との会話も順序を変更させていると気づいたことが、私のある神話の背景の嘘を暴く動機であった。 曽野を信じた秦郁彦は恩納河原を渡嘉敷の北端とする地図を創作する失態を演じた。 曽野の方法はサーカスや大芝居を想起させるものである。
ソ連を離れたシャガールは「放蕩で破産した成金と理想を忘れた革命はサーカスに似ている」と語り、サーカスを主題とした絵画を多数残した。権力と金力を礼賛する曽野は成金に近い。 他方、最近の東アジアでは権力が血縁的・系譜的正統性(レジテマシー)を主張することが多い。金王朝は、戦前唯一日本に武力抵抗したと称して正統性を誇示する。腐敗にまみれる中国共産党は、専ら植民地化の阻止を果たした勢力としての正統性を誇示し、過去に反近代思想として批判してきた儒教を中華の正統とみなし、自らの支えとする。そのことと、日本の特定の歴史・伝統・文化を正統とするベクトルは同じであろう。月面着陸時を境として近代科学推進のペースは落ち込み、オカルトの跋扈が始まる。希望と未来の展望を失ったドグマ(イデオロギー)勢力が正統に反転することと、保守勢力のサーカス的軽薄な言動は時代を一にするものであろう。語りの精緻・細分化は人間に感動を与えない。サーカスは見世物であり、ピエロは自我の未発達な子ども達を感心させようとする。
山崎氏が広松渉と丸山真男を読んでいたとは意外だった。仏教の関係的世界観の究極的到達点はアジア的共同体の自然を擬人化し自然>全体>個を血縁擬制的ヒエラルキー神話(共同主観)の皮膜で被った事的世界観(歴史的事実として古代では氏族的血縁的靱帯が消失し、自然・全体・個の連続性が原理的に断絶したことから事的世界観の虚構性が顕わになる)を相対化した華厳教の事事無礙法界観であり、相対化は結局、家族的現世利益的呪術(密教、曼荼羅)に繋がった。
事実の一面を暴露することが未来を開くとは限らない。 丸山真男には複眼的思考があった。技術論で技術は機械なのか、法則の意識的適用なのかという議論がある。模倣呪術は似而非法則の意識的適用であり、他界や魂を自立化させることで成り立つ祭祀は似而非機械のようなものである。ニュートン力学は祭祀からではなく呪術から錬金術などを経て進化した。呪術は祭祀より技術としては現実志向であった。祭祀は、共同主観に支えられるものであり観念的なものである。祭祀は象徴性と様式美で飾られることがあり、これに嵌まる人たちがいる。イデオロギー(ドグマ)に嵌まる人と共通性があるのではないか。
丸山のクラシック好きも話題となっている。佐高氏と山崎氏は、クラシックが嫌いで演歌や青春歌謡を聞くという。そのことが丸山理解を妨げている可能性がある。ベートーベンを神のように慕ったロマンロランは(ベートーベンの気持ちを推し量れず)ウェリントンの勝利という小作品に品格がないとして、ベートーベンほどの人物がこんなにも堕ちることができるのかと嘆いた。私はナポレオンが皇帝になったと聞き英雄交響曲の献呈書を破ったことと同様、(ワーテルローでウェリントンに負けた)ナポレオンの人品を揶揄しているにすぎないと思う。 丸山はゼミ生の集いで出世頭を任じ自慢話を続ける門下生に平手打ちを喰わせ、1943年フルトヴェングラー指揮の「運命」について「私にはハッタリを好む性格が潜んでいるのかもしれない」と語り、大音量で聴いて奥さんによくしかられたという。丸山は「運命」はハッタリなどではなく英雄同様フランス革命賛歌だったと理解していたはず。ベートーベン以外の音楽をほとんど聴かない評者にとって、丸山氏の生き様にはベートーベンの投影があると思えてならない。ハッタリと語るのは氏が自身の存在理由の一端を吐露しているものと私は理解する。
山崎氏の青春歌が好きな方向は、ドグマ正統に絡まれることを妨げる氏の気質を示している可能性がある。しかし、演歌好きの方向には、保田與重郎ばりの日本浪漫派に引き寄せられる可能性があるとも考えている。