本書にはいくつかの悲劇が描かれますが、それが決して暗く重くならず、ノスタルジーとも違った懐かしさのようなものがあり、そしてどこかしら暖かく優しい幸福感に包まれます。
本書の舞台となるアリス島ってどこにあるのだろうと、本書を読み始めてすぐにグーグルで探しても見つからず、それもそのはず架空の島なのでした。
そのアリス島で唯一の書店が、創業1999年のアイランド・ブックス。
書店の玄関ポーチの上に掲げられている看板には次のように書かれている。
「人間は孤島にあらず。書物は各々一つの世界なり」
この書店を舞台に、数年前に事故で妻を亡くした書店主のA.J.フィクリー、亡き妻の姉イズメイ、イズメイの夫で作家のダニエル、警官ランビアーズ、出版社営業のアメリア、そして書店に置いておかれた幼児マヤといった登場人物すべてが実に魅力的に描かれています。それがとても良いのです。
また、本書全体は、アーヴィングの「ガープの世界」のように、フィクリーをめぐるある程度長い期間を描いたもので、それが本書のタイトル「書店主フィクリーのものがたり」との所以なのでしょう(「ガープの世界」ほど長くはなくサラリと読めてしまいますが)。
また、各章ごとの頭に、こだわりを持つ文学をつかって、マヤに向けてのフィクリーからのメッセージが記されており、これがまたまた良いのです。
たとえばこんなものがあります。
「小説というものは、人生のしかるべきときに出会わなければならない(中略)。ぼくたちが20のときに感じたことは、40のときに感じるものと必ずしも同じではない。逆もまたしかり。このことは本においても、人生においても真実なのだ」
まさに、これは私自身実感として持っており、同じ本でもそれを読んだときの年齢や状況において、以前なんとも思わなかったパートにひどく感動したり、逆に以前素晴らしいと思ったものがそれほどでもなくなったりした経験が多々あります。お気に入りの本は5~7年くらいごとに再読していますが、そのたびごとに違った印象を持つことがあります。
本書で取り上げられている文学作品のうち半分は未読でしたので、それらの作品についても読みたくなってきます。
「つながる」ことを描いた本書は、本を読むことの幸福感を味わえるとても良質な作品です。
書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫) (日本語) 文庫 – 2017/12/6
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本の長さ356ページ
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言語日本語
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出版社早川書房
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発売日2017/12/6
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ISBN-104151200932
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ISBN-13978-4151200939
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
島に一軒だけある小さな書店。偏屈な店主フィクリーは妻を亡くして以来、ずっとひとりで店を営んでいた。ある夜、所蔵していた稀覯本が盗まれてしまい、フィクリーは打ちひしがれる。傷心の日々を過ごすなか、彼は書店にちいさな子どもが捨てられているのを発見する。自分もこの子もひとりぼっち―フィクリーはその子を、ひとりで育てる決意をする。本屋大賞に輝いた、本を愛するすべての人に贈る物語。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ゼヴィン,ガブリエル
1977年生まれ。ハーバード大学卒。2005年、ヤング・アダルト小説『天国からはじまる物語』で作家デビュー。2014年に『書店主フィクリーのものがたり』を刊行。数カ月にわたって“ニューヨーク・タイムズ”のベストセラーリストにランクインし、30以上の言語に翻訳され、全米の図書館員が運営する“Library Reads”ベストブックに選ばれるなど、世界中で愛されている
小尾/芙佐
1955年津田塾大学英文科卒、英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1977年生まれ。ハーバード大学卒。2005年、ヤング・アダルト小説『天国からはじまる物語』で作家デビュー。2014年に『書店主フィクリーのものがたり』を刊行。数カ月にわたって“ニューヨーク・タイムズ”のベストセラーリストにランクインし、30以上の言語に翻訳され、全米の図書館員が運営する“Library Reads”ベストブックに選ばれるなど、世界中で愛されている
小尾/芙佐
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カスタマーレビュー
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ベスト500レビュアー
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タイトルではフィクリーですが作中ではA・Jと表記される主人公。プリンストン大学出身で本について非常に細かいこだわりを持つ書店主でずいぶん偏屈に思われますが、その他の登場人物も負けず劣らず自分本位というか一本調子なところがあるので油断なりません。特に、レア本を盗まれたり、店に捨て子がいたりするのに、警察署長であるランビアーズの対応ぶりはある種のユーモアにさえ感じます。
店に捨てられていた子供マヤを引き取り育てる事にしたA・Jを気遣ってか、今まで本など読まなかったランビアーズが度々店を訪れるようになり果ては読書会まで開いてしまったり、当初はぞんざいに扱っていたセールスレディのアメリアと妙に親密になったりと、子育てと読書が絶妙に絡み合っています。しかし、順調なはずの子育てと読書(商売)と裏腹にある事がA・Jに忍び寄ってくるのです。
店に捨てられていた子供マヤを引き取り育てる事にしたA・Jを気遣ってか、今まで本など読まなかったランビアーズが度々店を訪れるようになり果ては読書会まで開いてしまったり、当初はぞんざいに扱っていたセールスレディのアメリアと妙に親密になったりと、子育てと読書が絶妙に絡み合っています。しかし、順調なはずの子育てと読書(商売)と裏腹にある事がA・Jに忍び寄ってくるのです。
2015年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品を読むと、「本の虫」と云われても、本に出合え読書好きになったことを感謝
せずにはいられない。
本の魅力をあらためて満喫できる素晴らしい作品である。「人間の世界は、けっきょく短
篇集なんだよ。すべて収録された作品が完璧ではない」、と著者は主人公に語らせている。
まさしくこの各短篇作品に、さまざまな人の生き方、考え方を探っていける。
また、アメリカ作家の短篇を読み込んできた読者にとって、この作品の各章に掲げている
『短篇作品』へ添えられている、ワサビのきいた簡潔な説明が、各章の道案内になってい
ることがお分かりと思う。
『短篇作品』はロアルド・ダールで始まり、ロアルド・ダールで終る十三章である。
「散文の領域においてもっとも気品のある芸術作品は短篇小説だよ」という理念をもつ
アリス島の書店「アイランド・ブックス」店主A・J・フィクリーの生涯と、彼をとりま
く人間模様が物語である。妻を交通事故で亡くしている。
「マヤ」という二歳の女の子が店に捨てられ、店主が養女にする。
店主が恋心をいだき結婚するアメリア、島内の警察署長ランビアーズ、義姉イズメイと
夫ダニエル(交通事故で亡くなる)が登場人物。
「マヤ・タマレーン・フィクリー」(マヤをメタファにした短篇も紹介されている)は
養父母に温かく育てられ、小説家の卵に成長していく。「本」が、パパのせっけん、草や
海、チーズ、の匂いがするほど本好きの女の子である。
フィクリーは、マヤの成長過程で父親としての繊細な配慮を「短篇解説」で表現していく。
例えば、自分の過去の話や、マヤの結婚相手の心配、短篇小説家としての心構えなどである。
アメリアは、出版会社の営業をしていたが、「感性や関心を共有できる」と感じて、
フィクリーと結婚する。ランビアーズはフィクリーの悩みの相談相手であり、「署長特選
読書会」を主催している。
E・A・ポー詩集『タマレーン』の「失踪の真相」、≪レオン・フリードマン≫『遅咲
きの花』の、「作家にまつわるミステリアスな話」、マヤの「出生の秘密」などが単調な
物語後半で明かされる。
フィクリーとアメリアとの恋のさやあてや駆け引き、読書好きのイズメイとランビアーズ
の「本をダシ」にしたロマンチックな恋の会話なども色彩をそえている。
最終章ロアルド・ダールの『古本屋』は、フィクリーが死の旅路へ出発するまえに、
愛するマヤへの遺言状に思え泣けてくる。
翻訳も非常にわかりやすい。訳者があとがきで書いているが、「ユーモアでくるみ、ウイ
ットをちりばめ」た著者の作品を、まさしくユーモアとウイットを自然に感じさせる名訳で
ある。
作品に「あなたのいちばん好きな本は何ですか」の質問が何か所かある。本の趣向により
その人の性格や生活がわかるという。参考にしようと思う。
かたや、アメリァが好むマニュキアの色は「キーピング・シングス・ライト」(なんでも
気楽にやりましょう)である。
本たちよ ありがとう。
せずにはいられない。
本の魅力をあらためて満喫できる素晴らしい作品である。「人間の世界は、けっきょく短
篇集なんだよ。すべて収録された作品が完璧ではない」、と著者は主人公に語らせている。
まさしくこの各短篇作品に、さまざまな人の生き方、考え方を探っていける。
また、アメリカ作家の短篇を読み込んできた読者にとって、この作品の各章に掲げている
『短篇作品』へ添えられている、ワサビのきいた簡潔な説明が、各章の道案内になってい
ることがお分かりと思う。
『短篇作品』はロアルド・ダールで始まり、ロアルド・ダールで終る十三章である。
「散文の領域においてもっとも気品のある芸術作品は短篇小説だよ」という理念をもつ
アリス島の書店「アイランド・ブックス」店主A・J・フィクリーの生涯と、彼をとりま
く人間模様が物語である。妻を交通事故で亡くしている。
「マヤ」という二歳の女の子が店に捨てられ、店主が養女にする。
店主が恋心をいだき結婚するアメリア、島内の警察署長ランビアーズ、義姉イズメイと
夫ダニエル(交通事故で亡くなる)が登場人物。
「マヤ・タマレーン・フィクリー」(マヤをメタファにした短篇も紹介されている)は
養父母に温かく育てられ、小説家の卵に成長していく。「本」が、パパのせっけん、草や
海、チーズ、の匂いがするほど本好きの女の子である。
フィクリーは、マヤの成長過程で父親としての繊細な配慮を「短篇解説」で表現していく。
例えば、自分の過去の話や、マヤの結婚相手の心配、短篇小説家としての心構えなどである。
アメリアは、出版会社の営業をしていたが、「感性や関心を共有できる」と感じて、
フィクリーと結婚する。ランビアーズはフィクリーの悩みの相談相手であり、「署長特選
読書会」を主催している。
E・A・ポー詩集『タマレーン』の「失踪の真相」、≪レオン・フリードマン≫『遅咲
きの花』の、「作家にまつわるミステリアスな話」、マヤの「出生の秘密」などが単調な
物語後半で明かされる。
フィクリーとアメリアとの恋のさやあてや駆け引き、読書好きのイズメイとランビアーズ
の「本をダシ」にしたロマンチックな恋の会話なども色彩をそえている。
最終章ロアルド・ダールの『古本屋』は、フィクリーが死の旅路へ出発するまえに、
愛するマヤへの遺言状に思え泣けてくる。
翻訳も非常にわかりやすい。訳者があとがきで書いているが、「ユーモアでくるみ、ウイ
ットをちりばめ」た著者の作品を、まさしくユーモアとウイットを自然に感じさせる名訳で
ある。
作品に「あなたのいちばん好きな本は何ですか」の質問が何か所かある。本の趣向により
その人の性格や生活がわかるという。参考にしようと思う。
かたや、アメリァが好むマニュキアの色は「キーピング・シングス・ライト」(なんでも
気楽にやりましょう)である。
本たちよ ありがとう。
殿堂入りNo1レビュアーベスト500レビュアー
主人公の名はA.J.フィクリー。39歳のインド系アメリカ人だ。結婚を機に、妻ニックの出身地であるアリス島にやってきて、この地でたった一軒の書店「アイランド・ブックス」を経営してきたが、妻がなくなって以来、偏屈な男になってしまっていた。出版社の営業担当アメリア・ローマンが定期的に島へやってくるときも、不愛想な応対しかできない。
ある日、店頭に飾ってあったポーの稀覯本が盗難されてしまう。これに続いて、2歳の黒人の女の子が店内に置き去りにされるという事件が起こる。
フィクリーはこのマヤという名の女の子を自分の娘として育てることにするのだが…。
一言でいえば、フィクリーという男が小さな島でささやかな書店を経営し、書籍を介して様々な人々との関係を広げ、やがて人としての成長を遂げていくという物語です。
インド系の主人公、彼が家族として迎え入れた黒人の女の子、彼の周囲の白人の人々、そうした登場人物を配して筆を振るった作者はロシア系ユダヤ人と韓国系の両親のもとに生まれたアメリカ人。そのことを思うと、多様な人種・民族の人々が積み上げた国アメリカの肖像がこの小説の中に落とし込まれていることを考えずにはいられません。
様々な、特に短編の名が各章の扉に連ねられながら綴られていきます。掲げられた短編集のひとつひとつにあたった後であればこの物語をより深く味わうことができたのかもしれませんが、私はそのほとんどを知らぬまま、それでもひとりの男の成長を、彼をとりまく人々の心のぬくもりを、そしてポーの稀覯本盗難とマヤの置き去りという二つの謎を解くミステリーを、大いに楽しみました。
その読書の果てに、「人間というものはいろいろなことをやるものだが、たいていはそれなりの理由がある」(257頁)という言葉を噛みしめました。一見想定外のおこないを人がするとき、その背景には一定の理屈がしっかりと存在する。本の盗難と幼児の置き去りの背景にあった<ワケ>にたどり着いたとき、読者は様々な思いを抱くでしょう。私は、人と人とがかかわるとき、節度をもってまずその行く末をきちんと見極めることが大切であることを考えました。
翻訳はダニエル・キイス『 アルジャーノンに花束を 』を見事な日本語に移し替えて、私をかつて大いに泣かせてくれた小尾芙佐氏。今回も大変見事な和文で、この物語を私たち日本人読者に提供してくれています。
この物語には作者のガブリエル・ゼヴィンが古今の小説作品への言及やほのめかしを、わかる人にはわかる、つまりわからない人は見過ごしてしまう形で、各所に散りばめています。小尾氏自身、「訳注をつけたくな」る誘惑と闘った様子を「訳者あとがき」で記しています。一度は訳注を付してみたものの、邪魔だと感じてすべて外したのだとか。その判断はまったくもって正しいものだと私は感じます。
読者は今後も大いに読書を続け、そしてまたこの物語に帰ってくればよいのです。そのとき、作者ゼヴィンがさりげなく埋め込んだあれこれに読者自らの力で気づくことができたとしたら、それは読み手自身の確かな成長を意味することでしょう。
---------
翻訳者の手腕を称賛しながらも、少し気になる訳語があったので以下に指摘しておきます。
*272頁:ドラマ『グレイズ・アナトミー』のなかに自分と同じ病気を抱えた人物が出てくることを思い出した患者と主治医の会話の中で、医師が「深夜の連続ドラマをもとに、将来の見通しを立てるべきだと思いません」と言うくだりがあります。「深夜の連続ドラマ」という訳語がひっかかりました。
というのも、アメリカでの『グレイズ・アナトミー』の放送時間は、放送当初は夜の10時、最近は夜の8時です。この時間帯を「深夜」と呼ぶのは違和感があります。
原文は「nighttime soap operas」です。アメリカでは「daytime」の番組は主婦向け、「nighttime」はもう少し知的(かつリベラル)視聴者向けの番組が多いとされています。
ですから「nighttime soap operas」には、「もっぱら昼間にやっている主婦向けメロドラマみたいな薄っぺらな内容なのに、夜に放送しているドラマ」というニュアンスがあります。『グレイズ・アナトミー』は夜のゴールデンタイムよりも昼にやったほうがふさわしいとこの主治医が揶揄していることがこの表現から読み取れます。
したがって「nighttime soap operas」は「深夜の連続ドラマ」と訳すよりは「夜のメロドラマ」とするほうが適当だと思います。
*同じく272頁:上述の主治医はさらに『グレイズ・アナトミー』の中で当該患者がドラマの1、2回は生きているけど、3回目に死んでしまうことを「連続三回曲線ドラマ」と表現します。これは原文では「a three-episodic arc」となっています。
「arc」は「曲線」というよりは「孤」です。アメリカのテレビ業界では、視聴者をひっぱるために複数の放送回にまたがって虹をかけるように展開させるストーリーの流れのことを「arc」と言います。「一話完結(self-contained)」ではないということです。
ですから「a three-episodic arc」は「連続三回曲線ドラマ」という不明瞭な表現よりは、「三話完結型ストーリー」とするほうが日本の読者にはイメージがつかみやすいと思います。
ある日、店頭に飾ってあったポーの稀覯本が盗難されてしまう。これに続いて、2歳の黒人の女の子が店内に置き去りにされるという事件が起こる。
フィクリーはこのマヤという名の女の子を自分の娘として育てることにするのだが…。
一言でいえば、フィクリーという男が小さな島でささやかな書店を経営し、書籍を介して様々な人々との関係を広げ、やがて人としての成長を遂げていくという物語です。
インド系の主人公、彼が家族として迎え入れた黒人の女の子、彼の周囲の白人の人々、そうした登場人物を配して筆を振るった作者はロシア系ユダヤ人と韓国系の両親のもとに生まれたアメリカ人。そのことを思うと、多様な人種・民族の人々が積み上げた国アメリカの肖像がこの小説の中に落とし込まれていることを考えずにはいられません。
様々な、特に短編の名が各章の扉に連ねられながら綴られていきます。掲げられた短編集のひとつひとつにあたった後であればこの物語をより深く味わうことができたのかもしれませんが、私はそのほとんどを知らぬまま、それでもひとりの男の成長を、彼をとりまく人々の心のぬくもりを、そしてポーの稀覯本盗難とマヤの置き去りという二つの謎を解くミステリーを、大いに楽しみました。
その読書の果てに、「人間というものはいろいろなことをやるものだが、たいていはそれなりの理由がある」(257頁)という言葉を噛みしめました。一見想定外のおこないを人がするとき、その背景には一定の理屈がしっかりと存在する。本の盗難と幼児の置き去りの背景にあった<ワケ>にたどり着いたとき、読者は様々な思いを抱くでしょう。私は、人と人とがかかわるとき、節度をもってまずその行く末をきちんと見極めることが大切であることを考えました。
翻訳はダニエル・キイス『 アルジャーノンに花束を 』を見事な日本語に移し替えて、私をかつて大いに泣かせてくれた小尾芙佐氏。今回も大変見事な和文で、この物語を私たち日本人読者に提供してくれています。
この物語には作者のガブリエル・ゼヴィンが古今の小説作品への言及やほのめかしを、わかる人にはわかる、つまりわからない人は見過ごしてしまう形で、各所に散りばめています。小尾氏自身、「訳注をつけたくな」る誘惑と闘った様子を「訳者あとがき」で記しています。一度は訳注を付してみたものの、邪魔だと感じてすべて外したのだとか。その判断はまったくもって正しいものだと私は感じます。
読者は今後も大いに読書を続け、そしてまたこの物語に帰ってくればよいのです。そのとき、作者ゼヴィンがさりげなく埋め込んだあれこれに読者自らの力で気づくことができたとしたら、それは読み手自身の確かな成長を意味することでしょう。
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翻訳者の手腕を称賛しながらも、少し気になる訳語があったので以下に指摘しておきます。
*272頁:ドラマ『グレイズ・アナトミー』のなかに自分と同じ病気を抱えた人物が出てくることを思い出した患者と主治医の会話の中で、医師が「深夜の連続ドラマをもとに、将来の見通しを立てるべきだと思いません」と言うくだりがあります。「深夜の連続ドラマ」という訳語がひっかかりました。
というのも、アメリカでの『グレイズ・アナトミー』の放送時間は、放送当初は夜の10時、最近は夜の8時です。この時間帯を「深夜」と呼ぶのは違和感があります。
原文は「nighttime soap operas」です。アメリカでは「daytime」の番組は主婦向け、「nighttime」はもう少し知的(かつリベラル)視聴者向けの番組が多いとされています。
ですから「nighttime soap operas」には、「もっぱら昼間にやっている主婦向けメロドラマみたいな薄っぺらな内容なのに、夜に放送しているドラマ」というニュアンスがあります。『グレイズ・アナトミー』は夜のゴールデンタイムよりも昼にやったほうがふさわしいとこの主治医が揶揄していることがこの表現から読み取れます。
したがって「nighttime soap operas」は「深夜の連続ドラマ」と訳すよりは「夜のメロドラマ」とするほうが適当だと思います。
*同じく272頁:上述の主治医はさらに『グレイズ・アナトミー』の中で当該患者がドラマの1、2回は生きているけど、3回目に死んでしまうことを「連続三回曲線ドラマ」と表現します。これは原文では「a three-episodic arc」となっています。
「arc」は「曲線」というよりは「孤」です。アメリカのテレビ業界では、視聴者をひっぱるために複数の放送回にまたがって虹をかけるように展開させるストーリーの流れのことを「arc」と言います。「一話完結(self-contained)」ではないということです。
ですから「a three-episodic arc」は「連続三回曲線ドラマ」という不明瞭な表現よりは、「三話完結型ストーリー」とするほうが日本の読者にはイメージがつかみやすいと思います。