書くことについて書かれた本。
でもキングだから、きっと自分の作品の解説とか、それに至る背景とか、自分の人生とか、そういうことを面白おかしく書いてあるんだろうと思っていた。
最初の章は思った通りで、彼の少年時代から、結婚、現在に至る話だ。それでも、かなり面白い。彼の小説家になる原点が書いてある。けれど、母子家庭だった若い頃や、母への思い。そして母の死に至るあたりは、結構泣けてしまう。決して奇をてらった、泣かせな文章ではなく、結構淡々としている。キングの小説にあるとおりに、日常の中に埋没しそうな人の生活がそこにあって、返ってぐっとくる。
妻に対しては、きっと今でもラブラブなんだろうと思ってしまうほど。でものろけではなくて、人生の同志に対するエールのようだ。いかに妻が知的であるか。それは言葉、文章、に対する感性においてだ。この辺を読んでいると、彼の描く女性像の一端が見えてくる。たとえば、「シャイニングの」妻を彷彿とする。
でも驚かされたのは、文章の書き方を書いてあるところ。
副詞とか形容詞について書かれた下りは、本当に率直で簡潔で、わかりやすいだけでなく、こんなに役に立つハウツー本を初めて見たと思った。日本人の書いたいわゆるハウツー本は、どれもかなりいい加減で役には立たない。書いている人ならそれがわかるはずだ。日本の結構な作家が書いている本だと、その作家のファンなら、ちょっと面白い内容だったりするが、ハウツーとして読めば、やっぱり役に立つほどではない。その作家の考え方が書いてあると言うことで、含蓄はあるんだが、それだけだ。
でもキングのは、本当に役に立った。書いている人が、必ず落ち込むような問題を端的に指摘している。
全米で1・2を争うようなベストセラー作家で、しかもホラーというジャンル小説を書いている(つまり、読んでる人が、少しでもつまらないとそっぽを向いてしまう。文芸を読み慣れた読者より辛抱が足りない人が大半という悪条件のジャンル)にもかかわらず人気をとり続けている作家の言葉だ。その秘密がここにあるのかと思うと、目から鱗だった。
こんなに背中を押された気分になるハウツー本は初めてだ。
書くことについて (小学館文庫) (日本語) ペーパーバック – 2013/7/5
スティーヴン キング
(著)
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本の長さ412ページ
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言語英語, 日本語
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出版社小学館
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発売日2013/7/5
-
寸法10.67 x 1.52 x 14.73 cm
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ISBN-104094087648
-
ISBN-13978-4094087642
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Lexile指数1110L
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
モダン・ホラーの巨匠が苦闘時代からベストセラー作家となるまで自らの体験に照らし合わせて綴った自伝的文章読本。『小説作法』の題名で刊行された名著の待望の新訳版。巻末には新たに著者が二〇〇一年から〇九年にかけて読んだ本のベスト八十冊を掲載。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
キング,スティーヴン
1947年米国メイン州ポートランド生まれ。高校教師を経て、74年に長編小説『キャリー』で作家デビュー。以後『呪われた町』『シャイニング』『IT』『ミザリー』など次々とベストセラーを生み出し、モダン・ホラーの第一人者となる
田村/義進
1950年大阪市生まれ。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1947年米国メイン州ポートランド生まれ。高校教師を経て、74年に長編小説『キャリー』で作家デビュー。以後『呪われた町』『シャイニング』『IT』『ミザリー』など次々とベストセラーを生み出し、モダン・ホラーの第一人者となる
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2018年11月1日に日本でレビュー済み
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103人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年5月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
趣味で書いている小説の参考になればと購入。
本編405ページの133ページまでは、キングの生い立ちや妻との回想録。キングの日常や価値観を軽妙な文章で綴っています。
137ページからが表題の「書くことについて」で、数多の傑作を書いてきたストーリーテリングの方法を、かなり具体的に解説しています。
僕はハリウッドの三幕構成(シドフィールド)や荒木飛呂彦氏の漫画創作の本など、物語づくりのハウツー本を十冊以上読んでますが、キングがどのように、あの面白いストーリーを考えているのか、とても興味がありました。
そしてキングも、ハリウッドの三幕構成のように、綿密に最後までのプロット(展開)を考えて、ほぼ設計図通りに文字に落としているものと想像していました。
しかしキングは、基本となる設定が固まったら、先の展開は分からずに書き始めると書いてあり、これは予想外でした。
たとえば「ミザリー」は、ベストセラー作家が、人里離れた雪深い山小屋で、熱烈なファンの女性に監禁されたらどうなるか?
と、この程度の状況設定で書き始め、その後の展開は登場人物たちがどう動くかを想像しながら書き進めるようです。
この方法で、話が破綻することなく、ヤマ場のドンデン返しや、伏線の回収も行い、きちんと完結させることに驚きます。
キング自身も、書きながら次の展開がわからなくてハラハラするから、書いていてとても楽しいようです。書きながら同時に、読者としても楽しんでいるのですね。
たしかに小説を書いていて、登場人物の意志が立ち上がってくると、初めに考えていた展開が変わることはあります。この人物ならAを選択するよりもBを選択する方が自然だろうという感覚を優先して展開を変えるのですが、ストーリーの大筋が最初の構想から大きく外れることはありません(僕の場合)。
しかしキングは、状況設定のみでスタートし、いわばアドリブで書き進めながら、物語としての面白さを損なわずに、数々の傑作を生み出してきた。
もちろん、最終稿までには何度も手を入れて完成させるようですが、よく物語が破綻しないなぁと、驚きです。
天才という一言で片付けてしまえば簡単ですが、下積みも長かったキングですから、世に出るまでに何万枚もの原稿を書きながら、細胞に染み込ませた技術なのかなと思います。
小説や映画に惹き込まれるのって、主人公が抱える問題や目標が、どのようなプロセスを経てゴールに向かうのか? それを見届けたいから、最後まで目が離せないのだと考えると、はじめにプロットありきではなく、キングがルポライターになり、紙面の上で息づいている登場人物の言動を文字に落とすというキングの方法論の方が、自然と人生の隠喩なども匂わせるものになるのかと、思ったりします。
これは僕の推察ですが、ミザリーの場合キングは、ミザリーが何をしたいかを想像しながら展開を考えたのだと思います。
ミザリーに巻き込まれた不運な小説家が主人公のように見えるけど、本作の主人公はミザリーで、ミザリーには明確な目的があるから、目的に向かってストーリーを牽引する力があります。つまりミザリーの要求を先に考えて、それに巻き込まれる小説家という順番で展開を考えたんじゃないかな。
ただし、読者には小説家と同じ恐怖を味わってもらうために、小説では小説家目線で話を進めた。
こうしたテクニックを使っているのではと、思います。
本書では他に、物書きとして知っておくべき文法等にも言及し、さらに巻末には、推敲前の原稿に赤入れした箇所もそのまま掲載するなど、キングがここは大事!と思うところは、すごく丁寧に解説しています。
定価800円の何倍もの価値がある良書でした^ ^
本編405ページの133ページまでは、キングの生い立ちや妻との回想録。キングの日常や価値観を軽妙な文章で綴っています。
137ページからが表題の「書くことについて」で、数多の傑作を書いてきたストーリーテリングの方法を、かなり具体的に解説しています。
僕はハリウッドの三幕構成(シドフィールド)や荒木飛呂彦氏の漫画創作の本など、物語づくりのハウツー本を十冊以上読んでますが、キングがどのように、あの面白いストーリーを考えているのか、とても興味がありました。
そしてキングも、ハリウッドの三幕構成のように、綿密に最後までのプロット(展開)を考えて、ほぼ設計図通りに文字に落としているものと想像していました。
しかしキングは、基本となる設定が固まったら、先の展開は分からずに書き始めると書いてあり、これは予想外でした。
たとえば「ミザリー」は、ベストセラー作家が、人里離れた雪深い山小屋で、熱烈なファンの女性に監禁されたらどうなるか?
と、この程度の状況設定で書き始め、その後の展開は登場人物たちがどう動くかを想像しながら書き進めるようです。
この方法で、話が破綻することなく、ヤマ場のドンデン返しや、伏線の回収も行い、きちんと完結させることに驚きます。
キング自身も、書きながら次の展開がわからなくてハラハラするから、書いていてとても楽しいようです。書きながら同時に、読者としても楽しんでいるのですね。
たしかに小説を書いていて、登場人物の意志が立ち上がってくると、初めに考えていた展開が変わることはあります。この人物ならAを選択するよりもBを選択する方が自然だろうという感覚を優先して展開を変えるのですが、ストーリーの大筋が最初の構想から大きく外れることはありません(僕の場合)。
しかしキングは、状況設定のみでスタートし、いわばアドリブで書き進めながら、物語としての面白さを損なわずに、数々の傑作を生み出してきた。
もちろん、最終稿までには何度も手を入れて完成させるようですが、よく物語が破綻しないなぁと、驚きです。
天才という一言で片付けてしまえば簡単ですが、下積みも長かったキングですから、世に出るまでに何万枚もの原稿を書きながら、細胞に染み込ませた技術なのかなと思います。
小説や映画に惹き込まれるのって、主人公が抱える問題や目標が、どのようなプロセスを経てゴールに向かうのか? それを見届けたいから、最後まで目が離せないのだと考えると、はじめにプロットありきではなく、キングがルポライターになり、紙面の上で息づいている登場人物の言動を文字に落とすというキングの方法論の方が、自然と人生の隠喩なども匂わせるものになるのかと、思ったりします。
これは僕の推察ですが、ミザリーの場合キングは、ミザリーが何をしたいかを想像しながら展開を考えたのだと思います。
ミザリーに巻き込まれた不運な小説家が主人公のように見えるけど、本作の主人公はミザリーで、ミザリーには明確な目的があるから、目的に向かってストーリーを牽引する力があります。つまりミザリーの要求を先に考えて、それに巻き込まれる小説家という順番で展開を考えたんじゃないかな。
ただし、読者には小説家と同じ恐怖を味わってもらうために、小説では小説家目線で話を進めた。
こうしたテクニックを使っているのではと、思います。
本書では他に、物書きとして知っておくべき文法等にも言及し、さらに巻末には、推敲前の原稿に赤入れした箇所もそのまま掲載するなど、キングがここは大事!と思うところは、すごく丁寧に解説しています。
定価800円の何倍もの価値がある良書でした^ ^
2018年6月27日に日本でレビュー済み
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自身の半生を淡々と振り返っているのだが、淡々と面白いことが書いてあるかのかと思って読み進んでいくと、いきなり笑わせてくれる。
ときおり、吹き出してしまう愉快なタッチに、知らない間に引き込まれていく。
前半部分では、書くことについての具体的な指南はこれといって見つからないが、きっとこの面白さが、書くことへのお手本なのだ。
後半部分では、プロットに頼らずに、化石を丁寧に掘り出すように文章を紡いでいくという方法が具体例とともに書かれている。
先日読んだ森博嗣先生と同意見で、とにかく書いてみようという方法論である。失敗したくない自分が、どうしてもそこにいて、プロットに重きを置こうとする。だが、この行為はもしかすると準備に逃げていて、ただ失敗を恐れているだけだと自己分析した。
受験勉強をしなければならない場面で、次から次へと参考書を入手して、本題に取り掛からない私の悪い癖。まさにそれをしようとしていたことに気がついた。
今からもう一度、森博嗣先生の「小説家という職業」を読んでから、私も執筆を始めることにする。
以下は気付きメモ。
「手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉を全て削ることだ。」(新聞の記事を書く仕事をもらったときに編集長から言われた言葉)
ドアを閉めて書け。ドアをあけて描きなおせ。
まずはどこから始めたらいいのか──とりあえずは、机を部屋の隅に置いてみよう。そして、その前にすわったら、それがなぜ部屋のまんなかに置かれていないのかを考えてみよう。人生は芸術の支援組織ではない。その逆である。
食事中に本を読むのはハイソサエティの礼儀作法に反するとされている。だが、作家として成功したいのなら、そんなことは気にしなくていい。
本を読むには時間がいる。テレビは時間を取りすぎる。
テレビを切れば、文章の質だけでなく、人生の質もあがる。
私にとっては、仕事をしないことが仕事なのだ。書いているのは遊び場にいるようなものだ。
一日千語。
書きたいことを書け。
ジャンルについは、自分が読みたいと思っているものを選んでいれば、大きな失敗はしないだろう。
よくないのは、自分がよく知っているものや、好きなものや、愛しているもの(私の場合はECホラー・コミックスやモノクロのホラー映画)に背を向けて、友人や親類縁者やサークル仲間に感心してもらえると思うものに手を出すことだ。金になりそうなジャンルに擦り寄るのも同じようによくない。さもしい料簡だ。
おおよその場合、ひとに本を書いたいという気持ちを起こさせるものは文学的価値ではない。飛行機のなかで気楽に読めるかどうか、読みだしたらとまらなくなるかどうかである。それを可能にするのは、作中人物の行動や言葉や周囲の状況に対する共感だろう。そこに自分自身の人生や信条に重なるものがあれば、読者は作品に感情移入することができる。
知識をひけらかすことと、ストーリーを膨らませるために知識を使うのとは、まったくちがう。後者はいい。前者はよくない。
ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。
あるとき、私は<ニューヨーカー>のインタビューのなかで、ストーリーというのは地中に埋もれた化石のように探しあてるべきものだと答えた。
プロットは削岩機のような馬鹿でかい道具だ。
私に言わせれば、プロットは優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころだ。プロット頼みの作品には作為的で、わざとらしい感じがかならずつきまとっている。
どちらかというと、私は直感に頼るほうだ。
p218のあたりいろいろ重要
私は小説の作者であると同時に、第一読者でもある。
私の場合には、プロットができていなくても、書きはじめることができる。化石がどこにあるかはわかっている。あとはそれを慎重に掘りだすだけだ。
私にとって有効なこの方法は、あなたにとっても有効だと思う。
状況をしっかりと設定すれば、プロットは無用の長物になる。
p227 化石発掘のワーク
描写の不足は読者を混乱させ、近視眼にする。描写の過剰は読者をディテールとイメージに埋没させる。その匙加減がむずかしい。
検閲者の志望者はごまんといる。
あなたが自分のすべきことをしていれば、登場人物は命を得て、ひとりで動きだすようになる。実際に経験しないとわからないことだが、そうなったときの楽しさといったらない。それは作者の悩みの多くを解決してくれる。嘘ではない。
公式…2次稿=1次稿マイナス10%。
ときおり、吹き出してしまう愉快なタッチに、知らない間に引き込まれていく。
前半部分では、書くことについての具体的な指南はこれといって見つからないが、きっとこの面白さが、書くことへのお手本なのだ。
後半部分では、プロットに頼らずに、化石を丁寧に掘り出すように文章を紡いでいくという方法が具体例とともに書かれている。
先日読んだ森博嗣先生と同意見で、とにかく書いてみようという方法論である。失敗したくない自分が、どうしてもそこにいて、プロットに重きを置こうとする。だが、この行為はもしかすると準備に逃げていて、ただ失敗を恐れているだけだと自己分析した。
受験勉強をしなければならない場面で、次から次へと参考書を入手して、本題に取り掛からない私の悪い癖。まさにそれをしようとしていたことに気がついた。
今からもう一度、森博嗣先生の「小説家という職業」を読んでから、私も執筆を始めることにする。
以下は気付きメモ。
「手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉を全て削ることだ。」(新聞の記事を書く仕事をもらったときに編集長から言われた言葉)
ドアを閉めて書け。ドアをあけて描きなおせ。
まずはどこから始めたらいいのか──とりあえずは、机を部屋の隅に置いてみよう。そして、その前にすわったら、それがなぜ部屋のまんなかに置かれていないのかを考えてみよう。人生は芸術の支援組織ではない。その逆である。
食事中に本を読むのはハイソサエティの礼儀作法に反するとされている。だが、作家として成功したいのなら、そんなことは気にしなくていい。
本を読むには時間がいる。テレビは時間を取りすぎる。
テレビを切れば、文章の質だけでなく、人生の質もあがる。
私にとっては、仕事をしないことが仕事なのだ。書いているのは遊び場にいるようなものだ。
一日千語。
書きたいことを書け。
ジャンルについは、自分が読みたいと思っているものを選んでいれば、大きな失敗はしないだろう。
よくないのは、自分がよく知っているものや、好きなものや、愛しているもの(私の場合はECホラー・コミックスやモノクロのホラー映画)に背を向けて、友人や親類縁者やサークル仲間に感心してもらえると思うものに手を出すことだ。金になりそうなジャンルに擦り寄るのも同じようによくない。さもしい料簡だ。
おおよその場合、ひとに本を書いたいという気持ちを起こさせるものは文学的価値ではない。飛行機のなかで気楽に読めるかどうか、読みだしたらとまらなくなるかどうかである。それを可能にするのは、作中人物の行動や言葉や周囲の状況に対する共感だろう。そこに自分自身の人生や信条に重なるものがあれば、読者は作品に感情移入することができる。
知識をひけらかすことと、ストーリーを膨らませるために知識を使うのとは、まったくちがう。後者はいい。前者はよくない。
ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。
あるとき、私は<ニューヨーカー>のインタビューのなかで、ストーリーというのは地中に埋もれた化石のように探しあてるべきものだと答えた。
プロットは削岩機のような馬鹿でかい道具だ。
私に言わせれば、プロットは優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころだ。プロット頼みの作品には作為的で、わざとらしい感じがかならずつきまとっている。
どちらかというと、私は直感に頼るほうだ。
p218のあたりいろいろ重要
私は小説の作者であると同時に、第一読者でもある。
私の場合には、プロットができていなくても、書きはじめることができる。化石がどこにあるかはわかっている。あとはそれを慎重に掘りだすだけだ。
私にとって有効なこの方法は、あなたにとっても有効だと思う。
状況をしっかりと設定すれば、プロットは無用の長物になる。
p227 化石発掘のワーク
描写の不足は読者を混乱させ、近視眼にする。描写の過剰は読者をディテールとイメージに埋没させる。その匙加減がむずかしい。
検閲者の志望者はごまんといる。
あなたが自分のすべきことをしていれば、登場人物は命を得て、ひとりで動きだすようになる。実際に経験しないとわからないことだが、そうなったときの楽しさといったらない。それは作者の悩みの多くを解決してくれる。嘘ではない。
公式…2次稿=1次稿マイナス10%。
2019年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
別の本で、「午前中は執筆活動をして、午後は昼寝と手紙、夜はレッドソックスの試合を観ながら家族と過ごす。」と言うのを読み、有名な作家がどんな生活をしているのかに興味を持ち読み始めました。
内容は期待していた内容ではなく、キングの生い立ちと小説の書き方がほとんどでした。
しかし、「いい小説を書くにはたくさん読みたくさん書くことだ。」という言葉や、1回目に書いた文章の10%を2回目に目を通した際に削ること、そして、人物を表現するのにくどくどと説明を入れる必要は無く、その人の言動や行動でその人がどんな人なのかを読者に想像させることなど面白いなと思えました。
確かに普段観ているドラマや映画でも登場人物の紹介をするわけでもないのに、こいついい奴だな、憧れるななど思っている自分がいたので、なるほどなと腑に落ちました。
そしてなにより小説家が書いた文章なので単純に読むのが面白かったです。
内容は期待していた内容ではなく、キングの生い立ちと小説の書き方がほとんどでした。
しかし、「いい小説を書くにはたくさん読みたくさん書くことだ。」という言葉や、1回目に書いた文章の10%を2回目に目を通した際に削ること、そして、人物を表現するのにくどくどと説明を入れる必要は無く、その人の言動や行動でその人がどんな人なのかを読者に想像させることなど面白いなと思えました。
確かに普段観ているドラマや映画でも登場人物の紹介をするわけでもないのに、こいついい奴だな、憧れるななど思っている自分がいたので、なるほどなと腑に落ちました。
そしてなにより小説家が書いた文章なので単純に読むのが面白かったです。
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