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晩年のカント (講談社現代新書) Kindle版

4.1 5つ星のうち4.1 41個の評価

絶頂にあったカントを襲った筆禍事件。若き哲学者フィヒテとの確執。尽きぬ好奇心の一方で忍び寄る老い…。人間カントの人生の黄昏。

登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B08SQKTLSL
  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2021/1/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2021/1/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ファイルサイズ ‏ : ‎ 7803 KB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
  • X-Ray ‏ : ‎ 有効にされていません
  • Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
  • 本の長さ ‏ : ‎ 202ページ
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 41個の評価

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中島 義道
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カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2021年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 一言で言えばカントの道徳論は、幸福よりも真実を優先する。たとえ真実を優先することによって人類が滅ぶとしても、それでも真実を優先する方が道徳的には正しい。それがカントの道徳論である。ところが理性は真実よりも幸福を優先しようとする(当然であろう)。それが理性の根本悪であり、理性の限界である。
 カントの道徳論が正しいかどうかもさることながら、興味深いのは、カント自身、言っていることとやっていることが違うということである。本書で紹介されているが、晩年に『宗教論』を刊行したカントに対して官憲から勅令が届く。それは同書における以下のような主張に対してであった。
(1)処女降誕から始まる「イエス物語」は、真実ではないが、「理念」として有用である可能性を残している限り「端的に否定されるわけでもない」
(2)しかし、この物語は、道徳法則の適用の「妨げとなる」のであるから、有用ではなくむしろ有害である。
 さらに同書第三章においてカントは次のようにまとめている。
「キリスト教のこの歴史は、もしひとがこれを一幅の絵として一望の下に捉えるならば、(中略)「宗教はかくも多くの災悪をなさしめることができた!」という叫びを十分認めることもできよう」
 実際のところ、宗教によって救われた命は一つもないが、宗教によって奪われた命は無数にある。カントの主張は正しい。少なくとも道徳論よりは確実に正しい。
 ところがカントは国王に対する返信においてキリスト教を擁護もしくは賞賛するような弁解を並べ、勅令に素直に従う。幸福よりも真実を優先するべきだと主張している哲学者が、自らの幸福を優先し保身に回ったのである。
 これを哲学者にありがちな言行不一致と片付けてしまうのは簡単である。しかしここでふと考えてしまうことがある。言行不一致とは果たして「嘘」なのだろうか。
 哲学者や政治家に限らず、言っていることとやっていることが違う人間は世の中にたくさんいる。見ていて確かに気持ちのいいものではない。しかし言葉の上での理念に行為が追い付かないということは、人間だれしもあるのではないだろうか。
 それがいいとは言わないし正しいとも思わない。しかし言葉の世界での「正しさ」と、行為の世界での「正しさ」は次元が異なる。自分の言葉通りに行為できなかったからと言って、彼が必ずしも嘘をついていたということにはならないのではないか。言葉の上では確かに正しい。しかし実践することは難しい。そのギャップはだれもが感じていることではないだろうか。
 大森荘蔵は独我論者であった。彼は自分以外の人間の存在を信じることができなかった。にもかかわらず彼は膨大な著作を書き、遺書まで残している。「彼が独我論者であったことと彼が遺書を残したことは矛盾せず、全く整合する」とかつて中島は言っていた。
 独我論の信仰と実践は異なる。教祖が必ずしも信者ではないのと同じように(信者であれば逆に教祖にはなれまい)、哲学者が聖人である必要はない。そういえば昔読んだロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の中に、「自分の思想に隷属するほど愚かなことはない」という言葉があった。哲学者のように言葉にこだわり抜く言葉の達人は、それを極めると逆に言葉から離反し最後には自分の言葉を忘れてしまうのかも知れない。中島敦の『名人伝』で弓矢を極めた弓矢の達人が、最後には弓矢を忘却してしまったのと同じように。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三大批判書を書いて批判哲学を完成させたカントのその後の晩年までの活動と生活を描きつつ、著者自身のエピソードや哲学への思いをエッセイ風に書いた著作である。
著者の関心は大哲学者カントの「晩年」の老い方から、さらには哲学者一般の晩年のあり方にあるようだが、私が本書を読んで感動したのは、啓蒙の申し子であるカントの面目躍如たる合理主義と理性崇拝の貫徹ぶりである。

カントは、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルへと連なるドイツ観念論の起点をなす哲学者として有名だが、他方、「啓蒙の世紀」(Siècle des Lumières)を総括する位置に立つ思想家であり、自らも『啓蒙とは何か』という小著を著し、(本書でも紹介されているが)自宅の簡素な部屋にルソーの肖像画だけを飾っていたというのは知る人ぞ知る有名なエピソードである。
本書ではカントの宗教論『たんなる理性の限界内における宗教』が官憲の検閲にかかり、国王から厳しい咎め立ての手紙まで送られたカントが、面従腹背で申し訳程度の弁明書を送り、国王死後は大胆にもその手紙のやりとりも公開して事実上反旗を翻す経緯が詳しく描かれている。カントは無神論者ではないが、理性の限界を超えた奇跡や啓示を否定し、原罪も聖書の物語も真実であると認めない(ルソー『エミール』の「サヴォアの助任司祭の信仰告白」にカントが心酔していたことを想起する)。官憲との衝突は当然と言えば当然である。
なお、著者はカントの面従腹背を「保身」と評し、ソクラテスの刑死と比較しているが、後者はアテネの民主制を攻撃し有力者たちを例の対話法(「無知の知」!)で次々とやり込めて嘲笑した、いわば確信犯的政治犯であり、問題の次元が違うように思う。
本書では近年国際政治において注目されている『永遠平和論』にも、宗教論の文脈からアプローチしている。すなわち、『永遠平和論』は宗教論が発禁処分を受けた後に書かれたものであり、「道徳と政治の不一致」にもかかわらず永遠平和は決して空虚な理念ではなく、目標に絶えず近づいていく課題であるという哲学者の勝利宣言なのである。
『学部の争い』というカントとしては奇妙な表題の論文も、この文脈に位置づけられていて興味深い。中世以来のスコラ学の伝統か、当時のケーニヒスベルク大学は神学部、法学部、医学部が上級学部でカントの所属する哲学部は下級学部だったというが、この論文でカントは上記の宗教論に関する経緯を序文で公表したうえ、政府のために「有用性」を約束する上級学部(特に神学部)を、真理のみに従う哲学部が制御すると高らかに述べるのである。著者はこれを宗教論への干渉に対するカントの復讐であるとする。

その他、カントが晩年に書いた『人倫の形而上学』などについても言及されているほか、哲学者である著者自身の哲学一般と他の哲学者らに対する様々な思いが綴られているが、これらはカントや著者個人に興味がある人には面白いだろう。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年9月14日に日本でレビュー済み
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生涯独身を貫いた大哲学者の晩年が日常的にどんなものであったか、ということを知りたいと思って読んでみました。平凡な一市民にはあまり参考にはならないかとも思ったのですが……。ただそれとは別に、読んでいるうちに標記のタイトル欄に記したような疑問を生じた次第です。中島先生の他の本を読めば分かるのかもしれませんが、この本ではその辺は必ずしも良く分かりませんでした。60年前の私の学生時代、マルクス・レーニンの本を読んでいないと恥ずかしいような気がしましたが、100年前の旧制高校性も同じようなことでデカンショの書籍に手を出していたような気がします。ドイツではどうだったのでしょうか。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年11月18日に日本でレビュー済み
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すぐ届きました 本も綺麗
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年5月30日に日本でレビュー済み
著者は1946年生れの哲学者で、現在は「哲学塾カント」を主宰している。「市井の哲学者」に徹し、多くの一般向けの哲学書がある。世の中の「哲学者」の多くは、実際には「哲学研究者」であるが、著者は自らの哲学的思考を発信している「本物の哲学者」である。本書は、著者が傾倒しているイマヌエル・カント(1724-1804年)の晩年(69-80歳)に焦点を当て、その生活や著作、政治との衝突を解説したものである。固い哲学の鎧から「人間性」が顕れ出た晩年のカントが興味深い。

本書でカントの日常生活を初めて知った。それによれば還暦後に初めて自宅を購入し(教えていたケーニヒスベルク大学のすぐそば)、午前中は講義や執筆をし、毎日4~5時間かけて午餐をとり、そこに数人を友人・知人を招待して会話を楽しんでいたという。招待したのは市井の人達なので、多くの噂話が飛び交い、そこからカントは世間の動きをつぶさに知ったことだろう。ビール嫌いだったというのも面白い。

晩年の著作『宗教論』(1793年)が官憲から睨まれ、プロイセン王から勅令が届くと言う思わぬ筆禍事件となった。キリスト教批判ともとれる内容だったのである。カントを頼ってきたフィヒテとはその知識学を浅薄だとして容赦なく批判をした。この他、講義録『人間学』(1800年)や『自然地理学』(1803年)を出版するなど、死の直前まで活発な知的活動を行っていたが、最晩年には認知症を疑わせる行動も見られたという。

著者によれば、カントは神が「いる」とも「いない」とも言わなかった。言語と格闘してくたびれ果てた虚脱状態の中で死を迎えたようだ。何とも哲学者らしい死の迎え方といえよう。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年4月4日に日本でレビュー済み
科学の時代に生まれた私にとって、カントの認識論は、頭の中がくるりとひっくり返るような経験ではありました。74歳になった哲学者中島義道氏がその「純粋理性批判」から30年以上を生きたカントの70歳以降の人生をなぞり自分の哲学者人生を重ね合わせる。哲学者どうしの論争というディスりあいが面白い。SNSのない時代、手紙や著作でやるんだから大変だ。結局、老境にはいれば、自説にしがみつきながら思考を停止し死に向かう。

63歳で手に入れた初の持ち家も死後にはすぐに売り払われ居酒屋になり、一生出ることなく過ごしたケーニヒスベルクという都市も消滅してしまった。まさに諸行無常。

哲学者でもない読者(私も)にとっては最終章「老衰そして死」からカントの言葉を引いておこう。

「自分の一生の大部分を通じて苦しみ、したがって毎日が長くなった人間が、しかも人生の終わりに至って生の短きを嘆くという現象は、なんと説明したらよいだろうか」

「計画に従って進行し所期の大いなる目的を達成する仕事によって、時間を充実させるということは、自分の人生を楽しくし、同時にしかしまた人生に飽きるようにする唯一の確実な手段である。」

「君が考えたことが多ければ多いほど、君がなしたことが多ければ多いほど、それだけ長く君は生きたことになる」
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年2月7日に日本でレビュー済み
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カント(1724~1804)と言えばドイツ観念論の起点にある哲学者で、純粋理性批判など3部作は読まなくても書名だけは誰でも知っている高名な学者です。晩年はどうであったのか、タイトルに魅かれて読みましたが、80歳まで生きて、75歳を過ぎてからは認知症を発症したそうです。超有名なドイツ哲学者も晩年は痴呆、では哀しいことですが、それでも故郷カリーニングラード(ドイツ領時代はケーニヒスベルグ)では没後200年を経てもその銅像にいつも花が飾られています。フィヒテ(1762~1814)はカントを崇拝してカントのお蔭で自身の作品を出版して貰ったのですが、後に哲学思想を巡って不和となり、カール・ラインホルトへの手紙ではカントを「半端頭、学説は全くの無意味、云々」と書いたそうです。哲学論争は多くが決着つかぬものですが、その理由は著者の解説によれば:諸実証科学=事実の信義を検証する方法に関する「共通了解」が成立している。vs 哲学の場合「共通了解」が基本的に成立していない、 からである。
カントはキリスト教に関する論文で筆禍事件を起こしますが、この時の「態度」はすぐに反省の色を見せて、保身を図った。ソクラテスは訴えられて何も反省しないどころか己の正しさを堂々と主張した(その結果は死刑)、これに比べるとカントは見劣りがする、とは著者の説です。ソクラテスと比べられてはお気の毒かもしれませんが、カント自身はソクラテスと比して負けぬ能力と考えていたかもしれません。著者は半世紀カントを研究した哲学者ですが、「有名にならなかった哲学者たちは “自分なりにやり遂げた” と自分に言い聞かせて自己欺瞞にまみれた満足感に酔いしれたままやがて死ぬ」(p.138)など面白いコメントもあり、哲学に興味のある人にはお勧めの書と思います。
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