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時間観念の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度 単行本(ソフトカバー) – 2019/6/27
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伝説の名講義、ついに公刊! ――百余年の時をこえて、いま我々がその講堂に着席する、恰好のベルクソン入門。
哲学のアポリアは「時間」を適切に扱うことによって解決されると考えるベルクソンが、古代以来の哲学史に自己の哲学を位置づける。
「校訂者序」より
《それらの〔既刊〕講義録が私たちに明らかにしてくれたものと言えば、最良の場合でも、ベルクソンが〔高校の〕教室で開陳していた、古典的な著述家たちや哲学的諸潮流に関する知識にすぎなかったのである。
本書に収められた講義はその限りではない。一つならずの理由で例外的な地位を有しており、歴史的な次元を有していると言っても過言ではあるまい。というのも、この講義録のおかげではじめて、同時代人たちによって非常にしばしば描写されてきた、コレージュ・ド・フランスにおけるベルクソンの伝説の内実へと分け入ることができるからだ。その伝説とは、「ベルクソンのすぐ前に」「同じ教室で講義をしていた高名な経済学者」ルロワ=ボーリュー氏(Paul Leroy-Beaulieu)を驚かせることに始まり、その後パリの名士たちを講義に惹きつけることになったある教授〔ベルクソン〕の伝説である。ルロワ=ボーリュー氏は「日頃はほとんど空の講堂が、奇跡的に、見たこともない数の群衆で満たされるのを見た。それはソルボンヌの学生たちやサン=シュルピスの僧侶たちであった。彼らは、あの哲学者の講義の席を確保するために、〔前の講義から出席して〕気の毒にも一時間のあいだ(…)善良な氏の相貌を見つめ続けねばならなかったのである。あるいはまた、形而上学に夢中になった社交界の女性たちのために席取りをしに来た哀れな男たちや家僕たちもいた」。今日公刊されるこれらの講義はただ単に、一九三〇年代まで続く「ベルクソンの栄光」のはじまりを画するというばかりではなく、それ以上にその「源泉」である。》
目 次
校訂者序 カミーユ・リキエ
第1講 相対的な知と絶対的な知
第2講 記号による知
第3講 一般観念の起源
第4講 概念と時間
第5講 ギリシア哲学と精確さ
第6講 プラトンの時間論
第7講 アリストテレス
第8講 アリストテレスの運動論
第9講 場所論から時間論へ
第10講 アリストテレスの時間論
第11講 プロティノス哲学への導入
第12講 プロティノスの意識論
第13講 プロティノスの時間論
第14講 プロティノスの自由論
第15講 近世哲学への移行
第16講 近世の哲学と科学における「無限小」革命
第17講 デカルト的直観
第18講 ライプニッツの時間論
第19講 カントの空間論・時間論
補 遺 講義要約(レオナール・コンスタン)
訳者解説 平井靖史
訳者あとがき 藤田尚志
人名(学派名)索引
哲学のアポリアは「時間」を適切に扱うことによって解決されると考えるベルクソンが、古代以来の哲学史に自己の哲学を位置づける。
「校訂者序」より
《それらの〔既刊〕講義録が私たちに明らかにしてくれたものと言えば、最良の場合でも、ベルクソンが〔高校の〕教室で開陳していた、古典的な著述家たちや哲学的諸潮流に関する知識にすぎなかったのである。
本書に収められた講義はその限りではない。一つならずの理由で例外的な地位を有しており、歴史的な次元を有していると言っても過言ではあるまい。というのも、この講義録のおかげではじめて、同時代人たちによって非常にしばしば描写されてきた、コレージュ・ド・フランスにおけるベルクソンの伝説の内実へと分け入ることができるからだ。その伝説とは、「ベルクソンのすぐ前に」「同じ教室で講義をしていた高名な経済学者」ルロワ=ボーリュー氏(Paul Leroy-Beaulieu)を驚かせることに始まり、その後パリの名士たちを講義に惹きつけることになったある教授〔ベルクソン〕の伝説である。ルロワ=ボーリュー氏は「日頃はほとんど空の講堂が、奇跡的に、見たこともない数の群衆で満たされるのを見た。それはソルボンヌの学生たちやサン=シュルピスの僧侶たちであった。彼らは、あの哲学者の講義の席を確保するために、〔前の講義から出席して〕気の毒にも一時間のあいだ(…)善良な氏の相貌を見つめ続けねばならなかったのである。あるいはまた、形而上学に夢中になった社交界の女性たちのために席取りをしに来た哀れな男たちや家僕たちもいた」。今日公刊されるこれらの講義はただ単に、一九三〇年代まで続く「ベルクソンの栄光」のはじまりを画するというばかりではなく、それ以上にその「源泉」である。》
目 次
校訂者序 カミーユ・リキエ
第1講 相対的な知と絶対的な知
第2講 記号による知
第3講 一般観念の起源
第4講 概念と時間
第5講 ギリシア哲学と精確さ
第6講 プラトンの時間論
第7講 アリストテレス
第8講 アリストテレスの運動論
第9講 場所論から時間論へ
第10講 アリストテレスの時間論
第11講 プロティノス哲学への導入
第12講 プロティノスの意識論
第13講 プロティノスの時間論
第14講 プロティノスの自由論
第15講 近世哲学への移行
第16講 近世の哲学と科学における「無限小」革命
第17講 デカルト的直観
第18講 ライプニッツの時間論
第19講 カントの空間論・時間論
補 遺 講義要約(レオナール・コンスタン)
訳者解説 平井靖史
訳者あとがき 藤田尚志
人名(学派名)索引
- 本の長さ448ページ
- 言語日本語
- 出版社書肆心水
- 発売日2019/6/27
- ISBN-104906917925
- ISBN-13978-4906917921
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登録情報
- 出版社 : 書肆心水 (2019/6/27)
- 発売日 : 2019/6/27
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 448ページ
- ISBN-10 : 4906917925
- ISBN-13 : 978-4906917921
- Amazon 売れ筋ランキング: - 228,846位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 7,669位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2019年8月29日に日本でレビュー済み
ベルクソンの講義はもはや「伝説」だが、今回、速記録から、その具体的な内容を知ることができるようになった。
驚くべきドキュメントだ。あたりさわりのない一般向けの通俗講義だったのだろう、といった予断はあっさり覆される。目の前の生身の聴衆に話しかけながら、そして理解を促すためにさまざまな例や比喩を持ち出しながら、流麗な口調で語られる内容そのものの水準の高さには、目をみはるものがある。プラトンやプロティノスを講じる際にはギリシャ語原典が読み上げられ、ベルクソン自身の訳がすぐ示される。そんなことがその場でできるベルクソンであり、それでまったく構わない聴衆たちだ。実際、各分野の専門家も列席する講義だった、と何かで読んだことがある。講義するベルクソンの背後に、二千年を超える西洋哲学の巨大な歴史がそのままに立ち上がっていく、という印象だ。
それだけに難解な箇所もある。だが幸い丁寧な訳注が付されており、そのおかげでベルクソン独自の、聞いたこともない哲学史がはっきりと見えてくる。若き専門家たちによる、文字通りの労作だ。
驚くべきドキュメントだ。あたりさわりのない一般向けの通俗講義だったのだろう、といった予断はあっさり覆される。目の前の生身の聴衆に話しかけながら、そして理解を促すためにさまざまな例や比喩を持ち出しながら、流麗な口調で語られる内容そのものの水準の高さには、目をみはるものがある。プラトンやプロティノスを講じる際にはギリシャ語原典が読み上げられ、ベルクソン自身の訳がすぐ示される。そんなことがその場でできるベルクソンであり、それでまったく構わない聴衆たちだ。実際、各分野の専門家も列席する講義だった、と何かで読んだことがある。講義するベルクソンの背後に、二千年を超える西洋哲学の巨大な歴史がそのままに立ち上がっていく、という印象だ。
それだけに難解な箇所もある。だが幸い丁寧な訳注が付されており、そのおかげでベルクソン独自の、聞いたこともない哲学史がはっきりと見えてくる。若き専門家たちによる、文字通りの労作だ。
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時期としてはこのあとに1922年の『持続と同時性』がきます。ベルクソンの方は、当時の自身の判断がアインシュタインのそれと一致する、と発言しましたが、アインシュタインの方は、そのベルクソンの発言の当否が「よくわからない」状態でした。
わたしたちは、アインシュタインが、どのようにわからなかったのかを理解することはできないでしょう。しかし、ベルクソンの方が、アインシュタインによる新しい学説の提起に関して、それを自身の哲学の取り扱い原理に照らして乗り越えようとしていたことは、推測できます。
我国の文学者では、大岡昇平氏が、小林秀雄氏『感想』を評して、ベルクソンによる考察が対象化される可能性を指摘していました。しかし、大岡氏自身はとくに哲学論を、あるいはベルクソンの著作一般に対する批評をなさいませんでしたので、わたしたちの考察にさらに助けとなるものは見出せないと思います。
世の中には、時間観念よりもよほど大切なことは多くあるでしょう。しかし、人が哲学の道を逍遥するにあたって、この道にさしかかり、あるいは交差することはあると思います。そこで、ポピュラライズを試みることに若干の価値が現れます。
時間を理解するのに時間をかける。余裕のある態度ですよね。
「五〇年後、同じ場所で、自身が遠い後継者となったベルクソンの名声を想起しつつ、今度はモーリス・メルロ=ポンティが、哲学の役割に言及することになる。」とあります。因果はめぐる糸車。
わたしたちは、アインシュタインが、どのようにわからなかったのかを理解することはできないでしょう。しかし、ベルクソンの方が、アインシュタインによる新しい学説の提起に関して、それを自身の哲学の取り扱い原理に照らして乗り越えようとしていたことは、推測できます。
我国の文学者では、大岡昇平氏が、小林秀雄氏『感想』を評して、ベルクソンによる考察が対象化される可能性を指摘していました。しかし、大岡氏自身はとくに哲学論を、あるいはベルクソンの著作一般に対する批評をなさいませんでしたので、わたしたちの考察にさらに助けとなるものは見出せないと思います。
世の中には、時間観念よりもよほど大切なことは多くあるでしょう。しかし、人が哲学の道を逍遥するにあたって、この道にさしかかり、あるいは交差することはあると思います。そこで、ポピュラライズを試みることに若干の価値が現れます。
時間を理解するのに時間をかける。余裕のある態度ですよね。
「五〇年後、同じ場所で、自身が遠い後継者となったベルクソンの名声を想起しつつ、今度はモーリス・メルロ=ポンティが、哲学の役割に言及することになる。」とあります。因果はめぐる糸車。
2021年11月5日に日本でレビュー済み
ベルクソンがコレージュ・ド・フランスで行った、「時間観念の歴史」に関する講義録である。遺言で、自身が示した著作以外の公刊を禁じたベルクソンだが、すでに講義録や書簡集が刊行されている。本書は、そのなかでも、プロの速記者による筆記録を基にしているという点で傑出しており、ベルクソンの息づかいまでが聞こえるような内容にまとまっている。
とりわけ、難解な問題を分かりやすい喩えで説明する、ベルクソンならではの語り口で、読者は「時間」という問題に引き込まれていく。
本書では「持続」などのキーワードが哲学史のなかで位置付けられているため、ベルクソン哲学の入門書としても適切である。
とりわけ、難解な問題を分かりやすい喩えで説明する、ベルクソンならではの語り口で、読者は「時間」という問題に引き込まれていく。
本書では「持続」などのキーワードが哲学史のなかで位置付けられているため、ベルクソン哲学の入門書としても適切である。