Web『現代ビジネス』に掲載されて話題になった『映画を早送りで観る人たち』という記事とそのフォロー連載をまとめたものですが、Web記事に大幅な加筆が加えられて、読み応えがあるノンフィクション作品となっています。
元々は映画配給会社に勤めていたという映画文化に愛着がある著者の、「映画作品を早送りや倍速で視聴する」という風潮への憤りから出発します。
しかし、倍速視聴をする人たちの内的な事情や外的な環境から発生する「必然」を、取材を重ねながら徐々に浮き彫りにしていき、2020年代における様々な「ストレス」や「生きづらさ」こそが倍速視聴という、新しい視聴形態を生み出す要因であることが見えてきます。
単なる、社会現象のレポートやマーケティング話に留まらず、超高度情報化社会となった現代の世相を丁寧に描きだした力作と言えるでしょう。
ただ、Amazonレビューでは☆4としてしまったのは、ここで頻繁に登場する、倍速視聴する人々=オタクに憧れるけど時間効率(タイムパフォーマンス)やコストパーフォーマンスを気にしてすぐに正解を欲しがる人々、というのが僕の身近にはいないので、事象の普遍性が感じられなかったからです。
僕の2人の子ども(現在19歳の男女の対照的な性格の双子)、今年入ってきた3人の新入社員や彼らの先輩たち。前職で関わった20代の若者たち。
たまたまかもしれませんが、僕の視界には、オタクに憧れるような人、映画やドラマ、アニメなどのストーリー系コンテンツを倍速視聴で消化する人とはいなさそうです。
最後に本題からはずれますが、倍速視聴をいくら続けてもオタクには成れないことは指摘しておきたいです。僕の知るオタクとは倍速視聴と真逆で、ひとつのシーン、ひとつのセリフ、ひとつの間、ひとつの仕草、ひとつのメカに徹底的にこだわる人達だからです。
ストーリー全部を知っていても、自分の推しがなぜエモいのかを語ることはできません。
本当にオタクになりたいなら、沢山のコンテンツを流し見するのではなく、本当に好きな作品を全集中で暗記して脳内再生できうるほどに観た方が良いと思います。
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映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書) 新書 – 2022/4/12
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◎内容
現代社会のパンドラの箱を開ける!
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。
なんのために? それで作品を味わったといえるのか?
著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、
やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという
事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか?
いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか?
あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。
*******************
◎目次
序章 大いなる違和感
第1章 早送りする人たち
――鑑賞から消費へ
第2章 セリフで全部説明してほしい人たち
――みんなに優しいオープンワールド
第3章 失敗したくない人たち
――個性の呪縛と「タイパ」至上主義
第4章 好きなものを貶されたくない人たち
――「快適主義」という怪物
第5章 無関心なお客様たち
――技術進化の行き着いた先
おわりに
*******************
◎著者プロフィール
稲田豊史(いなだとよし)
1974年、愛知県生まれ。ライター、コラムニスト、 編集者。
横浜国立大学経済学部卒業後、映画配給会社の
ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)に入社。
その後、キネマ旬報社でDVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て、
2013年に独立。著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)、
『ドラがたりのび太系男子と藤子・F・不二雄の時代 』(PLANETS)、
『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)。
近著に『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)がある。
現代社会のパンドラの箱を開ける!
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。
なんのために? それで作品を味わったといえるのか?
著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、
やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという
事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか?
いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか?
あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。
*******************
◎目次
序章 大いなる違和感
第1章 早送りする人たち
――鑑賞から消費へ
第2章 セリフで全部説明してほしい人たち
――みんなに優しいオープンワールド
第3章 失敗したくない人たち
――個性の呪縛と「タイパ」至上主義
第4章 好きなものを貶されたくない人たち
――「快適主義」という怪物
第5章 無関心なお客様たち
――技術進化の行き着いた先
おわりに
*******************
◎著者プロフィール
稲田豊史(いなだとよし)
1974年、愛知県生まれ。ライター、コラムニスト、 編集者。
横浜国立大学経済学部卒業後、映画配給会社の
ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)に入社。
その後、キネマ旬報社でDVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て、
2013年に独立。著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)、
『ドラがたりのび太系男子と藤子・F・不二雄の時代 』(PLANETS)、
『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)。
近著に『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)がある。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2022/4/12
- 寸法10.7 x 1.3 x 17.2 cm
- ISBN-104334046002
- ISBN-13978-4334046002
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2022/4/12)
- 発売日 : 2022/4/12
- 言語 : 日本語
- 新書 : 304ページ
- ISBN-10 : 4334046002
- ISBN-13 : 978-4334046002
- 寸法 : 10.7 x 1.3 x 17.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 581位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 1位映画ノンフィクション
- - 4位光文社新書
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月1日に日本でレビュー済み
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41人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
殿堂入りベスト50レビュアー
Amazonで購入
著者は昭和50年男(1974年生まれ)。元キネマ旬報社勤務。
タイパ重視で結論を先に書くと、本書はなかなか面白かった。
内容はかなりわかりやすいので、その点は大丈夫。
読者をハラハラどきどきさせることや、怖いこと、読者をひどく不愉快にさせることは書かれていない。大丈夫。
Z世代についての解析がメインだが、それなりの共感と同情をもって書かれているので大丈夫。
全部読んでもさほど時間はかからないが、早送り読みもできそう。タイパは良好。
目次がかなり詳しいので、さらに時間がない人は二章と四章は目次だけ読むというわざも使える。三章は必読。
面白いし、早く読めるので、本書を読んだからいって想定外のコンテンツ使用になる可能性は低い。900円+税の価値はある。コスパは悪くない。
長々と書いてしまってすみません。
以下は私の個人的本書体験なので、忙しい方は無視してください。
○本書は題名と内容紹介に引かれて注文してしまった。著者のほかの本は知らない。
○第一章と第二章は普通の面白さだった。映画を早送りすること自体は、昔々観た映画を観る時に時々やっているので、特に違和感はない。
○第三章では、若者が映画(コンテンツ)を早送りして観る内的要因の解析となって、一気に面白くなってきた。この解析はお見事。目鱗。いいお話を聞かせていただいた。
○第四章の快適主義は、ちょっと面白度(私にとってのユニーク度)が落ちてきた。眠くなってきたら、213頁で映画評論が売れていた時代の話になってきた。脱線話のような感もあったが、一気に目が覚めた。
タイパ重視で結論を先に書くと、本書はなかなか面白かった。
内容はかなりわかりやすいので、その点は大丈夫。
読者をハラハラどきどきさせることや、怖いこと、読者をひどく不愉快にさせることは書かれていない。大丈夫。
Z世代についての解析がメインだが、それなりの共感と同情をもって書かれているので大丈夫。
全部読んでもさほど時間はかからないが、早送り読みもできそう。タイパは良好。
目次がかなり詳しいので、さらに時間がない人は二章と四章は目次だけ読むというわざも使える。三章は必読。
面白いし、早く読めるので、本書を読んだからいって想定外のコンテンツ使用になる可能性は低い。900円+税の価値はある。コスパは悪くない。
長々と書いてしまってすみません。
以下は私の個人的本書体験なので、忙しい方は無視してください。
○本書は題名と内容紹介に引かれて注文してしまった。著者のほかの本は知らない。
○第一章と第二章は普通の面白さだった。映画を早送りすること自体は、昔々観た映画を観る時に時々やっているので、特に違和感はない。
○第三章では、若者が映画(コンテンツ)を早送りして観る内的要因の解析となって、一気に面白くなってきた。この解析はお見事。目鱗。いいお話を聞かせていただいた。
○第四章の快適主義は、ちょっと面白度(私にとってのユニーク度)が落ちてきた。眠くなってきたら、213頁で映画評論が売れていた時代の話になってきた。脱線話のような感もあったが、一気に目が覚めた。
2022年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Amazonビデオに実装されている10秒スキップ機能大好き人間としては読まないわけにもいくまい。
序章にて、本書の著者は以前、DVD業界誌の編集部に在籍しており、誌面に掲載する作品の扱いを決めるために大量の作品を限られた期日で鑑賞しなくてはならず、そのために倍速視聴を行っていたそうである。風景シーンなどもとばしたりしつつ、売上に直結しそうなシーンは通常再生で観てたとか。
そんななかでかつて倍速視聴した作品をDVDでふつうに鑑賞したところ、「作品の滋味」を体感として半分も味わえてなかったことに愕然としたそうである。
登場人物の細かい心情の変化、会話からにじみでる人柄や関係性、美術や小道具、ロケ地の美しさ、演出のリズムや匂い立つ雰囲気、それらを十全に味わえてたとはいい難かったそうで、それを同様の趣旨でエンタメに触れる人を取り上げたある雑誌記事を読んで胸がざわついたそうである。
…で、そのDVDで観直した作品って、具体的に、なんて作品なの。タイトルを挙げて滋味をどう十全に味わえてなかったのか、具体的に説明してくれないと。
こういうのを「何かを語っているようで実際はなにも語ってない」と表現する。よって、10秒スキップしてもいいのである。なぜなら、何も語ってないので。
序章などなくても「倍速再生などコスパを優先したカルチャー体験は作品をただしく楽しめたと言えるのだろうか」の一行でも済む。これだと読む方も時間がかからないし、書くほうも楽でコスパがいい。
10秒に10秒である演出意図があるとするならこの序章にも同様の意図があるんだろう。
上で触れた記事とはAREA2021年1月18日号の鬼滅だけタイトルで名指しにしたものだが本文中で鬼滅のアニメTV版1話での説明台詞に言及している。「原作通りだとは承知だが漫画より情報量でまさるアニメにはその説明は必要不可欠とは言えない」(要約)…つまり「無駄だから削れ」ってことでしょ。それは上で批判してるコスパ思考と一緒なのでは?…「映像表現とはそういうもの」だから?オリジナルアニメならともかく、「原作ありの作品のアニメ化」のばあい、モノローグの中にキャラの心情とかそーゆう微妙なニュアンスをあらわす表現として「無駄だけど無駄じゃないもの」が含まれてるかもよ。そのへんはアニメは観てないからわかんないんだけど、原作は読んだけど炭治郎ってバトル中に自分で自分に「頑張れ炭治郎!」って言い聞かせたりする少年漫画としてはちょっと変わった主人公だしさ。そういう原作の「物語的な」文脈まで踏まえてるのかなって。鬼滅批判者で「演出」でなく「物語」を語った人はあんま居なかったんだよね…。この本もそうだけど。無視して批判した方がコスパはいいけどね。
コスパ化が優先されたコンテンツとしてラノベや異世界なろうがやり玉にあがるが「幼馴染が絶対に負けないラブコメ」は「タイトルがあらすじそのままの作品」の例として適切じゃないような。漫画版を読んだうえで言うけど逆に「幼馴染が絶対負けないってどういうこと、それってどういう意味なの」って読む作品かと。そう決めつけて読まない方が楽だしコスパはいいけどね。
「倍速視聴したり、10秒飛ばしをするひとたちは、物語を追いかけるのに必要な情報は、必ずセリフやナレーションで与えられるものと信じきってる、ように見える。」とある。「ように見える」なので根拠レスなのだが「しかし、映像表現というものは…」と続く。前提が成立してないのに話を次にすすめないでいただきたい。そして「10秒スキップではそれらを汲み取れない」とあるが土台が成立してないので間違った決めつけとしか。「誰もいない部屋に氷の溶け切っていない飲みかけのウイスキーグラスがある」のを1秒みて「ウイスキーを飲んでいた人間が立ち去ってからまだあまり時間が経っていないことを表している」のを汲み取ることができればそのシーンが11秒あったとしても10秒スキップしても問題ないじゃん。「汲み取りきれない」と言う部分に根拠がないのでやっぱり「何かを語っているようでなにもかたってない」のではないか…。相手をそう決めつけて裏取り作業しない方が楽だしコスパはいいけどね。
ちなみに「滋味」とは栄養があって美味しいという意味の言葉である。そう書いたほうがわかりやすくていいのだがあえてこのムズカシイ言葉を選んだのであろうなあとか、アマゾンレビューへの言及がある本は自著に低評価をつける人への牽制じゃないか…なんて邪推まで含めてぼくみたいな10秒スキップ大好き人間でも明言されていない著者の意図をよむわけですよ。
本書では映画評論についてつらつらと書かれたくだりもあるが誰がどんな評論を行ったかへの言及、一切なし。「評論家は偉大なジェネラリスト」と言われても誰が何言ったかぜんぜん書いてないのでその言い分が妥当かもわからないんだけど。評論家のいってることをみると「きちんとしたことを言ってるひともいるけどあからさまにデタラメを言ってる人も居る」ので後者なんか居てもいいことはひとつもないきがするが。きょうび評論家を無批判に持ち上げられてもね。
本書にはこのように具体性がとぼしい部分が多く、コスパ優先の視聴をする例についても匿名のひとばっかでてくるが、「最近みた映画でいちばんよかったのは紅の豚だが、だからといってほかのジブリを観ようとは思わない」って感じでその匿名のひとも例証として妥当なものなのかなあ…とおもってしまう。
書評家の炎上の一件についても著名な作家や業界人までもがその書評家を批判した理由に「若い書評家の芽をつむことになりゃせんか」「利益とかでなく若い世代が活字にふれる機会が増えてくれたら活字を愛するひとりとして嬉しい」なコスパ優先とははなれた考えがあったかもだが著者はそうは考えない。考えないほうが以下略。
「批評家が批判されるのはコスパ優先思考にとって迷惑だからじゃなくて、ただ単に言ってることや批評の内容が間違ってるから」なケースもあると考えてもらわないと困る。場違いなので書かないけど具体的に誰がどう間違っているか説明できるよ。
あと、この手の本ってなんでオタクのカジュアル化を好意的に受け止めないんだろ。オタク第一世代(笑)とかいう連中をみてりゃオタクのエリート意識なんてあってもいいこと何ひとつとして無いじゃん。オタクのカジュアル化はカルチャー受容の健全化でありプラスにしか作用せずまったくマイナス効果をうまないからカジュアル化万々歳だよ。
…そろそろこの本の感想をまとめたいところだがそうやって論旨をまとめる行為こそコスパ優先の思考によるものだとかいわれそうなのでよす。いっこだけいっときたいのはご覧のとおり「受け手だけの問題じゃない」んだ。すぐに受け手を軽んじようとするのは発信者側のコスパ優先思考に思える。因みにぼくが本書をどういうふうに読んだかは言うまでもないので書かない。
序章にて、本書の著者は以前、DVD業界誌の編集部に在籍しており、誌面に掲載する作品の扱いを決めるために大量の作品を限られた期日で鑑賞しなくてはならず、そのために倍速視聴を行っていたそうである。風景シーンなどもとばしたりしつつ、売上に直結しそうなシーンは通常再生で観てたとか。
そんななかでかつて倍速視聴した作品をDVDでふつうに鑑賞したところ、「作品の滋味」を体感として半分も味わえてなかったことに愕然としたそうである。
登場人物の細かい心情の変化、会話からにじみでる人柄や関係性、美術や小道具、ロケ地の美しさ、演出のリズムや匂い立つ雰囲気、それらを十全に味わえてたとはいい難かったそうで、それを同様の趣旨でエンタメに触れる人を取り上げたある雑誌記事を読んで胸がざわついたそうである。
…で、そのDVDで観直した作品って、具体的に、なんて作品なの。タイトルを挙げて滋味をどう十全に味わえてなかったのか、具体的に説明してくれないと。
こういうのを「何かを語っているようで実際はなにも語ってない」と表現する。よって、10秒スキップしてもいいのである。なぜなら、何も語ってないので。
序章などなくても「倍速再生などコスパを優先したカルチャー体験は作品をただしく楽しめたと言えるのだろうか」の一行でも済む。これだと読む方も時間がかからないし、書くほうも楽でコスパがいい。
10秒に10秒である演出意図があるとするならこの序章にも同様の意図があるんだろう。
上で触れた記事とはAREA2021年1月18日号の鬼滅だけタイトルで名指しにしたものだが本文中で鬼滅のアニメTV版1話での説明台詞に言及している。「原作通りだとは承知だが漫画より情報量でまさるアニメにはその説明は必要不可欠とは言えない」(要約)…つまり「無駄だから削れ」ってことでしょ。それは上で批判してるコスパ思考と一緒なのでは?…「映像表現とはそういうもの」だから?オリジナルアニメならともかく、「原作ありの作品のアニメ化」のばあい、モノローグの中にキャラの心情とかそーゆう微妙なニュアンスをあらわす表現として「無駄だけど無駄じゃないもの」が含まれてるかもよ。そのへんはアニメは観てないからわかんないんだけど、原作は読んだけど炭治郎ってバトル中に自分で自分に「頑張れ炭治郎!」って言い聞かせたりする少年漫画としてはちょっと変わった主人公だしさ。そういう原作の「物語的な」文脈まで踏まえてるのかなって。鬼滅批判者で「演出」でなく「物語」を語った人はあんま居なかったんだよね…。この本もそうだけど。無視して批判した方がコスパはいいけどね。
コスパ化が優先されたコンテンツとしてラノベや異世界なろうがやり玉にあがるが「幼馴染が絶対に負けないラブコメ」は「タイトルがあらすじそのままの作品」の例として適切じゃないような。漫画版を読んだうえで言うけど逆に「幼馴染が絶対負けないってどういうこと、それってどういう意味なの」って読む作品かと。そう決めつけて読まない方が楽だしコスパはいいけどね。
「倍速視聴したり、10秒飛ばしをするひとたちは、物語を追いかけるのに必要な情報は、必ずセリフやナレーションで与えられるものと信じきってる、ように見える。」とある。「ように見える」なので根拠レスなのだが「しかし、映像表現というものは…」と続く。前提が成立してないのに話を次にすすめないでいただきたい。そして「10秒スキップではそれらを汲み取れない」とあるが土台が成立してないので間違った決めつけとしか。「誰もいない部屋に氷の溶け切っていない飲みかけのウイスキーグラスがある」のを1秒みて「ウイスキーを飲んでいた人間が立ち去ってからまだあまり時間が経っていないことを表している」のを汲み取ることができればそのシーンが11秒あったとしても10秒スキップしても問題ないじゃん。「汲み取りきれない」と言う部分に根拠がないのでやっぱり「何かを語っているようでなにもかたってない」のではないか…。相手をそう決めつけて裏取り作業しない方が楽だしコスパはいいけどね。
ちなみに「滋味」とは栄養があって美味しいという意味の言葉である。そう書いたほうがわかりやすくていいのだがあえてこのムズカシイ言葉を選んだのであろうなあとか、アマゾンレビューへの言及がある本は自著に低評価をつける人への牽制じゃないか…なんて邪推まで含めてぼくみたいな10秒スキップ大好き人間でも明言されていない著者の意図をよむわけですよ。
本書では映画評論についてつらつらと書かれたくだりもあるが誰がどんな評論を行ったかへの言及、一切なし。「評論家は偉大なジェネラリスト」と言われても誰が何言ったかぜんぜん書いてないのでその言い分が妥当かもわからないんだけど。評論家のいってることをみると「きちんとしたことを言ってるひともいるけどあからさまにデタラメを言ってる人も居る」ので後者なんか居てもいいことはひとつもないきがするが。きょうび評論家を無批判に持ち上げられてもね。
本書にはこのように具体性がとぼしい部分が多く、コスパ優先の視聴をする例についても匿名のひとばっかでてくるが、「最近みた映画でいちばんよかったのは紅の豚だが、だからといってほかのジブリを観ようとは思わない」って感じでその匿名のひとも例証として妥当なものなのかなあ…とおもってしまう。
書評家の炎上の一件についても著名な作家や業界人までもがその書評家を批判した理由に「若い書評家の芽をつむことになりゃせんか」「利益とかでなく若い世代が活字にふれる機会が増えてくれたら活字を愛するひとりとして嬉しい」なコスパ優先とははなれた考えがあったかもだが著者はそうは考えない。考えないほうが以下略。
「批評家が批判されるのはコスパ優先思考にとって迷惑だからじゃなくて、ただ単に言ってることや批評の内容が間違ってるから」なケースもあると考えてもらわないと困る。場違いなので書かないけど具体的に誰がどう間違っているか説明できるよ。
あと、この手の本ってなんでオタクのカジュアル化を好意的に受け止めないんだろ。オタク第一世代(笑)とかいう連中をみてりゃオタクのエリート意識なんてあってもいいこと何ひとつとして無いじゃん。オタクのカジュアル化はカルチャー受容の健全化でありプラスにしか作用せずまったくマイナス効果をうまないからカジュアル化万々歳だよ。
…そろそろこの本の感想をまとめたいところだがそうやって論旨をまとめる行為こそコスパ優先の思考によるものだとかいわれそうなのでよす。いっこだけいっときたいのはご覧のとおり「受け手だけの問題じゃない」んだ。すぐに受け手を軽んじようとするのは発信者側のコスパ優先思考に思える。因みにぼくが本書をどういうふうに読んだかは言うまでもないので書かない。
2022年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書が「ファスト映画・ネタバレ」と題されていることにもあやかって、本レビューも「ネタバレありのファスト読書」仕様で纏めてみようと思う。
著者は(評者と同じく)、映画やドラマにおける早送りやスキップ再生(この機能はすでに、数々の動画配信サービスや動画共有サイトで実装されている)を行う層(多くは若年層)に対して、極めて懐疑的な立場を採っている。
しかし筆者は、「早送り派」の彼らを頭ごなしに批判することなく、なぜそのような傾向が彼らに生まれたのかを、むしろ彼らに寄り添う形で分析しようとしている。
筆者の分析を要約すると、若年層が早送り派となるのはひとえに「必要に迫られたコスパ重視の結果」であり、それをもたらしたのは
・コンテンツの供給過多(時間的逼迫による、コスパ重視傾向)
・若年層の可処分所得減少(経済的逼迫による、コスパ重視傾向)
・LINEの普及による、交友関係の過度な親密化(話題のコンテンツを、コスパ重視で消費する必要性)
・キャリア教育における個性の重視化(コスパ重視で「○○オタク」を名乗れる必要性)
・評論文化の衰退(批判精神の欠如による、消費者に迎合する生産者側のコスパ重視傾向)
などの要因であるという。
また、女児アニメ視聴層の低年齢化に反した(タイアップ商品販促のための)脚本の複雑化や、今や当然のように動画共有サイトに存在するハイテンポ、早口、果ては倍速再生前提の解説動画群を見れば、若年層は情報処理速度自体が向上している可能性もある、と指摘する。
(となれば、「早送りで作品の内容など理解できるものか」という「等速派」の批判は根拠を失う)
そして本書の白眉は、末尾付近でなされる次のような指摘である。
曰く、映画ディスクを家のモニター環境で視聴する等速派は、「映画館の大画面と大音響で鑑賞しない映画など映画とは言えない」と主張する「映画館派」に反論できるのか。
そして、そもそも映画が外国産であった場合、それを字幕・吹き替え問わず翻訳することは、「オリジナルを歪曲している」点について、早送り派とその違いを主張できるのか、と。
重ねて筆者は言う。
映画が誕生した時、「良識派」はそれを「芸術のなり損ないの見世物」と批判した。
ラジオが誕生した時、「良識派」はそれに「教養人の態度」としてそっぽを向いた。
レコードが誕生した時、「良識派」はそれを「生演奏には程遠い『缶詰の音楽』」と批判した。
TVが誕生した時、「良識派」はそれに「一億総白痴化」という言葉を流行させた。
PCが誕生した時、「良識派」はそれを「ウェブの長文は精読するのに不向きである」と批判した。
ならば、今「時代の必要性」に迫られて勢力を増しつつある早送り派に対し、等速派はいつまで抵抗し続けられるだろうか。
今後「歴史の掃き溜め」に消え去るのは、等速派の側ではないだろうか。
この筆者の懸念は、等速派の一人である評者の心胆を寒からしめるものだった。
著者は(評者と同じく)、映画やドラマにおける早送りやスキップ再生(この機能はすでに、数々の動画配信サービスや動画共有サイトで実装されている)を行う層(多くは若年層)に対して、極めて懐疑的な立場を採っている。
しかし筆者は、「早送り派」の彼らを頭ごなしに批判することなく、なぜそのような傾向が彼らに生まれたのかを、むしろ彼らに寄り添う形で分析しようとしている。
筆者の分析を要約すると、若年層が早送り派となるのはひとえに「必要に迫られたコスパ重視の結果」であり、それをもたらしたのは
・コンテンツの供給過多(時間的逼迫による、コスパ重視傾向)
・若年層の可処分所得減少(経済的逼迫による、コスパ重視傾向)
・LINEの普及による、交友関係の過度な親密化(話題のコンテンツを、コスパ重視で消費する必要性)
・キャリア教育における個性の重視化(コスパ重視で「○○オタク」を名乗れる必要性)
・評論文化の衰退(批判精神の欠如による、消費者に迎合する生産者側のコスパ重視傾向)
などの要因であるという。
また、女児アニメ視聴層の低年齢化に反した(タイアップ商品販促のための)脚本の複雑化や、今や当然のように動画共有サイトに存在するハイテンポ、早口、果ては倍速再生前提の解説動画群を見れば、若年層は情報処理速度自体が向上している可能性もある、と指摘する。
(となれば、「早送りで作品の内容など理解できるものか」という「等速派」の批判は根拠を失う)
そして本書の白眉は、末尾付近でなされる次のような指摘である。
曰く、映画ディスクを家のモニター環境で視聴する等速派は、「映画館の大画面と大音響で鑑賞しない映画など映画とは言えない」と主張する「映画館派」に反論できるのか。
そして、そもそも映画が外国産であった場合、それを字幕・吹き替え問わず翻訳することは、「オリジナルを歪曲している」点について、早送り派とその違いを主張できるのか、と。
重ねて筆者は言う。
映画が誕生した時、「良識派」はそれを「芸術のなり損ないの見世物」と批判した。
ラジオが誕生した時、「良識派」はそれに「教養人の態度」としてそっぽを向いた。
レコードが誕生した時、「良識派」はそれを「生演奏には程遠い『缶詰の音楽』」と批判した。
TVが誕生した時、「良識派」はそれに「一億総白痴化」という言葉を流行させた。
PCが誕生した時、「良識派」はそれを「ウェブの長文は精読するのに不向きである」と批判した。
ならば、今「時代の必要性」に迫られて勢力を増しつつある早送り派に対し、等速派はいつまで抵抗し続けられるだろうか。
今後「歴史の掃き溜め」に消え去るのは、等速派の側ではないだろうか。
この筆者の懸念は、等速派の一人である評者の心胆を寒からしめるものだった。