日本人の起源を知ることができる本かと勘違いして読み始めた。
すべての事象については「再帰的」で説明できるということらしい。
ただしその説明は一通りではない。要するに、こう考えればこうなるが、別の見方をすれば別の説明になるということ。
結論めいたものが何もないのが、社会学的考察ということなのか。
ほとんどすべての事柄について、唯一の真実といったものはなかなか存在しないが、この「再帰的」アプローチには、読み進むにしたがってイライラさせられる。
知のトレッキング叢書シリーズの一冊ということだが、トレッキングというよりも逍遥している感が強い。世の中の事象や理解について様々な視点を見せてくれてはいるが、目標感を持って読み進めると苦痛を感じるようになる。
トレッキングとは、登山と異なり山の頂を目指したりするものでは無いということでのシリーズなのだろう。
日本人はなぜ存在するか (知のトレッキング叢書) (日本語) 単行本 – 2013/10/25
與那覇 潤
(著)
-
本の長さ192ページ
-
言語日本語
-
出版社集英社インターナショナル
-
発売日2013/10/25
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ISBN-104797672595
-
ISBN-13978-4797672596
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
日本人は、日本民族は、日本史はどのように作られた?教養科目の人気講義が一冊の本に!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
與那覇/潤
1979年生まれ。愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授。東京大学教養学部超域文化科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。専門は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1979年生まれ。愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授。東京大学教養学部超域文化科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。専門は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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2013年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「再帰性」を一本の軸に、様々な学問(哲学、歴史学、民俗学など)に寄り道しながら、最終的に「私たちはどう生きるべきか」という道筋を示す本。
読みやすくてわかりやすいし、希望的観測に満ちた展望で結んでいるので、大学1年生や高校生みたいな若い世代が読むとすごく楽しいと思う(実際私はまだ若いので楽しかった)。
その上で、果たして本書がやったように「再帰性」をもってすべての事柄を説明するのは有効なのか、という疑問はやはり禁じ得ない。
他のレビューでも同じ疑問を投げかけている人がいるけども、しかし、再帰性ですべてを説明しようとする筆者の試みが失敗しているとすれば、それはむしろ人間の社会にとっていいニュースだろうと思う。
なぜなら、意図的に(過去のどこかの時点で)創られた再帰性のみが人々の思考や構造を決定するのではなく、ほかのどこかにもその要因があるということが示されるわけだから。
読みやすくてわかりやすいし、希望的観測に満ちた展望で結んでいるので、大学1年生や高校生みたいな若い世代が読むとすごく楽しいと思う(実際私はまだ若いので楽しかった)。
その上で、果たして本書がやったように「再帰性」をもってすべての事柄を説明するのは有効なのか、という疑問はやはり禁じ得ない。
他のレビューでも同じ疑問を投げかけている人がいるけども、しかし、再帰性ですべてを説明しようとする筆者の試みが失敗しているとすれば、それはむしろ人間の社会にとっていいニュースだろうと思う。
なぜなら、意図的に(過去のどこかの時点で)創られた再帰性のみが人々の思考や構造を決定するのではなく、ほかのどこかにもその要因があるということが示されるわけだから。
2016年1月17日に日本でレビュー済み
問題の立て方には2通りの方法がある。1つは多様なデータを集めそれを下に分析して結論を導き出すとの手法であり、もう1つは結論を検証するとの方法である。
本題に入る前に、少しテレビコマーシャルの話をしよう。お茶漬けの素のコマーシャル画面に一人の力士が登場し1本のCM中でこの言葉を繰り返し使いそれとは別に力士の後ろに富士山の写真が映し出される。
だがよくよく考えてみれば、「お茶づけ海苔」と「力士」そして「富士山」には実際に何の関係もないことも確かである。このCMが成り立っているのは、無自覚的な認識であり、それが普通であるなどとの思い込みともいえる。
さて、本書のタイトルは『日本人はなぜ存在するのか』であるが、これをどう読むかでも本書に対する評価は180度の違いを見せもする。それは冒頭に話した「問題の設定の仕方」により、回答が全く別のベクトルを示す事に起因する。
本書の目次を見れば解るが。第1章に並ぶのは全てカッコ付きの「日本」であり、そうして集めたデータを第2章でどう料理するかとのステップを踏むことで、現在の「日本論」なり「日本人論」が持つ危うさを炙り出していく。
本書第5章は「日本文化」は日本風か、との見出しを立てる。著者がそこで紹介するエピソードからは現在の「クール・ジャパン」もあれば、教科書に記されていた能や生け花などといった室町時代にルーツを持つ伝統文化を挙げるといった意識の違いが見られる。
もしこれがギリシア文化ならば、古代ギリシアに見られる建築や彫刻の様式やその美意識といった形が共通項としてあげられもするが、それが「日本文化」となった時には一筋縄ではいかないほどに判断基準が曖昧であることも確かである。
日本史の教科書をみれば、894年に菅原道真の建議により遣唐使が廃止され、以後は日本「独自の」文化が開花したとされているが、実際はそれ以前に中国や朝鮮半島そして遙か西域からもたらされた文化をアレンジする形で自らのものとしてきたとの経緯もある。こうした翻訳性こそがむしろ日本文化の独自性でもあり、それを著者は「有標と無標」の関係で説明する。
海外からの観光客が「畳」を日本文化の一つと感じる背景は、日常的にフローリングの床で生活する彼らにとって「普通とは違う」との意味になる。物珍しさや未知への憧憬あるいは不可知論に近い感覚でもある。
本書が中心とする論点は暗黙の理解や安直な思い込みといった不可視的な要素と立論を疑うことにある。それはかつてこの国に溢れてもいた「俗流日本論」が再び息を吹き返しつつある現状に対する危惧に始まる。
日本なり日本人をキチンと理解しようとするなら、真ん中に対象を置き様々な方向から光をあて、それが生じる影陰の違いを総合的に勘案することにより、それらを定義もする。始めから「日本人とは何か!」との声高で大仰な紋切型のスタイルは問題を立てる事でもなければ 、ましてや日本論とはなりもしない。
それは「答をどう出していくか」との考え方をできるかどうかとの問いかけでもある。
本題に入る前に、少しテレビコマーシャルの話をしよう。お茶漬けの素のコマーシャル画面に一人の力士が登場し1本のCM中でこの言葉を繰り返し使いそれとは別に力士の後ろに富士山の写真が映し出される。
だがよくよく考えてみれば、「お茶づけ海苔」と「力士」そして「富士山」には実際に何の関係もないことも確かである。このCMが成り立っているのは、無自覚的な認識であり、それが普通であるなどとの思い込みともいえる。
さて、本書のタイトルは『日本人はなぜ存在するのか』であるが、これをどう読むかでも本書に対する評価は180度の違いを見せもする。それは冒頭に話した「問題の設定の仕方」により、回答が全く別のベクトルを示す事に起因する。
本書の目次を見れば解るが。第1章に並ぶのは全てカッコ付きの「日本」であり、そうして集めたデータを第2章でどう料理するかとのステップを踏むことで、現在の「日本論」なり「日本人論」が持つ危うさを炙り出していく。
本書第5章は「日本文化」は日本風か、との見出しを立てる。著者がそこで紹介するエピソードからは現在の「クール・ジャパン」もあれば、教科書に記されていた能や生け花などといった室町時代にルーツを持つ伝統文化を挙げるといった意識の違いが見られる。
もしこれがギリシア文化ならば、古代ギリシアに見られる建築や彫刻の様式やその美意識といった形が共通項としてあげられもするが、それが「日本文化」となった時には一筋縄ではいかないほどに判断基準が曖昧であることも確かである。
日本史の教科書をみれば、894年に菅原道真の建議により遣唐使が廃止され、以後は日本「独自の」文化が開花したとされているが、実際はそれ以前に中国や朝鮮半島そして遙か西域からもたらされた文化をアレンジする形で自らのものとしてきたとの経緯もある。こうした翻訳性こそがむしろ日本文化の独自性でもあり、それを著者は「有標と無標」の関係で説明する。
海外からの観光客が「畳」を日本文化の一つと感じる背景は、日常的にフローリングの床で生活する彼らにとって「普通とは違う」との意味になる。物珍しさや未知への憧憬あるいは不可知論に近い感覚でもある。
本書が中心とする論点は暗黙の理解や安直な思い込みといった不可視的な要素と立論を疑うことにある。それはかつてこの国に溢れてもいた「俗流日本論」が再び息を吹き返しつつある現状に対する危惧に始まる。
日本なり日本人をキチンと理解しようとするなら、真ん中に対象を置き様々な方向から光をあて、それが生じる影陰の違いを総合的に勘案することにより、それらを定義もする。始めから「日本人とは何か!」との声高で大仰な紋切型のスタイルは問題を立てる事でもなければ 、ましてや日本論とはなりもしない。
それは「答をどう出していくか」との考え方をできるかどうかとの問いかけでもある。
VINEメンバー
出張講義を文章にまとめたということで、非常に読みやすく、レベルも私にはちょうど良かった。
大きく分けると、前半は「日本人とは、どう定義できるのか」、後半は「世界の中での日本人とは、人間とは何なのか」を事例をあげて解説するという趣向である。最後は途中で解説される「再帰性」に収斂するのだが、そこで「自分たちで、日本という国をリニューアルするチャンスが有るのでは」と問いかけて終わる。
途中での日本のアニメーションにおける子供の表現を巡っても、「欧米とは異なる子供の存在感を持って、クールジャパンというものを利用できるのではないか」と問いかけている。
本書を通じて、今まで漠然としていた事柄や、考えても見なかったことの議論の入り口が見えた感じがする。例えば、「グローバル化とはどういう意味か」「日本人の定義とは」「日本人は本当に集団主義的なのか」「ウルトラマンに通じる日本人の心情とは」「日本文化としてラベル付けされることの本当の意味とは」「日本史は本当に日本の歴史なのか」などなど。巻末に充実している参考文献を漁ってみたいという気にさせる内容だった。
大きく分けると、前半は「日本人とは、どう定義できるのか」、後半は「世界の中での日本人とは、人間とは何なのか」を事例をあげて解説するという趣向である。最後は途中で解説される「再帰性」に収斂するのだが、そこで「自分たちで、日本という国をリニューアルするチャンスが有るのでは」と問いかけて終わる。
途中での日本のアニメーションにおける子供の表現を巡っても、「欧米とは異なる子供の存在感を持って、クールジャパンというものを利用できるのではないか」と問いかけている。
本書を通じて、今まで漠然としていた事柄や、考えても見なかったことの議論の入り口が見えた感じがする。例えば、「グローバル化とはどういう意味か」「日本人の定義とは」「日本人は本当に集団主義的なのか」「ウルトラマンに通じる日本人の心情とは」「日本文化としてラベル付けされることの本当の意味とは」「日本史は本当に日本の歴史なのか」などなど。巻末に充実している参考文献を漁ってみたいという気にさせる内容だった。
2014年3月1日に日本でレビュー済み
本書は大学の教養科目の授業を書籍化したものです。
前半では日本人論の内実を分析し、後半では日本人論と他の論を比較した考察をしています。日本人論をメインモチーフに出発し、歴史がメタヒストリーであるという考え方、それを拡大して世界の事象のほとんどは再帰的であるという主張が展開されています。
全体感を強く意識せず、目の前の文章を追って読むだけでも楽しかったです。そして最後に読み終わったあと、参考文献と目次をめくると、それまでの内容が整理されていることに気づき、良い講義というのはこういうのだよね、と感じ入りました。
教養科目講義だけあり、用語の解説は逐一されており、参考文献も豊富です(巻末には、わかりやすい参考文献一覧が記載されています)。本書を読んでいる間、内容にわくわくし、次に掲載文献のどれを次に読もうかにわくわくする、一冊で二度美味しい感覚を味わいました。
文章はとても読みやすいので、中高校生でも読めそう。内容は大学ならではの「文系学問オードブル」(本文より引用)なので、大学生・社会人にもぜひお勧めしたいです。
日本論に興味が出た方は、中級で中国化する日本、上級で日本の起源(いずれも同著者)をどうぞ。
前半では日本人論の内実を分析し、後半では日本人論と他の論を比較した考察をしています。日本人論をメインモチーフに出発し、歴史がメタヒストリーであるという考え方、それを拡大して世界の事象のほとんどは再帰的であるという主張が展開されています。
全体感を強く意識せず、目の前の文章を追って読むだけでも楽しかったです。そして最後に読み終わったあと、参考文献と目次をめくると、それまでの内容が整理されていることに気づき、良い講義というのはこういうのだよね、と感じ入りました。
教養科目講義だけあり、用語の解説は逐一されており、参考文献も豊富です(巻末には、わかりやすい参考文献一覧が記載されています)。本書を読んでいる間、内容にわくわくし、次に掲載文献のどれを次に読もうかにわくわくする、一冊で二度美味しい感覚を味わいました。
文章はとても読みやすいので、中高校生でも読めそう。内容は大学ならではの「文系学問オードブル」(本文より引用)なので、大学生・社会人にもぜひお勧めしたいです。
日本論に興味が出た方は、中級で中国化する日本、上級で日本の起源(いずれも同著者)をどうぞ。
VINEメンバー
Amazonで購入
まだレビューついてないみたいですね。ちょっと意外。
『中国化する日本』は読んだんですが、あんまり共感できなかった。それは言ってる内容の問題より、読者を説き伏せるやり方に「これって専門家の世界ではジョーシキですよ」みたいな恫喝が入っててヤだったから。でも稲葉振一郎がブログで「カルスタ入門としてよくできています」と本書を紹介していたんで読んでみた。
で、本書で活用されるのがギデンズの再帰的近代ってコンセプトで、私は別にそれに反対じゃないけど、再帰的じゃない部分はあるだろうと考えてる。
この本の元になったのが愛知県立大での一般教養の講義だそうで、愛知県立大って言えば教員を輩出する地元の名門と聞いてますから、この講義を聞いて社会科教えるヤツがいっぱいいるんだろうなと思う。それはいいことなのか、悪いことなのか?
基本的には悪いことじゃないと思うけど、全国の小中高の社会科教員が授業の間に間にカルスタ系の小ネタを披露している図を想像すると、ちょっと退いちゃうかな。ま、大学はすでにそうなってる気配が濃厚なんですけどね。
それにしても、例えば著者が「どうして自己決定や功利主義を近代以来、長く信じてきたはずの私たちは、生存くじや臓器売買に拒否反応を示すのでしょうか」と読者に問う場面があり、立岩真也『私的所有論』の「人間とは、そういうものだから」という答えを提示している(p176)。しかしこの言葉は本書の構築主義的な、再帰性ですべてを説明する勢いの記述と整合的なんだろうか?
ま、「入門書」なんだから一応、再帰性と構築主義で押し通してみました、でもホントはもう少し陰影に富んだ考えも持ってるんですけどね、ということなら目を瞑ってもいいんだけど、しかしカルスタっていうのはやっぱり予想通り、大学教員の小遣い稼ぎ本のネタになったなぁ、としみじみ感じた。これはヤッカミ。
PS.愛知県で教員輩出してる大学は愛知県立大じゃなくて愛知教育大でした。失礼しました。
『中国化する日本』は読んだんですが、あんまり共感できなかった。それは言ってる内容の問題より、読者を説き伏せるやり方に「これって専門家の世界ではジョーシキですよ」みたいな恫喝が入っててヤだったから。でも稲葉振一郎がブログで「カルスタ入門としてよくできています」と本書を紹介していたんで読んでみた。
で、本書で活用されるのがギデンズの再帰的近代ってコンセプトで、私は別にそれに反対じゃないけど、再帰的じゃない部分はあるだろうと考えてる。
この本の元になったのが愛知県立大での一般教養の講義だそうで、愛知県立大って言えば教員を輩出する地元の名門と聞いてますから、この講義を聞いて社会科教えるヤツがいっぱいいるんだろうなと思う。それはいいことなのか、悪いことなのか?
基本的には悪いことじゃないと思うけど、全国の小中高の社会科教員が授業の間に間にカルスタ系の小ネタを披露している図を想像すると、ちょっと退いちゃうかな。ま、大学はすでにそうなってる気配が濃厚なんですけどね。
それにしても、例えば著者が「どうして自己決定や功利主義を近代以来、長く信じてきたはずの私たちは、生存くじや臓器売買に拒否反応を示すのでしょうか」と読者に問う場面があり、立岩真也『私的所有論』の「人間とは、そういうものだから」という答えを提示している(p176)。しかしこの言葉は本書の構築主義的な、再帰性ですべてを説明する勢いの記述と整合的なんだろうか?
ま、「入門書」なんだから一応、再帰性と構築主義で押し通してみました、でもホントはもう少し陰影に富んだ考えも持ってるんですけどね、ということなら目を瞑ってもいいんだけど、しかしカルスタっていうのはやっぱり予想通り、大学教員の小遣い稼ぎ本のネタになったなぁ、としみじみ感じた。これはヤッカミ。
PS.愛知県で教員輩出してる大学は愛知県立大じゃなくて愛知教育大でした。失礼しました。