1945 年 7/26 にポツダム宣言が発せられてより、
8/15 に終戦の詔に至るまでの過程を描いた作品。
首都・東京を含む全国の主要都市が毎夜のように空襲を受け、
また原始爆弾も投下され、もはや一矢報いる事すらできない中で、
天皇陛下はポツダム宣言受託を御聖断なさる。
一方で皇居を守備する近衛兵を含む陸軍の一部は、
国体護持を叫んでクーデターを起こす。
クーデターを起こした軍人達は、武力によって終戦の御聖断を撤回させようとした。
それがダメならば昭和天皇を退位させて、自分達に都合の良い弟親王を次期天皇に即位させようとしていたようだ。
国体護持を叫びつつ、今上天皇を引きずり降ろす事もやむなしとするのだから、
そこに矛盾を感じないわけにはいかないが、
それこそが組織の論理なのかもしれない。
ポツダム宣言を受託すれば陸軍という組織は消滅するのだから。
彼らの言う国体は結局、天皇陛下を元首と仰ぎつつも、
陸軍が政略・軍略の中心となって国の舵取りをする国家体制の事だったのだろう。
その組織体制を堅持したいがため、国体護持した形での停戦に固執し、
徒に犠牲を増やす結果になったのだろう。
そう考えると、同じ事は現代社会でも起きていそうで怖い。
国の為に奉仕しているんだと言う霞ヶ関の役人が、内心では俺が国を動かしているんだ、我こそ国家だ、と思っているかもしれない。
会社のためと連呼している人は、内心は己の出世欲のため他人を蹴落としているだけかもしれない。
考えさせられる事の多い一冊。
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日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日 Kindle版
近代日本の“運命の一日”を描いた不朽の名作。太平洋戦争を終結させるべく、天皇の「聖断」に従い和平への努力を続ける首相鈴木貫太郎をはじめとする人々と、徹底抗戦を主張して蹶起せんとした青年将校たち──。玉音放送を敢行しようとする政府関係者に対して、陸軍の一部軍人は近衛連隊を率いて皇居に乱入した。そのあまりにも対照的な動きこそ、この一日の長さを象徴するものであった。玉音放送が流れた昭和二十年八月十五日正午に至る一昼夜に繰り広げられた二十四幕の人間ドラマ。
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1995/6/25
- ファイルサイズ1257 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
昭和二十年八月六日、広島に原爆投下、そして、ソ連軍の満州侵略と、最早日本の命運は尽きた…。しかるに日本政府は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍に引きずられ、先に出されたポツダム宣言に対し判断を決められない。八月十五日をめぐる二十四時間を、綿密な取材と証言を基に再現する、史上最も長い一日を活写したノンフィクション。 --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
内容(「MARC」データベースより)
「聖断」に従い平和への努力を続ける人々と、徹底抗戦を主張して蹶起せんとした青年将校たち。昭和二十年八月十五日正午に至る一昼夜に繰り広げられた二十四時間の人間ドラマを埋もれていた資料をもとに再現。不朽の名作。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
半藤/一利
昭和5(1930)年、東京に生れる。作家。28年、東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問などを歴任。平成5(1993)年「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞、平成10年「ノモンハンの夏」で山本七平賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
昭和5(1930)年、東京に生れる。作家。28年、東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問などを歴任。平成5(1993)年「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞、平成10年「ノモンハンの夏」で山本七平賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B009DECOQC
- 出版社 : 文藝春秋 (1995/6/25)
- 発売日 : 1995/6/25
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1257 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 325ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,030位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 644位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 5,367位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1930年、東京・向島生まれ。
東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。
著書は『日本の一番長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『幕末史』など多数。『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
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『日本のいちばん長い日(決定版)』(半藤一利著、文春文庫)には、日本の無条件降伏を骨子とするポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせようとする者たちと、そうはさせじと画策する者たちの緊迫したやり取り、刻々と変化する様相が、ドキュメンタリー・タッチで描かれている。東郷外相からポツダム宣言の報告を受けた天皇は、こう述べた。「ともかく、これで戦争をやめる見通しがついたわけだね。それだけでもよしとしなければならないと思う。いろいろ議論の余地もあろうが、原則として受諾するほかはあるまいのではないか。受諾しないとすれば戦争を継続することになる。これ以上、国民を苦しめるわけにはいかない」。「政府は外交工作と軍の旺盛なる抗戦意識の間にはさまれて、両立しえない事態に立つことになった」。8月6日の広島への原爆投下の報告を東郷外相から受けた天皇は、こう指示した。「このような武器がつかわれるようになっては、もうこれ以上、戦争をつづけることはできない。不可能である。有利な条件をえようとして大切な時期を失してはならぬ。なるべくすみやかに戦争を終結するよう努力せよ。このことを木戸内大臣、鈴木首相にも伝えよ」。「(御前会議で)降伏は決定された。8月10日午前2時30分をすぎていた」。「陸軍中央は聖断下るを聞いて驚愕した。まったく予期しないではなかったが、いちばん恐れていたものが現実となって、幕僚は猛り狂ったのである」。「日本帝国は降伏へ向って歩みはじめた」。「ソ連軍の侵攻は樺太、満州でつづき、関東軍総司令部は通化に移動した」。「陸軍中央の抗戦派幕僚らによるクーデター計画は詳細に練りあげられている」。「阿南陸相の想いは複雑であった。すでにクーデター計画が秘密裡に策定されつつあるのは承知している。一触即発の状況にあった」。8月14日の御前会議で天皇が発言した。「このさい、自分のできることはなんでもする。国民はいまなにも知らないでいるのだから、とつぜんこのことを聞いたらさだめし動揺すると思うが、自分が国民に呼びかけることがよければ、いつでもマイクの前にも立つ。ことに陸海軍将兵は非常に動揺するであろう。陸海軍大臣がもし必要だというのならば、自分はどこへでもでかけて親しく説きさとしてもよい」。「宮城占領計画は画餅に帰した。しかし、計画は終ったが、実行の方はなおつづいていた。大隊長、中隊長たちは兵をひきい、宮内省内の捜索をなおつづけていたのである。第一大隊、第三大隊の数多くの将兵が録音盤捜索に手わけして当った」。「襲われたのは首相官邸ばかりではなかった。4時半、すっかり夜も明けはなたれたころ、放送会館は叛乱軍近衛第一連隊の第一中隊の将兵によって包囲されていた」。「放送会館が占領されたとなれば、天皇放送が不可能になる。知らせをうけた高橋部長は顔色を失った」。椎崎中佐、畑中少佐、古賀少佐たち抗戦派の青年将校たちは天皇の終戦の言葉の録音盤を奪って、放送を阻止しようと必死だったのである。「(宮城内の者たちは)はじめて全貌をたがいにつかむことができたのである。森師団長が殺害され、ニセの師団命令によって軍隊が動き、近歩二連隊の主力である第一、第三の二個大隊が宮城内の要所を占拠した。しかし、それもまもなく東部軍によって鎮圧せられるであろう・・・というものであった。(叛乱軍の)首謀者が少数であることも明らかになった」。8月15日正午、「『君が代』が終ると、天皇の声が聞えてきた。『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク・・・』」。・・・天皇は、会議室のとなり控室の御座所にあって、椅子に坐ったままご自身のラジオの声に聴入っていた。うつむいて、身体を固くして・・・。侍立する侍従たちがはっとするほどにその表情には力がなかった」。玉音放送がラジオから流れるまでに、裏面でこれほど切迫した事態が展開されていたとは!
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2019年8月14日に日本でレビュー済み
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「天運がどちらに与するかそれはわからないでしょう。どちらに与してもいい、判決は実行することによって定まると思うのです。そしてその実行が、純粋な忠誠心より発露しているものである以上は、臣道としてなんら恥ずるところはありません。…中佐殿、私は、まず宮城内に陣どって外部との連絡を断ち、時局収拾の最後の努力をこころみるため、天皇陛下をお助けすべきだと信じます。将校総自決よりその方が正しいと思います。近衛師団との連絡はもうついているのです。必要な準備はととのっております。あとは、少数のものが蹶起することによって、やがて全軍が立ちあがり、一致して事にあたればいいのです。成功疑いありません。中佐殿にはぜひ同意されて、この計画に加わっていただきたいのです」(115p)
岡本喜八版の映画では黒沢年男が、原田眞人版では松坂桃李が演じた畑中少佐が、8月14日の午後4時、聖断が降りたことで諦めきっている井田中佐にクーデターへの参加を詰め寄っている「記録」である。生き延びてしまった井田正孝の証言なので、かなり正確だろうと思う。中佐も少佐もない。最後の段階では、声の甲高い「狂」が、時を動かしかけた。
今から観ると、狂気の言としか思えない。ところが、井田や当時の陸軍士官のほとんどは、14日の前までは、この方向でみんなまとまっていたのである。「成功疑いありません」当時の最高の知性が、74年前のこの夏の日に、そういう判断をしていた、ということを私たちは忘れてはならない。
彼らが護ろうとした「國體」は、天皇そのものではなく(何しろご聖断に背いてクーデターを起こすのだから)、むしろ実体のない「こころ」のようなものであったのだが、それが多くの国民の命よりも、自分の命よりも大切だった(蹶起した3人の士官は15日に自決した)。現代ならば、実体のない「成長神話」がどんな国民の生活や命よりも大切だと思っている頭の良い人たちが存在するのと、同じかもしれない。
岡本喜八版の映画では黒沢年男が、原田眞人版では松坂桃李が演じた畑中少佐が、8月14日の午後4時、聖断が降りたことで諦めきっている井田中佐にクーデターへの参加を詰め寄っている「記録」である。生き延びてしまった井田正孝の証言なので、かなり正確だろうと思う。中佐も少佐もない。最後の段階では、声の甲高い「狂」が、時を動かしかけた。
今から観ると、狂気の言としか思えない。ところが、井田や当時の陸軍士官のほとんどは、14日の前までは、この方向でみんなまとまっていたのである。「成功疑いありません」当時の最高の知性が、74年前のこの夏の日に、そういう判断をしていた、ということを私たちは忘れてはならない。
彼らが護ろうとした「國體」は、天皇そのものではなく(何しろご聖断に背いてクーデターを起こすのだから)、むしろ実体のない「こころ」のようなものであったのだが、それが多くの国民の命よりも、自分の命よりも大切だった(蹶起した3人の士官は15日に自決した)。現代ならば、実体のない「成長神話」がどんな国民の生活や命よりも大切だと思っている頭の良い人たちが存在するのと、同じかもしれない。
2021年1月26日に日本でレビュー済み
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軍人が国を守ることから、国を支配することを当然と考えることの結末。海軍と陸軍の主導権争い。軍人に制限される首相のリーダーシップ。最後さんざん利用されてきた天皇に責任を押し付ける構造。
日本人は歴史に学び、二度と同じ失敗は繰り返すことはないのか。
日本は天皇による神の国と信じる多くの国民がいた。それでいながら天皇を人質にとって国を動かそうとする若い軍人。たった一日の政治家や軍人たちの行動で当時の社会構造が良く分かりました。
今の平和な時代にも、戦前同様の考えを持つ政治家が少なからず存在することと、二度と戦前のような社会にならないとは限らない危険性をいつの世も抱えていることなどを考えると、多くの若者にこの本を読んでもらいたいと思います。もっとも読むべきは安倍前首相か。
日本人は歴史に学び、二度と同じ失敗は繰り返すことはないのか。
日本は天皇による神の国と信じる多くの国民がいた。それでいながら天皇を人質にとって国を動かそうとする若い軍人。たった一日の政治家や軍人たちの行動で当時の社会構造が良く分かりました。
今の平和な時代にも、戦前同様の考えを持つ政治家が少なからず存在することと、二度と戦前のような社会にならないとは限らない危険性をいつの世も抱えていることなどを考えると、多くの若者にこの本を読んでもらいたいと思います。もっとも読むべきは安倍前首相か。
ベスト1000レビュアー
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1945年8月14日正午から15日正午までの24時間を描いたノンフィクション。ポツダム宣言を受け入れ日本の降伏が決定した御前会議、玉音放送の録音、日本降伏を阻止しようとした将校達のクーデター未遂事件(宮城事件)。玉音放送が流れるまでの、日本降伏派と徹底抗戦派の闘いのドラマを描いている。
「ここに登場する人物は、それぞれ自分のもっている〝日本的忠誠心〟にしたがって行動し、ぶつかりあっている。だが、ぜんたいをマクロ的に観察し、冷静な判断をくだすという大政治家、大監督がいなかった。そのため、同様の事態におちいった他の国々の場合にはみられない独自の喜劇と悲劇が、出演者の意思にかかわりなく、いたるところでおこった。それだけに、このドラマはスリルとサスペンスにみちた場面を展開した。」
「ここに登場する人物は、それぞれ自分のもっている〝日本的忠誠心〟にしたがって行動し、ぶつかりあっている。だが、ぜんたいをマクロ的に観察し、冷静な判断をくだすという大政治家、大監督がいなかった。そのため、同様の事態におちいった他の国々の場合にはみられない独自の喜劇と悲劇が、出演者の意思にかかわりなく、いたるところでおこった。それだけに、このドラマはスリルとサスペンスにみちた場面を展開した。」
2021年4月29日に日本でレビュー済み
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友人の勧めで購入しました。
第二次世界大戦後半の終戦までの政治家、軍部の行動を細かく記した、ほぼノンフィクションの小説。
この時代の政治家は命がけ、真剣に国のことを考えていたことがよくわかります。
最後まで抵抗した陸軍の暴走については、なぜこのような行動をとったのか全く理解できませんでした。
クーデターを起こした先に何があるのか?「国のために」ということで教育を受けてきたものと想像しましたが、このような思想家を生み出した当時の教育は怖いなと思いました。
読み物としては内容が難しい部分もあります。ただ、この小説を今書こうとしても誰も書けないでしょうし、当時の状況を後世に残していくためにも必要な記録である思います。
第二次世界大戦後半の終戦までの政治家、軍部の行動を細かく記した、ほぼノンフィクションの小説。
この時代の政治家は命がけ、真剣に国のことを考えていたことがよくわかります。
最後まで抵抗した陸軍の暴走については、なぜこのような行動をとったのか全く理解できませんでした。
クーデターを起こした先に何があるのか?「国のために」ということで教育を受けてきたものと想像しましたが、このような思想家を生み出した当時の教育は怖いなと思いました。
読み物としては内容が難しい部分もあります。ただ、この小説を今書こうとしても誰も書けないでしょうし、当時の状況を後世に残していくためにも必要な記録である思います。
2021年9月23日に日本でレビュー済み
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徹底抗戦か全面降伏か、一億玉砕だ!!
ポツダム宣言の受諾をめぐる天皇陛下の聖断、政権指導部と軍部の葛藤を綿密な取材と証言にもとづいて〈日本のいちばん長い日〉として書いたノンフィクション。
半藤一利さんのデビュー作となるこの本は、当初はいろいろな事情から大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して刊行され、東宝により映画化されたこともあり多くの人に読まれたという。その後、決定版として再発行するに際し、文芸春秋を退社し〈ひとり立ち〉した記念にと亡き大宅壮一夫人の昌さんの了解を得て半藤一利著とさせていただいたとある。
まさに映像を見るような凄まじい臨場感は膨大な調査と取材の賜物でありそれこそ圧倒的で鬼気迫るものがある。
事態はきわめて切迫していて一刻の猶予もなく、政権中枢部の思惑は国体護持という条件で一致していたが連合軍との確約はどこにもなかった。日本はそれこそドイツのように東西に分断されそうな瀬戸際にあったのかもしれない。
どのようにして日本は敗戦を認めポツダム宣言を受諾することを国民に受け入れてもらうかと御前会議がもたされる。結局、天皇陛下のお言葉として事前に収録されたものを8月15日正午に放送されることが決められる。だが、軍部とりわけ陸軍青年将校らは決起し徹底抗戦を叫びクーデターを決行するのだが、間一髪のところで断念せざるを得なかった。阿南陸相の自決をはじめ多くの叛乱軍が無念の自死を遂げることになる。
やがて、12時の玉音放送がはじまるのだがそれまでの経緯、叛乱軍の制圧、鈴木総理大臣のほか政府要人や侍従らの護衛、収録された音源の確保といった宮城を舞台とする〈日本のいちばん長い日〉がはじまる。
次々と重要文書が燃やされ処分されていくのを眺めながら彼らはいったい何を考えていたのだろう。
井田中佐は、絶望で涸渇した精神のなかに活力の一滴を見出した。重要なことはわれわれが一体となり美しく滅んでゆくということだ、と中佐は思いつめた。こうした死の統一によって困難な時代を乗りこえてゆくことができようし、神州不滅に確信をもつことができるであろう。承詔必謹というような美名による卑怯な敗戦とはちがい、日本敗北の意味は巨大となるであろう。(p109)
今になって思えばまことに滑稽にさえみえる軍部のこの言動とは何だったのだろうか、とあらためて考えさせられる。いつだったか大津島の特攻隊、回天(人間魚雷)基地を訪ねたときもその惨すぎる多くの資料と基地跡を前にして複雑な感情を抑えることができなかった。靖国神社の遊就館を訪ねたときもそうだった。名状しがたいあの独特の雰囲気はどこに起因しているのだろう。ここに共通するあの異様さは何か、何があれほどまでに若者を奮い立たせ決起させたかといえば、それはやはり国体への幻想、天皇を中心とした国体観ということではなかったか、ぼくはそう思う。
ポツダム宣言の受諾すなわち日本は戦争に敗け全面降伏するしかなくなったとしても、やはりこの国の精神をささえた実在としての国体のイメージが国民のアイデンティティとともに最大の問題となった。
もともと竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の三人は東大教授平泉澄博士の直門として昭和十年ごろよりずっと兄弟弟子の関係にあった。彼らは平泉博士より、自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。一言でいえば、建国いらい、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合を遂げる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである。(p178)
・・・略) 彼らの考えるところでは、戦争はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、降伏するということは、かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為となると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。(p178)
おそらくこれが彼らの大義となっていたと考えられる。彼らは森師団長を説き伏せ決行を促すが偶然のいたずらか思い違いか、事件はあっという間に起きた。井田中佐が隣の参謀長室にいたとき師団長を撃ち抜き斬りつけた。
― 井田中佐はとっさにそうした事のなりゆきをみてとった。そして井田中佐を観た、わずかにのぞかれた師団長室を。血の海で、その中に森師団長と白石中佐の死体が重なるようにうつぶしていた。そしてそれを見下ろすように、椎崎中佐が呆然とし、椅子に腰をかけている。ほかに二人の興奮した将校の姿が・・・。叛乱がはじまった!(p210)
だが、井田中佐、畑中少佐ら叛乱軍の思惑ははずれ、東部軍の理解は得られず彼らは宮城に籠城したまま外部との連絡を遮断したまま孤立していた。
「畑中、もういかんよ。東部軍は冷却しきって、まったく起つ気配はない。これ以上、宮城籠城はおぼつかないことだ。失敗とあきらめて兵をひけ。もしこのまま籠城をつづければ、国家非常事態を前に、東部軍との一戦は必至となるぞ」(p240)
井田中佐の忠告にも血気盛んな畑中少佐は「一戦おそるるに足らずです」と抵抗するが「馬鹿をいえッ」と一喝される。
畑中少佐に兵を引けと説き、その足で陸相官邸を訪ねた井田中佐は竹下中佐とともに切腹直前の陸相を前にして自制心を失い涙にくれたという。もはやクーデターも陰謀もあったものではなかった。
宮城から追放された畑中少佐は少尉と兵二人をつれて放送会館へ乗りこみ、陸軍ではなく国民を相手に放送手段で訴えようとするが、東部軍の許可なしではできないと拒否される。
やがて、東部軍司令官が暴動鎮圧に乗りだし叛乱軍は制圧されていく。
その朝はギラギラとした太陽を、さまざまな人が、いろいろなところで、それぞれの感慨をもって仰ぎみた。(p307)
天皇放送に関係のないすべての番組は消され、報道の時間には正午から天皇放送がある旨がくり返し流され、多くの国民は玉音放送を待つばかりとなっていた。
こうして満州事変にはじまった第二次世界大戦は終焉をむかえ、大日本帝国は“歴史”と化してしまった。
エピローグでは歴史の最後の一ページで重要な役割を演じた人たちの、それぞれのその後についていくつかのエピソードが記述されているけれど、多くの軍関係者は死に場所を求め宮城前で死を遂げた人もあったという。
本著は、8月15日正午の玉音放送までの24時間にわたる日本の葛藤と激動の詳細を徹底した取材と調査によって画いたドキュメントであり、半藤さん渾身の一冊といえる。
ポツダム宣言の受諾をめぐる天皇陛下の聖断、政権指導部と軍部の葛藤を綿密な取材と証言にもとづいて〈日本のいちばん長い日〉として書いたノンフィクション。
半藤一利さんのデビュー作となるこの本は、当初はいろいろな事情から大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して刊行され、東宝により映画化されたこともあり多くの人に読まれたという。その後、決定版として再発行するに際し、文芸春秋を退社し〈ひとり立ち〉した記念にと亡き大宅壮一夫人の昌さんの了解を得て半藤一利著とさせていただいたとある。
まさに映像を見るような凄まじい臨場感は膨大な調査と取材の賜物でありそれこそ圧倒的で鬼気迫るものがある。
事態はきわめて切迫していて一刻の猶予もなく、政権中枢部の思惑は国体護持という条件で一致していたが連合軍との確約はどこにもなかった。日本はそれこそドイツのように東西に分断されそうな瀬戸際にあったのかもしれない。
どのようにして日本は敗戦を認めポツダム宣言を受諾することを国民に受け入れてもらうかと御前会議がもたされる。結局、天皇陛下のお言葉として事前に収録されたものを8月15日正午に放送されることが決められる。だが、軍部とりわけ陸軍青年将校らは決起し徹底抗戦を叫びクーデターを決行するのだが、間一髪のところで断念せざるを得なかった。阿南陸相の自決をはじめ多くの叛乱軍が無念の自死を遂げることになる。
やがて、12時の玉音放送がはじまるのだがそれまでの経緯、叛乱軍の制圧、鈴木総理大臣のほか政府要人や侍従らの護衛、収録された音源の確保といった宮城を舞台とする〈日本のいちばん長い日〉がはじまる。
次々と重要文書が燃やされ処分されていくのを眺めながら彼らはいったい何を考えていたのだろう。
井田中佐は、絶望で涸渇した精神のなかに活力の一滴を見出した。重要なことはわれわれが一体となり美しく滅んでゆくということだ、と中佐は思いつめた。こうした死の統一によって困難な時代を乗りこえてゆくことができようし、神州不滅に確信をもつことができるであろう。承詔必謹というような美名による卑怯な敗戦とはちがい、日本敗北の意味は巨大となるであろう。(p109)
今になって思えばまことに滑稽にさえみえる軍部のこの言動とは何だったのだろうか、とあらためて考えさせられる。いつだったか大津島の特攻隊、回天(人間魚雷)基地を訪ねたときもその惨すぎる多くの資料と基地跡を前にして複雑な感情を抑えることができなかった。靖国神社の遊就館を訪ねたときもそうだった。名状しがたいあの独特の雰囲気はどこに起因しているのだろう。ここに共通するあの異様さは何か、何があれほどまでに若者を奮い立たせ決起させたかといえば、それはやはり国体への幻想、天皇を中心とした国体観ということではなかったか、ぼくはそう思う。
ポツダム宣言の受諾すなわち日本は戦争に敗け全面降伏するしかなくなったとしても、やはりこの国の精神をささえた実在としての国体のイメージが国民のアイデンティティとともに最大の問題となった。
もともと竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の三人は東大教授平泉澄博士の直門として昭和十年ごろよりずっと兄弟弟子の関係にあった。彼らは平泉博士より、自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。一言でいえば、建国いらい、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合を遂げる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである。(p178)
・・・略) 彼らの考えるところでは、戦争はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、降伏するということは、かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為となると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。(p178)
おそらくこれが彼らの大義となっていたと考えられる。彼らは森師団長を説き伏せ決行を促すが偶然のいたずらか思い違いか、事件はあっという間に起きた。井田中佐が隣の参謀長室にいたとき師団長を撃ち抜き斬りつけた。
― 井田中佐はとっさにそうした事のなりゆきをみてとった。そして井田中佐を観た、わずかにのぞかれた師団長室を。血の海で、その中に森師団長と白石中佐の死体が重なるようにうつぶしていた。そしてそれを見下ろすように、椎崎中佐が呆然とし、椅子に腰をかけている。ほかに二人の興奮した将校の姿が・・・。叛乱がはじまった!(p210)
だが、井田中佐、畑中少佐ら叛乱軍の思惑ははずれ、東部軍の理解は得られず彼らは宮城に籠城したまま外部との連絡を遮断したまま孤立していた。
「畑中、もういかんよ。東部軍は冷却しきって、まったく起つ気配はない。これ以上、宮城籠城はおぼつかないことだ。失敗とあきらめて兵をひけ。もしこのまま籠城をつづければ、国家非常事態を前に、東部軍との一戦は必至となるぞ」(p240)
井田中佐の忠告にも血気盛んな畑中少佐は「一戦おそるるに足らずです」と抵抗するが「馬鹿をいえッ」と一喝される。
畑中少佐に兵を引けと説き、その足で陸相官邸を訪ねた井田中佐は竹下中佐とともに切腹直前の陸相を前にして自制心を失い涙にくれたという。もはやクーデターも陰謀もあったものではなかった。
宮城から追放された畑中少佐は少尉と兵二人をつれて放送会館へ乗りこみ、陸軍ではなく国民を相手に放送手段で訴えようとするが、東部軍の許可なしではできないと拒否される。
やがて、東部軍司令官が暴動鎮圧に乗りだし叛乱軍は制圧されていく。
その朝はギラギラとした太陽を、さまざまな人が、いろいろなところで、それぞれの感慨をもって仰ぎみた。(p307)
天皇放送に関係のないすべての番組は消され、報道の時間には正午から天皇放送がある旨がくり返し流され、多くの国民は玉音放送を待つばかりとなっていた。
こうして満州事変にはじまった第二次世界大戦は終焉をむかえ、大日本帝国は“歴史”と化してしまった。
エピローグでは歴史の最後の一ページで重要な役割を演じた人たちの、それぞれのその後についていくつかのエピソードが記述されているけれど、多くの軍関係者は死に場所を求め宮城前で死を遂げた人もあったという。
本著は、8月15日正午の玉音放送までの24時間にわたる日本の葛藤と激動の詳細を徹底した取材と調査によって画いたドキュメントであり、半藤さん渾身の一冊といえる。
2018年6月14日に日本でレビュー済み
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戦時中(終戦に際してですが)の、軍部上層部側の話をはじめて読みました。硫黄島の悲惨な話や、沖縄のひめゆりの話を読み、なぜもっと早く戦争を終わりにしなかったのか、と思っていましたが、やめることの難しさが伝わってきました。広島、長崎や、ソ連の参戦などを考えれば、円滑に終戦したとは言えませんが、もっと最悪な状況も起こり得たとわかり、上層部の方々の努力に頭が下がる思いです。ふと、玉音放送を聞いたとき、祖母が「アメリカに全員殺される」と思って泣いたという話を思い出しました。






