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日本‐喪失と再起の物語:黒船、敗戦、そして3・11 (上) 単行本 – 2014/10/24
「幕末から東日本大震災まで、喪失と再起の歴史を分析する稀有な日本史」
――緒方貞子(元国連難民高等弁務官、元国際協力機構理事長)
「はじめての、そして斬新な『失われた20年』のインサイド・ヒストリーである。当代きってのアジア通ジャーナリストが、ジョン・ダワーの名著『敗北を抱きしめて』を思わせる鮮やかな筆致で、この時代を描き出す」
――船橋洋一(ジャーナリスト)
「本書を大変興味深く読んだ。おかげで日々の報道で無頓着に見過ごしたり、あわただしく読み飛ばしてしまったりした多くの事柄をあらためて学び直すことができた。著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」
――ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
「バブルとその崩壊、長く続くデフレ、そして大震災と原発事故。日本は、『変化しているのか』あるいは『何も変わっていないのか』。著者は個人のディテールを積み重ねることで、真実を浮き彫りにする」
――村上 龍(作家)
《フィナンシャル・タイムズ》の元東京支局長による日本論の新・決定版。
黒船来航に端を発する近代国家への急速な発展、第二次世界大戦敗北後の奇跡の経済成長、そして2011年3月11日の東日本大震災後に人々が見せ続ける粘り強さ。たび重なる「災いを転じて」、この国はいつも並外れた回復力を発揮してきた――。
名門経済紙《フィナンシャル・タイムズ》の東京支局長を務めた英国人ジャーナリストが、3・11を起点として描き出す日本の実像とは? 近・現代史への確かな理解をもとに、安倍晋三、稲盛和夫、村上春樹、桐野夏生、古市憲寿ら著名人から東北の被災地住民まで、多くの生の声と豊富な経済データを織り交ぜ、日本の多様性と潜在力を浮かび上がらせる。海外メディアの絶賛を浴びた画期的傑作。(原題 Bending Adversity: Japan and the Art of Survival)
装幀:坂川栄治+永井亜矢子(坂川事務所)
画像提供:PPA/アフロ
(東洲勝月「米船渡来 旧諸藩士固之図」)
――緒方貞子(元国連難民高等弁務官、元国際協力機構理事長)
「はじめての、そして斬新な『失われた20年』のインサイド・ヒストリーである。当代きってのアジア通ジャーナリストが、ジョン・ダワーの名著『敗北を抱きしめて』を思わせる鮮やかな筆致で、この時代を描き出す」
――船橋洋一(ジャーナリスト)
「本書を大変興味深く読んだ。おかげで日々の報道で無頓着に見過ごしたり、あわただしく読み飛ばしてしまったりした多くの事柄をあらためて学び直すことができた。著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」
――ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
「バブルとその崩壊、長く続くデフレ、そして大震災と原発事故。日本は、『変化しているのか』あるいは『何も変わっていないのか』。著者は個人のディテールを積み重ねることで、真実を浮き彫りにする」
――村上 龍(作家)
《フィナンシャル・タイムズ》の元東京支局長による日本論の新・決定版。
黒船来航に端を発する近代国家への急速な発展、第二次世界大戦敗北後の奇跡の経済成長、そして2011年3月11日の東日本大震災後に人々が見せ続ける粘り強さ。たび重なる「災いを転じて」、この国はいつも並外れた回復力を発揮してきた――。
名門経済紙《フィナンシャル・タイムズ》の東京支局長を務めた英国人ジャーナリストが、3・11を起点として描き出す日本の実像とは? 近・現代史への確かな理解をもとに、安倍晋三、稲盛和夫、村上春樹、桐野夏生、古市憲寿ら著名人から東北の被災地住民まで、多くの生の声と豊富な経済データを織り交ぜ、日本の多様性と潜在力を浮かび上がらせる。海外メディアの絶賛を浴びた画期的傑作。(原題 Bending Adversity: Japan and the Art of Survival)
装幀:坂川栄治+永井亜矢子(坂川事務所)
画像提供:PPA/アフロ
(東洲勝月「米船渡来 旧諸藩士固之図」)
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2014/10/24
- ISBN-10415209494X
- ISBN-13978-4152094940
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商品の説明
出版社からのコメント
日本研究者、著名ジャーナリストらがこぞって推薦!
「すばらしい収穫……いかにして日本が世界有数の経済大国となったのか、そしてなぜ、今後も長くその地位を維持しうるのかを知りたいすべての人に、本書を強くおすすめする」
――ジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授〔政治学〕)
「著者は、ありふれた薄っぺらなイメージからこの国を救いたいと願っているのだ……私たちは本書を読んで、日本がもっとおもしろく、魅力的な国であることを知る必要がある」
――ビル・エモット(《エコノミスト》誌元編集長)
「すぐれたジャーナリズムがここにある。学者風の脱線を交え、一定のテンポを保ち、そして決して飽きさせない」
――カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト。『日本/権力構造の謎』著者)
「今日の日本について書かれた本を1冊だけ選ぶとしたら、本書を読むべきだ」
――ケネス・B・パイル(ワシントン大学教授〔歴史学・アジア研究〕)
「すばらしい収穫……いかにして日本が世界有数の経済大国となったのか、そしてなぜ、今後も長くその地位を維持しうるのかを知りたいすべての人に、本書を強くおすすめする」
――ジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授〔政治学〕)
「著者は、ありふれた薄っぺらなイメージからこの国を救いたいと願っているのだ……私たちは本書を読んで、日本がもっとおもしろく、魅力的な国であることを知る必要がある」
――ビル・エモット(《エコノミスト》誌元編集長)
「すぐれたジャーナリズムがここにある。学者風の脱線を交え、一定のテンポを保ち、そして決して飽きさせない」
――カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト。『日本/権力構造の謎』著者)
「今日の日本について書かれた本を1冊だけ選ぶとしたら、本書を読むべきだ」
――ケネス・B・パイル(ワシントン大学教授〔歴史学・アジア研究〕)
内容(「BOOK」データベースより)
名門経済紙“フィナンシャル・タイムズ”の東京支局長を務めた英国人ジャーナリストが、3・11を起点として描き出す日本の実像とは?近・現代史への確かな理解をもとに、安倍晋三、稲盛和夫、村上春樹、桐野夏生、古市憲寿ら著名人から東北の被災地住民まで、多くの生の声と豊富な経済データを織り交ぜ、日本の多様性と潜在力を浮かび上がらせる。海外メディアを絶賛を浴びた画期的傑作。
著者について
《フィナンシャル・タイムズ》紙(FT)のアジア編集長。2002年1月から08年8月まで同紙の東京支局長を務める。現在は香港を拠点に、中国、インド、東南アジアなどアジア各地を取材し、企業活動、投資、政治・経済などに関する時評や記事を執筆。1990年よりFT紙に加わり、チリ、アルゼンチン特派員、製薬・バイオ関連産業担当などを経て現職。The Society of Publishers in Asia Award、Editorial Intelligence Comment Award(UK)など受賞歴多数。
■訳者略歴
仲 達志(なか・たつし)
翻訳家。《ニューズウィーク日本版》の創刊に参加し、副編集長として欧米ジャーナリストによる独自取材班を担当。その後、ポータルサイト「MSN」でウェブマガジンやニュースサイトの創設に携わり、マネージングエディターを経て、現在、フリー。主な訳書にホーマンズ『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』、レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』(共訳)など。
■訳者略歴
仲 達志(なか・たつし)
翻訳家。《ニューズウィーク日本版》の創刊に参加し、副編集長として欧米ジャーナリストによる独自取材班を担当。その後、ポータルサイト「MSN」でウェブマガジンやニュースサイトの創設に携わり、マネージングエディターを経て、現在、フリー。主な訳書にホーマンズ『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』、レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』(共訳)など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ピリング,デイヴィッド
“フィナンシャル・タイムズ”紙(FT)のアジア編集長。2002年1月から08年8月まで同紙の東京支局長を務める。現在は香港を拠点に、中国、インド、東南アジアなどアジア各地を取材し、企業活動、投資、政治・経済などに関する時評や記事を執筆。1990年よりFT紙に加わり、チリ、アルゼンチン特派員、製薬・バイオ関連産業担当などを経て現職。The Society of Publishers in Asia Award、Editorial Intelligence Comment Award(UK)など受賞歴多数
仲/達志
翻訳家。“ニューズウィーク日本版”の創刊に参加し、副編集長として欧米ジャーナリストによる独自取材班を担当。その後、ポータルサイト「MSN」でウェブマガジンやニュースサイトの創設に携わり、マネージングエディターを経て、現在、フリー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
“フィナンシャル・タイムズ”紙(FT)のアジア編集長。2002年1月から08年8月まで同紙の東京支局長を務める。現在は香港を拠点に、中国、インド、東南アジアなどアジア各地を取材し、企業活動、投資、政治・経済などに関する時評や記事を執筆。1990年よりFT紙に加わり、チリ、アルゼンチン特派員、製薬・バイオ関連産業担当などを経て現職。The Society of Publishers in Asia Award、Editorial Intelligence Comment Award(UK)など受賞歴多数
仲/達志
翻訳家。“ニューズウィーク日本版”の創刊に参加し、副編集長として欧米ジャーナリストによる独自取材班を担当。その後、ポータルサイト「MSN」でウェブマガジンやニュースサイトの創設に携わり、マネージングエディターを経て、現在、フリー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2014/10/24)
- 発売日 : 2014/10/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 352ページ
- ISBN-10 : 415209494X
- ISBN-13 : 978-4152094940
- Amazon 売れ筋ランキング: - 200,971位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 2,353位政治入門
- - 20,051位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月16日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
なんでも実態を調べて書くという欧米のジャーナリズムは日本の貧弱なジャーナリズムと異なり、記述に迫力はありますが、欧米人視点で上から目線で見ているところが気になりますね。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2015年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、2002年から6年8ヶ月間、フィナンシャルタイムズ(FT紙)の東京支局長をつとめ、また、東日本大震災の直後から幾度も来日して、被災地と日本の変化をフォローしてきた同紙アジア編集長の610頁に達する日本論である。
いかにもリベラルというか、
「日本は戦中のアジアでの残忍極まる行為を反省すらしないために、アジア中から嫌われ、アメリカとしか同盟できない孤立した国」であるといった趣旨を幾度も強調し、近隣諸国との摩擦の主因も日本にあるかと決めつけ、安倍総理を歴史修正主義者とし、日本の右傾化を嘆き、東日本大震災でも、自衛隊の活動には触れず、政府の無為無策を強調する。
「日本は、脱亜はしても、未だに入欧できない哀れな国」であるとの認識を示し、インタビューでも、著者の思想に反する登場人物については、雰囲気、ファッションから食事の作法まであげつらう。
しかし・・・
さすがフィナンシャルタイムスの記者であり、ワンパターンのネガティブキャンペーンではおわらず、ポジティブな面もとりあげ、
日本はお先真っ暗説が広まっているけれど、「お先真っ暗ではない」ことをアピールしている。
「日本は、世界最大の債権国だ。いろんな問題を抱えているけれど、欧米諸国よりましなことも多いし、ピンチになれば、すごいパワーを発揮する国だ。楽観できないけれど、悲観することもない」・・・というのである。
特筆すべきは、黒船来航(1853年)以来の日本の動向をトレースし、帝国主義の道を歩み、太平洋戦争に突入し、莫大な犠牲者をだしたことを、愚かなことと批判する一方で、欧米諸国にも原因があることや、東京大空襲の非道さ、東京裁判のでたらめなどもきちんと指摘していることである。
また、いくつかの大きなピンチを乗り切った事例と、それをリードした福澤諭吉をはじめとする数々の有為な人材の存在と活動も紹介している。
欧米でも人気がある村上春樹を幾度も登場させての社会論、茶道その他の文化と風習の紹介、国民性や歴史の認識が著者と対立する人物との討論、その他数多くのトピックスは勉強になり、東日本大震災での津波の後の被災者の描写には胸を打たれた。
さらに、統計を駆使した経済分析と関連エピソードの簡潔明快な紹介は圧巻である。
大来佐武郎たち経済官僚が、終戦前から重化学工業の育成をコアとする復興計画を練り、戦後、それを推進したこと、ソニーの発展をリードした盛田昭夫の見識と決断、操業再開を許されるや一気世界ナンバーワンに躍り出た造船業・・・などのストーリーは、若い世代にも大きなインパクトを与えるはずである。
小泉首相の郵政改革の真意と、それに賭ける情熱、行動のドラマティックな描写には、圧倒された。
いかにもリベラルというか、
「日本は戦中のアジアでの残忍極まる行為を反省すらしないために、アジア中から嫌われ、アメリカとしか同盟できない孤立した国」であるといった趣旨を幾度も強調し、近隣諸国との摩擦の主因も日本にあるかと決めつけ、安倍総理を歴史修正主義者とし、日本の右傾化を嘆き、東日本大震災でも、自衛隊の活動には触れず、政府の無為無策を強調する。
「日本は、脱亜はしても、未だに入欧できない哀れな国」であるとの認識を示し、インタビューでも、著者の思想に反する登場人物については、雰囲気、ファッションから食事の作法まであげつらう。
しかし・・・
さすがフィナンシャルタイムスの記者であり、ワンパターンのネガティブキャンペーンではおわらず、ポジティブな面もとりあげ、
日本はお先真っ暗説が広まっているけれど、「お先真っ暗ではない」ことをアピールしている。
「日本は、世界最大の債権国だ。いろんな問題を抱えているけれど、欧米諸国よりましなことも多いし、ピンチになれば、すごいパワーを発揮する国だ。楽観できないけれど、悲観することもない」・・・というのである。
特筆すべきは、黒船来航(1853年)以来の日本の動向をトレースし、帝国主義の道を歩み、太平洋戦争に突入し、莫大な犠牲者をだしたことを、愚かなことと批判する一方で、欧米諸国にも原因があることや、東京大空襲の非道さ、東京裁判のでたらめなどもきちんと指摘していることである。
また、いくつかの大きなピンチを乗り切った事例と、それをリードした福澤諭吉をはじめとする数々の有為な人材の存在と活動も紹介している。
欧米でも人気がある村上春樹を幾度も登場させての社会論、茶道その他の文化と風習の紹介、国民性や歴史の認識が著者と対立する人物との討論、その他数多くのトピックスは勉強になり、東日本大震災での津波の後の被災者の描写には胸を打たれた。
さらに、統計を駆使した経済分析と関連エピソードの簡潔明快な紹介は圧巻である。
大来佐武郎たち経済官僚が、終戦前から重化学工業の育成をコアとする復興計画を練り、戦後、それを推進したこと、ソニーの発展をリードした盛田昭夫の見識と決断、操業再開を許されるや一気世界ナンバーワンに躍り出た造船業・・・などのストーリーは、若い世代にも大きなインパクトを与えるはずである。
小泉首相の郵政改革の真意と、それに賭ける情熱、行動のドラマティックな描写には、圧倒された。
2017年7月26日に日本でレビュー済み
著者はファイナンス・タイムズ紙の元日本支局長(2002~2012年)を勤めたジャーナリストが日本での勤務の総括として書かれたもの見受けられる。本書はベネディクトの
菊と刀 (講談社学術文庫)
、ヴォーゲルの
ジャパン・アズ・ナンバーワン
など優れた日本を論じた名著に匹敵する洞察をもっている。東日本大震災を導入として、明治維新から本上巻では2012年小泉政権構造改革の総括までを論じている。ジャーナリストはいえ6年間の日本での駐在で、多くの書籍だけでなく、キーとなる日本人に直接インタビューをして、日本人のこれまでの歩みを日本人ではない外国人が客観的に見た日本が丁寧に描かれている。
本書の評価として、一元的な見方で、個人の感情が入って客観性に乏しいなどの批判をする声はあるものの筆者自身は、その視点、評価、考察はが同意できるかは別として、おおむね妥当なものと感じた。よく取材がされ引用文献も豊富で、日本人が生業として何かしらの意図をもって書かれた書籍に比べてよっぽど緻密な内容だった。ただそれだけに、日本人にとって耳に痛い内容や、利害関係者に不愉快な内容もお構いなしに論じていることから反発もあるだろう。本書は2014年に英語版と邦訳版が刊行されている。これから日本に赴任をする外国人にとっては、信頼できる最新の教科書になると思う。一方日本人にとっては、海外からの赴任者の予備知識の上限レベルと想定できる基準となるのではないか。また、明治維新以降の日本近現代史を整理するのに役立つ二次資料としての価値もあると思われる。
本書の評価として、一元的な見方で、個人の感情が入って客観性に乏しいなどの批判をする声はあるものの筆者自身は、その視点、評価、考察はが同意できるかは別として、おおむね妥当なものと感じた。よく取材がされ引用文献も豊富で、日本人が生業として何かしらの意図をもって書かれた書籍に比べてよっぽど緻密な内容だった。ただそれだけに、日本人にとって耳に痛い内容や、利害関係者に不愉快な内容もお構いなしに論じていることから反発もあるだろう。本書は2014年に英語版と邦訳版が刊行されている。これから日本に赴任をする外国人にとっては、信頼できる最新の教科書になると思う。一方日本人にとっては、海外からの赴任者の予備知識の上限レベルと想定できる基準となるのではないか。また、明治維新以降の日本近現代史を整理するのに役立つ二次資料としての価値もあると思われる。
2015年8月14日に日本でレビュー済み
非常に評判が高いので、お盆休みに自分への知的投資として購入し、上下を一気に読了しました。 上巻の書き出しは、3.11後に見せた日本社会の強靭性から始まり興味をそそられますが、次第に、読むのが苦痛になってゆきます。 それは、明治以来の日本を西洋列国になろうとしてなれず第二次世界大戦という未曽有の惨事をアジアと自国民に課したという歴史観に貫かれているからです。 村上春樹、桐野夏生、飯島薫、さらにはイラクで人質となりながら生還した今井紀明氏のインタビューはさすがに一流経済紙の記者の取材として読ませす。 しかし、比較的リベラルな人物についての温かい記載に比して、意見の異なるインタビュー者へは極めて皮相というか意地悪な書き方です。安倍首相を含め、リベラルな意見と違う意見を言う人物は、登場の初めから「歴史修正主義者」(東條由布子)、「国家主義的で時に反動的な思想」(安倍首相)で始まります。 英国の知識人にありがちなアロガンスを感じました。 しかし、それでもこの本は広く読まれるべきと思います。 それは、日本の今を発言する人物のインタビューに成功し、課題として抽出しているからです。 それを普遍化できるかは疑問がありますが、1995年の阪神淡路大震災とオウムテロそして東日本大地震・津波・福島、そして中国の台頭が今日にの日本の今と近未来に大きな影響を与えているという漠然とた疑念が晴れたことは大きな収穫でした。 また、西欧の世論形成に影響力のある知識人の日本近代史観を知るうえでまたとない教科書でもありましょう。ただ、彼らが主導する国際世論に対して日本の姿を示そうとする努力が、一緒くたに「歴史修正主義」と断罪されるのでしょうか。最後までこの違和感が残り、新鮮な視点に触れた満足と限りない徒労感を感じた読書感となりました。 最後に幾つかの事実誤認あるいは、誤訳が気になります。 例えば、世界の100歳以上の高齢者数を6億7300万人(下巻p26)としていますが、それは世界人口の10%、日本の人口の5倍強となり、ありえない話です。 将来の版では再チェックをお願いしたいと思います。
2016年11月23日に日本でレビュー済み
まず最初に、評者として日本・日本人を賞賛してほしいとか、褒め称えてもらいたいとかいう欲求は全く無いことを前提にします。日本の読者に対して「日本はすごいぞ」という、日本をよいしょする内容が書いてあるかどうかは本の評価とは関係がありません。問題は、作者が「なぜ日本国民は数々の自然災害に精神的(物理的ではなく)に耐えてこられたのか」「なぜ3.11という未曽有の大災害に日本人は耐えることができたのか」という問いに、説得的な回答を与えているかどうかなのです。残念ながら、本書がこの問いに本質的な回答を与えていると評価することはできないでしょう。
この本は、ひとことで表現するのならば、いわゆるレガシーメディア関係者による通りいっぺんの戦後日本論であり、欧米の金融メディアの視点を戦後日本に適用した程度のものです。本質的な議論はありません。「日本の衰退は誇張され(すぎ)ていた」という認識を読者に与えうるかもしれませんが、ではなぜなのか? 深く理解するための知を本書はまったく提供していない。本質は欠けたままです。
本書の帯には、「斬新」だの「稀有な日本史」だのという歯の浮くような書評の数々がおどっています。その評者たちが本当に本書を熟読し、真剣にそうした感想を持ったのだとしたら、まったく驚きというほかありません。
この作者は日本に来る前から自分が予め持っていた日本に対する評価、日本像、日本に対する偏見を、日本人の何人かのエスタブリッシュメントへのインタビューによって、「まちがいではなかった」と確認して満足を覚えているふしがあります。緒方四十郎 (p172-175)、村上春樹(p215-227) との話を引き合いに出す部分にそれは如実に現れているでしょう。ここに、作者の勘違いの原因があるように見えます。現地のエスタブリッシュメントをおさえておけば、自分の認識そのものを問題にしないでよいという勘違いです。彼はさまざまな人々にインタビューし、幅広い日本人の意見を聞いているように見せかけていますが、コアな認識は日本にくる前から持っていた通り一遍の陳腐な認識にすぎず、それを日本人の一部のエスタブリッシュメントと一緒に確認しているだけなのです。
作者が一定期間日本で記者生活をしていたことや、多くの人々にインタビューをしたことや、被災地で取材したことには多くの時間とコストがかかっただろうと推察しますが、結局は、「円滑に機能する日本の恩恵をすべて享受しながら何の責任も果たさずに済む」立場が、「有利に働いた」(p.37)と信じ込んでいるあたり、埒外者としてフィルターのかかった目で日本を見ていたということでしょう。評者も研究者としてヨーロッパの国に4年程度滞在経験がありますが、その国の人々と交わり、その国の恩恵を享受しながら、「何の責任も果たさずに済む」などと考えたことは一度もありません。記者という特定職業の人々が、「何の責任も果たさずに済む」からこそ、中立的な視点で一貫して仕事をできると決まっているわけでもないでしょう。一定の責任を果たしているという自覚、あるいは、一定の責任を果たす立場を想定することによって、その国の価値観や思想の本質を真剣に理解しようと考え、自分の認識を試金石にかけることが可能となるのです。
日本語習得に精を出されたようであり、「37歳で日本語の勉強にどっぷり浸かり始め」(p.33)、「たどたどしいながらインタビューをこなせるようにさえなった」、また「年齢を考えれば、ここまで習得できただけでも望外の成功」(p.34)という自己満足が示されています。確かに英語圏の人物が、語学として日本語を学ぶのは、大変だったことでしょう。しかし、重要なのは一新聞記者が日本語力を身につけたかどうかではないでしょう。その程度の努力をしている記者は過去に何百人、いや何千人といるでしょう。それよりも、日本語で書かれた一次資料を読んで日本を論じているか、そして、日本語で書かれた重要資料の読解と、英語圏で読まれ価値を認められた資料の比較検討が十分になされているかが重要なのです。本書の内容・注をよく読み込みましたが、作者が日本語の一次資料を読む努力をしていないことは明らかです。日本語でちょっとしたインタビュー程度はこなしているかもしれませんが、さまざまな時代の日本語の資料を読み・考えるという努力をしていません。彼は、同時代の日本人と会話し、誰でもアクセスできる同時代のジャーナリスティックで浅薄な情報をパッチワークしているだけです。元から自分が持っていた実に陳腐な認識の延長上に独自認識を得たと信じ込んでいるだけなのです。
この原因は、おそらく、日本にある「外国人記者クラブ(外国特派員協会 : FCCJ)」という驚くべき閉鎖的機関と関係があると評者は見ています。日本語の領域でリベラルアーツの本格的な技能を発揮するプロセスを省くことが当然のようにまかりとおり、日本語でテクストを読まず、日本語で書かず、日本語で考えなくても、安易に英語だけで日本の歴史と同時代の日本の諸事情に精通したという錯覚を記者たちに覚えさせる団体は、典型的な植民地メディア団体といって過言ではありません。この21世紀に、諸外国の中で、その国の母語で書かれた資料を一切読まずにジャーナリストを自称することができる国があるとすれば、それは間違いなく旧植民地なのです。
日本の治安を、長い時間によって形成された文化や伝統として理解する視点が皆無である点も同様です。7年もの長期間日本にいながら、いつまでも単なる埒外者がフリーライダーとして日本の治安の中でぬくぬくと記者活動をしていたようにも見えます。 「市民の安全という面では、日本の犯罪発生率は国際的な水準に照らしてけた外れに低い」「この国で財布を落としても、現金は手付かずのまま、ほぼ100%もどってくる」(p.245)これは、ファクトでしかなく、なぜそうなのかを7年も日本にいた記者ならば分析すべきだと読者(英語版の読者、日本語版の読者共通でそう思うでしょう)は思うでしょうが、まったくそれはなされていない。代わりに、「日本の長所を述べるのはこれくらいにしておこう」と切り上げる。別に日本をほめてくれなどと読者は思う必要のない「事実」に関する部分なのですが、作者は自分が「日本に高い評価を与えている」と勘違いしているらしく、なぜそうなのかを分析せずに切り上げる。埒外者ならば、なおさら大きな理由を持って、いったいなぜそのような「現象」が日本で起きるのかに関心を持ち、学問的な検討あるいは社会的な調査をおこない、説得的に述べる努力を払う必要があるでしょう。日本という共同体に所属する人よりも、客観的な材料によって議論することができるはずなのに、作者はまったくそれをせずにさぼっているのです。
一般国民としてこの本を読めば、戦前からの日本国民の伝統や文化に対して、説得的な議論はまったく行われていないことに気づきます。戦前の日本の文化は「封建時代」とか「天皇制カルト imperial cult」などという言葉で、およそ言論人ならここまできれいさっぱり切り捨てることは普通できないだろうという印象を持つほど、安易に切り捨てられます。おそらくその原因は、作者が、「極東軍事法廷」によって、戦前の日本国民の伝統や文化に最終判断が下されたと暗に前提としているからでしょう。このような打算的前提が、いかに自身の視野を偏狭にし、「言論の自由」「出版の自由」の中で、いかに自身の議論を狭苦しい言語空間の中に置いているかにまるで意識的でない。そのことにこそ、言論人として恥ずべきでしょう。
戦後日本でなぜか「東京裁判」と呼ばれつづけてきた軍事法廷military tribunal は、明確にギリシャ・ローマ以来の西洋の法廷文化の産物ではないので、「軍事法廷」で統一した方がよい代物です。これは、日本国民の「国民感情」とは別に、そうなのです。軍事法廷は、法(jus, droit, law)によってではなく、即席でつくった軍事法廷条例(charter)を最高位において組織される、特殊でローカルな法廷にすぎないからです。評者が日本人だからそう評価するのではなく、法学の伝統に照らして見れば、明々白々な「事実」でありファクトなのです。法制史の視点から見れば、十七世紀以来、ヨーロッパで学問的に探求され実績もあった国際法(jus genitium voluntarium)の伝統に断絶をもたらしたのは、この軍事法廷military tribunalの濫用なのです。軍事法廷を限定的に運用するのではなく、従来の国際法の領域にまで拡張してアメリカ合衆国が恣意的に運用したことが、いかに国際法の伝統を毀損せしめたか。そのことは良心ある法学者ならば誰でも例外なく認識しています。
日本国民が集団として凶悪だったから軍事法廷が必要であったわけではありません。作者は下巻で、軍事法廷についてわずかに言及し、これが法ではない「条例」を最高規範として運用された点に言及していますが、その認識はお粗末そのものです。プラトンの対話が示すような、「知っていて何も知っていない」タイプの認識を露呈しています。作者は、軍事法廷をヨーロッパの法学の伝統からの逸脱として説明することを怠ったまま、日本国民の被害者意識と被害者意識が高じた「歴史修正主義者」に強引に結びつけようとしています。無知とはおそろしいものです。英語版/日本語版にかかわらず、読者の一部も、おそらく同様の感想を持つでしょう。
もちろん、日本が主権をかけてたたかった戦争(戦闘ではない)の是非を議論し、戦争が日本国民、関係する諸国民にもたらした深刻な損害にともなう「罪」「罰」を議論することは重要です。その重要性は日本に限定されるわけではありません。例えばアメリカ合衆国が自国民、日本をはじめとする関係諸国民に与えた深刻な損害にともなう「罪」「罰」も、当然、議論される必要があります。それと「軍事法廷」とは別の問題です。軍事法廷でなければ、それらを議論できないわけではない。さらに言うなら、日本の文化・伝統と「軍事法廷」は切り分けて考えるための確固たる方法を必要とする別の事柄です。その方法を確立する努力をまったくせずに、 「軍事法廷」を何よりも権威化し、いわゆる「封建時代」から続く日本の文化や伝統を軍国主義に短絡的にむすびつけて断罪しても無駄でしょうし、あるいは「封建時代」以前までさかのぼる日本の文化や伝統を無視したとしても、日本人の精神性、態度、振る舞い、人間関係の本質を理解することは永遠にできないでしょう。
そこをおさえておかなければ、いつまでたっても、この本の作者のように戦後日本で成功した同時代のエスタブリッシュメントから話をきいて、したり顔で満足するにとどまり、自然災害に耐える日本人の精神性、長い時間をかけて形成された自然とのかかわり、日本の文化と伝統の理解に到達することは、決して望めないでしょう(仮にそのような理解に到達することを望む人々が、記者として日本に来ると良心的に解釈しての話です)。これは、何も対象が日本である場合に限ったことではありません。ある国民の精神性に分け入る必要のある事柄を対象とする場合、ものごとを切り分けて論じる方法を確立せずに、既存の権威やイデオロギーに依拠してフィルターをかけたまま(あるいは、自分で気づかずに無意識でフィルターがかかったまま)論じても、読者と新たな認識を共有することはできないでしょう。
この本は、ひとことで表現するのならば、いわゆるレガシーメディア関係者による通りいっぺんの戦後日本論であり、欧米の金融メディアの視点を戦後日本に適用した程度のものです。本質的な議論はありません。「日本の衰退は誇張され(すぎ)ていた」という認識を読者に与えうるかもしれませんが、ではなぜなのか? 深く理解するための知を本書はまったく提供していない。本質は欠けたままです。
本書の帯には、「斬新」だの「稀有な日本史」だのという歯の浮くような書評の数々がおどっています。その評者たちが本当に本書を熟読し、真剣にそうした感想を持ったのだとしたら、まったく驚きというほかありません。
この作者は日本に来る前から自分が予め持っていた日本に対する評価、日本像、日本に対する偏見を、日本人の何人かのエスタブリッシュメントへのインタビューによって、「まちがいではなかった」と確認して満足を覚えているふしがあります。緒方四十郎 (p172-175)、村上春樹(p215-227) との話を引き合いに出す部分にそれは如実に現れているでしょう。ここに、作者の勘違いの原因があるように見えます。現地のエスタブリッシュメントをおさえておけば、自分の認識そのものを問題にしないでよいという勘違いです。彼はさまざまな人々にインタビューし、幅広い日本人の意見を聞いているように見せかけていますが、コアな認識は日本にくる前から持っていた通り一遍の陳腐な認識にすぎず、それを日本人の一部のエスタブリッシュメントと一緒に確認しているだけなのです。
作者が一定期間日本で記者生活をしていたことや、多くの人々にインタビューをしたことや、被災地で取材したことには多くの時間とコストがかかっただろうと推察しますが、結局は、「円滑に機能する日本の恩恵をすべて享受しながら何の責任も果たさずに済む」立場が、「有利に働いた」(p.37)と信じ込んでいるあたり、埒外者としてフィルターのかかった目で日本を見ていたということでしょう。評者も研究者としてヨーロッパの国に4年程度滞在経験がありますが、その国の人々と交わり、その国の恩恵を享受しながら、「何の責任も果たさずに済む」などと考えたことは一度もありません。記者という特定職業の人々が、「何の責任も果たさずに済む」からこそ、中立的な視点で一貫して仕事をできると決まっているわけでもないでしょう。一定の責任を果たしているという自覚、あるいは、一定の責任を果たす立場を想定することによって、その国の価値観や思想の本質を真剣に理解しようと考え、自分の認識を試金石にかけることが可能となるのです。
日本語習得に精を出されたようであり、「37歳で日本語の勉強にどっぷり浸かり始め」(p.33)、「たどたどしいながらインタビューをこなせるようにさえなった」、また「年齢を考えれば、ここまで習得できただけでも望外の成功」(p.34)という自己満足が示されています。確かに英語圏の人物が、語学として日本語を学ぶのは、大変だったことでしょう。しかし、重要なのは一新聞記者が日本語力を身につけたかどうかではないでしょう。その程度の努力をしている記者は過去に何百人、いや何千人といるでしょう。それよりも、日本語で書かれた一次資料を読んで日本を論じているか、そして、日本語で書かれた重要資料の読解と、英語圏で読まれ価値を認められた資料の比較検討が十分になされているかが重要なのです。本書の内容・注をよく読み込みましたが、作者が日本語の一次資料を読む努力をしていないことは明らかです。日本語でちょっとしたインタビュー程度はこなしているかもしれませんが、さまざまな時代の日本語の資料を読み・考えるという努力をしていません。彼は、同時代の日本人と会話し、誰でもアクセスできる同時代のジャーナリスティックで浅薄な情報をパッチワークしているだけです。元から自分が持っていた実に陳腐な認識の延長上に独自認識を得たと信じ込んでいるだけなのです。
この原因は、おそらく、日本にある「外国人記者クラブ(外国特派員協会 : FCCJ)」という驚くべき閉鎖的機関と関係があると評者は見ています。日本語の領域でリベラルアーツの本格的な技能を発揮するプロセスを省くことが当然のようにまかりとおり、日本語でテクストを読まず、日本語で書かず、日本語で考えなくても、安易に英語だけで日本の歴史と同時代の日本の諸事情に精通したという錯覚を記者たちに覚えさせる団体は、典型的な植民地メディア団体といって過言ではありません。この21世紀に、諸外国の中で、その国の母語で書かれた資料を一切読まずにジャーナリストを自称することができる国があるとすれば、それは間違いなく旧植民地なのです。
日本の治安を、長い時間によって形成された文化や伝統として理解する視点が皆無である点も同様です。7年もの長期間日本にいながら、いつまでも単なる埒外者がフリーライダーとして日本の治安の中でぬくぬくと記者活動をしていたようにも見えます。 「市民の安全という面では、日本の犯罪発生率は国際的な水準に照らしてけた外れに低い」「この国で財布を落としても、現金は手付かずのまま、ほぼ100%もどってくる」(p.245)これは、ファクトでしかなく、なぜそうなのかを7年も日本にいた記者ならば分析すべきだと読者(英語版の読者、日本語版の読者共通でそう思うでしょう)は思うでしょうが、まったくそれはなされていない。代わりに、「日本の長所を述べるのはこれくらいにしておこう」と切り上げる。別に日本をほめてくれなどと読者は思う必要のない「事実」に関する部分なのですが、作者は自分が「日本に高い評価を与えている」と勘違いしているらしく、なぜそうなのかを分析せずに切り上げる。埒外者ならば、なおさら大きな理由を持って、いったいなぜそのような「現象」が日本で起きるのかに関心を持ち、学問的な検討あるいは社会的な調査をおこない、説得的に述べる努力を払う必要があるでしょう。日本という共同体に所属する人よりも、客観的な材料によって議論することができるはずなのに、作者はまったくそれをせずにさぼっているのです。
一般国民としてこの本を読めば、戦前からの日本国民の伝統や文化に対して、説得的な議論はまったく行われていないことに気づきます。戦前の日本の文化は「封建時代」とか「天皇制カルト imperial cult」などという言葉で、およそ言論人ならここまできれいさっぱり切り捨てることは普通できないだろうという印象を持つほど、安易に切り捨てられます。おそらくその原因は、作者が、「極東軍事法廷」によって、戦前の日本国民の伝統や文化に最終判断が下されたと暗に前提としているからでしょう。このような打算的前提が、いかに自身の視野を偏狭にし、「言論の自由」「出版の自由」の中で、いかに自身の議論を狭苦しい言語空間の中に置いているかにまるで意識的でない。そのことにこそ、言論人として恥ずべきでしょう。
戦後日本でなぜか「東京裁判」と呼ばれつづけてきた軍事法廷military tribunal は、明確にギリシャ・ローマ以来の西洋の法廷文化の産物ではないので、「軍事法廷」で統一した方がよい代物です。これは、日本国民の「国民感情」とは別に、そうなのです。軍事法廷は、法(jus, droit, law)によってではなく、即席でつくった軍事法廷条例(charter)を最高位において組織される、特殊でローカルな法廷にすぎないからです。評者が日本人だからそう評価するのではなく、法学の伝統に照らして見れば、明々白々な「事実」でありファクトなのです。法制史の視点から見れば、十七世紀以来、ヨーロッパで学問的に探求され実績もあった国際法(jus genitium voluntarium)の伝統に断絶をもたらしたのは、この軍事法廷military tribunalの濫用なのです。軍事法廷を限定的に運用するのではなく、従来の国際法の領域にまで拡張してアメリカ合衆国が恣意的に運用したことが、いかに国際法の伝統を毀損せしめたか。そのことは良心ある法学者ならば誰でも例外なく認識しています。
日本国民が集団として凶悪だったから軍事法廷が必要であったわけではありません。作者は下巻で、軍事法廷についてわずかに言及し、これが法ではない「条例」を最高規範として運用された点に言及していますが、その認識はお粗末そのものです。プラトンの対話が示すような、「知っていて何も知っていない」タイプの認識を露呈しています。作者は、軍事法廷をヨーロッパの法学の伝統からの逸脱として説明することを怠ったまま、日本国民の被害者意識と被害者意識が高じた「歴史修正主義者」に強引に結びつけようとしています。無知とはおそろしいものです。英語版/日本語版にかかわらず、読者の一部も、おそらく同様の感想を持つでしょう。
もちろん、日本が主権をかけてたたかった戦争(戦闘ではない)の是非を議論し、戦争が日本国民、関係する諸国民にもたらした深刻な損害にともなう「罪」「罰」を議論することは重要です。その重要性は日本に限定されるわけではありません。例えばアメリカ合衆国が自国民、日本をはじめとする関係諸国民に与えた深刻な損害にともなう「罪」「罰」も、当然、議論される必要があります。それと「軍事法廷」とは別の問題です。軍事法廷でなければ、それらを議論できないわけではない。さらに言うなら、日本の文化・伝統と「軍事法廷」は切り分けて考えるための確固たる方法を必要とする別の事柄です。その方法を確立する努力をまったくせずに、 「軍事法廷」を何よりも権威化し、いわゆる「封建時代」から続く日本の文化や伝統を軍国主義に短絡的にむすびつけて断罪しても無駄でしょうし、あるいは「封建時代」以前までさかのぼる日本の文化や伝統を無視したとしても、日本人の精神性、態度、振る舞い、人間関係の本質を理解することは永遠にできないでしょう。
そこをおさえておかなければ、いつまでたっても、この本の作者のように戦後日本で成功した同時代のエスタブリッシュメントから話をきいて、したり顔で満足するにとどまり、自然災害に耐える日本人の精神性、長い時間をかけて形成された自然とのかかわり、日本の文化と伝統の理解に到達することは、決して望めないでしょう(仮にそのような理解に到達することを望む人々が、記者として日本に来ると良心的に解釈しての話です)。これは、何も対象が日本である場合に限ったことではありません。ある国民の精神性に分け入る必要のある事柄を対象とする場合、ものごとを切り分けて論じる方法を確立せずに、既存の権威やイデオロギーに依拠してフィルターをかけたまま(あるいは、自分で気づかずに無意識でフィルターがかかったまま)論じても、読者と新たな認識を共有することはできないでしょう。
2016年4月8日に日本でレビュー済み
英フィナンシャル・タイムズ紙の東京支局長を務めた著者が、主に90年代以降の日本社会の実像に迫る。もともとは英語で出版されたようだが、日本に興味を持つ外国人と同等かそれ以上に、日本という国は歴史的、文化的、地理的な文脈からどう位置付けられるのかに興味を持つ日本人にとって意義深い。筆者の語り口は軽妙でイギリス人らしいユーモアに富むのと同時に、先入観を排したジャーナリストとしての客観性と現場主義、何より取材対象への共感に満ちている。日本について論じた名著「敗北を抱きしめて」が日本の戦後史を主な対象としているのに対し、本書は現代の日本を照射しようとしている。「敗北~」の原題が"Embracing Defeat"で本書の原題が"Bending Adversity"と、続編のようになっているのは、恐らく偶然ではないのだろう。単純な日本絶賛論でも日本異質論でもない、絶妙なバランスで異国をここまで描き上げた筆者に敬意を表する。





