国連機関や国際NGOで武装解除・平和構築に携わってきた著者が「日本のあるべきグランドデザインの姿を探りながら、日本だからこそ、国際平和のためにできること(p.9)」を探ろうという書。
著者の結論を要約した「日本の指針10(pp.224-228)」は
1 日本が第二次世界大戦での敗戦国(=国連憲章の「旧敵国」)であること
2 日本が、地政学上、脆弱であること
3 グローバル・テロリズムへの対応や国連PKOの活動において集団的自衛権と集団安全保障が接近しつつあること
4 「まともじゃない敵」=グローバル・テロリズムへの対応こそが最優先されるべきこと
など、国際情勢の現状への著者の認識を踏まえての提言となっている。それゆえ、上記のような現状認識への評価が、著者の結論への評価に直結するだろう。異論はあろう。なかでも、「テロリズムとの戦いは、これまでになかった『個別的自衛権』『集団的自衛権』『集団安全保障』の合体を生み出しました(p.85)」というあたり、安全保障政策を分析する根本的な枠組みの変更になるだろうから。
私が知らなかったこと、私にとって斬新な発想が少なくない。例えば
「(少年兵について)ダボダボのカーゴパンツ、銃を担いで肩で風を切る。こんな姿に憧れる若者たちが後を絶たない。戦争、暴力は『平和』よりセクシーなのです。(p.25)」
「集団的自衛権の行使を認めれば、自動的に自衛隊が海外で軍事行動できる、ということにはならないのです。これは……自衛隊を軍事組織として法的に位置付ける、憲法改正の問題です。(p.39)」
「(ホルムズ海峡への機雷敷設を「存立危機」とすることについて)「『資源が入ってこないから』では、日本は資源のために戦争=侵略する、と自ら宣伝しているようなものなのです。恥ずかしいったらありゃしないのです。(p.116)」
(警察力と軍事力の使い分けについて)「警察力の『バッファー』がない場所があります。領空だけは、即、軍事力対軍事力です。(p.123)」
一方、
「僕が首相になったら、即座に、福島第一原発を……国有化し……元請け企業の担当者から……末端の作業員たちまでををすべて国家公務員にして……素性調査をして再雇用します。テロで一番気を使うべきは『内部からの手引き』だからです(p.157)」
というような「おいおい」と言いたくなるような乱暴な主張もある。
全体に、話があちらこちらに飛んで、思いつくままに書きつづった印象。「もうちょっと整理して書いてくれませんか」と言いたくなる。あと、「9条もアメリカも日本を守れない」という副題に関わる叙述がほとんど無い。
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新国防論 9条もアメリカも日本を守れない 単行本 – 2015/11/27
伊勢﨑 賢治
(著)
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やっと言える
ホンネの国防。
「安保」の現実。
国防と世界秩序の維持をめざす「新しい9条」をつくろう!
国際紛争の現場で武装解除に携わってきた“紛争解決人"が、
安保関連法成立後の日本の国防の在り方を提言。
さらに、自衛隊の根本的な法的地位と「新しい9条」づくりを国民に問う。
9条はこれまで、アメリカの戦争に付き合わないための「ブレーキ」として、見事にその機能を果たしてきました。しかし、越えてはいけない最後の垣根であった集団的自衛権が容認されてしまった以上、そのブレーキがこれまでどおり働くとは思えません。70年前にできた9条を、激動する国際情勢の中で「進化」させる時が来たのではないでしょうか。
自衛隊は「交戦権」を持たない状態、つまり「敵を殺す権利」がない状態で海外派遣されています。にもかかわらず、自衛隊は海外では「軍隊」だと見なされています。もし紛争に巻き込まれれば、その時を境に自衛隊は紛争当事者になり、敵から撃たれるリスクも高まるでしょう。このような状態のまま自衛隊を海外に派遣するなど、許すわけにはいきません。
【目次】
第1章 戦争が起こるメカニズム
第2章 世界から見た集団的自衛権
第3章 日本の国防を考える
第4章 日本が変える集団安全保障
第5章 日本の防衛と国際秩序構築を考える
ホンネの国防。
「安保」の現実。
国防と世界秩序の維持をめざす「新しい9条」をつくろう!
国際紛争の現場で武装解除に携わってきた“紛争解決人"が、
安保関連法成立後の日本の国防の在り方を提言。
さらに、自衛隊の根本的な法的地位と「新しい9条」づくりを国民に問う。
9条はこれまで、アメリカの戦争に付き合わないための「ブレーキ」として、見事にその機能を果たしてきました。しかし、越えてはいけない最後の垣根であった集団的自衛権が容認されてしまった以上、そのブレーキがこれまでどおり働くとは思えません。70年前にできた9条を、激動する国際情勢の中で「進化」させる時が来たのではないでしょうか。
自衛隊は「交戦権」を持たない状態、つまり「敵を殺す権利」がない状態で海外派遣されています。にもかかわらず、自衛隊は海外では「軍隊」だと見なされています。もし紛争に巻き込まれれば、その時を境に自衛隊は紛争当事者になり、敵から撃たれるリスクも高まるでしょう。このような状態のまま自衛隊を海外に派遣するなど、許すわけにはいきません。
【目次】
第1章 戦争が起こるメカニズム
第2章 世界から見た集団的自衛権
第3章 日本の国防を考える
第4章 日本が変える集団安全保障
第5章 日本の防衛と国際秩序構築を考える
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社毎日新聞出版
- 発売日2015/11/27
- ISBN-104620323306
- ISBN-13978-4620323305
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商品の説明
著者について
伊勢﨑 賢治(いせざき・けんじ)
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。その後、国際NGOの一員としてアフリカで活動。2000年3月より、国連東チモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遺団の武装解除部長として、武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当(しかも「丸腰」で! )。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授(平和構築・紛争予防講座)。プロのトランペッターとしても活動中。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』 (朝日新書) 、『本当の戦争の話をしよう世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)などがある。
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。その後、国際NGOの一員としてアフリカで活動。2000年3月より、国連東チモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遺団の武装解除部長として、武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当(しかも「丸腰」で! )。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授(平和構築・紛争予防講座)。プロのトランペッターとしても活動中。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』 (朝日新書) 、『本当の戦争の話をしよう世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊勢崎/賢治
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動にかかわる。その後、国際NGOの一員としてアフリカで活動。2000年3月より、国連東チモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遣団の武装解除部長として、武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授(平和構築・紛争予防講座)。プロのジャズトランペッターとしても活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動にかかわる。その後、国際NGOの一員としてアフリカで活動。2000年3月より、国連東チモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遣団の武装解除部長として、武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授(平和構築・紛争予防講座)。プロのジャズトランペッターとしても活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 毎日新聞出版 (2015/11/27)
- 発売日 : 2015/11/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4620323306
- ISBN-13 : 978-4620323305
- Amazon 売れ筋ランキング: - 171,925位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 697位軍事入門
- カスタマーレビュー:
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2016年3月23日に日本でレビュー済み
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筆者は国連東チモール暫定行政機構上級民政官として赴任した経験があるとのことで、
任期中にNZ出身のPKO隊員が現地ゲリラに殺害されたという生々しい経験は筆者にしか書けないことだろう。
そんなPKOの現実を知る筆者は、湾岸戦争からルワンダの虐殺を経て、PKOの実態が大きく変化していることを指摘している。
国連の内政不干渉主義が、ルワンダ虐殺を加速させてしまったとして、現在はPKOの責任に住民の保護も含まれるという。
こういったことから旧宗主国、先進国は現在ではPKOに兵力を供出せず、周辺国(利害関係国)や償還金目当ての国が派兵しているという。
また国家の安全が加熱している「セキュリタイゼーション」の状況に懸念を抱いており、
集団的自衛権行使のための法整備や憲法の改正等も不十分だと指摘している。
筆者に説得力があるのは、その法の不備によってどんな被害が発生するかを述べていることだろう。
こういった議論はやはり「現実ベース」であるべきであって、理念的な反戦や安全保障というのはするべきではないと改めて感じた。
現在の戦争は昔と違い非対称戦争(テロ)の戦いとなっており、集団安全保障はもはや前提であって、
原発の複数存在する日本は敵の良心に依存しなければそもそも安全保障自体成り立たないのである。
最終章ではNHKの「ようこそ先生」に出演した時の授業の様子が出てくるが、
水不足や交通インフラの封鎖、派遣した使節が捕われるといった状況で、子供たちが戦争やむなしに傾いていくのは非常にリアリティがあった。
こういった状況に冷静に対応するためにも理念的なイデオロギーのぶつかり合いではなく、
刻々と変化する世界の現実にどう対応するかの議論(とそのための勉強)を国民全体でしなければいけない日は来ているのだと感じた。
任期中にNZ出身のPKO隊員が現地ゲリラに殺害されたという生々しい経験は筆者にしか書けないことだろう。
そんなPKOの現実を知る筆者は、湾岸戦争からルワンダの虐殺を経て、PKOの実態が大きく変化していることを指摘している。
国連の内政不干渉主義が、ルワンダ虐殺を加速させてしまったとして、現在はPKOの責任に住民の保護も含まれるという。
こういったことから旧宗主国、先進国は現在ではPKOに兵力を供出せず、周辺国(利害関係国)や償還金目当ての国が派兵しているという。
また国家の安全が加熱している「セキュリタイゼーション」の状況に懸念を抱いており、
集団的自衛権行使のための法整備や憲法の改正等も不十分だと指摘している。
筆者に説得力があるのは、その法の不備によってどんな被害が発生するかを述べていることだろう。
こういった議論はやはり「現実ベース」であるべきであって、理念的な反戦や安全保障というのはするべきではないと改めて感じた。
現在の戦争は昔と違い非対称戦争(テロ)の戦いとなっており、集団安全保障はもはや前提であって、
原発の複数存在する日本は敵の良心に依存しなければそもそも安全保障自体成り立たないのである。
最終章ではNHKの「ようこそ先生」に出演した時の授業の様子が出てくるが、
水不足や交通インフラの封鎖、派遣した使節が捕われるといった状況で、子供たちが戦争やむなしに傾いていくのは非常にリアリティがあった。
こういった状況に冷静に対応するためにも理念的なイデオロギーのぶつかり合いではなく、
刻々と変化する世界の現実にどう対応するかの議論(とそのための勉強)を国民全体でしなければいけない日は来ているのだと感じた。
2019年8月13日に日本でレビュー済み
私は伊勢崎氏のインターネットでの記事を見て、その時代に即した憲法改正の必要性を訴え、また海外の紛争地帯で無防備な状態で働く自衛隊員の現状に憤る姿に感銘を受けて本書を購入しました。
国連PKOのお仕事をし、武装解除の専門家として伊勢崎氏が語る国防論はどんなものであろうかと、すごく興味をもって読み進めていいたのですが、、
残念ながら、その内容にかなり失望の念を感じざるをえませんでした。
そもそも国防論と言うのは間違いで、国連PKOなどの国際協力に日本がどのように貢献していくのかという方法論の一つを提示するのが本書の中身となっております。
またそれを集団安全保障という安全保障システムを神格化し、その集団安全保障こそが日本の国防そのものなのだと強引に説き、その集団安全保障の最前線の現場であるグローバル・テロリズムや各国の内戦から生じた混乱状態の安定化を任務とする国連PKOへの話に論を持っていきます。
もちろん著者である伊勢崎氏の専門が国連PKOと一緒に活動してきた国際紛争や内戦の拡大防止、停戦や休戦の監視、合法的な政府による国家権力の確立と治安の維持構築に向けたプロセスへの移行支援であるから、こういう話は”書きやすかった”のだとは思います。
しかし、国連PKOなどの活動に積極的に参加することと、自国の国防とイコールで結び付けるのははっきりいって無茶があると思います。
そういう話を書きたいのであれば、国防論と名前を借りずに、国連PKOの話として本書を発行すればよかったのではないかと。たぶんその点が本書のレビューにおいても、レビュアーから”疑問点”をつけられることが多くなっているのだと思います。
もちろんさすがに著者もその点は意識していて、「日本の防衛とは直接つながらない”ように見える”集団安全保障」(166頁)とか、でも「集団安全保障にかかわらないと日本の国防が成り立たないと認識してもらいたいんです」(168頁)と続きます。
そして日本の最優先の脅威はグローバル・テロリズムであり、中国の脅威ではないのだと説くのです。氏は「中国の脅威」とカギ括弧をつけ、それは確かに日本の安全保障論を席巻しているけどもそれは誇張しているのだという主張をしているんです。
また中国は安保理の5大国であり、日本は国連憲章の旧敵国条項において敵国と見なされているように、かつて悪いことをして、いまはいわゆる保護観察中のような身分なのだと。そんな国が中国を軍事的脅威と見なすのは根源的な間違い(226頁)であり、あくまで”非軍事”である海上保安庁で対抗すべきだとしております。
伊勢崎氏は海上保安庁と言う警察権力が、中国の交戦や軍艦などのような公的な組織には何も出来ないということを果たして理解しているのかと疑問に思いました。海上保安庁はあくまでも日本の国内にてその違反者を取り締まる法執行者であり、それは外国の民間人は適用対象ですが、外国の公的な身分にあたる者や組織には国内法を適用できないのです。だからこそ、唯一軍隊こそが相手国の国際法違反行為に対処できるので自衛隊をどう活用するのかという議論が出てくるのです。
その点をまったく無視して、日本は旧敵国条項にある保護観察のみで、国連憲章を頂点とする国際法システム下で立場が悪い(この点はその通り)から、それが国際法上正当だとしても絶対に中国に対して歯向かってはいけないのだと説く。また慰安婦問題(を否定すること)は歴史修正主義者のレッテルを張られるから、日本の言い分は自制せよ。それでこそ国際世論を味方につけられる(227頁)とも主張しております。
しかし、慰安婦であれ南京大虐殺であれ、日本の国際イメージを損なわせるための中韓のプロパガンダであり、それをはっきりと否定せずやんわりと受け入れているからこそ、「日本はとんでもない悪い国家だ」と日本のイメージが更に悪くなるのです。一方では日本のイメージが悪くなって、もう一方では歴史修正主義者と言われないことでイメージがよくなるとでもいうのでしょうか??
日本はかつての大戦で負けて、国連憲章において日本とドイツは悪者国家だと記載されているのだから仕方ないではないかとそんな風に最後は結論付けてしまうんです、この著者は。
また129頁で、「僕は核に賛成するわけではありませんが、やはり大国の核は『通常戦』を抑止する効果があったと言わざるを得ません。核はいけないモノとして忌み嫌うことと、何が人類をして核武装させたかを考えることは違うと思うのです」と書きながら、すぐ次の箇所では、「日本が非核三原則を国是とすることは、『核』という概念に未来永劫ブレーキをかけ続けることになり、絶対に必要だと思います」と主張するのです。まったく論理が破たんしていて、思わず笑ってしまいました。核という概念に未来永劫ブレーキをかけ続けるとはどういうことなのでしょうか?それが何か具体的な効果を伴っているのでしょうか?具体的に核の効用を説いたのはよいのですが、まったく抽象的に、何の論理的説明もなく核放棄は正しいと説くのです。まったくよくわからない。。
まだまだあまりにも論理的には理解しがたい文章が散見されて途中で読む気も失せたのですが、あの伊勢崎氏の本だからと最後まで読破しました。
私もライターとして出版社やクライアントの希望に沿った記事を書くように求められることはよくあります。たとえそれが論点と関係なくても、一部入れ込んでくれないかとか、またライターさんによってはその出版社の気に入るような文書を自分から提示して今後の仕事につなげたりとか、、そういうことはこの世界ではよくあることです。
しかし、それにしてもひどすぎると思います!
尖閣諸島の問題に関しても、142頁で「尖閣諸島の領有権問題は、日中国交正常化の際に、棚上げ合意されていたわけです。それを国有化宣言し、一方的に合意を破棄したのは日本のほうです」と日本が悪いと主張しております。この棚上げ合意はなにも日中共同声明など外交文書に記載されている法的合意でも何でもない。当時の愚かな日本の外交団がもめ事を恐れて、このことをその時に話し合い結論をつけずに、曖昧なままとしてきただけです。
そして、中国が経済的にも軍事的にも力をつけて露骨に領有権を主張し、2010年には尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってくるという事件が起きました。著者はそれも136頁にて「日本は巡視船にぶつかってきた船長を拿捕してしまい、中国の態度を硬化させてしまいました」と日本を責めるのです。
1970年代は中国が経済的、軍事的に力がなく棚上げを提示し、今ではもう充分に力をつけたから「尖閣は自分の領土だ」とばかりに漁船や公船が日本の領海に侵入してくるわけです。もちろん全く無害でない通航で。それで日本は尖閣を国有化宣言せざるを得なくなったのであり、悪いのは中国側です。
しかし、日本の国際世論へのレクチャーと広報力があまりにも弱いため、今ではどっちもどっちだという国際世論を形成されてしまっております。
この著者は日本の巡視船にぶつかってきた船長を逮捕したのは誤りだといいますが、だったら見逃せというのでしょうか。自国の警察に意図的にぶつかってきた船長を見逃すのが正しいなど、まずありえない主張でしょう。その後、臆病風に吹かれた日本政府はこの船長を釈放するのですが、それで”日本くみし易し”と思われたことで中国側が攻勢に出てきたのです。
この時、この船長を厳罰処分し、すぐに尖閣諸島に軍隊を向かわせ、駐留させ、これは日本の領土だと鮮明にしなかった日本政府の及び腰がこの問題を悪化させたのです。
それでもこの著者の理屈で言えば、中国は5大国であり、国際法システムの頂点にいるのだから、日本はその言い分を自制し、、ということになるのです。
これは国防論ではなく、亡国論ではないでしょうか。私は「亡国論」というように、この著者が散々カギ括弧をつけて言葉の意味を本書で濁してきたような姑息なことはしません。カギ括弧など不要です。
これは亡国論でしょう。
国連PKOのお仕事をし、武装解除の専門家として伊勢崎氏が語る国防論はどんなものであろうかと、すごく興味をもって読み進めていいたのですが、、
残念ながら、その内容にかなり失望の念を感じざるをえませんでした。
そもそも国防論と言うのは間違いで、国連PKOなどの国際協力に日本がどのように貢献していくのかという方法論の一つを提示するのが本書の中身となっております。
またそれを集団安全保障という安全保障システムを神格化し、その集団安全保障こそが日本の国防そのものなのだと強引に説き、その集団安全保障の最前線の現場であるグローバル・テロリズムや各国の内戦から生じた混乱状態の安定化を任務とする国連PKOへの話に論を持っていきます。
もちろん著者である伊勢崎氏の専門が国連PKOと一緒に活動してきた国際紛争や内戦の拡大防止、停戦や休戦の監視、合法的な政府による国家権力の確立と治安の維持構築に向けたプロセスへの移行支援であるから、こういう話は”書きやすかった”のだとは思います。
しかし、国連PKOなどの活動に積極的に参加することと、自国の国防とイコールで結び付けるのははっきりいって無茶があると思います。
そういう話を書きたいのであれば、国防論と名前を借りずに、国連PKOの話として本書を発行すればよかったのではないかと。たぶんその点が本書のレビューにおいても、レビュアーから”疑問点”をつけられることが多くなっているのだと思います。
もちろんさすがに著者もその点は意識していて、「日本の防衛とは直接つながらない”ように見える”集団安全保障」(166頁)とか、でも「集団安全保障にかかわらないと日本の国防が成り立たないと認識してもらいたいんです」(168頁)と続きます。
そして日本の最優先の脅威はグローバル・テロリズムであり、中国の脅威ではないのだと説くのです。氏は「中国の脅威」とカギ括弧をつけ、それは確かに日本の安全保障論を席巻しているけどもそれは誇張しているのだという主張をしているんです。
また中国は安保理の5大国であり、日本は国連憲章の旧敵国条項において敵国と見なされているように、かつて悪いことをして、いまはいわゆる保護観察中のような身分なのだと。そんな国が中国を軍事的脅威と見なすのは根源的な間違い(226頁)であり、あくまで”非軍事”である海上保安庁で対抗すべきだとしております。
伊勢崎氏は海上保安庁と言う警察権力が、中国の交戦や軍艦などのような公的な組織には何も出来ないということを果たして理解しているのかと疑問に思いました。海上保安庁はあくまでも日本の国内にてその違反者を取り締まる法執行者であり、それは外国の民間人は適用対象ですが、外国の公的な身分にあたる者や組織には国内法を適用できないのです。だからこそ、唯一軍隊こそが相手国の国際法違反行為に対処できるので自衛隊をどう活用するのかという議論が出てくるのです。
その点をまったく無視して、日本は旧敵国条項にある保護観察のみで、国連憲章を頂点とする国際法システム下で立場が悪い(この点はその通り)から、それが国際法上正当だとしても絶対に中国に対して歯向かってはいけないのだと説く。また慰安婦問題(を否定すること)は歴史修正主義者のレッテルを張られるから、日本の言い分は自制せよ。それでこそ国際世論を味方につけられる(227頁)とも主張しております。
しかし、慰安婦であれ南京大虐殺であれ、日本の国際イメージを損なわせるための中韓のプロパガンダであり、それをはっきりと否定せずやんわりと受け入れているからこそ、「日本はとんでもない悪い国家だ」と日本のイメージが更に悪くなるのです。一方では日本のイメージが悪くなって、もう一方では歴史修正主義者と言われないことでイメージがよくなるとでもいうのでしょうか??
日本はかつての大戦で負けて、国連憲章において日本とドイツは悪者国家だと記載されているのだから仕方ないではないかとそんな風に最後は結論付けてしまうんです、この著者は。
また129頁で、「僕は核に賛成するわけではありませんが、やはり大国の核は『通常戦』を抑止する効果があったと言わざるを得ません。核はいけないモノとして忌み嫌うことと、何が人類をして核武装させたかを考えることは違うと思うのです」と書きながら、すぐ次の箇所では、「日本が非核三原則を国是とすることは、『核』という概念に未来永劫ブレーキをかけ続けることになり、絶対に必要だと思います」と主張するのです。まったく論理が破たんしていて、思わず笑ってしまいました。核という概念に未来永劫ブレーキをかけ続けるとはどういうことなのでしょうか?それが何か具体的な効果を伴っているのでしょうか?具体的に核の効用を説いたのはよいのですが、まったく抽象的に、何の論理的説明もなく核放棄は正しいと説くのです。まったくよくわからない。。
まだまだあまりにも論理的には理解しがたい文章が散見されて途中で読む気も失せたのですが、あの伊勢崎氏の本だからと最後まで読破しました。
私もライターとして出版社やクライアントの希望に沿った記事を書くように求められることはよくあります。たとえそれが論点と関係なくても、一部入れ込んでくれないかとか、またライターさんによってはその出版社の気に入るような文書を自分から提示して今後の仕事につなげたりとか、、そういうことはこの世界ではよくあることです。
しかし、それにしてもひどすぎると思います!
尖閣諸島の問題に関しても、142頁で「尖閣諸島の領有権問題は、日中国交正常化の際に、棚上げ合意されていたわけです。それを国有化宣言し、一方的に合意を破棄したのは日本のほうです」と日本が悪いと主張しております。この棚上げ合意はなにも日中共同声明など外交文書に記載されている法的合意でも何でもない。当時の愚かな日本の外交団がもめ事を恐れて、このことをその時に話し合い結論をつけずに、曖昧なままとしてきただけです。
そして、中国が経済的にも軍事的にも力をつけて露骨に領有権を主張し、2010年には尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってくるという事件が起きました。著者はそれも136頁にて「日本は巡視船にぶつかってきた船長を拿捕してしまい、中国の態度を硬化させてしまいました」と日本を責めるのです。
1970年代は中国が経済的、軍事的に力がなく棚上げを提示し、今ではもう充分に力をつけたから「尖閣は自分の領土だ」とばかりに漁船や公船が日本の領海に侵入してくるわけです。もちろん全く無害でない通航で。それで日本は尖閣を国有化宣言せざるを得なくなったのであり、悪いのは中国側です。
しかし、日本の国際世論へのレクチャーと広報力があまりにも弱いため、今ではどっちもどっちだという国際世論を形成されてしまっております。
この著者は日本の巡視船にぶつかってきた船長を逮捕したのは誤りだといいますが、だったら見逃せというのでしょうか。自国の警察に意図的にぶつかってきた船長を見逃すのが正しいなど、まずありえない主張でしょう。その後、臆病風に吹かれた日本政府はこの船長を釈放するのですが、それで”日本くみし易し”と思われたことで中国側が攻勢に出てきたのです。
この時、この船長を厳罰処分し、すぐに尖閣諸島に軍隊を向かわせ、駐留させ、これは日本の領土だと鮮明にしなかった日本政府の及び腰がこの問題を悪化させたのです。
それでもこの著者の理屈で言えば、中国は5大国であり、国際法システムの頂点にいるのだから、日本はその言い分を自制し、、ということになるのです。
これは国防論ではなく、亡国論ではないでしょうか。私は「亡国論」というように、この著者が散々カギ括弧をつけて言葉の意味を本書で濁してきたような姑息なことはしません。カギ括弧など不要です。
これは亡国論でしょう。
2016年5月7日に日本でレビュー済み
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伊勢崎さんの従来の主張通りであり、国家として自立を促しているとも言える。ただ、現状の日本の同調社会、農村形全体主義社会では、どれほど、受け入れられるかは、疑問である。本質的に、国民全体としては、個人として、調べ、思考し、判断することを拒否していると思う。
正論としては、認めるが、この考えが、行き渡るには、気の遠くなるような時間がかかるし、その前に、日本は無くなってしまうかもしれないと、杞憂する。
正論としては、認めるが、この考えが、行き渡るには、気の遠くなるような時間がかかるし、その前に、日本は無くなってしまうかもしれないと、杞憂する。
2016年1月15日に日本でレビュー済み
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お勧めはアイネ・クライネ・ナハト・ムジークで、他のレビュアーが書いているような異様なものではない。ただし、随所に、他の指揮者ではたぶん聴かれないような歌わせ方があって、すごく楽しめる。録音はよくないが、この盤の3曲のなかでは最良。
交響曲39番変ホ長調はテンポが速過ぎる。面白いのは第一楽章の序奏部を、今もよくやられるようにテンポを倍に遅く伸ばさないで、楽譜指定通りでやっていること。当時このテンポはトスカニーニとカザルスくらいではなかっただろうか。録音も3曲中最悪。
40番はまだよく聴き込んでいないが、何と言ったらいいだろう・・・あまり魅力を感じなかったが、39番よりいいか。
交響曲39番変ホ長調はテンポが速過ぎる。面白いのは第一楽章の序奏部を、今もよくやられるようにテンポを倍に遅く伸ばさないで、楽譜指定通りでやっていること。当時このテンポはトスカニーニとカザルスくらいではなかっただろうか。録音も3曲中最悪。
40番はまだよく聴き込んでいないが、何と言ったらいいだろう・・・あまり魅力を感じなかったが、39番よりいいか。




