中学校の教員をしています。
知人に勧められて、読むことにしました。以下感想ですが、少しネタバレも含みます。
本書の著者、松岡亮二氏は、冒頭「人には無限の可能性がある」と信じている、と述べています。これは現場の教員である私にとっても共感できる言葉でした。実際に私自身それを信じて日々仕事をしています。
しかし著者は、現実にはその「可能性」を伸ばせるかどうかには格差が存在すると主張します。それが「教育格差」の問題です。もっとも教育格差の問題は、今の幼児教育や大学無償化の議論と相まって、さらに言えは「教育」が抱える重要な問題の一つとして教員である私もよく耳にしてきましたし、何となくは知っていました(知っているつもりでした)。おそらくこの本を手にする方の多くは何となくの「教育格差」のイメージは持っているだろうと思います。
本書は、その教育格差というテーマについて様々なデータ(経年比較、国際比較、地域比較等々……)を用いて、幼小中高の順で具体的に、多角的に、かつ慎重に検討していきます。その中には、自分自身のイメージ・認識と一致するものもあれば、自分自身が誤って認識していたものもありました。著者の言う「答え合わせ」です。著者自身本書で述べていますが、本書では教育格差の問題を過大にも過小にも捉えていません。教育格差を語るとなると、つい「現在の方が教育格差は拡大している」という風に捉えがち(あるいはそう捉えたがるの)ですが、決してそのようなことはせず、データに基づいて「分かること」「推測されること」「まだ分からないこと」を区別して丁寧に議論を進めていきます。「こんなに格差がある!大変な状況なんだ!変えなくては!」という感情に訴えかけるような恣意的なデータの用い方はしておらず、正確に現状を捉えようという著者の教育社会学者としての真摯さが感じられましたし、結果として信頼できる議論になっていました。
幼小中高それぞれの検討(第2章~第5章)、そして日本の教育格差の現状の検討(第6章)を経て、第7章で具体的な提案をしていきます。その際、「教育を建設的に議論するための4か条」を著者は示すのですが、これが目の前の仕事をこなすので手一杯な現場の私からすると本当に耳が痛かったです……しかし、確かにこの4か条から目を背けていては決して教育を良い方向には変えられない、下手をすると「予期せぬ結果」を生むことにすらなるのは間違いないと感じました。著者はこれまでの教育政策や議論を挙げて実際にそれらの「予期せぬ結果」の例を挙げています。ついつい教育について語るときに理念やイメージが先行し、著者の言葉を借りれば「キラキラした話題」として語りがちな私達は心に留めておく必要があると強く感じました。また、著者の2つの提案は学校現場も大きく関わるものであり、是非実現してほしい(微力ながら自分も協力したい)と思いました。
全体として本書は、これまでや現在の教育格差について丁寧な議論はされていることはもちろん、これからの教育のあり方について冷静に、正確に考える際の「スタンダード」をも示しています。同時に、本書のデータや議論の裏に散りばめられている著者自身の教育に対する「熱い思い」には頭が上がりませんでした(特にエピローグ参照)。忙しくて本書を手に取るのが難しかったり、読んでみても抵抗が強かったりする方もいるかもしれません。けれども「教育を通じて、子どもの無限の可能性を伸ばせる社会をつくる」という点で、著者と意見を共にする方であれば―――これは1人の教員である私の意見ではありますが―――是非どなたであっても本書は読んでおくべきだと強く感じました。
教育格差 (ちくま新書) (日本語) 新書 – 2019/7/5
松岡 亮二
(著)
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本の長さ384ページ
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言語日本語
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出版社筑摩書房
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発売日2019/7/5
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ISBN-104480072373
-
ISBN-13978-4480072375
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり日本は、「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」なのだ。本書は、戦後から現在までの動向、就学前~高校までの各教育段階、国際比較と、教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。その上で、すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。
著者について
松岡亮二(まつおか・りょうじ)
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。
東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て、現在同大学准教授。
国内外の学術誌に20編の査読付き論文を発表。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、
早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期)、
東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター優秀論文賞(2018年度)を受賞。
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。
東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て、現在同大学准教授。
国内外の学術誌に20編の査読付き論文を発表。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、
早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期)、
東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター優秀論文賞(2018年度)を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松岡/亮二
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て、同大学准教授。国内外の学術誌に20編の査読付き論文を発表。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期)、東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター優秀論文賞(2018年度)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て、同大学准教授。国内外の学術誌に20編の査読付き論文を発表。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期)、東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター優秀論文賞(2018年度)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社より

日本の教育についての4つの質問にあなたは答えられますか?

人には無限の可能性がある。
私はそう信じているし、一人ひとりが限りある時間の中で、どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討できる機会があればよいと思う。なぜ、そのように考えるのか。それは、
この社会に、出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件(生まれ)によって教育機会の格差があるからだ。
この機会の多寡は、最終学歴に繋がり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり、20代前半でほぼ確定する学歴で、その後の人生が大きく制約される現実が日本にはあるのだ。(「はじめに」より)

松岡亮二(まつおか・りょうじ)
早稲田大学准教授。ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教を経て、同大学准教授。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期、2018年秋学期)、東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター優秀論文賞(2018年度)を受賞。著書『教育格差:階層・地域・学歴(ちくま新書)』は、1年間に刊行された1500点以上の新書の中から「新書大賞2020(中央公論新社)」で3位に選出された。
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カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年7月15日に日本でレビュー済み
知人に勧められて、読むことにしました。以下感想ですが、少しネタバレも含みます。
本書の著者、松岡亮二氏は、冒頭「人には無限の可能性がある」と信じている、と述べています。これは現場の教員である私にとっても共感できる言葉でした。実際に私自身それを信じて日々仕事をしています。
しかし著者は、現実にはその「可能性」を伸ばせるかどうかには格差が存在すると主張します。それが「教育格差」の問題です。もっとも教育格差の問題は、今の幼児教育や大学無償化の議論と相まって、さらに言えは「教育」が抱える重要な問題の一つとして教員である私もよく耳にしてきましたし、何となくは知っていました(知っているつもりでした)。おそらくこの本を手にする方の多くは何となくの「教育格差」のイメージは持っているだろうと思います。
本書は、その教育格差というテーマについて様々なデータ(経年比較、国際比較、地域比較等々……)を用いて、幼小中高の順で具体的に、多角的に、かつ慎重に検討していきます。その中には、自分自身のイメージ・認識と一致するものもあれば、自分自身が誤って認識していたものもありました。著者の言う「答え合わせ」です。著者自身本書で述べていますが、本書では教育格差の問題を過大にも過小にも捉えていません。教育格差を語るとなると、つい「現在の方が教育格差は拡大している」という風に捉えがち(あるいはそう捉えたがるの)ですが、決してそのようなことはせず、データに基づいて「分かること」「推測されること」「まだ分からないこと」を区別して丁寧に議論を進めていきます。「こんなに格差がある!大変な状況なんだ!変えなくては!」という感情に訴えかけるような恣意的なデータの用い方はしておらず、正確に現状を捉えようという著者の教育社会学者としての真摯さが感じられましたし、結果として信頼できる議論になっていました。
幼小中高それぞれの検討(第2章~第5章)、そして日本の教育格差の現状の検討(第6章)を経て、第7章で具体的な提案をしていきます。その際、「教育を建設的に議論するための4か条」を著者は示すのですが、これが目の前の仕事をこなすので手一杯な現場の私からすると本当に耳が痛かったです……しかし、確かにこの4か条から目を背けていては決して教育を良い方向には変えられない、下手をすると「予期せぬ結果」を生むことにすらなるのは間違いないと感じました。著者はこれまでの教育政策や議論を挙げて実際にそれらの「予期せぬ結果」の例を挙げています。ついつい教育について語るときに理念やイメージが先行し、著者の言葉を借りれば「キラキラした話題」として語りがちな私達は心に留めておく必要があると強く感じました。また、著者の2つの提案は学校現場も大きく関わるものであり、是非実現してほしい(微力ながら自分も協力したい)と思いました。
全体として本書は、これまでや現在の教育格差について丁寧な議論はされていることはもちろん、これからの教育のあり方について冷静に、正確に考える際の「スタンダード」をも示しています。同時に、本書のデータや議論の裏に散りばめられている著者自身の教育に対する「熱い思い」には頭が上がりませんでした(特にエピローグ参照)。忙しくて本書を手に取るのが難しかったり、読んでみても抵抗が強かったりする方もいるかもしれません。けれども「教育を通じて、子どもの無限の可能性を伸ばせる社会をつくる」という点で、著者と意見を共にする方であれば―――これは1人の教員である私の意見ではありますが―――是非どなたであっても本書は読んでおくべきだと強く感じました。
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5つ星のうち5.0
これからの教育議論の「スタンダード」となるべき本
ユーザー名: Amazonカスタマー、日付: 2019年7月15日
中学校の教員をしています。ユーザー名: Amazonカスタマー、日付: 2019年7月15日
知人に勧められて、読むことにしました。以下感想ですが、少しネタバレも含みます。
本書の著者、松岡亮二氏は、冒頭「人には無限の可能性がある」と信じている、と述べています。これは現場の教員である私にとっても共感できる言葉でした。実際に私自身それを信じて日々仕事をしています。
しかし著者は、現実にはその「可能性」を伸ばせるかどうかには格差が存在すると主張します。それが「教育格差」の問題です。もっとも教育格差の問題は、今の幼児教育や大学無償化の議論と相まって、さらに言えは「教育」が抱える重要な問題の一つとして教員である私もよく耳にしてきましたし、何となくは知っていました(知っているつもりでした)。おそらくこの本を手にする方の多くは何となくの「教育格差」のイメージは持っているだろうと思います。
本書は、その教育格差というテーマについて様々なデータ(経年比較、国際比較、地域比較等々……)を用いて、幼小中高の順で具体的に、多角的に、かつ慎重に検討していきます。その中には、自分自身のイメージ・認識と一致するものもあれば、自分自身が誤って認識していたものもありました。著者の言う「答え合わせ」です。著者自身本書で述べていますが、本書では教育格差の問題を過大にも過小にも捉えていません。教育格差を語るとなると、つい「現在の方が教育格差は拡大している」という風に捉えがち(あるいはそう捉えたがるの)ですが、決してそのようなことはせず、データに基づいて「分かること」「推測されること」「まだ分からないこと」を区別して丁寧に議論を進めていきます。「こんなに格差がある!大変な状況なんだ!変えなくては!」という感情に訴えかけるような恣意的なデータの用い方はしておらず、正確に現状を捉えようという著者の教育社会学者としての真摯さが感じられましたし、結果として信頼できる議論になっていました。
幼小中高それぞれの検討(第2章~第5章)、そして日本の教育格差の現状の検討(第6章)を経て、第7章で具体的な提案をしていきます。その際、「教育を建設的に議論するための4か条」を著者は示すのですが、これが目の前の仕事をこなすので手一杯な現場の私からすると本当に耳が痛かったです……しかし、確かにこの4か条から目を背けていては決して教育を良い方向には変えられない、下手をすると「予期せぬ結果」を生むことにすらなるのは間違いないと感じました。著者はこれまでの教育政策や議論を挙げて実際にそれらの「予期せぬ結果」の例を挙げています。ついつい教育について語るときに理念やイメージが先行し、著者の言葉を借りれば「キラキラした話題」として語りがちな私達は心に留めておく必要があると強く感じました。また、著者の2つの提案は学校現場も大きく関わるものであり、是非実現してほしい(微力ながら自分も協力したい)と思いました。
全体として本書は、これまでや現在の教育格差について丁寧な議論はされていることはもちろん、これからの教育のあり方について冷静に、正確に考える際の「スタンダード」をも示しています。同時に、本書のデータや議論の裏に散りばめられている著者自身の教育に対する「熱い思い」には頭が上がりませんでした(特にエピローグ参照)。忙しくて本書を手に取るのが難しかったり、読んでみても抵抗が強かったりする方もいるかもしれません。けれども「教育を通じて、子どもの無限の可能性を伸ばせる社会をつくる」という点で、著者と意見を共にする方であれば―――これは1人の教員である私の意見ではありますが―――是非どなたであっても本書は読んでおくべきだと強く感じました。
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195人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本で扱われているトピックは確かに凡そ全て既出の論点である。そもそも「独自の視点で教育問題を斬る!」といった意図を著者は持っていないだろう。むしろこの本は散々議論されているトピックのみに注力しているふしすらあり、「新しいトピックがない」等の感想は筆者からすればしめしめとほくそ笑むだけなのではないだろうか。
教育問題については誰もが私見を持っておりテレビをつければ今日もタレントが独自の教育論を一席ぶっている。この本は、只管データを観察することで、その私見や教育論がいかにデタラメであるかを明らかにしようという企図で書かれているように思う。筆者が本の最初で『FACTFULNESS』のチンパンジークイズの模倣を提出しているのは、そのためだろう。
この本の冒頭のチンパンジークイズに高い正答率を出せるようであるなら貴方はこの本の想定読者ではないかもしれないが。もしそうでないなら自分の中にあるバイアスを持った私見を検証する意味でこの本を読むべきなのかもしれない。
この本は就学前から高校までを扱った極めて広い範囲の問題を、幸いにもこれでもかという具合に図表を見せることで議論をしているため、専門的な知識がない人でも十分に読みこなすことができるしどこからでも読むことができる。全ての章を読み終える頃には、教育格差についての一端の理解者になれるだろう。若しくは本棚の隅にこの本を置いておき、テレビやSNSでの珍妙な教育論を見かけるたびに開いて検証をしてみるというのもまた良い使い方かもしれない。
教育問題については誰もが私見を持っておりテレビをつければ今日もタレントが独自の教育論を一席ぶっている。この本は、只管データを観察することで、その私見や教育論がいかにデタラメであるかを明らかにしようという企図で書かれているように思う。筆者が本の最初で『FACTFULNESS』のチンパンジークイズの模倣を提出しているのは、そのためだろう。
この本の冒頭のチンパンジークイズに高い正答率を出せるようであるなら貴方はこの本の想定読者ではないかもしれないが。もしそうでないなら自分の中にあるバイアスを持った私見を検証する意味でこの本を読むべきなのかもしれない。
この本は就学前から高校までを扱った極めて広い範囲の問題を、幸いにもこれでもかという具合に図表を見せることで議論をしているため、専門的な知識がない人でも十分に読みこなすことができるしどこからでも読むことができる。全ての章を読み終える頃には、教育格差についての一端の理解者になれるだろう。若しくは本棚の隅にこの本を置いておき、テレビやSNSでの珍妙な教育論を見かけるたびに開いて検証をしてみるというのもまた良い使い方かもしれない。
2019年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
【レビュー要約/手っ取り早く評価を知りたい方向け】
本書は学術的に一定の評価がなされている文献を厳選したうえで,体系的に整理・網羅しているという点で非常に有益である。また,研究者の立場から根拠に基づいた確度の高い議論を進めており,”理想の教育”を論じる評論家の議論とは一線を画している。特に「教育格差」と呼ばれる現象に関心を抱く,政策立案者や教育関係者,教職課程を履修する学部生に強くお勧めしたい。
【本文】
近年,教育社会学を専門とする有力な研究者が執筆した一般書(新書)が多く発行されるようになった。昨年(2018年)から本書発行時点までに期間を絞っても,中村高康『暴走する能力主義(ちくま新書)』,中澤渉『日本の公教育(中公新書)』,小針誠『アクティブラーニング 学校教育の理想と現実(講談社現代新書)』(また専門分野は少し異なるが,吉川徹『日本の分断――切り離される非大卒若者(レッグス)たち――』)など,現実を把握できるデータや史料を用いた研究を行う研究者による著作が,広く世に出ることになったのである。社会学に対する批判――多くは学術的ではない批判であるが――が巻き起こる中でも,研究者による新書が相次いで発行されるということは,新書を手に取る層にとって教育問題は関心を持たれやすいトピックなのだろうと感じる。
本書もまた,第一線の教育社会学者が執筆した「教育格差」に焦点を当てた新書である。これまで日本国内でいわゆる教育格差(家庭間格差,地域間格差など)をテーマとして扱った新書は複数存在した。しかし,その多くが教育系ライターによるルポルタージュであったり,教育を専門的に学んだことのない政策立案経験者や評論家による学術的な論拠のない書籍であった。本書はそのような書籍と異なり,代表性のあるデータをもとに学術的な議論がなされた論拠のみを取り上げて,「教育格差」について包括的に論じている。
本書の具体的な内容については書籍自体に譲るとして,教育社会学に関心を持つ”非”研究者から,本書の評価すべき点として以下の2点を挙げたい。
①文献の網羅性と丁寧な整理
当該分野における代表的な論文誌の1つである『教育社会学研究』には,近年のレビュー論文(様々な研究をまとめた論文)として「社会階層と教育研究の動向と課題──高学歴化社会における格差の構造──」(『教育社会学研究』第93集,2013年)が掲載されている。しかし,このレビュー自体が6年前(2019年時点)に発表されたものであり,また広範な分野を少ない紙幅でカバーするためなのか,アウトカムである学力や教育達成・職業達成に重点をおいたレビューになっている。そのため,教育格差が発生し,拡大していくメカニズムについては議論が整理しきれていないように見える。一方本書は,格差が発生するメカニズムに焦点を当て,2013年以降の研究や国内外の文献を幅広く網羅しており,レビュー論文の手が届かなかったところまでカバーできているように見受けられる。また,レビュー論文とは異なり,一般書として多くの人が内容を把握しやすいように整理されている(章立て・図表も含めて)。そのため,多くの人が経験してきた教育制度がもたらす格差について,身近なところから順を追って理解しやすくなっている。
②"教育社会学者としての"誠実な議論
筆者が「殊更に格差を過大(あるいは過小)に見せることに興味はない」(p.26)と述べるように,本書は教育格差の存在を過度に煽ったり,子どもをもつ保護者を不安にさせるような論調ではない。これは「この社会に生きる全員が関わる現実を理解し,意味のある対策の計画・実施につなげること」(p.27)を目的として研究を進める筆者が堅持するスタンスなのだろう。研究の知見を整理してまとめた第2~6章はもちろんのこと,第7章(「第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか」)で挙げられている提言は,いずれも筆者の個人的な主観に基づいた議論ではなく,教育社会学者として発言できる穏当かつ建設的な内容であるように思う。確かに,本書の内容が新規性に欠けるという意見も尤もであるように聞こえる。しかし,筆者は第一線で活躍する研究者であり,新規性は筆者による学術論文として世に出すべきである。筆者に対して学術的な根拠に基づかない「ぼくがかんがえたさいきょうの教育論!」を期待すべきではないだろう。本書に関しては,これまで私たちがしたり顔で語ってきた――しかし正確な理解はなされてこなかった――「教育格差」について,包括的で学術的な論拠のある新書を世に出したという点において,筆者の功績を評価すべきである。
一方,本書に抱いた疑問として,以下の2点が挙げられる。
①Bourdieuによる概念の用い方(特に第3章のpp.110-118にかけて)
筆者に限らず,計量的なアプローチ(調査票から生成した数量的なデータを統計学の手法を用いて分析する方法)を用いて社会階層と教育の関係について研究している研究者は,Bourdieuによる資本概念を定量的に把握できるものとして捉え,指標化している。もちろん定量的に捉えなければ量的なアプローチを用いた分析はできないのだが,文化資本は基本的に無形の蓄積物(もちろん客体化された文化資本も存在すれば,文化資本が文化資本足りえる前提としての美術品や本のような実体的なモノを代替的に数えることもできるのだが)であり,多寡だけを問題とするものではない。本来であれば(一部の手法を除いて)計量的なアプローチにあまり馴染まない概念のように思える。しかし,当該箇所の記述については,(社会学を専門としない読者からすれば)文化資本はその単純な多寡を問題としているように見える可能性がある。このレビューを書いている私自身が不勉強であるために,有益な批判たりえないかもしれないが,この点に関してはBourdieuによる理論を専門とする研究者による学術的な議論を期待したい(蛇足かつ主観的な感想であるが,筆者による論文はいずれもBourdieuによる概念の直接的な利用を避けているように見える)。
②本書が対象とする読者へリーチできるのか?
(研究者に対する批判としては非常に外在的であるが)本書はその壮大さゆえに,対象となる読者層が結果として不明確になってしまったように見える。プロローグを読むに――もちろん想像の域を出ないが――筆者は,本書が「教育格差」に関心のある様々な読者に届くような一般書になるように,筆を進めたものだと考えられる。しかし,果たして本書はその目的を果たしているだろうか。例えば,筆者が記しているように「教育格差」(≒教育現場に関連する社会階層論)を教えている学部の特徴は三大都市圏・国公立・上位校である(p.309)。おそらくそのような大学に在籍する学生や,そのような大学を出た者であれば,本書をすんなりと読み解くことができるであろう(さすがにそうであってほしい)。しかし, 実際に教員として現場に立つであろう一般的な大学生や,すでに現場に立っている多忙な教員は,果たして本書を最後まで読み切れるだろうか。このパラドクスは,筆者の誠実さが引き起こした「意図せざる帰結」のひとつであるといっても過言ではないだろう(だからこそ本書は高く評価できるのであるのだが)。
あとがきにあるように,筆者は東京大学の中村高康教授とともに,教育社会学分野の教科書を執筆する予定だという。(贅沢な願いであるかもしれないが,)その教科書が,筆者が持つ知見と情熱を換骨奪胎することなく,教育現場や教育政策に関わる仕事を志す幅広い層の学生を含む様々な人たちにとって読み易いテキストになることを願ってやまない。
また,感情的にならずに教育社会学の知見を広く世間に発信していくという点は,筆者のみに責任を負わせることではなく,教育社会学に携わる全ての人間の責務であろう。教育社会学は,人々に対して「どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討」(p.15)するための材料を提供できる,唯一の学問分野なのだから。
本書は学術的に一定の評価がなされている文献を厳選したうえで,体系的に整理・網羅しているという点で非常に有益である。また,研究者の立場から根拠に基づいた確度の高い議論を進めており,”理想の教育”を論じる評論家の議論とは一線を画している。特に「教育格差」と呼ばれる現象に関心を抱く,政策立案者や教育関係者,教職課程を履修する学部生に強くお勧めしたい。
【本文】
近年,教育社会学を専門とする有力な研究者が執筆した一般書(新書)が多く発行されるようになった。昨年(2018年)から本書発行時点までに期間を絞っても,中村高康『暴走する能力主義(ちくま新書)』,中澤渉『日本の公教育(中公新書)』,小針誠『アクティブラーニング 学校教育の理想と現実(講談社現代新書)』(また専門分野は少し異なるが,吉川徹『日本の分断――切り離される非大卒若者(レッグス)たち――』)など,現実を把握できるデータや史料を用いた研究を行う研究者による著作が,広く世に出ることになったのである。社会学に対する批判――多くは学術的ではない批判であるが――が巻き起こる中でも,研究者による新書が相次いで発行されるということは,新書を手に取る層にとって教育問題は関心を持たれやすいトピックなのだろうと感じる。
本書もまた,第一線の教育社会学者が執筆した「教育格差」に焦点を当てた新書である。これまで日本国内でいわゆる教育格差(家庭間格差,地域間格差など)をテーマとして扱った新書は複数存在した。しかし,その多くが教育系ライターによるルポルタージュであったり,教育を専門的に学んだことのない政策立案経験者や評論家による学術的な論拠のない書籍であった。本書はそのような書籍と異なり,代表性のあるデータをもとに学術的な議論がなされた論拠のみを取り上げて,「教育格差」について包括的に論じている。
本書の具体的な内容については書籍自体に譲るとして,教育社会学に関心を持つ”非”研究者から,本書の評価すべき点として以下の2点を挙げたい。
①文献の網羅性と丁寧な整理
当該分野における代表的な論文誌の1つである『教育社会学研究』には,近年のレビュー論文(様々な研究をまとめた論文)として「社会階層と教育研究の動向と課題──高学歴化社会における格差の構造──」(『教育社会学研究』第93集,2013年)が掲載されている。しかし,このレビュー自体が6年前(2019年時点)に発表されたものであり,また広範な分野を少ない紙幅でカバーするためなのか,アウトカムである学力や教育達成・職業達成に重点をおいたレビューになっている。そのため,教育格差が発生し,拡大していくメカニズムについては議論が整理しきれていないように見える。一方本書は,格差が発生するメカニズムに焦点を当て,2013年以降の研究や国内外の文献を幅広く網羅しており,レビュー論文の手が届かなかったところまでカバーできているように見受けられる。また,レビュー論文とは異なり,一般書として多くの人が内容を把握しやすいように整理されている(章立て・図表も含めて)。そのため,多くの人が経験してきた教育制度がもたらす格差について,身近なところから順を追って理解しやすくなっている。
②"教育社会学者としての"誠実な議論
筆者が「殊更に格差を過大(あるいは過小)に見せることに興味はない」(p.26)と述べるように,本書は教育格差の存在を過度に煽ったり,子どもをもつ保護者を不安にさせるような論調ではない。これは「この社会に生きる全員が関わる現実を理解し,意味のある対策の計画・実施につなげること」(p.27)を目的として研究を進める筆者が堅持するスタンスなのだろう。研究の知見を整理してまとめた第2~6章はもちろんのこと,第7章(「第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか」)で挙げられている提言は,いずれも筆者の個人的な主観に基づいた議論ではなく,教育社会学者として発言できる穏当かつ建設的な内容であるように思う。確かに,本書の内容が新規性に欠けるという意見も尤もであるように聞こえる。しかし,筆者は第一線で活躍する研究者であり,新規性は筆者による学術論文として世に出すべきである。筆者に対して学術的な根拠に基づかない「ぼくがかんがえたさいきょうの教育論!」を期待すべきではないだろう。本書に関しては,これまで私たちがしたり顔で語ってきた――しかし正確な理解はなされてこなかった――「教育格差」について,包括的で学術的な論拠のある新書を世に出したという点において,筆者の功績を評価すべきである。
一方,本書に抱いた疑問として,以下の2点が挙げられる。
①Bourdieuによる概念の用い方(特に第3章のpp.110-118にかけて)
筆者に限らず,計量的なアプローチ(調査票から生成した数量的なデータを統計学の手法を用いて分析する方法)を用いて社会階層と教育の関係について研究している研究者は,Bourdieuによる資本概念を定量的に把握できるものとして捉え,指標化している。もちろん定量的に捉えなければ量的なアプローチを用いた分析はできないのだが,文化資本は基本的に無形の蓄積物(もちろん客体化された文化資本も存在すれば,文化資本が文化資本足りえる前提としての美術品や本のような実体的なモノを代替的に数えることもできるのだが)であり,多寡だけを問題とするものではない。本来であれば(一部の手法を除いて)計量的なアプローチにあまり馴染まない概念のように思える。しかし,当該箇所の記述については,(社会学を専門としない読者からすれば)文化資本はその単純な多寡を問題としているように見える可能性がある。このレビューを書いている私自身が不勉強であるために,有益な批判たりえないかもしれないが,この点に関してはBourdieuによる理論を専門とする研究者による学術的な議論を期待したい(蛇足かつ主観的な感想であるが,筆者による論文はいずれもBourdieuによる概念の直接的な利用を避けているように見える)。
②本書が対象とする読者へリーチできるのか?
(研究者に対する批判としては非常に外在的であるが)本書はその壮大さゆえに,対象となる読者層が結果として不明確になってしまったように見える。プロローグを読むに――もちろん想像の域を出ないが――筆者は,本書が「教育格差」に関心のある様々な読者に届くような一般書になるように,筆を進めたものだと考えられる。しかし,果たして本書はその目的を果たしているだろうか。例えば,筆者が記しているように「教育格差」(≒教育現場に関連する社会階層論)を教えている学部の特徴は三大都市圏・国公立・上位校である(p.309)。おそらくそのような大学に在籍する学生や,そのような大学を出た者であれば,本書をすんなりと読み解くことができるであろう(さすがにそうであってほしい)。しかし, 実際に教員として現場に立つであろう一般的な大学生や,すでに現場に立っている多忙な教員は,果たして本書を最後まで読み切れるだろうか。このパラドクスは,筆者の誠実さが引き起こした「意図せざる帰結」のひとつであるといっても過言ではないだろう(だからこそ本書は高く評価できるのであるのだが)。
あとがきにあるように,筆者は東京大学の中村高康教授とともに,教育社会学分野の教科書を執筆する予定だという。(贅沢な願いであるかもしれないが,)その教科書が,筆者が持つ知見と情熱を換骨奪胎することなく,教育現場や教育政策に関わる仕事を志す幅広い層の学生を含む様々な人たちにとって読み易いテキストになることを願ってやまない。
また,感情的にならずに教育社会学の知見を広く世間に発信していくという点は,筆者のみに責任を負わせることではなく,教育社会学に携わる全ての人間の責務であろう。教育社会学は,人々に対して「どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討」(p.15)するための材料を提供できる,唯一の学問分野なのだから。