この本は新聞の記事が、記事の対象とされる個人・団体に与える影響の強さが、時として対象者を自殺に至らしめるほど強いものであること。従って、内容には充分かつ慎重に書かれる必要がある。ことが事例を元に示されている。
しかし、私は記事の元となる「客観的権威」とされる警察「官・取調官の予断」こそが、今回の主題であると感じた。
この事件はこうである。事件後の警察の取り調べで、「この被疑者(犯罪者かであるか否かはまだ不明の筈)はこういう人物だ。事件の背景はこうであるに(違いない)」。など、捜査に取り組む「まえ」に方向は決めて取り組んでしまう。
以前、学校の教師にも同じような意見を聞いた。この児童はこんな子である、などが代表的なものだった。実務上、多くの人を相手にする人間であればあるほど、決めつけが強くなる。そうした方が、そうしなければ理解が難しいからだろう。手っ取り早く、自分の知識の中にある「あるケース」に当てはめてしまった方が、その後の理解は容易になる。こうして冤罪や誤審が後をたたないのだろう。
この本は新聞が報道する「姿勢」について、我々読者(外部の人間)が理解している姿勢との違いについても、述べている。我々読者は新聞記事は「真実」であると思っていた。しかし、記事は警察などの「権威」の発表を記載している(に過ぎない)。記事は警察によると、消防署の発表では、会社の広報担当者によれば などなど。
客観を建前にしていれば、記事の内容に誤まりがあったとしても、新聞「社」が責任を追求されることはなく、安全地帯に居られる。新聞社、テレビ局は過去の事例から身の保全を最優先することにした。その結果、記者は真実を求めて現場を嗅ぎ回ることはしなくなったというより、してはいけなくなった。ただ、記者クラブにいて警察「のほか権威」の発表を載せるようになった経緯を述べている。
その結果より大きな懸念・危険が本文中にも示されている。警察は新聞などの報道機関を通して、世論を簡単に、意図的に操作できる という事になる。報道機関は客観的事実を載せる。その「客観的事実」は警察がいとも簡単に操作できる。操作の意図があるか、間違った判断か、悪意があるか無いかは関係なく、発表が報道される。我々はものすごく危険な世界に暮らしていることになる。恐ろしい。
先日、子どもを焼死させたとして無期懲役の母親の再審が決定し、釈放された。再審裁判では無罪が言い渡される予定との事である。過去に誤審は何回もあった。自分は犯人ではない、身に覚えが無いにもかかわらず、「自白」をしてしまう現実がある。この本の「支店長はなぜ死んだか」で、警察の事情聴取(取り調べ)の様子が、裁判記録として出てくる。本人は我が子が死亡して気が動転、あるいは正常に思考できない時点で、従って取り調べに集中できない中で、誘導尋問(的)な罠にはまってしまう。後日、訂正を申し入れても、もはや警察は取り合ってはくれない。半ば(というか、決めつけて)聴取は進み、取調官が一方的に話し、筋立てを立て、自白とされてしまう。
本では、社内オンブズマン機構を備える必要を説いている。賛成だ。新聞社内で記事を検証し、間違いがあれば間違いとして、きちっと改める事を目的とする組織という事のようである。日本の工業製品が世界に冠として輝くに至ったのは、戦後に導入された「品質管理」の手法があったからである。結果をフィードバックすることで、より良質な製品に進化できる。
実は、この本の内容の本質は、日本人の底流にあるのではないかと私は思ってしまった。日本人は後ろを振り返って「検証」することの「無い」民族という事である。あの戦争に対しても、連合軍による裁判はあった、が日本自らは何もしなかった。福島原発事故でも、誰一人責任をとってはいないし、人為的側面についての検証は行われた形跡は無い。日本人(世界)は後ろを振り返って検証しない。検証する行為は個人攻撃になってしまう恐れがあるからだ。「8.15と3.11から学もの」で触れた内容に重なる。わが民族2000年の歴史が重く感じる。
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支店長はなぜ死んだか (文春文庫 248-2) 文庫 – 1982/1/1
上前 淳一郎
(著)
- 本の長さ211ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1982/1/1
- ISBN-104167248026
- ISBN-13978-4167248024
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1982/1/1)
- 発売日 : 1982/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 211ページ
- ISBN-10 : 4167248026
- ISBN-13 : 978-4167248024
- Amazon 売れ筋ランキング: - 455,262位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 5,403位文春文庫
- - 45,182位ノンフィクション (本)
- - 81,032位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2015年10月31日に日本でレビュー済み
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1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2015年8月12日に日本でレビュー済み
新聞社の「客観主義」の仕組みと、闇の部分を暴いた快作。
元新聞記者の著者ならではの、調査力と洞察力で
世間一般の新聞社に対する認識や価値観をガラリと書き換えてしまう威力を持つ。
客観主義を徹底することにより、
どこの新聞がどの「権威」の客観を取りに行っているか、
も分かるので、新聞社ごとの思想やイデオロギーの違いも非常に納得感がある。
特にやり玉に上がっている朝日新聞については、
現代の風当たりの強さが物語っているように、
客観主義もやり過ぎると、バランスを崩し、
真実を伝える報道とは、どんどん距離が離れていくという好例と見える。
一方で、客観主義以前の、創作記事も困ったもので、
結局は、新聞報道を受け取る大衆側のメディア・リテラシーと、
記者の倫理観に頼ってしまうところが、難しい。
時代の流れによって良書とも駄作ともなる一冊の可能性もある。
元新聞記者の著者ならではの、調査力と洞察力で
世間一般の新聞社に対する認識や価値観をガラリと書き換えてしまう威力を持つ。
客観主義を徹底することにより、
どこの新聞がどの「権威」の客観を取りに行っているか、
も分かるので、新聞社ごとの思想やイデオロギーの違いも非常に納得感がある。
特にやり玉に上がっている朝日新聞については、
現代の風当たりの強さが物語っているように、
客観主義もやり過ぎると、バランスを崩し、
真実を伝える報道とは、どんどん距離が離れていくという好例と見える。
一方で、客観主義以前の、創作記事も困ったもので、
結局は、新聞報道を受け取る大衆側のメディア・リテラシーと、
記者の倫理観に頼ってしまうところが、難しい。
時代の流れによって良書とも駄作ともなる一冊の可能性もある。
2007年10月31日に日本でレビュー済み
ある事件が、警察の過剰な脚色や単純なミスによって記者に流れ、その「警察的真実」が新聞によって誤ったまま報道されたことから起きた悲劇、ハプニングを取り上げた本書。新聞による事件報道をそのまま鵜呑みにしてしまうことの危うさについて、先日読んで考えさせられた森 達也『世界を信じるためのメソッド』同様、がつん!と一撃をくらったような衝撃を受けました。
1977年(昭和52年)、『文藝春秋』誌に掲載された四つの新聞論を収録したもの。「支店長はなぜ死んだか」「誰が滝田修をかくまったか」「女子大生は強盗をしたか」「スポンサーの圧力はあったか」の四篇。30年以上前の事件、報道を扱っているので、初めのうちは古くさい気もしましたが、論じていることの本質は、今見てもちっとも古びていません。
幼女死亡事件の犯人として報道された父親が、誤った報道によって苦境に立たされ、その後、自殺したこと。その妻のコメントに、「保釈後、新聞を読んだ夫は、ほんとうに驚いて(中略)『こうまでマスコミはひどいものか』といって、がっくり来たのです」とあったこと。事件報道に常につきまとっている危険というのを、改めて痛感しました。
『作家の読書道』という本の中で、横山秀夫が「(記者時代に読んだ)胸に突き刺さるような作品で思い出深い」と、取り上げていた一冊。
1977年(昭和52年)、『文藝春秋』誌に掲載された四つの新聞論を収録したもの。「支店長はなぜ死んだか」「誰が滝田修をかくまったか」「女子大生は強盗をしたか」「スポンサーの圧力はあったか」の四篇。30年以上前の事件、報道を扱っているので、初めのうちは古くさい気もしましたが、論じていることの本質は、今見てもちっとも古びていません。
幼女死亡事件の犯人として報道された父親が、誤った報道によって苦境に立たされ、その後、自殺したこと。その妻のコメントに、「保釈後、新聞を読んだ夫は、ほんとうに驚いて(中略)『こうまでマスコミはひどいものか』といって、がっくり来たのです」とあったこと。事件報道に常につきまとっている危険というのを、改めて痛感しました。
『作家の読書道』という本の中で、横山秀夫が「(記者時代に読んだ)胸に突き刺さるような作品で思い出深い」と、取り上げていた一冊。
ベスト500レビュアー
権威ある警察や官公庁の情報をもとにする限り、仮に情報が誤っていて人の人生に影響を与えたとしても、新聞社が責任を問われることはないそうです。その状況を過保護であるとして、いつか都合よく情報を操作されて誤った情報を知らせてしまう恐れすらあるのではないかと危惧。記者自ら汗をかいて情報の裏を取る努力をせねばならないのではないかと、新聞記者だった立場から提言します。
刊行は40年以上前の1977年。時の政権の発信する情報が果たして正しいのかを問われる今にあって、読み返すにたり得る一冊であるかと思います。
刊行は40年以上前の1977年。時の政権の発信する情報が果たして正しいのかを問われる今にあって、読み返すにたり得る一冊であるかと思います。
2008年6月7日に日本でレビュー済み
本書は標題でもある「支店長はなぜ死んだか」と「誰が滝田修をかくまったか」、
「女子大生は強盗をしたか」、「スポンサーの圧力はあったか」の4編から成ります。
昭和40年代後半〜50年代の執筆時点での古くて新しい新聞論考は、さすがに新聞
記者を経て、内部事情を知りえる者から見た視点からの優れた考察がなされていると
思います。
内容としては、歴史的背景(戦中の言論統制〜戦後の記事デッチ上げ事件)を
踏まえた当時の新聞社がかかえる矛盾、すなわち、表現者としては客観性を維持
しながら、事実を追求するために主観を持たなければいけないという矛盾を明らかに
しています。
現在の新聞記事を見ても、「○○によると〜」(○○は県警、△省、政府など)の
引用元が明示されており、そうでなければ名誉毀損などで訴えられるという危険が
つきまとい、未だに訴訟を恐れる新聞というメディアはかつての矛盾から抜け出せず、
一般の雑誌記事との立場の違いがあることも、各新聞社の記事に特徴がないことの
要因となっていると著者は指摘しています。
記事ネタの発信元の権威筋からの作為的な情報に翻弄される姿からは抜け出せて
おらず、『ア○ヒる問題』などをはじめとして、全く状況が変わっていない業界に
も愕然としますが、そういった際に巻き起こる議論で方向が見出せず、日々繰り
返される刺激性の強い記事に一喜一憂を繰り返す読者、或いは国民性の未来を
心配せずにはいられません。
「女子大生は強盗をしたか」、「スポンサーの圧力はあったか」の4編から成ります。
昭和40年代後半〜50年代の執筆時点での古くて新しい新聞論考は、さすがに新聞
記者を経て、内部事情を知りえる者から見た視点からの優れた考察がなされていると
思います。
内容としては、歴史的背景(戦中の言論統制〜戦後の記事デッチ上げ事件)を
踏まえた当時の新聞社がかかえる矛盾、すなわち、表現者としては客観性を維持
しながら、事実を追求するために主観を持たなければいけないという矛盾を明らかに
しています。
現在の新聞記事を見ても、「○○によると〜」(○○は県警、△省、政府など)の
引用元が明示されており、そうでなければ名誉毀損などで訴えられるという危険が
つきまとい、未だに訴訟を恐れる新聞というメディアはかつての矛盾から抜け出せず、
一般の雑誌記事との立場の違いがあることも、各新聞社の記事に特徴がないことの
要因となっていると著者は指摘しています。
記事ネタの発信元の権威筋からの作為的な情報に翻弄される姿からは抜け出せて
おらず、『ア○ヒる問題』などをはじめとして、全く状況が変わっていない業界に
も愕然としますが、そういった際に巻き起こる議論で方向が見出せず、日々繰り
返される刺激性の強い記事に一喜一憂を繰り返す読者、或いは国民性の未来を
心配せずにはいられません。





