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抵抗の新聞人桐生悠々 (岩波新書) 新書 – 1991/11

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新書, 1991/11
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登録情報

  • 新書: 218ページ
  • 出版社: 岩波書店 (1991/11)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4004201233
  • ISBN-13: 978-4004201236
  • 発売日: 1991/11
  • 商品パッケージの寸法: 16.8 x 10.6 x 1 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.7 3件のカスタマーレビュー
  • Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 459,984位 (本の売れ筋ランキングを見る)
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カスタマーレビュー

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トップカスタマーレビュー

 それまでは青版と赤版で再版を重ねてきた岩波新書にあって新たに「黄版」がラインナップされたのは1977年のことだった。本書はそれから3年の後に刊行された。
 ある新聞人が向き合ってきた近代日本の足跡とその姿を通し、そこから新聞が果たすべき役割を淡々と綴っている。
 新聞人から政治家に転じた人物も相当にいることを私たちは知ってもいて、徳富蘇峰をはじめ緒方竹虎や石橋湛山といった名前を容易にみつけることもできる。
 が一方で、生涯に一度として新聞から離れず、かといって政治とは無縁だったとのジャーナリストの名前を見つけようとするならば、それは至難の技ともいえよう。
 桐生悠々政次こそそうしたジャーナリストの列伝に含まれて相応しい人物の一人である。戦争の足音がひたひたと近づき、国民の殆どが奇妙な熱狂と高揚感に包まれる中にあって、彼と交流のあった購読者達だけが冷静にその結末を見通していたともいえる。
 何れは本土空襲の覚悟を決めていたとの軍部による「関特演」を冷ややかな目線で眺め、その無謀さや無意味さを理路整然と説いた「関特演を嗤ふ」と題されたコラムを目にする時、それは一部のメディアや論陣から大量に垂れ流され続ける「新聞に対する表面的で愚かな煽動」との違いを見事なコントラストで炙り出すともいえよう。
 そして無謀な戦争の結末が、桐生悠
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 桐生悠々は、満州事変(1931年)・国際連盟脱退(1933年)などの国難が襲って来た時

代、1934年「関東防空大演習を嗤う」という記事を書いて信濃毎日新聞の主筆の座を

追われた。「関東に敵機をを迎え撃つということは敗北そのものである」ということを書い

たことで陸軍の憲兵ににらまれたからである。その後、悠々は新聞・総合雑誌などからの

収入を当てに生活費を賄うプロ・ジャーナリストの道を諦め、個人雑誌「他山の石」(32

頁・小冊子)を月2回、1934年6月~1941年8月(日米開戦の年)まで黙々と刊行し続けた。

その間何十回となく発禁処分を受けるも、その言論弾圧に屈せず、刊行し続けた。当時

は新聞・総合雑誌などの検閲よりは、個人雑誌については大目に見られていたことにも

助けられたといわれている。当時300~500名の購読会員がいたが、その中には尾崎行雄・

水野広徳・芦田均・植原悦次郎・清沢冽などの自由主義者がいた。           

特に悠々は、欧米の知識人たちが、当時何を考え、日本や極東地域の問題についてど

のように考えているか、海外の文献
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投稿者 モチヅキ VINE メンバー 投稿日 2007/5/18
 1931年長野県生まれの作家が1980年に刊行した、反骨のジャーナリスト桐生悠々(政次、1873金沢〜1941名古屋郊外守山)伝。軽格の旧加賀藩士の家に生まれ、同郷の徳田秋声(末雄)と共に文学青年として育った悠々は、早くから醒めた目を持ち、同棲?・苦学しつつ帝大法科(政治学)を卒業した後、自由主義的な新聞記者となる。政論新聞から客観報道・商業主義への新聞の転換期に、彼は各地の新聞を転々とした後、政友会系の信濃毎日新聞の主筆として招聘され、さまざまな企画で部数を大幅に伸ばすが、やがて五箇条の御誓文に依拠して乃木将軍の殉死を批判する「陋習打破論」を書き、不買運動の危機に直面する。同じく政友会系の新愛知新聞主筆に転じた彼は、大正デモクラシーを主導してときの内閣を倒し、憲政会系の名古屋新聞と烈しく論争し(一部に行き過ぎあり)、社会的道理を守る検察官として、些細なスキャンダルも見逃さなかった(檜山事件)。皮肉にも政友会に批判的であった彼は、新愛知の社内改革を企てるが挫折し、4年間の失業後に再び信濃毎日新聞に戻る。同紙で彼はマルクス主義と軍部を批判し、ここでも「関東防空大演習をわらう」を書いて軍に批判され、同紙を追われる。その後、名古屋に戻った彼は、洋書紹介の名古屋読書会を組織するが、軍国主義政府による度重なる検閲と戦いながら、苦難の晩年を過ごした。明治初頭からアジア太平洋戦争直前までの激動...続きを読む ›
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