本書が扱うのは、秀吉・家康・政宗三者の外交政策、というより対欧州政策である。本書の内容をごくごく簡単に要約すると、スペインとポルトガル両国によるむき出しの日本征服の野望に対抗した秀吉、通商を重視する英蘭とスペイン・ポルトガルを天秤にかけて独立の維持と経済振興を図った家康、いわゆる「経済特区」を仙台に作り、スペインとの貿易で経済振興を図ろうとした政宗、という評価になるだろうか。
秀吉による朝鮮出兵、家康による禁教政策、政宗による支倉常長の欧州派遣など、いずれも歴史の教科書に載っている事実なので知ってはいたが、その背景まで歴史の教科書は教えてくれない。だから、朝鮮出兵は老耄の秀吉の誇大妄想、禁教政策は保守的な家康による外国嫌いと縮み志向、支倉常長の欧州派遣は政宗の天下取りの野望の産物、という見方になりがちだ。しかし、作者は当時日本に来ていた外国人、特に宣教師による大量の文献を渉猟することで、三者それぞれの対外政策が、そんな単純な話ではなく、より当時の国際情勢を踏まえた、パワーポリティクスに基づく政治判断だったということを論証している。歴史小説や大河ドラマ(特に司馬遼太郎作品)の影響で、このような見方を持っていた一人として、本書は目から鱗が落ちるような衝撃だった。
本書の白眉は秀吉の対外政策だろう。スペイン・ポルトガル内部でやり取りされる書簡などを見ると、その内容は実に生々しい。彼らによる武力侵攻は時間の問題であり、日本社会の内部を撹乱するための手段が、キリスト教であり宣教師であったことは明らかであった。一方、日本の最高権力者だった秀吉は、そんな両国に対して、禁教政策と強大な軍事力を誇示することで対抗した。このような背景を知ると、朝鮮出兵の評価も180℃変わってくる。秀吉に関する箇所を読むだけでも、本書を手にする価値はある。
それにしても、どうして私たちの教わる日本史は、近世以前と元寇、そして古代史を除いて、日本を世界と全く切り離された存在と看做すのだろうか?たとえば、邪馬台国はどこかという有名な古代史の論争にせよ、魏志倭人伝の記述の解釈をああでもない、こうでもないと延々繰り返しているが、その魏志倭人伝の背景を中国史から検証し、そこからなぞ解きをしようとするアプローチはほとんど見ない。秀吉・家康・政宗三者の外交政策にせよ、その相手方の文献、そして日本と欧州で交わされた文献を丹念に研究すれば、彼らの選択が国際政治の観点から評価されるべきものであることは明白である。にもかかわらず、そうした国際政治の観点がすっぽり欠け落ちているから、前述のような今にして思えば奇々怪々な見方が広がるのだろう。
しばしば、日本人は国際感覚にかけると揶揄される。その原因は世界の中の日本という視点が欠落しているとされるが、本書を読むと、教科書で教わる日本史などその最たるものだと思えてくる。世界の中の日本という視座さえしっかりできていれば、憲法9条という「教典」を中心に国防政策を論じる不毛な神学論争は発生しえない。本書を読み終えたのち、そうしたことを考えさせられた。
戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書) (日本語) 新書 – 2018/4/18
平川 新
(著)
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本の長さ290ページ
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言語日本語
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出版社中央公論新社
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発売日2018/4/18
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ISBN-104121024818
-
ISBN-13978-4121024817
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
15世紀以来、スペインやポルトガルはキリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を展開。16世紀にはアジアに勢力を広げた。本書は史料を通じて、戦国日本とヨーロッパ列強による虚々実々の駆け引きを描きだす。豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか、徳川家康はなぜ鎖国へ転じたのか、伊達政宗が遣欧使節を送った狙いとは。そして日本が植民地化されなかった理由は―。日本史と世界史の接点に着目し、数々の謎を解明する。
著者について
1950年,福岡県生まれ.80年,東北大学大学院文学研究科修士課程修了.宮城学院女子大学助教授,東北大学教授などを経て,2005年から07年まで東北大学東北アジア研究センター長,12年から14年まで東北大学災害科学国際研究所所長を務める.14年より宮城学院女子大学学長. 著書『伝説のなかの神――天皇と異端の近世史』(吉川弘文館,1993年) 『紛争と世論――近世民衆の政治参加』(東京大学出版会,1996年)『近世日本の交通と地域経済』(清文堂出版,1997年) 『開国への道(「日本の歴史」第12巻)』(小学館,2008年) 『通説を見直す――16~19世紀の日本』(編,清文堂出版,2015年) など.
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
平川/新
1950年、福岡県生まれ。法政大学文学部卒業。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。宮城学院女子大学助教授、東北大学教授などを経て、2005年から07年まで東北大学東北アジア研究センター長、12年から14年まで東北大学災害科学国際研究所所長を務める。14年より宮城学院女子大学学長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1950年、福岡県生まれ。法政大学文学部卒業。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。宮城学院女子大学助教授、東北大学教授などを経て、2005年から07年まで東北大学東北アジア研究センター長、12年から14年まで東北大学災害科学国際研究所所長を務める。14年より宮城学院女子大学学長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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2019年1月11日に日本でレビュー済み
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2019年12月1日に日本でレビュー済み
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「なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか」という刺激的なタイトルで本書は始まっています。文禄・慶長の役(1592年~1598年)では、総計30万にも及ぶ軍隊を朝鮮半島に送り込み、一時は半島北部まで占領するという、まさに朝鮮民衆にとっては塗炭の苦しみを受けた「侵略」以外の何物でもない国際戦争でした。著者は、従来の「全国平定を成しとげた秀吉が海外の領地を求めて一方的に侵略した」という定説に疑問を投げかけています。
当時、ポルトガルとスペインはトルデシリャス条約(1494年)によって両国による世界領土分割を確認していました。キリスト教の布教と一体化した世界征服事業を展開して、アフリカ、中南米、インド及び東南アジア諸国を次々と植民地化していきました。このような西欧列強の動きに対抗して秀吉は朝鮮に出兵したり、当時世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求した結果、日本はアジアの軍事大国として世界史に登場することになったとのことです。
家康も強大な軍事力を背景に旧教国=ポルトガル・スペインや新教国=イギリス・オランダからの情報収集を基に外交戦略を練り、また伊達政宗に慶長遣欧使節を出させました。幕府は通商に応じないにもかかわらずキリスト教の布教に固執するスペインに見切りをつけ1624年に同国と断交。ポルトガルとも1639年に入港を禁止してカトリック国との関係を清算。これによりキリスト教の禁止と貿易管理の徹底=幕府による一元外交(いわゆる鎖国)が完成。
最後に著者は「なぜ日本は植民地にならなかったのか」という重いテーマを投げかけています。戦国時代の群雄割拠を経て、統一政権が誕生して日本は世界屈指の軍事大国となった。その結果、西欧列強は日本を軍事的に征服することを断念したということです。日本は「帝国」といわれるようになった(当時はヨーロッパには、神聖ローマ帝国しか帝国は存在しない)。
著者もあとがきで述べている通り、秀吉の「唐・南蛮・天竺」征服構想を世界最強国家となったスペインへの東洋からの反抗と挑戦と評価するか、隣国を蹂躙した歴史を真摯に受け止めるか、どの視点に立つかによって歴史の見え方は異なってくる。歴史に対しては多様な解釈が可能との意見に頷けるものがありました。
当時、ポルトガルとスペインはトルデシリャス条約(1494年)によって両国による世界領土分割を確認していました。キリスト教の布教と一体化した世界征服事業を展開して、アフリカ、中南米、インド及び東南アジア諸国を次々と植民地化していきました。このような西欧列強の動きに対抗して秀吉は朝鮮に出兵したり、当時世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求した結果、日本はアジアの軍事大国として世界史に登場することになったとのことです。
家康も強大な軍事力を背景に旧教国=ポルトガル・スペインや新教国=イギリス・オランダからの情報収集を基に外交戦略を練り、また伊達政宗に慶長遣欧使節を出させました。幕府は通商に応じないにもかかわらずキリスト教の布教に固執するスペインに見切りをつけ1624年に同国と断交。ポルトガルとも1639年に入港を禁止してカトリック国との関係を清算。これによりキリスト教の禁止と貿易管理の徹底=幕府による一元外交(いわゆる鎖国)が完成。
最後に著者は「なぜ日本は植民地にならなかったのか」という重いテーマを投げかけています。戦国時代の群雄割拠を経て、統一政権が誕生して日本は世界屈指の軍事大国となった。その結果、西欧列強は日本を軍事的に征服することを断念したということです。日本は「帝国」といわれるようになった(当時はヨーロッパには、神聖ローマ帝国しか帝国は存在しない)。
著者もあとがきで述べている通り、秀吉の「唐・南蛮・天竺」征服構想を世界最強国家となったスペインへの東洋からの反抗と挑戦と評価するか、隣国を蹂躙した歴史を真摯に受け止めるか、どの視点に立つかによって歴史の見え方は異なってくる。歴史に対しては多様な解釈が可能との意見に頷けるものがありました。
ベスト1000レビュアーVINEメンバー
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秀吉の朝鮮出兵は結果的に失敗したし、それにより豊臣家の屋台骨も揺すぶられたため、大河ドラマなどを見ても大体は年老いた秀吉の愚行として描かれている。
その一面を否定するものではないと思うが、本書では出兵に至る背景を、東南アジアを植民地化していたスペインとポルトガルの世界を分割支配する世界戦略との関係を通して描いている。
当時日本でキリスト教の布教を行ったポルトガルとスペインの宣教師には日本征服の意図はあったが、それを防いだのは戦国時代を通じて日本が彼らに対抗できる軍事力を増強させていたことと、そして幸運にも彼らが日本に接触した時には、織田信長、豊臣秀吉による日本統一が完成期に入っていたということ。そして、豊臣・徳川がキリスト教を禁令できた背景にも、それができる力を当時の政権が備えていたためであることが、本書により理解できた。
そう考えると日本に取って不幸な時代と考えられていた戦国時代にも、軍事力増強という観点からは大きな意味があったことになり、非常に新鮮な視点だと思った。
その一面を否定するものではないと思うが、本書では出兵に至る背景を、東南アジアを植民地化していたスペインとポルトガルの世界を分割支配する世界戦略との関係を通して描いている。
当時日本でキリスト教の布教を行ったポルトガルとスペインの宣教師には日本征服の意図はあったが、それを防いだのは戦国時代を通じて日本が彼らに対抗できる軍事力を増強させていたことと、そして幸運にも彼らが日本に接触した時には、織田信長、豊臣秀吉による日本統一が完成期に入っていたということ。そして、豊臣・徳川がキリスト教を禁令できた背景にも、それができる力を当時の政権が備えていたためであることが、本書により理解できた。
そう考えると日本に取って不幸な時代と考えられていた戦国時代にも、軍事力増強という観点からは大きな意味があったことになり、非常に新鮮な視点だと思った。
2019年5月31日に日本でレビュー済み
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「あとがき」にある「豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのかという謎解きは、ポルトガルとスペインによる世界分割体制に対抗するためであったという、思いもかけない結論を導き出した」がこの本のもっともインパクトのあるメッセージである。
16世紀から17世紀にかけての大航海時代と19世紀から20世紀にかけての帝国主義時代はともに日本が西欧の植民地化する危機にあった。明治の人たちは祖国防衛戦争という大義名分のもとに日露戦争を戦ったと考えていたにしても、征韓論争、日清戦争の流れは朝鮮を日本の属国にしようという動きにほかならない。
スペイン、ポルトガルの植民地化に対抗して、秀吉は自らも植民地獲得に乗り出した。朝鮮を侵略したが、明の大軍に阻まれた。その失敗を、明治の日本は日韓併合で成功させたのだ。
平川氏の秀吉擁護論に感じる不満は、西洋の植民地化に対して対抗するのに自らも植民地獲得ゲームに参加することの罪にあまり触れないことだ。
「攻撃は最大の防御」といった考えが暴走した結果が昭和の破局に至り、現在の日韓、日中のギクシャクした関係に及んでいる。秀吉の失敗を幸いと考える教訓にするべきであろう。
本書は第31回和辻哲郎文化賞一般部門を受賞するなど、世評が高いが、いささかの疑問を呈したい。
16世紀から17世紀にかけての大航海時代と19世紀から20世紀にかけての帝国主義時代はともに日本が西欧の植民地化する危機にあった。明治の人たちは祖国防衛戦争という大義名分のもとに日露戦争を戦ったと考えていたにしても、征韓論争、日清戦争の流れは朝鮮を日本の属国にしようという動きにほかならない。
スペイン、ポルトガルの植民地化に対抗して、秀吉は自らも植民地獲得に乗り出した。朝鮮を侵略したが、明の大軍に阻まれた。その失敗を、明治の日本は日韓併合で成功させたのだ。
平川氏の秀吉擁護論に感じる不満は、西洋の植民地化に対して対抗するのに自らも植民地獲得ゲームに参加することの罪にあまり触れないことだ。
「攻撃は最大の防御」といった考えが暴走した結果が昭和の破局に至り、現在の日韓、日中のギクシャクした関係に及んでいる。秀吉の失敗を幸いと考える教訓にするべきであろう。
本書は第31回和辻哲郎文化賞一般部門を受賞するなど、世評が高いが、いささかの疑問を呈したい。
2020年4月26日に日本でレビュー済み
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日本は、明治国家成立後に大日本帝国と帝国を自称したのだと思っていたが、戦国時代に信長・秀吉・家康はイスパニアの宣教師等から帝国のトップである「皇帝(エンペラー)」の名称で呼ばれていたのは驚いた。明治時代よりはるか以前から、日本は「帝国」であったのだ。戦国時代には王は戦国大名にあたり、その上に君臨した信長等は皇帝であったのだ。日本の皇帝はスペインやポルトガルに対抗するため、中国征服を企てるが、失敗した。朝鮮出兵は秀吉の妄想が招いたものと言われているが、世界最大の鉄砲製造国であり、好戦的で強兵であった日本が中国征服を目指したのは、むしろ当然のことであったように思えてきた。(中韓にとっては迷惑な話だが)
ベスト500レビュアーVINEメンバー
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このところ、コロンブスの西インド諸島発見、マゼランの世界一周、スペインによる中南米文明の破壊と侵略の本を集中的に読んで、なぜスペインは日本を侵略しなかったのかとの疑問を持つにいたりました。この疑問に答えてくれたのが本書です。
世界史的に見て「大航海時代」が日本では丁度、信長・秀吉・家康による天下統一時代に一致していました。
そのころ、スペインとポルトガルは新たな富と植民地を求めて大航海に乗り出していました。双方の利害が衝突して大戦争が起きることを避けるために、ローマ法王の裁定によりサラゴサ条約、トルデシリャス条約を結び、南米でいえばブラジルに当たる線から東がポルトガル領、西がスペイン領と決められました。現在でもブラジルがポルトガル語、それ以外の南米諸国がスペイン語を使っているのは、この条約の名残です。
ところで、このスペイン・ポルトガルによる分割線を地球の裏側まで延長すると丁度日本のあたりが分割線になるそうです。
そこで、ポルトガルとスペインは日本の支配を巡って熾烈な競争を演じるに至りました。
しかし、当時の日本は中南米でスペインに征服されたような弱小国ではありませんでした。戦国時代に兵力を蓄えた日本は、逆にスペイン領フィリピンに従属を求めたり、朝鮮に30万もの大群を送るほどの軍事強国でありました。
スペイン・ポルトガルにも軍事力で日本を征服しようという声もありましたが、それよりもキリスト教の布教を武器に宗教でまず日本を懐柔してのち属国にしようという説が支配的になりました。イエズス会、フランシスコ会などは日本征服計画に大きな役目を背負っていたのです。それほど、日本の武力はすでにヨーロッパに轟いていたことになります。しかし、スペイン・ポルトガルはお互いに相手を貶める噂を日本に吹き込み、日本の不信を買いました。
其処に新教国、オランダ・イギリスが参入してきました。
お互いの野心を秀吉や家康に讒訴するうちに、まずポルトガルが、次いでスペインが失脚。最後はオランダが残りました。このような混乱の中、伊達政宗はキリスト教を受け入れても良いから貿易を盛んにしようと考え、支倉常長をヨーロッパに派遣しました。結局は、この派遣は失敗に帰するのですが、このような事情を色々教えてくれるのが本書です。日本史を学びながら世界も学ぶ、非常に興味ある書物でした。
世界史的に見て「大航海時代」が日本では丁度、信長・秀吉・家康による天下統一時代に一致していました。
そのころ、スペインとポルトガルは新たな富と植民地を求めて大航海に乗り出していました。双方の利害が衝突して大戦争が起きることを避けるために、ローマ法王の裁定によりサラゴサ条約、トルデシリャス条約を結び、南米でいえばブラジルに当たる線から東がポルトガル領、西がスペイン領と決められました。現在でもブラジルがポルトガル語、それ以外の南米諸国がスペイン語を使っているのは、この条約の名残です。
ところで、このスペイン・ポルトガルによる分割線を地球の裏側まで延長すると丁度日本のあたりが分割線になるそうです。
そこで、ポルトガルとスペインは日本の支配を巡って熾烈な競争を演じるに至りました。
しかし、当時の日本は中南米でスペインに征服されたような弱小国ではありませんでした。戦国時代に兵力を蓄えた日本は、逆にスペイン領フィリピンに従属を求めたり、朝鮮に30万もの大群を送るほどの軍事強国でありました。
スペイン・ポルトガルにも軍事力で日本を征服しようという声もありましたが、それよりもキリスト教の布教を武器に宗教でまず日本を懐柔してのち属国にしようという説が支配的になりました。イエズス会、フランシスコ会などは日本征服計画に大きな役目を背負っていたのです。それほど、日本の武力はすでにヨーロッパに轟いていたことになります。しかし、スペイン・ポルトガルはお互いに相手を貶める噂を日本に吹き込み、日本の不信を買いました。
其処に新教国、オランダ・イギリスが参入してきました。
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