世界が日本に、「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は、
三度あったと著者は言います。
以下の三点の交渉と日本の誤った選択を著者は分析しています。
①満洲事変
②三国軍事同盟
③日米交渉
私はこの段階で大きな疑問を感じました。
世界とは誰のことでしょうか?具体的には英米でしょうか?
世界と日本の二項対立で日本の選択の誤りとやらを述べたてて
何の意味が有るのでしょうか?一方的に世界が正しくて日本が誤り
だと推定できるのでしょうか?私は「否」であると思います。
世界が英米だとしましょう。
英国は世界一の帝国主義国家でアフリカ、インド、アジアを武力で侵略し
広大な植民地を築きました。
米国もインディアンを皆殺しにし、ハワイを併合し、フィリピン、中国、
中近東と武力侵略を繰り返しています。日本には広島長崎と原子爆弾
を投下して無辜の市民を大量虐殺しています。
これらの国々の国策が是で日本の国策が否であると言えないと思います。
世界を構成する国々も自国の国益第一で動いていたに過ぎません。
故意に日本の真摯な努力と世界の腹黒さが無視されています。
現在の安倍政権を懐疑的なトーンで描写しているのも余計で不公正に見えました。
著者は占領軍のWGIPにどっぷり染まった人物に見えてしまいます。
このような図書を有意の中高生に無防備に読ませるのは危険だと感じました。
従って、星一つの評価としました。
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戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗 Kindle版
●受賞歴
紀伊國屋じんぶん大賞2017受賞
●内容紹介
かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。
より良き道を選べなかったのはなぜか。日本近現代史の最前線。
この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、
交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、
掛け値なしにやりとりできるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります。(「講義の終わり」により)
*************
読んでいて、一段階ずつがスリリングで、ダイナミックで、おもしろい。〔…〕
この書評を書きながら反省したのだが、結論に走ってはいけない。自分の意見に合うところだけつまみ食いしてはいけない。
史料を読んで、過程を辿って、その中から今後に役立つものを誠実に抽出する。これはそのよい練習になる本である。
――池澤夏樹さん(2016年9月4日掲載、毎日新聞書評)
日本の未来を真剣に考えるすべての人にとっての必読書だ。
――佐藤優さん(2016年9月12日号「AERA」書評)
著者の知識に接する中高生たちの問題意識の鋭さは頼もしい。
「普遍的な理念の具体化」が欠けていた時代だったという結論を読者もまた共有する。
――保阪正康さん(2016年10月2日掲載、朝日新聞書評)
ページを捲るたびに、自分の視野の狭さに気づき、自分ならどう判断していただろうかと考えさせられた。〔…〕
単純化した物語に回収することはいくらでも可能であろうところを、事実にもとづいて、より豊かな物語として
理解していくプロセスを楽しませてくれる。
――開沼博さん(2016年9月25日号「サンデー毎日」書評)
当時は「これしかない」という空気が作られ、現在も「日本は戦争に追い込まれた」といういいかたがされる。
しかし、加藤が中高生たちと史料を読んでいくと、別の様相が見えてくる。
――永江朗さん(2016年9月9日号「週刊朝日」書評)
キーワードは「選択」で問題の「本質」が選択肢に反映されているか否かを、国外・国内の情況や対抗関係をみすえ解読する。〔…〕
「戦争まで」の動きがたんねんにたどられ、中高生ならずとも、多くの知見を得る。
――成田龍一氏(2016年9月25日、日本経済新聞書評)
著者の采配に従い史料を読む受講生の疑似体験的ワクワク感も感じ取れるが、その史料読解作法は
頭の中に立体的に現実を再現するというもの。戦争にしろ同盟交渉にしろ、日本外交から「理念」という言葉が
消えていることにも気付かされた。
――原田敬一氏(時事通信書評)
紀伊國屋じんぶん大賞2017受賞
●内容紹介
かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。
より良き道を選べなかったのはなぜか。日本近現代史の最前線。
この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、
交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、
掛け値なしにやりとりできるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります。(「講義の終わり」により)
*************
読んでいて、一段階ずつがスリリングで、ダイナミックで、おもしろい。〔…〕
この書評を書きながら反省したのだが、結論に走ってはいけない。自分の意見に合うところだけつまみ食いしてはいけない。
史料を読んで、過程を辿って、その中から今後に役立つものを誠実に抽出する。これはそのよい練習になる本である。
――池澤夏樹さん(2016年9月4日掲載、毎日新聞書評)
日本の未来を真剣に考えるすべての人にとっての必読書だ。
――佐藤優さん(2016年9月12日号「AERA」書評)
著者の知識に接する中高生たちの問題意識の鋭さは頼もしい。
「普遍的な理念の具体化」が欠けていた時代だったという結論を読者もまた共有する。
――保阪正康さん(2016年10月2日掲載、朝日新聞書評)
ページを捲るたびに、自分の視野の狭さに気づき、自分ならどう判断していただろうかと考えさせられた。〔…〕
単純化した物語に回収することはいくらでも可能であろうところを、事実にもとづいて、より豊かな物語として
理解していくプロセスを楽しませてくれる。
――開沼博さん(2016年9月25日号「サンデー毎日」書評)
当時は「これしかない」という空気が作られ、現在も「日本は戦争に追い込まれた」といういいかたがされる。
しかし、加藤が中高生たちと史料を読んでいくと、別の様相が見えてくる。
――永江朗さん(2016年9月9日号「週刊朝日」書評)
キーワードは「選択」で問題の「本質」が選択肢に反映されているか否かを、国外・国内の情況や対抗関係をみすえ解読する。〔…〕
「戦争まで」の動きがたんねんにたどられ、中高生ならずとも、多くの知見を得る。
――成田龍一氏(2016年9月25日、日本経済新聞書評)
著者の采配に従い史料を読む受講生の疑似体験的ワクワク感も感じ取れるが、その史料読解作法は
頭の中に立体的に現実を再現するというもの。戦争にしろ同盟交渉にしろ、日本外交から「理念」という言葉が
消えていることにも気付かされた。
――原田敬一氏(時事通信書評)
- 言語日本語
- 出版社朝日出版社
- 発売日2016/8/9
- ファイルサイズ48724 KB
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。より良き道を選べなかったのはなぜか。日本近現代史の最前線。 --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
著者について
加藤陽子(かとう・ようこ)
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。
1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。
専攻は日本近現代史。
2010年に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で小林秀雄賞受賞。
著書に『模索する1930年代』『徴兵制と近代日本』『戦争の日本近現代史』『戦争の論理』『戦争を読む』
『満州事変から日中戦争へ』『NHK さかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争』『昭和天皇と戦争の世紀』などがある。
--このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。
1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。
専攻は日本近現代史。
2010年に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で小林秀雄賞受賞。
著書に『模索する1930年代』『徴兵制と近代日本』『戦争の日本近現代史』『戦争の論理』『戦争を読む』
『満州事変から日中戦争へ』『NHK さかのぼり日本史(2)昭和 とめられなかった戦争』『昭和天皇と戦争の世紀』などがある。
--このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
加藤/陽子
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。89年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史。2010年に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社刊)で小林秀雄賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。89年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史。2010年に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社刊)で小林秀雄賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B074PS9XLR
- 出版社 : 朝日出版社 (2016/8/9)
- 発売日 : 2016/8/9
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 48724 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 543ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,209位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 109,672位Kindle本
- カスタマーレビュー:
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2019年1月13日に日本でレビュー済み
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91人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
史料をもとに日本がなぜ戦争の道を歩んでしまったのかを様々な見方から中立な立場で考察しており、昔教科書で習った歴史的事実の裏にある様々な人々の思惑が勉強になるだけではなく単純に楽しめる良書だった。
2018年8月24日に日本でレビュー済み
イメージ 1
この本は昭和史の大きな転回点であった満州事変のリットン報告書、日独伊三国同盟、開戦前夜の日米交渉を取り上げ、一次史料を高校生(一部中学生)たちに事前に学習してもらい質疑を交えて加藤教授(東京大学文学部)が読解していくという講座ですね。
実は以前に出版された同じ著者の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の続編といえるものですが、極秘史料を踏まえ多くの研究者の知見も引用しケーススタディ的に解析していく手法はスリリングで知的興奮を誘うもので、次々に通説・俗説を覆す目から鱗の知見も得られ大変勉強になりました。昭和史に興味を抱く方には必読の本だと思いました。高校生相手でもレベルは高いです!
印象に残った事項を摘記してみましょう。
〇リットン調査団報告書
本報告書は、満州国について中国人の自発的な独立運動によって出現したものでなく、いわば日本の傀儡政権であるとみなし、満州の主権も中国にあるとしている。しかし日本の既得権に配慮し、満州における日本の権益(居住権、商租権など)は認め、また傀儡政権に変わる自治政府編成の顧問委員会にも多数の日本人の参加を予定している。
しかし、メディアを含めての日本官民の反応は、報告書は<中国贔屓の一方的なもの>とするものであったが、中国の蒋介石国民政府は日清戦争時の悪名高い対華21カ条要求以上の過酷なものとして連盟に抗議している。
満州事変勃発当夜の日本軍についても自衛的な措置とは言えないが、関東軍の将校が線路爆破を日本軍への敵対行動だと考え、自衛の行動をとってしまった可能性は排除しないと。日本に配慮した微妙な表現をし「日本の侵略」という言い方も避けている。
著者は、イギリス人のリットン卿は国際連盟発足以来の常任理事国である日本のメンツを失わせないで平和的解決に向けた日中協議の場に日本を誘い込む仕掛けに配慮した老練な現実的な政治家であったと判断している。
しかし、日本はリットン卿の配慮を無視し、満州国モンロー主義路線で国際連盟を脱退してしまう。もし、日本が満州の権益を固持しながらもより国際的により開放的な満州経営をしていたらと----------
〇日独伊三国同盟―――日本が急いだ理由
本同盟(1940年9月調印)はアメリカの参戦抑止を目的に締結されたものだが、アメリカを刺激し日本への石油、鉄の輸出禁止などの経済制裁が大いに懸念された。
同盟調印の8日前の御前会議でも海軍軍令部長や天皇の意見を代弁する枢密院議長より懸念が出され、3時間という長い会議のあと異例なことに希望意見付きでの可決となった。陸軍を代表しての閑院宮参謀総長よりのドイツを通じた対ソ国交調整の確保。海軍を代表しての伏見宮軍令部総長は①日米開戦回避のためにあらゆる方策をとること、②南方発展は平和的な手段で行うこと、③排英米派の無責任で強硬な言論の取り締まりを注文づけている。意外なことに現場を知らない、いや知らせられていない近衛首相、松岡外相などの方が楽観的であった。
同盟締結にはイケイケドンドンでなく陸海軍省の上層部や枢密院議長だけでなく、作戦を担当する統帥部の上層部も強い不安を抱いていた。
その一方で陸海軍の左官級の実務を握る中堅層では積極派が大勢であった。彼らの考えでは、ドイツのポーランド侵攻に始まり、ノルウエー、デンマーク、ベルギー、オランダそしてパリ無血入城の電撃的な進撃を座視していると、大戦終了後にイギリス、フランス、オランダの東南アジアにある植民地がすべてドイツのものになり大東亜共栄圏実現の支障になるので、今のうちに同盟を結び東南アジアは日本の勢力圏であることを明らかにしてドイツを牽制しておくべきとの考えが強かった。そして日本からドイツに対して同盟の交渉を呼びかけた。
〇日米交渉の経過
日米交渉は1941年4月から最後通牒のハル・ノートの11月26日まで行われた。
日中打開に米国の仲介を目論む日本とドイツの攻撃に苦しむイギリス支援の時間稼ぎという米国の思惑があった。アメリカの主たる交渉担当者はハル国務長官。日本は7月に松岡外相を更迭し元海軍大将で外相経験ありそしてローズベルト大統領と古い知己の間柄の駐米大使野村吉三郎を抜擢した。交渉場所は反米英派の国家主義団体の圧力を警戒し東京でなく終始ワシントンで行われた。
交渉は4月作成の「日米諒解案」をたたき台に勧められたが、7月に陸軍による南部仏領インドシナ進駐が米国の強硬派のモーゲンソー財務長官らを刺激し、同長官が管轄する外国資産管理委員会の権限で独断で資産凍結を7月末に、続いて8月に石油の対日輸出を全面禁止に。(ローズベルト大統領、ハル国務長官は所用でワシントンに不在であった。)
日米交渉は一転し困難な状況になり、その打開のため近衛首相はローズベルト大統領にハワイでの首脳会談を打診し内諾を得た。しかし、不用意にも野村大使が米国メディアに会談のことを漏らしたために日本のマスコミに報道され、近衛首相が国辱的な妥協をする恐れありと右翼国家主義団体が猛烈に反発し、対米交渉派批判のボルテージを上げ日本中騒然となった。近衛首相の暗殺計画も発覚、天皇もこのままではクーデターも必至なりと危機感を抱く事態となり、近衛首相は辞職に追い込まれた。(著者は幕末に開国派の井伊大老が日米修交通商条約を無勅許で結んだ時に一気に爆発した尊王攘夷運動を似た先例として引用しています。)
当時の参謀本部の戦争指導班の日誌に「豊田外相も反枢軸、次いで海軍なり。要は海軍首脳なり。「お上」に原因あるやも知れず。国家の前途暗澹たり」と天皇の懸念を裏付けるような記載が見られるような不穏な状況になっていた。
ローズベルト・近衛会談が実現していたらという感もありますが、政府、マスコミ挙げての鬼畜米英打倒のイケイケドンドンで煽られてきた一般国民が納得するような打開が図られたかどうか疑問ですね。
昭和天皇も1941年10月13日、内大臣木戸に向かって、次のような「国民観」を述べている。
「昨今の情況にては、日米交渉の成立は漸次望み薄くなりたるように思わるるところ、万一開戦となるがごとき場合には、今度は宣戦の詔勅を発することとなるべし。その場合、今までの詔書について見るに、連盟脱退の際にも、特に文武恪循と世界平和ということについて述べたのであるが、国民はどうも此の点を等閑視して居る様に思われる。又、日独伊三国同盟の際の詔書についても、平和の為ということが忘れられ、如何にも英米に対抗するかの如く国民が考へて居るのは誠に面白くないと思う。」 ※文武恪循=内閣と軍部の協調
それでも外務省では最後通牒のハル・ノートが送付されるほぼ同時期に「会議成功の際の輿論指導要綱」なる文書を作成していた。確かにハル・ノートの最後通牒の直前に日本が南部仏印から北部仏印まで引き上げれば英米蘭による対日禁輸の一部を解除するという腹案をハルは持っていた。しかしチャーチル、蒋介石の反対のため諦めた。ハルは最初から強硬派で日本をだましたという俗説が一部にあるが、それは間違いなんですね。
しかし、先の英国のEU脱退の国民投票、トランプ大統領選出のポピュリズム現象を考えると天皇であってしても主戦論を抑えて米国に大きく譲歩をすることはできなかったのではと考えられますね。
〇いわゆる日米交渉の神話等について
<暗号解読>
日本が米国に大敗した一因に日本の暗号が米国に一方的に解読されていたという神話がありますが、近年、国や英国での今次大戦前夜のインテリジェンス(諜報活動)が大量に公開され始めて以来、専門家の研究が進み<日本も国務省使用の最高強度の暗号について日本の陸・海・外務の三省担当者は1939年から解読に成功。ハル国務長官と東京のアメリカ大使館との外交電報の約90%近くは解読されていた>との驚きの分析が明らかにされている。要は米国ほどではないが日本の暗号解読能力も相当なものだった。
<駐米日本大使館の怠慢によって米国への宣戦布告の通告が遅れた>
最後通告の電報は全部で14通あり13通までは12月6日の早い時間にワシントンについたが、最後の大事な14通目は陸海軍の統帥部がぎりぎりの30分までは送るなと外務省に要求し外務省はその要求をのんでしまっていた。
また、天皇宛のローズベルト大統領の12月6日午後9時の親電も陸軍は15時間も東京中央郵局に留め置くように指示し、アメリカ大使館に届く時間を引き延ばした。
〇チャップリンの映画『独裁者』のエピソードについて
チャップリンがヒットラーに模して演じた傑作映画『独裁者』は、大戦勃発の1939年9月直後に撮影を開始し、有名な<独裁者の演説シーン>はなんとドイツ軍のパリ入城の翌日パリで撮っているんですね。
この本は昭和史の大きな転回点であった満州事変のリットン報告書、日独伊三国同盟、開戦前夜の日米交渉を取り上げ、一次史料を高校生(一部中学生)たちに事前に学習してもらい質疑を交えて加藤教授(東京大学文学部)が読解していくという講座ですね。
実は以前に出版された同じ著者の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の続編といえるものですが、極秘史料を踏まえ多くの研究者の知見も引用しケーススタディ的に解析していく手法はスリリングで知的興奮を誘うもので、次々に通説・俗説を覆す目から鱗の知見も得られ大変勉強になりました。昭和史に興味を抱く方には必読の本だと思いました。高校生相手でもレベルは高いです!
印象に残った事項を摘記してみましょう。
〇リットン調査団報告書
本報告書は、満州国について中国人の自発的な独立運動によって出現したものでなく、いわば日本の傀儡政権であるとみなし、満州の主権も中国にあるとしている。しかし日本の既得権に配慮し、満州における日本の権益(居住権、商租権など)は認め、また傀儡政権に変わる自治政府編成の顧問委員会にも多数の日本人の参加を予定している。
しかし、メディアを含めての日本官民の反応は、報告書は<中国贔屓の一方的なもの>とするものであったが、中国の蒋介石国民政府は日清戦争時の悪名高い対華21カ条要求以上の過酷なものとして連盟に抗議している。
満州事変勃発当夜の日本軍についても自衛的な措置とは言えないが、関東軍の将校が線路爆破を日本軍への敵対行動だと考え、自衛の行動をとってしまった可能性は排除しないと。日本に配慮した微妙な表現をし「日本の侵略」という言い方も避けている。
著者は、イギリス人のリットン卿は国際連盟発足以来の常任理事国である日本のメンツを失わせないで平和的解決に向けた日中協議の場に日本を誘い込む仕掛けに配慮した老練な現実的な政治家であったと判断している。
しかし、日本はリットン卿の配慮を無視し、満州国モンロー主義路線で国際連盟を脱退してしまう。もし、日本が満州の権益を固持しながらもより国際的により開放的な満州経営をしていたらと----------
〇日独伊三国同盟―――日本が急いだ理由
本同盟(1940年9月調印)はアメリカの参戦抑止を目的に締結されたものだが、アメリカを刺激し日本への石油、鉄の輸出禁止などの経済制裁が大いに懸念された。
同盟調印の8日前の御前会議でも海軍軍令部長や天皇の意見を代弁する枢密院議長より懸念が出され、3時間という長い会議のあと異例なことに希望意見付きでの可決となった。陸軍を代表しての閑院宮参謀総長よりのドイツを通じた対ソ国交調整の確保。海軍を代表しての伏見宮軍令部総長は①日米開戦回避のためにあらゆる方策をとること、②南方発展は平和的な手段で行うこと、③排英米派の無責任で強硬な言論の取り締まりを注文づけている。意外なことに現場を知らない、いや知らせられていない近衛首相、松岡外相などの方が楽観的であった。
同盟締結にはイケイケドンドンでなく陸海軍省の上層部や枢密院議長だけでなく、作戦を担当する統帥部の上層部も強い不安を抱いていた。
その一方で陸海軍の左官級の実務を握る中堅層では積極派が大勢であった。彼らの考えでは、ドイツのポーランド侵攻に始まり、ノルウエー、デンマーク、ベルギー、オランダそしてパリ無血入城の電撃的な進撃を座視していると、大戦終了後にイギリス、フランス、オランダの東南アジアにある植民地がすべてドイツのものになり大東亜共栄圏実現の支障になるので、今のうちに同盟を結び東南アジアは日本の勢力圏であることを明らかにしてドイツを牽制しておくべきとの考えが強かった。そして日本からドイツに対して同盟の交渉を呼びかけた。
〇日米交渉の経過
日米交渉は1941年4月から最後通牒のハル・ノートの11月26日まで行われた。
日中打開に米国の仲介を目論む日本とドイツの攻撃に苦しむイギリス支援の時間稼ぎという米国の思惑があった。アメリカの主たる交渉担当者はハル国務長官。日本は7月に松岡外相を更迭し元海軍大将で外相経験ありそしてローズベルト大統領と古い知己の間柄の駐米大使野村吉三郎を抜擢した。交渉場所は反米英派の国家主義団体の圧力を警戒し東京でなく終始ワシントンで行われた。
交渉は4月作成の「日米諒解案」をたたき台に勧められたが、7月に陸軍による南部仏領インドシナ進駐が米国の強硬派のモーゲンソー財務長官らを刺激し、同長官が管轄する外国資産管理委員会の権限で独断で資産凍結を7月末に、続いて8月に石油の対日輸出を全面禁止に。(ローズベルト大統領、ハル国務長官は所用でワシントンに不在であった。)
日米交渉は一転し困難な状況になり、その打開のため近衛首相はローズベルト大統領にハワイでの首脳会談を打診し内諾を得た。しかし、不用意にも野村大使が米国メディアに会談のことを漏らしたために日本のマスコミに報道され、近衛首相が国辱的な妥協をする恐れありと右翼国家主義団体が猛烈に反発し、対米交渉派批判のボルテージを上げ日本中騒然となった。近衛首相の暗殺計画も発覚、天皇もこのままではクーデターも必至なりと危機感を抱く事態となり、近衛首相は辞職に追い込まれた。(著者は幕末に開国派の井伊大老が日米修交通商条約を無勅許で結んだ時に一気に爆発した尊王攘夷運動を似た先例として引用しています。)
当時の参謀本部の戦争指導班の日誌に「豊田外相も反枢軸、次いで海軍なり。要は海軍首脳なり。「お上」に原因あるやも知れず。国家の前途暗澹たり」と天皇の懸念を裏付けるような記載が見られるような不穏な状況になっていた。
ローズベルト・近衛会談が実現していたらという感もありますが、政府、マスコミ挙げての鬼畜米英打倒のイケイケドンドンで煽られてきた一般国民が納得するような打開が図られたかどうか疑問ですね。
昭和天皇も1941年10月13日、内大臣木戸に向かって、次のような「国民観」を述べている。
「昨今の情況にては、日米交渉の成立は漸次望み薄くなりたるように思わるるところ、万一開戦となるがごとき場合には、今度は宣戦の詔勅を発することとなるべし。その場合、今までの詔書について見るに、連盟脱退の際にも、特に文武恪循と世界平和ということについて述べたのであるが、国民はどうも此の点を等閑視して居る様に思われる。又、日独伊三国同盟の際の詔書についても、平和の為ということが忘れられ、如何にも英米に対抗するかの如く国民が考へて居るのは誠に面白くないと思う。」 ※文武恪循=内閣と軍部の協調
それでも外務省では最後通牒のハル・ノートが送付されるほぼ同時期に「会議成功の際の輿論指導要綱」なる文書を作成していた。確かにハル・ノートの最後通牒の直前に日本が南部仏印から北部仏印まで引き上げれば英米蘭による対日禁輸の一部を解除するという腹案をハルは持っていた。しかしチャーチル、蒋介石の反対のため諦めた。ハルは最初から強硬派で日本をだましたという俗説が一部にあるが、それは間違いなんですね。
しかし、先の英国のEU脱退の国民投票、トランプ大統領選出のポピュリズム現象を考えると天皇であってしても主戦論を抑えて米国に大きく譲歩をすることはできなかったのではと考えられますね。
〇いわゆる日米交渉の神話等について
<暗号解読>
日本が米国に大敗した一因に日本の暗号が米国に一方的に解読されていたという神話がありますが、近年、国や英国での今次大戦前夜のインテリジェンス(諜報活動)が大量に公開され始めて以来、専門家の研究が進み<日本も国務省使用の最高強度の暗号について日本の陸・海・外務の三省担当者は1939年から解読に成功。ハル国務長官と東京のアメリカ大使館との外交電報の約90%近くは解読されていた>との驚きの分析が明らかにされている。要は米国ほどではないが日本の暗号解読能力も相当なものだった。
<駐米日本大使館の怠慢によって米国への宣戦布告の通告が遅れた>
最後通告の電報は全部で14通あり13通までは12月6日の早い時間にワシントンについたが、最後の大事な14通目は陸海軍の統帥部がぎりぎりの30分までは送るなと外務省に要求し外務省はその要求をのんでしまっていた。
また、天皇宛のローズベルト大統領の12月6日午後9時の親電も陸軍は15時間も東京中央郵局に留め置くように指示し、アメリカ大使館に届く時間を引き延ばした。
〇チャップリンの映画『独裁者』のエピソードについて
チャップリンがヒットラーに模して演じた傑作映画『独裁者』は、大戦勃発の1939年9月直後に撮影を開始し、有名な<独裁者の演説シーン>はなんとドイツ軍のパリ入城の翌日パリで撮っているんですね。
2021年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
加藤陽子さんが菅総理により学術会議の任命から外され、のちに彼女1人だけが、その事実を歴史に残すために連携会員という実質的な参加資格を断ったと新聞のインタビューで知り、(彼女より若い世代の異分野の人間ですが)大変感心し心動かされましたので、彼女の書かれた本を片っ端から拝読し始めた次第です。
わかりやすく、本当にとても面白かったです。
年号だけを暗記する歴史教育に落胆し、義務教育で日本の歴史とくに近代史を理解しようと努力しなかった事を深く後悔していたのですが、それを覆してくれた本でした。
歴史を紐解く事は容易ではない事がよくわかるとともに、次世代のためにこれほどまで丁寧に、日本の大戦前後の真実の姿を見せてくださった、筆者の加藤陽子先生には感謝の気持ちしかないです。頭が下がる思いです。
わかりやすく、本当にとても面白かったです。
年号だけを暗記する歴史教育に落胆し、義務教育で日本の歴史とくに近代史を理解しようと努力しなかった事を深く後悔していたのですが、それを覆してくれた本でした。
歴史を紐解く事は容易ではない事がよくわかるとともに、次世代のためにこれほどまで丁寧に、日本の大戦前後の真実の姿を見せてくださった、筆者の加藤陽子先生には感謝の気持ちしかないです。頭が下がる思いです。
2021年6月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私が、本書を読んだ直後の感想として、2点ありました。 一つは 知らないこと、学んでいないことがまだまだたくさんあるのだなぁ。ともう一つは、当時も一応、国会があり、内閣があり、国家の政策は議論で進めており(独裁者がいたわけではなかった。)しかし多くの国民を犠牲にしてしまった結果となった、すなわち今でも国家は、このような選択をする可能性があるんだな。ということです。新コロナ禍の今、日本の内閣をはじめ各地方の行政のリーダーの政策決定が命に直結するんだ と 再度認識した今 読後感は 身につまされた感じでした。ぜひ読んでみてください。





