「AIが心を持ち得るか?」―この問いは、
ロボットが出てくる小説、とりわけ我が国ではマンガやアニメにおいておなじみです。
そして多くの人が「心のあるロボット」の話をごく自然に受け入れているように思われます。
しかしそれはしょせん「物語」や「ホラ話」としてです。
本当に機械が心を持つと思うか?あなたはそれに責任を持てるか?・・・と詰問されれば
誠実な人は断定を躊躇うことでしょう。
主観において、この世界には「意識」と「外界(物理)」があるように感じられます。
そして、既知のいかなる外界記述論理をもってしても
「”こうこうこういうわけ”で、私たちの意識は赤い色を見たときに”こう”なのだ」(還元的理論)
という答えを与えてはくれない。
それなのに、意識現象は圧倒的に、問答無用に(少なくても私には)既存します。
ならば、
「とにかく意識というものが在る」ということを、世界の前提的、基本的性質にしてしまい、
逆にそれを足場として、物理現象をも巻き込んだ論理体系が作れないか・・・?
それがチャーマーズの言う「意識に対する非還元的理論」であり「精神物理法則」です。
「意識が存在する」ということに特権的な意味を持たせないことにより、
チャーマーズの論理は恐るべき可能性を示唆します。
そのひとつが「サーモスタットにも、サーモスタットなりの意識がある」(!!)というもの。
(もちろんサーモスタットだけでなく、その辺の単なる石にも言えます)
陳腐な言い方ですが、まさに「コペルニクス的発想」というやつです。
しかし私は思うのですが、「やおよろずの神」の概念を好む日本人は、
この飛躍的論理にむしろ大喜びするのではないでしょうか?
「そうだよ。オケラだってミツバチだってアメンボだって、石のひとつ、お米の一粒にも心がある。
学者もやっとそのことに気がついたのですか・・・」
注意しなければならないのは、チャーマーズはあきらかにその手の「汎心論」を嫌っている。
そういう思考は、サーモスタットが「よいしょ」と言いながら仕事するような(笑)
擬人的迷妄に簡単に陥りやすい。オカルトとも親和性が高いでしょう。
チャーマーズの言うのはそういうことではなく、
人体の複雑さと鉱物の単純さに匹敵するほどかけ離れた現象的意識です。
映画「マトリックス」では「私たちの見ている世界は実は疑似体験ではないか?」という
想像好きの子供なら一度は考えたことのある世界観が題材になりました。
それなら、こういうことを考える空想好きな子供もきっといることでしょう。
イヌやネコに驚異的な人工補助頭脳を与えて、人間のように喋ることが出来る
知的な存在にするというお話は既に存在しています。
・・・ならば、それは「どこ」まで通用するのでしょう?
トカゲなら? アメンボなら? アメーバなら? 石ころなら??
チャーマーズの論理は「そこに境界はない」と言っているように思います。
その当然の帰結として、完全に機械で出来た「知的意識」も可能ということになる。
少なくても、不可能だとする論拠はないと。
乱暴な言い方をすると「心のあるAI」ということです。
しかしそれと同時に「何をもって心があるとするのか?」という問題がある。
それは、既存の物理的な現象記述論理では証明のしようがない。
これが彼の有名な「意識のハード・プロブレム」であり、そこから
「意識現象(心)がないにも関わらず第三者からは完璧な人間に見える存在」
という、悪夢のような存在を想定することができます。
これまた彼の有名な「哲学的ゾンビ」です。
「AIが人間の知性を超えるとされるシンギュラリティが2045年に!!」
・・・などと、有名経済紙さえも叫ぶような昨今です。
しかし「AIが人間の知性を超える」とは、はたして「どういうこと」でしょう?
AIがボードゲームで無敵になり、一流大学に合格し、権威ある賞をとったとします。
しかしそのAIが「哲学的ゾンビ」だったとしたら
その行為に何の意味があるでしょうか?
チャーマーズの哲学は、そんなことが本気で議論される時代に、
生まれるべくして生まれたものであろうと思います。
意識する心―脳と精神の根本理論を求めて (日本語) 単行本 – 2001/12/1
-
本の長さ508ページ
-
言語日本語
-
出版社白揚社
-
発売日2001/12/1
-
ISBN-104826901062
-
ISBN-13978-4826901062
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
心脳問題の最終的な決着は?彗星のように現れた心脳問題の旗手が世界中の脳科学・哲学・認知科学者を震撼させた渾身の論考。
内容(「MARC」データベースより)
意識とは何か。理論らしい理論と呼べるようなもののない分野に挑み、一種の二元論である意識の理論を大胆に主張する。彗星のように現れた心脳問題の旗手が、世界中の脳科学・哲学・認知科学者を震撼させた渾身の論考。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
チャーマーズ,デイヴィッド・J
1966年、オーストラリア・シドニー生まれ。アデレード大学で数学とコンピュータサイエンスを学ぶ。1982年、国際数学オリンピックで銅メダルに。オクスフォード大学でローズ奨学生として数学を専攻したものの、すぐにインディアナ大学に転じて哲学・認知科学のPh.Dを取得。ワシントン大学マクドネル特別研究員(哲学・神経科学・心理学)、カリフォルニア大学教授(哲学)を経て、現在、アリゾナ大学教授(哲学)、同大学意識研究センター・アソシエイトディレクター。専門は心の哲学および関連する哲学・認知科学
林/一
1933年、台北市生まれ。1959年、立教大学物理学部物理学科卒業。昭和薬科大学名誉教授。専門は理論物理学・科学史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2009年5月30日に日本でレビュー済み
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原書は、1996年の出版である。最先端の科学の成果に基づいているために、逆に今ではいささか古びている。
第10章で、量子力学の解釈について議論が展開されるが、波動関数の収縮(本書では「崩壊」という言葉が使われている)をデコヒーレンス(干渉の消失)で説明する近年有力な解釈については、当然言及がない。
決定的なのは、第9章のコンピュータが意識を持てるかという議論で、情報科学の基礎概念であるオートマトンまで持ち出しながら、量子コンピュータについて、全く触れられていない。当時既にそれについての議論が盛んであったことを考えると首を傾げる。2値コンピュータに対して、0と1が重ね合わせられた量子ビットを導入することは、コンピュータが意識を持てるかという議論に、多大な寄与をしただろう。
驚くべきは、チャーマーズが、サーモスタットにも意識があると言っていることだ。もちろん、そう言う時、彼は高度な意識のことを指しているのではない。彼の言葉を借りれば、それは「閃き」のようなものとしてあるものだ。私には、これが一番面白かったし、反省もさせられた。意識と言われる時、自分の意識を無反省に思い浮かべてしまうが、もっと単純な意識もあっていいはずだ。意識するサーモスタットは、汎心論(どうか誤解しないで欲しい、チャーマーズもこの言葉を慎重に使っている)へと導くが、これはよく考えてみれば、彼の提唱する二元論からは、当然帰結されることだろう。
彼の二元論は、特性二元論で、この世界を説明するために、二つの根本特性を据える。即ち、意識特性と物理特性だ。この本の副題は、『根本理論を求めて』となっているが、彼の野心は、意識の謎を解くということよりは、意識特性と物理特性の2次元で、この世界の謎を解くということにあるようだ。だからこそ、世界の謎を解くという意味での「根本理論」なのであり、最終章で量子力学の解釈が扱われもするのだろう。そうであれば、汎心論は、納得できる。
意識特性を、物理特性では説明できない、物理特性に還元できないと証明することによって、チャーマーズは、根本特性としての意識特性を際立たせかつ守る。では、その根本特性としての意識特性の謎をどうやって解明していくのか?それが問題になるが、チャーマーズの基本戦略は、「コヒーレンス(干渉のし易さ)」という言葉に、言い表わされている。意識特性と物理特性は、干渉する。ならば、物理特性からその干渉を解明していけば、意識特性の謎は明らかになっていくだろう。私はこの方向は正しいと思う。ただ、その方法論は全く確立されていない。それはたぶん私たち読者も、考えていくべきことなのだろう。
第10章で、量子力学の解釈について議論が展開されるが、波動関数の収縮(本書では「崩壊」という言葉が使われている)をデコヒーレンス(干渉の消失)で説明する近年有力な解釈については、当然言及がない。
決定的なのは、第9章のコンピュータが意識を持てるかという議論で、情報科学の基礎概念であるオートマトンまで持ち出しながら、量子コンピュータについて、全く触れられていない。当時既にそれについての議論が盛んであったことを考えると首を傾げる。2値コンピュータに対して、0と1が重ね合わせられた量子ビットを導入することは、コンピュータが意識を持てるかという議論に、多大な寄与をしただろう。
驚くべきは、チャーマーズが、サーモスタットにも意識があると言っていることだ。もちろん、そう言う時、彼は高度な意識のことを指しているのではない。彼の言葉を借りれば、それは「閃き」のようなものとしてあるものだ。私には、これが一番面白かったし、反省もさせられた。意識と言われる時、自分の意識を無反省に思い浮かべてしまうが、もっと単純な意識もあっていいはずだ。意識するサーモスタットは、汎心論(どうか誤解しないで欲しい、チャーマーズもこの言葉を慎重に使っている)へと導くが、これはよく考えてみれば、彼の提唱する二元論からは、当然帰結されることだろう。
彼の二元論は、特性二元論で、この世界を説明するために、二つの根本特性を据える。即ち、意識特性と物理特性だ。この本の副題は、『根本理論を求めて』となっているが、彼の野心は、意識の謎を解くということよりは、意識特性と物理特性の2次元で、この世界の謎を解くということにあるようだ。だからこそ、世界の謎を解くという意味での「根本理論」なのであり、最終章で量子力学の解釈が扱われもするのだろう。そうであれば、汎心論は、納得できる。
意識特性を、物理特性では説明できない、物理特性に還元できないと証明することによって、チャーマーズは、根本特性としての意識特性を際立たせかつ守る。では、その根本特性としての意識特性の謎をどうやって解明していくのか?それが問題になるが、チャーマーズの基本戦略は、「コヒーレンス(干渉のし易さ)」という言葉に、言い表わされている。意識特性と物理特性は、干渉する。ならば、物理特性からその干渉を解明していけば、意識特性の謎は明らかになっていくだろう。私はこの方向は正しいと思う。ただ、その方法論は全く確立されていない。それはたぶん私たち読者も、考えていくべきことなのだろう。
2017年1月3日に日本でレビュー済み
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チャーマーズといえば意識の難問で有名で、難問ならぬ超難問にもっぱら関わってきた評者としては、今更感があったが、このほど遅まきながら一読して、超難問にも気づいていた形跡があることを発見したので、関連部分を抜粋しておく。
以下に紹介するのは、第10章「量子力学の解釈」に出てくる、「エヴェレットの多世界解釈への批判」の紹介のところに出てくる文章である。
ーーーーーーーーーーー
‥‥同様の提案が、ペンローズ(1989)によってもなされている。
とりわけ、意識をもつ存在が線形の重なり合いにある選択肢のなかから、たった「一つ」にだけ気づかな
ければならない理由が私にはわからない。いったい意識の何が、死んだ猫であり生きている猫であると
いう、興味をそそる線形結合に気づいてはいけないとしているのか。多世界的な見方を実際に人が観測
するものと折り合いがつくようにするその前にまず、意識の理論が必要だろうと私には思えるのである
。(p.424)
‥‥今日は、その心を受け継いだ非常にたくさんの心が、重なり合いのさまざまな〈分枝〉に存在しているだろう。私の心M2はそのうちの一つにすぎない。私はこういう問いを発してもいいだろう。何でこんな所に来てしまって、どこか他の分枝の一つに行かなかったのか。ホフスタッター(1985b)はそれをこう述べている。
私自身という単一の感じがどうして、他のどこかでなくこのランダムに選ばれた分枝を伝搬していくの
か。私自身がたどっていくと私が感じるこの分枝を選び出すランダムな選択の根底には、どんな法則
があるのか。なぜ私の私自身と言う感じは、分裂したときに他の道をたどってできた他の私がもつ感
じに付随していかないのか。今この時に、宇宙のこの分枝に沿って展開していくこの身体と言う見解
と、私性を結び付けているのはいったい何なのか。
われわれはこれに対し、またしても有無を言わさぬ指標性の力を借りなければならない。私の心とはこれでしかない。‥‥(p.429)
‥‥これらは、私はなぜ他の誰でもなくこの人物ということになるのかという、指標性そのものの謎としっかり結びついた難しい問いである。これはすべての基本にある謎の一つであり、いったいどう答えるべきなのかおよそはっきりしない。(p.432)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これが、チャーマーズの限界に違いない。意識の超難問への感性があったならば、直接経験できる自己の意識と、「推測」する他ない他者の意識とをひっくるめて「意識一般」としてそこから出発することの不適当さに、最初から気づいていたはずだから。
ただし、感性はあまり問題ではないかもしれない。フッサールは方法的独我論とも別称される現象学的還元によって、感性抜きに他者問題と、さらには超難問を、正面切って問題化する道を切り開いているのだから。
いつか現象学の徒に転身したチャーマーズを見たいものだと思っている。
以下に紹介するのは、第10章「量子力学の解釈」に出てくる、「エヴェレットの多世界解釈への批判」の紹介のところに出てくる文章である。
ーーーーーーーーーーー
‥‥同様の提案が、ペンローズ(1989)によってもなされている。
とりわけ、意識をもつ存在が線形の重なり合いにある選択肢のなかから、たった「一つ」にだけ気づかな
ければならない理由が私にはわからない。いったい意識の何が、死んだ猫であり生きている猫であると
いう、興味をそそる線形結合に気づいてはいけないとしているのか。多世界的な見方を実際に人が観測
するものと折り合いがつくようにするその前にまず、意識の理論が必要だろうと私には思えるのである
。(p.424)
‥‥今日は、その心を受け継いだ非常にたくさんの心が、重なり合いのさまざまな〈分枝〉に存在しているだろう。私の心M2はそのうちの一つにすぎない。私はこういう問いを発してもいいだろう。何でこんな所に来てしまって、どこか他の分枝の一つに行かなかったのか。ホフスタッター(1985b)はそれをこう述べている。
私自身という単一の感じがどうして、他のどこかでなくこのランダムに選ばれた分枝を伝搬していくの
か。私自身がたどっていくと私が感じるこの分枝を選び出すランダムな選択の根底には、どんな法則
があるのか。なぜ私の私自身と言う感じは、分裂したときに他の道をたどってできた他の私がもつ感
じに付随していかないのか。今この時に、宇宙のこの分枝に沿って展開していくこの身体と言う見解
と、私性を結び付けているのはいったい何なのか。
われわれはこれに対し、またしても有無を言わさぬ指標性の力を借りなければならない。私の心とはこれでしかない。‥‥(p.429)
‥‥これらは、私はなぜ他の誰でもなくこの人物ということになるのかという、指標性そのものの謎としっかり結びついた難しい問いである。これはすべての基本にある謎の一つであり、いったいどう答えるべきなのかおよそはっきりしない。(p.432)
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これが、チャーマーズの限界に違いない。意識の超難問への感性があったならば、直接経験できる自己の意識と、「推測」する他ない他者の意識とをひっくるめて「意識一般」としてそこから出発することの不適当さに、最初から気づいていたはずだから。
ただし、感性はあまり問題ではないかもしれない。フッサールは方法的独我論とも別称される現象学的還元によって、感性抜きに他者問題と、さらには超難問を、正面切って問題化する道を切り開いているのだから。
いつか現象学の徒に転身したチャーマーズを見たいものだと思っている。