意味論的転回―デザインの新しい基礎理論 単行本 – 2009/4/1
-
ISBN-104434130331
-
ISBN-13978-4434130335
-
出版社エスアイビーアクセス
-
発売日2009/4/1
-
本の長さ394ページ
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
商品の説明
出版社からのコメント
ハリマツン・カリド(Halimahtun M. Khalid)教授、マレーシア大学デザイン・エルゴノミック学部ディレクター
...デザイン思考のための大著である。クラウス・クリッペンドルフの哲学は、我々が人工物に与える意味という観点で、どうやって人工物を作り、使うかということを述べている。それは、ユーザーとステークホルダーとの創造的な関わりに基づき、専門的なデザイン実践のための人間的かつシステマティックな基礎を築いた。クリッペンドルフの知的な旅は、今日のデザインとデザイン研究の中心テーマを反映し、新しいデザイナーがその分野に進む自分の道を考えるのを支援する。...
ケン・フリードマン(Ken Friedman)教授、ノルウェー経営大学院、デンマーク・デザイン・スクール
この果敢な労作は、系列的に自然科学とは別のもので、デザインのための具体の科学を展望したものである。...それが、デザイナーに生産品と環境を妥当なものとする確かな根拠を与え、技術ではなく人間を中心に据えた体系的なデザイン方法と、研究のための認識論というよりはむしろ、世界を改善するための認識論を提案し、...それゆえに、私たちのデザイン研究にとって未来に開かれた大きなステップである。
向井周太郎教授、武蔵野美術大学名誉教授、基礎デザイン学科前主任教授
デザイン理論を新しいレベルに位置づけ、...見事にウィトゲンシュタインを基にして、アフォーダンスの古典的な思考を一般化した。...読む価値がとても高い本書は、特に我々がグローバル経済において、グローバル経済のためにデザインする際に取り組む課題の今日的な意味を明らかにしている。
ジョン・シーリー・ブラウン(John Seely Brown)、ゼロックス社主席研究員兼パロアルト研究所ディレクター
抜粋
本書は、専門的な実践としてのデザインと、人間に一般的に備わっている活動としてのデザインを概念化する新しい方法を紹介するものである。「デザイン」の語源は、周知のことだが、遠くラテン語のde + signareまで遡り、その意味は、際立たせる、区別する、それを使用、使用者あるいは所有者に割り当てることによって意義を持たせる、ということである。デザインは「sign」(記号)や「designate」(示す)と同じ由来を持ち、それはデザインにおいて、観察者に依存しないもの以外に何かがあること、つまり意味に注意を促している。16世紀のイギリス人はデザインの合目的性に重きを置き、デザインはドローイング、「際立たせること」をしばしば伴ったため、17世紀にはより美術に近いものになっていった。これらの原義に基づいて、次のように言うことができるかもしれない。
「デザインとは物の意味を与えることである。」
この言い方は都合良く両義的である。「デザインは意味を造り出す活動である」と読むことができ、その活動に必要なのは、知覚と経験、そしておそらくデザインの根本的な関心事である外観だが、この解釈はきわめて意図的である。あるいは「デザイン製品は、その使用者が理解できるものであるべきだ」とも読め、この解釈はさらにいっそう本書の論点に近い。しかし、このフレーズは人工物、つまり人間の創作するものであり、職工や工業や他の社会的制度による触知できる製品である人工物に関するものである。意味を与えるということもまた、人間の活動の結果であるが、人工物の多くがそうであるほどに触知できるものではない。人工物と意味は人間の成すことから切り離せないものであると認めると、人工物の主観的な解釈と客観的な性質を区別する慣習をしりぞけることになるが、それはいくつかの形式において、例えば知覚することと知覚されるものの区別や美術と工学の区別などにおいて、再び現れるのである。意味の分からないものについて私たちは語ることができないのであるから、客観ミ主観の区別を含めて意味のないものを回避しようと専念していることが、法�椽颪涼罎任茲衞世蕕�砲覆襪呂困任△襦���ぢ語源学を考慮に入れるのは大切なことだ、というのは言葉、あるいはこの場合人工物(言葉もまた人工物であるのだが)、それらはさまざまな使用、さまざまな状況、さまざまな時と人々の生活を移り行くに連れ、その意味を変え得るということを認めるものだからである。その変遷の中で、言葉はさまざまなものを示し、達成する。機械工学において歴史的に比類なき変革を見た産業革命の時代は、多くの人に受け入れられる大量生産とその製品の市場を拡大する必要性の高まりに「デザイン」という言葉を当てはめた。デザイナーは「工業(産業)」デザイナーとなった。最大限の大量生産が可能な物的な製品を形作ることに賛同することによって、デザイナー(例えば工業、家具、グラフィック、ファッションデザイナー)は大量生産の必要性に従属し、工業の影の下で生きるようになった。「デザイン」、時に「応用美術」とも言われるが、この言葉の現代における意味には、いまだに産業革命時代の名残がある。そうであってはならない。実際、デザインについてのこのような概念は時代錯誤的なものであることがますます明らかになり、デザインは自らを現代社会の構造の��罎飽銘屬鼎営召垢戮�世箸いδ鶲討砲弔覆�襦���ぢその工業的な起源をほとんど断ち切れなかったデザインは、少なくとも現在、美術専門学校や大学で教えられ、産業で実践されている状態においては、その形式の語彙を本質的に使い果たしてしまったと言って差し支えない。ウィリアム・モリスのアートアンドクラフト運動や、デッサウのバウハウス、ウルム造形大学*、スカンジナビアデザイン、それにメンフィスなどの、今世紀デザインに勢いを与えた思想を競い合った学校は、その特徴と勢いを失い、おおむね消滅してしまった。たいていの教育プログラムは、それぞれのほんの一部を取り入れて学生に提供している。説得力のあるマニフェストは一つも存在しない。デザイン雑誌は、数だけは急増しているが、つまらない静止写真の再生産になってしまっている。それらは製品や製作会社、あるいはデザイナーを宣伝しているが、社会的意義は明らかに縮小してきている。消費者調査は、デザインされた製品の審判となって、情報に基づいた消費----消費であることに変わりはないが----を奨励し、マーケティングはより値段の高いプランドを売るためにデザインという言葉を使っている。
一貫性があり包括的な視覚美についての合意は崩れてしまい、この失われた統一体を回復する望みは全くない。MTVやパンク、インターネットが、それ以前の視覚的な慣習を破壊しながら大いに栄えている。デザインの専門性に限ってでさえ、例えば工業デザイナーとグラフィックデザイナーの間にあるような伝統的な区別は、おおむね廃れてしまっている。デザイナーが自分の技術だと思っていたいくつかのものは、例えば、デスクトップ出版(DTP)などのように科学技術に掌握され、デザイン技能と単なる技術的リテラシーとの境界が線引きし直されることになった。知覚心理学、エルゴノミクス、基礎工学などの、デザイナーが自分の仕事を合理化する頼りとなる科学分野は、ますますその限界を現し、認識論的な疑いにおいて不透明なものになってしまった。過去においてデザイン製品を正当化した機能や審美性、市場を考察することは他の、例えばエコロジー的な資源利用の可能性持続性や文化的なアイデンティティーなどの、より社会的、政治的、文化的関心に置き換えられるか、その陰に隠れてしまった。
新しい科学技術が約束するように見える機会を感じ取って台頭した人工知能、コミュニケーション学などの新しい学術分野、加えて種々の複合的専門領域、認知工学やデザイン経営学、またコンピュータインタフェースデザインのような専門技術も同様だが、それらはかつてデザイナーが必要としていた領域に踏み込みつつある。この情報豊富で、素早く変化する、そしてますます個人主義的な文化においては、現代のデザインディスコースはもはや説得力を持たない。かくして、工業デザインは一つの決定的な転換点に立たされていることが分かる。
しかしながら、デザインのアイデンティティーの危機は、ポストモダンの不確実性や、現在、蔓延していると批評家たちが言う文化的なカオス(そして前述のようにこの印象は実際ぬぐい得ないが)などにあるのではなく、間違った場所で、つまりもはや従来の概念に当てはまらない触知できる人工物の表面上で、安定を求めようとむなしい努力をしていることにある。大量生産がコミュニケーションのマスメディアの中に組み込まれ、全世界的市場に商品とサービスを提供するという産業の夢を叶え、ほとんど地球的規模でそれが達成された一方で、製品は非物質的で、情報的、娯楽的なものになってきた。しかしこれが起こりつつあるから、異階層により成る社会の形態や、インターネットのような情報ネットワークは、新しいやり方で技術と個人的に関わることを奨励し、現実の代替概念を可能にし、多様な慣行を生み出したり再生産したりして、伝統的な社会階層やマスメディアの一方通行的なコミュニケーションを根本的に浸食しつつある。
これは、情報社会というものが「現実に」どんなものであるか----これについては多くの未来学者が確信と熱意をもって語るものだが----を知っているということではなく、次のように結論づけたいのである----つまり、急激に衰退する工業時代の基準で市場向けに製品を忙しく造り出すことによって、技術的変化の潮流になすすべもなく漂うことによって、あるいは現れつつあるディスコースを習得し、未来的な知識の流行モデルのように振る舞う人々の後を追いかけることによって、デザイナーは現代社会においてその職としての腕前を失ってしまったのだ。
本書は、デザインがもはやその踏みならされた道を歩み続けることができないことを認めている。デザインは、工業設備の下で生産される機械的な製品の外見を形作ることからギアを切り替えて、物質的なものであれ社会的なものであれ、ユーザーにとって何らかの意味を持つ可能性のある人工物、より大きなコミュニティーを支援し、前例のない方向に記録的なスピードで自らを再構築する過程にある社会を支える人工物を概念化する必要がある。人間であるとは何なのかという考えが現れつつあり、現代の民主主義的な生活志向(少なくとも西欧においてはそうだが)もその一つだが、そのような考えにおいて諸々の技術が役割を果たしている。そこに、工業時代におけるよりはるかに意義深い貢献をするデザイナーの固有の場がある。意味が分かるように人工物をデザインすること、物としての意味と社会的意義を持つようにデザインすることは、実際、由来であるラテン語「design」の失われた意味に立ち戻るのだが、デザインの実践に過激なシフトを必要とする。それは、意味の考察への転回、つまり「意味論的転回(セマンティックターン)」である。それは確実にデザインを��導萓�修掘▲櫂好塙�伐修亮匆颪砲�い峠斗廚憤銘屬鼎韻鰺燭┐襦���ぢその目的を持って、第1章では、デザインが直面している現実の変化のいくつかの側面を、まず製品意味論から始めて考察する。製品意味論は、いまやはるかに根本的である意味論的転回の一つの様相に過ぎないと理解されよう。第2章では、人工物が意味するものについての四つの重なり合う理論を生み出す、人間中心のデザインの鍵になる概念のいくつかを記述する。
第3章は使用における人工物の意味についての理論に関わる。第4章は言語における人工物の意味、第5章は、人工物の生における意味、第6章は人工物のエコロジーにおける意味----端的に言えば、人工物や技術のネットワークにおける意味----に、それぞれ関わっている。第7章は、これらの意味へのアプローチによって、デザインのための科学を提唱するが、特に意味を感知するデザイン方法に焦点を当てる。第8章では、意味論的転回が、デザインに関わる他の学問とどう異なるのかを明らかにする。第9章では終わりとして、1968年にあまりに早く閉校されたウルム造形大学の知的風土にこの意味論的転回がどのように、またどの程度根ざしているのかを概観する。
著者について
iation)、NIAS(Netherlands Institute for Advanced Studies)、そして日本の基礎デザイン学会で編集委員やフェローをつとめている。
クラウス・クリッペンドルフは、ウルム造形大学を1961 年に卒業し、デザインの受賞歴も有する。産業のためのデザイン指導やコンサルタントをし、Innovation 誌やDesign Issues誌で製品意味論の特集を共編し、米国科学財団(NSF)のために「情報時代のためのデザイン」の報告書をまとめ、デザイン意味論の国際ワークショップを多く開催している。デザインとそれに関連する領域の雑誌への寄稿も多い。彼はデザインのための人間中心のアプローチを提唱し、意味と対話性をデザイン思考の中心的な課題にしようとしている。クラウス・クリッペンドルフの現在の関心は以下の4 点である。認識論的に、社会的リアリティの構成における言語とディスコースの役割を探究すること。批判理論の研究者として、束縛と解放の条件を明らかにすること。サイバネティクスのメタ理論の研究者として、自己と他者の再帰的な構造の研究。そして、デザイナーとして、技術と人文の新しい統合を試み、デザインのリ・デザインを提案することである。
[訳者紹介]
小林昭世 武蔵野美術大学造形学部教授
川間哲夫 和光大学表現学部教授
國澤好衛 産業技術大学院大学教授
小口裕史 早稲田大学教育学部・武蔵野美術大学講師
蓮池公威 富士ゼロックス株式会社、ヒューマンインターフェイスデザイン開発部
西澤弘行 常磐大学人間科学部准教授
氏家良樹 慶應義塾大学理工学部助教
About this Title
æ¬æ¸ã¯ãå°éçãªå®è·µã¨ãã¦ã®ãã¶ã¤ã³ã¨ã人éã«ä¸è¬çã«åãã£ã¦ããæ´»åã¨ãã¦ã®ãã¶ã¤ã³ãæ¦å¿µåããæ°ããæ¹æ³ãç´¹ä»ãããã®ã§ãããããã¶ã¤ã³ãã®èªæºã¯ãå¨ç¥ã®ãã¨ã ããé ãã©ãã³èªã®de + signareã¾ã§é¡ãããã®æå³ã¯ãéç«ããããåºå¥ãããããã使ç¨ã使ç¨è ãããã¯ææè ã«å²ãå½ã¦ããã¨ã«ãã£ã¦æç¾©ãæããããã¨ãããã¨ã§ããããã¶ã¤ã³ã¯ãsignã(è¨å·)ããdesignateã(示ã)ã¨åãç±æ¥ãæã¡ãããã¯ãã¶ã¤ã³ã«ããã¦ã観å¯è ã«ä¾åããªããã®ä»¥å¤ã«ä½ãããããã¨ãã¤ã¾ãæå³ã«æ³¨æãä¿ãã¦ããã16ä¸ç´ã®ã¤ã®ãªã¹äººã¯ãã¶ã¤ã³ã®åç®çæ§ã«éããç½®ãããã¶ã¤ã³ã¯ããã¼ã¤ã³ã°ããéç«ããããã¨ãããã°ãã°ä¼´ã£ãããã17ä¸ç´ã«ã¯ããç¾è¡ã«è¿ããã®ã«ãªã£ã¦ãã£ãããããã®å義ã«åºã¥ãã¦ã次ã®ããã«è¨ããã¨ãã§ãããããããªãã
ããã¶ã¤ã³ã¨ã¯ç©ã®æå³ãä¸ãããã¨ã§ãããã
ãã®è¨ãæ¹ã¯é½åè¯ã両義çã§ãããããã¶ã¤ã³ã¯æå³ãé ãåºãæ´»åã§ãããã¨èªããã¨ãã§ãããã®æ´»åã«å¿ è¦ãªã®ã¯ãç¥è¦ã¨çµé¨ãããã¦ãããããã¶ã¤ã³ã®æ ¹æ¬çãªé¢å¿äºã§ããå¤è¦³ã ãããã®è§£éã¯ãããã¦æå³çã§ããããããã¯ããã¶ã¤ã³è£½åã¯ããã®ä½¿ç¨è ãçè§£ã§ãããã®ã§ããã¹ãã ãã¨ãèªãããã®è§£éã¯ããã«ãã£ããæ¬æ¸ã®è«ç¹ã«è¿ãããããããã®ãã¬ã¼ãºã¯äººå·¥ç©ãã¤ã¾ã人éã®åµä½ãããã®ã§ãããè·å·¥ãå·¥æ¥ãä»ã®ç¤¾ä¼çå¶åº¦ã«ãã触ç¥ã§ãã製åã§ãã人工ç©ã«é¢ãããã®ã§ãããæå³ãä¸ããã¨ãããã¨ãã¾ãã人éã®æ´»åã®çµæã§ãããã人工ç©ã®å¤ããããã§ããã»ã©ã«è§¦ç¥ã§ãããã®ã§ã¯ãªãã人工ç©ã¨æå³ã¯äººéã®æããã¨ããåãé¢ããªããã®ã§ããã¨èªããã¨ã人工ç©ã®ä¸»è¦³çãªè§£éã¨å®¢è¦³çãªæ§è³ªãåºå¥ããæ £ç¿ãããããããã¨ã«ãªãããããã¯ããã¤ãã®å½¢å¼ã«ããã¦ãä¾ãã°ç¥è¦ãããã¨ã¨ç¥è¦ããããã®ã®åºå¥ãç¾è¡ã¨å·¥å¦ã®åºå¥ãªã©ã«ããã¦ãåã³ç¾ããã®ã§ãããæå³ã®åãããªããã®ã«ã¤ãã¦ç§ãã¡ã¯èªããã¨ãã§ããªãã®ã§ããããã客観ï¾ä¸»è¦³ã®åºå¥ãå«ãã¦æå³ã®ãªããã®ãåé¿ãããã¨å°å¿µãã¦ãããã¨ããæ³ï¿½æ¤½é¢ªæ¶¼ç½ä»»è²è¡ä¸èï¿½ç ²è¦è¥ªåå°ä»»â³è¥¦ï¿½ï¿½ï¿½ã¢èªæºå¦ãèæ ®ã«å ¥ããã®ã¯å¤§åãªãã¨ã ãã¨ããã®ã¯è¨èããããã¯ãã®å ´å人工ç©(è¨èãã¾ã人工ç©ã§ããã®ã ã)ããããã¯ãã¾ãã¾ãªä½¿ç¨ããã¾ãã¾ãªç¶æ³ããã¾ãã¾ãªæã¨äººã ã®çæ´»ãç§»ãè¡ãã«é£ãããã®æå³ãå¤ãå¾ãã¨ãããã¨ãèªãããã®ã ããã§ããããã®å¤é·ã®ä¸ã§ãè¨èã¯ãã¾ãã¾ãªãã®ã示ããéæãããæ©æ¢°å·¥å¦ã«ããã¦æ´å²çã«æ¯é¡ãªãå¤é©ãè¦ãç£æ¥é©å½ã®æä»£ã¯ãå¤ãã®äººã«åãå ¥ãããã大éçç£ã¨ãã®è£½åã®å¸å ´ãæ¡å¤§ããå¿ è¦æ§ã®é«ã¾ãã«ããã¶ã¤ã³ãã¨ããè¨èãå½ã¦ã¯ããããã¶ã¤ãã¼ã¯ãå·¥æ¥(ç£æ¥)ããã¶ã¤ãã¼ã¨ãªã£ããæå¤§éã®å¤§éçç£ãå¯è½ãªç©çãªè£½åãå½¢ä½ããã¨ã«è³åãããã¨ã«ãã£ã¦ããã¶ã¤ãã¼(ä¾ãã°å·¥æ¥ãå®¶å ·ãã°ã©ãã£ãã¯ããã¡ãã·ã§ã³ãã¶ã¤ãã¼)ã¯å¤§éçç£ã®å¿ è¦æ§ã«å¾å±ããå·¥æ¥ã®å½±ã®ä¸ã§çããããã«ãªã£ããï½¢ãã¶ã¤ã³ï½£ãæã«ãå¿ç¨ç¾è¡ãã¨ãè¨ããããããã®è¨èã®ç¾ä»£ã«ãããæå³ã«ã¯ããã¾ã ã«ç£æ¥é©å½æä»£ã®åæ®ããããããã§ãã£ã¦ã¯ãªããªããå®éããã¶ã¤ã³ã«ã¤ãã¦ã®ãã®ãããªæ¦å¿µã¯æä»£é¯èª¤çãªãã®ã§ãããã¨ãã¾ãã¾ãæããã«ãªãããã¶ã¤ã³ã¯èªããç¾ä»£ç¤¾ä¼ã®æ§é ã®ï¿½ï¿½ç½é£½é屬é¼å¶å¬å¢æ®ï¿½ä¸ç®¸ãδ鶲è¨ç ²å¼è¦ï¿½è¥¦ï¿½ï¿½ï¿½ã¢ãã®å·¥æ¥çãªèµ·æºãã»ã¨ãã©æã¡åããªãã£ããã¶ã¤ã³ã¯ãå°ãªãã¨ãç¾å¨ãç¾è¡å°é妿 ¡ã大å¦ã§æããããç£æ¥ã§å®è·µããã¦ããç¶æ ã«ããã¦ã¯ããã®å½¢å¼ã®èªå½ãæ¬è³ªçã«ä½¿ãæããã¦ãã¾ã£ãã¨è¨ã£ã¦å·®ãæ¯ããªããã¦ã£ãªã¢ã ã»ã¢ãªã¹ã®ã¢ã¼ãã¢ã³ãã¯ã©ããéåãããããµã¦ã®ãã¦ãã¦ã¹ãã¦ã«ã é 形大å¦*ãã¹ã«ã³ã¸ããã¢ãã¶ã¤ã³ãããã«ã¡ã³ãã£ã¹ãªã©ã®ãä»ä¸ç´ãã¶ã¤ã³ã«å¢ããä¸ããææ³ãç«¶ãåã£ã妿 ¡ã¯ããã®ç¹å¾´ã¨å¢ãã失ããããããæ¶æ» ãã¦ãã¾ã£ããããã¦ãã®æè²ããã°ã©ã ã¯ãããããã®ã»ãã®ä¸é¨ãåãå ¥ãã¦å¦çã«æä¾ãã¦ããã説å¾åã®ãããããã§ã¹ãã¯ä¸ã¤ãåå¨ããªãããã¶ã¤ã³éèªã¯ãæ°ã ãã¯æ¥å¢ãã¦ããããã¤ã¾ããªã鿢åçã®åçç£ã«ãªã£ã¦ãã¾ã£ã¦ããããããã¯è£½åã製ä½ä¼ç¤¾ããããã¯ãã¶ã¤ãã¼ã宣ä¼ãã¦ãããã社ä¼çæç¾©ã¯æããã«ç¸®å°ãã¦ãã¦ãããæ¶è²»è 調æ»ã¯ããã¶ã¤ã³ããã製åã®å¯©å¤ã¨ãªã£ã¦ãæ å ±ã«åºã¥ããæ¶è²»----æ¶è²»ã§ãããã¨ã«å¤ããã¯ãªãã----ã奨å±ãããã¼ã±ãã£ã³ã°ã¯ãã夿®µã®é«ããã©ã³ãã売ãããã«ãã¶ã¤ã³ã¨ããè¨èã使ã£ã¦ããã
ä¸è²«æ§ãããå æ¬çãªè¦è¦ç¾ã«ã¤ãã¦ã®åæã¯å´©ãã¦ãã¾ãããã®å¤±ãããçµ±ä¸ä½ãå復ããæã¿ã¯å ¨ããªããMTVããã³ã¯ãã¤ã³ã¿ã¼ããããããã以åã®è¦è¦çãªæ £ç¿ãç ´å£ããªãã大ãã«æ ãã¦ããããã¶ã¤ã³ã®å°éæ§ã«éã£ã¦ã§ãããä¾ãã°å·¥æ¥ãã¶ã¤ãã¼ã¨ã°ã©ãã£ãã¯ãã¶ã¤ãã¼ã®éã«ãããããªä¼çµ±çãªåºå¥ã¯ãããããå»ãã¦ãã¾ã£ã¦ããããã¶ã¤ãã¼ãèªåã®æè¡ã ã¨æã£ã¦ããããã¤ãã®ãã®ã¯ãä¾ãã°ããã¹ã¯ãããåºç(DTP)ãªã©ã®ããã«ç§å¦æè¡ã«ææ¡ããããã¶ã¤ã³æè½ã¨åãªãæè¡çãªãã©ã·ã¼ã¨ã®å¢çãç·å¼ããç´ããããã¨ã«ãªã£ããç¥è¦å¿çå¦ãã¨ã«ã´ããã¯ã¹ãåºç¤å·¥å¦ãªã©ã®ããã¶ã¤ãã¼ãèªåã®ä»äºãåçåããé ¼ãã¨ãªãç§å¦åéã¯ãã¾ãã¾ããã®éçãç¾ããèªèè«çãªçãã«ããã¦ä¸éæãªãã®ã«ãªã£ã¦ãã¾ã£ããéå»ã«ããã¦ãã¶ã¤ã³è£½åãæ£å½åããæ©è½ãå¯©ç¾æ§ãå¸å ´ãèå¯ãããã¨ã¯ä»ã®ãä¾ãã°ã¨ã³ãã¸ã¼çãªè³æºå©ç¨ã®å¯è½æ§æç¶æ§ãæåçãªã¢ã¤ãã³ãã£ãã£ã¼ãªã©ã®ããã社ä¼çãæ¿æ²»çãæåçé¢å¿ã«ç½®ãæãããããããã®é°ã«é ãã¦ãã¾ã£ãã
æ°ããç§å¦æè¡ãç´æããããã«è¦ããæ©ä¼ãæãåã£ã¦å°é ãã人工ç¥è½ãã³ãã¥ãã±ã¼ã·ã§ã³å¦ãªã©ã®æ°ããå¦è¡åéãå ãã¦ç¨®ã ã®è¤åçå°éé åãèªç¥å·¥å¦ããã¶ã¤ã³çµå¶å¦ãã¾ãã³ã³ãã¥ã¼ã¿ã¤ã³ã¿ãã§ã¼ã¹ãã¶ã¤ã³ã®ãããªå°éæè¡ãåæ§ã ãããããã¯ãã¤ã¦ãã¶ã¤ãã¼ãå¿ è¦ã¨ãã¦ããé åã«è¸ã¿è¾¼ã¿ã¤ã¤ããããã®æ å ±è±å¯ã§ãç´ æ©ãå¤åãããããã¦ã¾ãã¾ãå人主義çãªæåã«ããã¦ã¯ãç¾ä»£ã®ãã¶ã¤ã³ãã£ã¹ã³ã¼ã¹ã¯ãã¯ã説å¾åãæããªãããããã¦ãå·¥æ¥ãã¶ã¤ã³ã¯ä¸ã¤ã®æ±ºå®çãªè»¢æç¹ã«ç«ãããã¦ãããã¨ãåããã
ããããªããããã¶ã¤ã³ã®ã¢ã¤ãã³ãã£ãã£ã¼ã®å±æ©ã¯ããã¹ãã¢ãã³ã®ä¸ç¢ºå®æ§ããç¾å¨ãèå»¶ãã¦ããã¨æ¹è©å®¶ãã¡ãè¨ãæåçãªã«ãªã¹(ããã¦åè¿°ã®ããã«ãã®å°è±¡ã¯å®éã¬ããå¾ãªãã)ãªã©ã«ããã®ã§ã¯ãªããééã£ãå ´æã§ãã¤ã¾ããã¯ã徿¥ã®æ¦å¿µã«å½ã¦ã¯ã¾ããªã触ç¥ã§ãã人工ç©ã®è¡¨é¢ä¸ã§ãå®å®ãæ±ãããã¨ããªããåªåããã¦ãããã¨ã«ããã大éçç£ãã³ãã¥ãã±ã¼ã·ã§ã³ã®ãã¹ã¡ãã£ã¢ã®ä¸ã«çµã¿è¾¼ã¾ããå ¨ä¸ççå¸å ´ã«ååã¨ãµã¼ãã¹ãæä¾ããã¨ããç£æ¥ã®å¤¢ãå¶ããã»ã¨ãã©å°ççè¦æ¨¡ã§ãããéæããã䏿¹ã§ã製åã¯éç©è³ªçã§ãæ å ±çã娯楽çãªãã®ã«ãªã£ã¦ãããããããããèµ·ããã¤ã¤ãããããç°é層ã«ããæã社ä¼ã®å½¢æ ããã¤ã³ã¿ã¼ãããã®ãããªæ å ±ãããã¯ã¼ã¯ã¯ãæ°ããããæ¹ã§æè¡ã¨å人çã«é¢ãããã¨ã奨å±ããç¾å®ã®ä»£æ¿æ¦å¿µãå¯è½ã«ãã夿§ãªæ £è¡ãçã¿åºãããåçç£ããããã¦ãä¼çµ±çãªç¤¾ä¼é層ããã¹ã¡ãã£ã¢ã®ä¸æ¹éè¡çãªã³ãã¥ãã±ã¼ã·ã§ã³ãæ ¹æ¬çã«æµ¸é£ãã¤ã¤ããã
ããã¯ãæ å ±ç¤¾ä¼ã¨ãããã®ããç¾å®ã«ãã©ããªãã®ã§ããã----ããã«ã¤ãã¦ã¯å¤ãã®æªæ¥å¦è ã確信ã¨ç±æããã£ã¦èªããã®ã ã----ãç¥ã£ã¦ããã¨ãããã¨ã§ã¯ãªããæ¬¡ã®ããã«çµè«ã¥ãããã®ã§ãã----ã¤ã¾ããæ¥æ¿ã«è¡°éããå·¥æ¥æä»£ã®åºæºã§å¸å ´åãã«è£½åãå¿ããé ãåºããã¨ã«ãã£ã¦ãæè¡çå¤åã®æ½®æµã«ãªããã¹ããªãæ¼ããã¨ã«ãã£ã¦ããããã¯ç¾ãã¤ã¤ãããã£ã¹ã³ã¼ã¹ãç¿å¾ããæªæ¥çãªç¥èã®æµè¡ã¢ãã«ã®ããã«æ¯ãèã人ã ã®å¾ã追ãããããã¨ã«ãã£ã¦ããã¶ã¤ãã¼ã¯ç¾ä»£ç¤¾ä¼ã«ããã¦ãã®è·ã¨ãã¦ã®è åã失ã£ã¦ãã¾ã£ãã®ã ã
æ¬æ¸ã¯ããã¶ã¤ã³ããã¯ããã®è¸ã¿ãªããããéãæ©ã¿ç¶ãããã¨ãã§ããªããã¨ãèªãã¦ããããã¶ã¤ã³ã¯ãå·¥æ¥è¨åã®ä¸ã§çç£ãããæ©æ¢°çãªè£½åã®å¤è¦ãå½¢ä½ããã¨ããã®ã¢ãåãæ¿ãã¦ãç©è³ªçãªãã®ã§ãã社ä¼çãªãã®ã§ãããã¦ã¼ã¶ã¼ã«ã¨ã£ã¦ä½ããã®æå³ãæã¤å¯è½æ§ã®ãã人工ç©ããã大ããªã³ãã¥ããã£ã¼ãæ¯æ´ããåä¾ã®ãªãæ¹åã«è¨é²çãªã¹ãã¼ãã§èªããåæ§ç¯ããéç¨ã«ãã社ä¼ãæ¯ãã人工ç©ãæ¦å¿µåããå¿ è¦ãããã人éã§ããã¨ã¯ä½ãªã®ãã¨ããèããç¾ãã¤ã¤ãããç¾ä»£ã®æ°ä¸»ä¸»ç¾©çãªçæ´»å¿å(å°ãªãã¨ã西欧ã«ããã¦ã¯ããã ã)ããã®ä¸ã¤ã ãããã®ãããªèãã«ããã¦è«¸ã ã®æè¡ãå½¹å²ãæããã¦ãããããã«ãå·¥æ¥æä»£ã«ãããããã¯ããã«æç¾©æ·±ãè²¢ç®ããããã¶ã¤ãã¼ã®åºæã®å ´ããããæå³ãåããããã«äººå·¥ç©ããã¶ã¤ã³ãããã¨ãç©ã¨ãã¦ã®æå³ã¨ç¤¾ä¼çæç¾©ãæã¤ããã«ãã¶ã¤ã³ãããã¨ã¯ãå®éãç±æ¥ã§ããã©ãã³èªãdesignãã®å¤±ãããæå³ã«ç«ã¡æ»ãã®ã ãããã¶ã¤ã³ã®å®è·µã«éæ¿ãªã·ãããå¿ è¦ã¨ãããããã¯ãæå³ã®èå¯ã¸ã®è»¢åãã¤ã¾ããæå³è«ç転å(ã»ãã³ãã£ãã¯ã¿ã¼ã³)ãã§ãããããã¯ç¢ºå®ã«ãã¶ã¤ã³ã��å°è�修æâ²æ«å¥½å¡ï¿½ä¼ä¿®äº®åé¢ªç ²ï¿½ãå³ æå»æ¤é屬é¼é»é°ºçâ襦���ã¢ãã®ç®çãæã£ã¦ã第1ç« ã§ã¯ããã¶ã¤ã³ãç´é¢ãã¦ããç¾å®ã®å¤åã®ããã¤ãã®å´é¢ããã¾ã製åæå³è«ããå§ãã¦èå¯ããã製åæå³è«ã¯ããã¾ãã¯ããã«æ ¹æ¬çã§ããæå³è«ç転åã®ä¸ã¤ã®æ§ç¸ã«éããªãã¨çè§£ããããã第2ç« ã§ã¯ã人工ç©ãæå³ãããã®ã«ã¤ãã¦ã®åã¤ã®éãªãåãçè«ãçã¿åºãã人éä¸å¿ã®ãã¶ã¤ã³ã®éµã«ãªãæ¦å¿µã®ããã¤ããè¨è¿°ããã
第3ç« ã¯ä½¿ç¨ã«ããã人工ç©ã®æå³ã«ã¤ãã¦ã®çè«ã«é¢ããã第4ç« ã¯è¨èªã«ããã人工ç©ã®æå³ã第5ç« ã¯ã人工ç©ã®çã«ãããæå³ã第6ç« ã¯äººå·¥ç©ã®ã¨ã³ãã¸ã¼ã«ãããæå³----端çã«è¨ãã°ã人工ç©ãæè¡ã®ãããã¯ã¼ã¯ã«ãããæå³----ã«ãããããé¢ãã£ã¦ããã第7ç« ã¯ããããã®æå³ã¸ã®ã¢ããã¼ãã«ãã£ã¦ããã¶ã¤ã³ã®ããã®ç§å¦ãæå±ããããç¹ã«æå³ãæç¥ãããã¶ã¤ã³æ¹æ³ã«ç¦ç¹ãå½ã¦ãã第8ç« ã§ã¯ãæå³è«ç転åãããã¶ã¤ã³ã«é¢ããä»ã®å¦åã¨ã©ãç°ãªãã®ããæããã«ããã第9ç« ã§ã¯çµããã¨ãã¦ã1968å¹´ã«ãã¾ãã«æ©ãéæ ¡ãããã¦ã«ã é 形大å¦ã®ç¥ç風åã«ãã®æå³è«ç転åãã©ã®ããã«ãã¾ãã©ã®ç¨åº¦æ ¹ããã¦ããã®ããæ¦è¦³ããã
登録情報
- 出版社 : エスアイビーアクセス (2009/4/1)
- 発売日 : 2009/4/1
- 単行本 : 394ページ
- ISBN-10 : 4434130331
- ISBN-13 : 978-4434130335
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 358,713位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 19,271位アート・建築・デザイン (本)
- カスタマーレビュー:
こちらもおすすめ
カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
本書は「人は、物の物理的な質ではなく、人に対するその物の意味に基づいて、理解や行動をする」(p.52)という公理に基づいて、デザインに「意味の考察への転回」(意味論的転回)をもたらすために書かれている。クリッペンドルフは工業社会の普遍主義的で機能主義的なデザイン観とデザイナー像を批判し、ポスト工業社会の新たなデザイン観とデザイナー像を提示する。
クリッペンドルフはデザインの意味論的転回によってデザインのディスコースを再活性化しようとする。ディスコースとは「組織化された話し方、書き方、しかるべき行動の仕方」(p.12)のことであり、いわば「デザインという専門領域」を指している。クリッペンドルフは工業社会からポスト工業社会への転換期における「デザインのアイデンティティーの危機」(p.xvii)を指摘しており、それは他の職種(例えばエンジニア)の領域拡大や、コンピューターの発達(例えばデスクトップ出版)によってもたらされるが、
“もし専門的なデザイナーたちが、自分自身をリ・デザインし、自己概念を変え、他の人が行けない場へ進んで行くという自分たち独自の能力を積極的に応用するならば、こういうことになる必要はない。専門家として自分自身をリ・デザインするための能力が、ポスト工業時代の人間中心デザイナーと過去の時代のデザイナーを区別する。” (P.82)
としている。つまり、単に人工物を形作る能力ではなく、その人工物によってステークホルダーが望む未来を実現する能力を持つ者、そして自分自身をリ・デザインする能力を持つ者、それが新たな時代のデザイナー像であるとしている。
“本書は、デザインがもはやその踏みならされた道を歩み続けることができないことを認めている。デザインは、工業設備のもとで生産される機械的な製品の外見を形作ることからギアを切り替えて、物質的なものであれ社会的なものであれ、ユーザーにとって何らかの意味を持つ可能性のある人工物、より大きなコミュニティーを支援し、前例のない方向に記録的なスピードで自らを再構築する過程にある社会を支える人工物を概念化する必要がある。” (p.xvii)
現代においてデザインという仕事が何をなすべきなのか、明確な回答が与えられている。デザインに携わる人々にとって必読の書と言えるだろう。
そもそも近代デザインの祖バウハウスの提唱した「形態は機能に従う。(form follows function. )」という考え方は、19世紀末の提唱ですから今から一世紀以上昔の思想です。当時は様式美に囚われたモノ造りからの脱却という時代なのでアールデコに対するアンチテーゼとしての意味合いが強かったと思います。私は21世紀になった今でも機能主義的発想でデザインは行えるのだろうか?と常々疑問に思っていました。例えば車の機能はなんだろう?「人や物資を輸送する道具」か?いやそうではない。ある人にとって恋人とのデートに必要な二人っきりのプライベートスペースであったり、またある人にとっては洗車するという水鉄砲同様なレクリエーションツールであったり、スーパーカーを保有する人にとっては眺めて鑑賞するアイテムであったりと現代社会においてその人工物の持つ機能は十人十色となっている。工業化社会を脱し情報化社会となった現在その人にとってその人工物は何を意味するのか?という捕らえ方のほうがモノの本質を説明しやすい。
「形態はそれを使用する人が与える意味に従う」これはアップル社のMacintoshシリーズをデザインしてきたジョナサン・アイブズの言葉です。現代社会においてはこちらのほうがしっくりくる。記号論の一分野である意味論においては人が中心でありユーザーが何を求めているのか?によって機能は変化する。私はデザインとはモノに意味を持たせる行為であり新しい価値観を創造する事であると思っていたので、この本によってその考えは確信に変わり今まで抱えていたモヤモヤを払拭する事ができました。
さらに著者は今後のデザイナーが備えていなければならない資質について警告しています。曰く「他人の意見を聞くことなしに自分で行う孤高の才能あるデザイナーは急速に過去の人となりつつある。」
デザインディスコースが拡大する今日、デザイナーは元よりデザイナー以外のモノ造りにかかわる方、また複雑化したステークホルダーに対する企業経営のあり方について考えておられる方にも是非お勧めしたい一冊です。
現時点ではこのメニューの読み込みに問題があります。