「悲しんではいけない」
「弱みを見せてはいけない」
そう教わって育ってきた。
実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。
そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。
一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。
そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田國男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。
その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田國男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。
悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。
そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。
そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。
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