人間のあり様は、曼荼羅で描かれた全空間をを埋めるようなものだ、という認識を詳細に論述する。ヨーロッパはもとより、インド・中国・エジプト・アラビアの文献の中に、曼荼羅が繰り返し現れてくることを論証していく、その知的営為に圧倒される。
曼荼羅の認識とは、たとえば、砂漠の茫漠とした様子を見ると、人はそこに悪魔の存在をイメージするというような事柄である。
錬金術という過程が、全人格的な(精神と物質が一体となった)営為だと認識されていた時代に、曼荼羅に見られる総合的な科学観が支配していた。近代自然科学が進んでくるとともに、記述できることが科学だという認識に変化して、たとえば、物理学は測定器具のようなものになってしまった。光を記述さる際には、波動説が適合する場合と、粒子説が適合する場合がある。整合的な記述が可能であるならばどちらも真であるという訳である。
それ自体は、認識の姿勢ということで問題はないが、たとえば、原発の安全性を論じる場合には、そのような測定器具によっては、人間のトータルな生命や社会を論じることはできないのに、日本では科学者や技術者が政府の審議会で原発再稼働の可否を論じている。ドイツの倫理委員会のような哲学や社会学の専門家が、社会的選択の判断を託された意味を理解しなければならない。
そのような考察ん基礎的文献として、大変説得力があった。
心理学と錬金術 (1) (日本語) 単行本 – 1976/4/1
-
本の長さ324ページ
-
言語日本語
-
出版社人文書院
-
発売日1976/4/1
-
ISBN-104409330071
-
ISBN-13978-4409330074
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- ユング心理学入門単行本
- 無意識の構造 (中公新書)単行本
- ユング心理学入門: 〈心理療法〉コレクション I (岩波現代文庫)文庫
- 自我と無意識 (レグルス文庫)C.G. ユング文庫
- 赤の書 テキスト版C・G・ユング単行本
- 図解 錬金術 (F‐Files No.004)単行本
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- 心理学と錬金術 II 新装版C.G. ユング単行本
- 自我と無意識の関係 新装版C.G. ユング単行本
- 黄金の華の秘密 新装版Carl Gustav Jung単行本
- 無意識の心理 新装版: 人生の午後三時C.G. ユング単行本
- 赤の書 テキスト版C・G・ユング単行本
- 生命の木―ゴールデン・ドーンの伝統の中のカバラジョン・マイケル・グリア単行本
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
登録情報
- 出版社 : 人文書院 (1976/4/1)
- 発売日 : 1976/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 324ページ
- ISBN-10 : 4409330071
- ISBN-13 : 978-4409330074
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 252,381位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 1,844位臨床心理学・精神分析
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.7
星5つ中の4.7
6 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
殿堂入りベスト500レビュアー
十代の頃、自分の心の問題と向き合いながら進めたユング心理学関連本の読書。
『ユングの生涯』(レグルス文庫)、『ユング心理学入門(河合隼雄)』から始まって、
みすず書房の名著『自伝』上下巻、カール・ケレニーとの共著『神話学入門』、『人間心理と宗教』、
『現代人のたましい』、『トリックスター』、河合隼雄氏の諸著作などを経て、この大著に至った。
読み終えて、ひとつの満足感と解決への端緒をつかんだ思いがした。
2冊に分かれ、この「1」には、
「第1部:錬金術に見られる宗教心理学的問題」、
「第2部:個体化過程の夢象徴」が収められている。
内容は、タイトルから予想される以上に、深く人文的であり、文化的、心理学的、臨床的。
ユングは錬金術を、西洋中世の眉唾的えせ科学ではなく、「変容の秘儀」としてとらえている。
中心的な事柄は「変化と定着」。それはそのまま人間心理に通底する。
本の冒頭部分で、ユングは次のように述べる。
「ある種の患者にいたっては、改宗によっても、神経症症状の明白な消滅によってさえも
分析が終わったという感じがしない。まさにこの”神経症の苦痛症状が消え去っても終わらない事例”の中に、
単なる医療の域をはるかに超えた、医学的知識で解明することのできない問題が顕在化している(P16)」
ユングが精神科医としての活動をする中で、単なる医学や、学問や知識を超えて存在する「問題」があった。
それは人間性の根源を提示する事柄で、それに向かい合うことが「錬金術」につながった。
ユングは言う。「患者と医者が、心の深いところで感じている”問題の解決で終わらない未消化感”、
つまり”執着”は、極めて扱いにくいものなのだが、その困難さゆえに、
全神経を集中して、一個の人間全体をもって応じよと要求してくる。
患者は無意識のうちに一貫して、解決不可能な大問題を追求しており、
医者は技術のありったけを駆使して、患者の追求を助けようとする。
これが”執着”の示している状況の真の姿なのだ」
「『わが術の欲めんと欲するは全き人間なり』と、ある錬金術師は言い放っている。
追求されているのは、他ならぬこの『全き人間性 homo totus』なのである(P16)」
「全体性への正道は、残念なことに、避けることのできない迂路や迷路からなっている。
それは、最長の道であり、ヘルメスのヘビの杖さながら曲がりくねっている。
この道の途上で、めったに出会うことのできない様々な経験が生まれる。
めったに出会えないのは、それが非常な努力を要するからで、
これらの経験が要求しているのは、世間の人々が最も恐れているもの、すなわち『全体性』である」
このすぐ後に、全体性の問題を受けて、キリスト教が語られる。
「ヨーロッパにおいて、心の教育を引き受けているのは、カトリシズムと
プロテスタンティスムの別を問わず、キリスト教である。それは宗教だけが、
いかなる合理的組織よりも、人間の外的側面と内的側面とに同程度関わりを持つからである」
ここからユングは、「真に内面的に理解されたキリスト教」と「表面的理解や恒常的な教義上の誤解」について語る。
わずか8行ほどの文章だが、これだけでも本書を読む意義があるというような記述。
欧米社会において、人の全体性を担ってきたのはキリスト教だったが、
それは表舞台の役割で、そのキリスト教すら担えなかったものがあった。
それらは表面の裏側に息づくことになり、その象徴であり代表が、「錬金術」だということになる。
彼は言う。「錬金術は、地表を支配しているキリスト教に対して、地下水をなしている。
錬金術のキリスト教に対する関係は、夢と意識の関係に相当する。
夢が意識の葛藤を補償し、融和的作用を及ぼすのと同じように、
錬金術は、キリスト教の緊張した対立が露呈する裂け目を埋めようとする」
キリスト教と錬金術は、「表と裏」「光と影」「病と治癒」といった
動的な対立概念がヨーロッパ文化で顕在化したものであり、それを受けてユングは書く。
「人格の暗黒の半身である影。それとの対決は、治療がある程度徹底したものであれば、必ず自然に生じてくる。
影とのあからさまな葛藤は、不可避であると同時に、実にやっかいな代物だ。
”そんなことをしていったいどうするつもりですか”と、私はいつも何度も尋ねられた。
私は何もしない。私にできることは、いわば神を信頼してひたすら待つことだけだ。
そうすれば、いつかは、根気と勇気を持って耐え抜かれた葛藤の中から
私の予想もしなかったような解決、当の患者の中に可能性とした与えられていた解決が現れてくる」
タイトルにすでに「錬金術」とうたっているので、ユングは微妙な問題についても、曖昧さを残さない、
率直な言い方で自説を述べていく。それが本書の大きな特徴と魅力であり、
この本はそうした「人心と社会文化の深みに降りきった知見」に満ちている。
こういった記述は、冒頭の50ページほどの導入部にすぎない。
全体の3/4は、第二部「個性化過程の夢象徴」に割かれている。
知的なカトリック教徒の男性の一連の夢を、ユングが分析していく。
読んでいくと、ユング自身の夢分析を身近に聴いているようで、読書ではあるが
ユングと共に、人の心の深みに入り込んでいくような体験を持つ。
訳文は明解で読みやすく、内容がすっと頭に入ってくる。
『ユングの生涯』(レグルス文庫)、『ユング心理学入門(河合隼雄)』から始まって、
みすず書房の名著『自伝』上下巻、カール・ケレニーとの共著『神話学入門』、『人間心理と宗教』、
『現代人のたましい』、『トリックスター』、河合隼雄氏の諸著作などを経て、この大著に至った。
読み終えて、ひとつの満足感と解決への端緒をつかんだ思いがした。
2冊に分かれ、この「1」には、
「第1部:錬金術に見られる宗教心理学的問題」、
「第2部:個体化過程の夢象徴」が収められている。
内容は、タイトルから予想される以上に、深く人文的であり、文化的、心理学的、臨床的。
ユングは錬金術を、西洋中世の眉唾的えせ科学ではなく、「変容の秘儀」としてとらえている。
中心的な事柄は「変化と定着」。それはそのまま人間心理に通底する。
本の冒頭部分で、ユングは次のように述べる。
「ある種の患者にいたっては、改宗によっても、神経症症状の明白な消滅によってさえも
分析が終わったという感じがしない。まさにこの”神経症の苦痛症状が消え去っても終わらない事例”の中に、
単なる医療の域をはるかに超えた、医学的知識で解明することのできない問題が顕在化している(P16)」
ユングが精神科医としての活動をする中で、単なる医学や、学問や知識を超えて存在する「問題」があった。
それは人間性の根源を提示する事柄で、それに向かい合うことが「錬金術」につながった。
ユングは言う。「患者と医者が、心の深いところで感じている”問題の解決で終わらない未消化感”、
つまり”執着”は、極めて扱いにくいものなのだが、その困難さゆえに、
全神経を集中して、一個の人間全体をもって応じよと要求してくる。
患者は無意識のうちに一貫して、解決不可能な大問題を追求しており、
医者は技術のありったけを駆使して、患者の追求を助けようとする。
これが”執着”の示している状況の真の姿なのだ」
「『わが術の欲めんと欲するは全き人間なり』と、ある錬金術師は言い放っている。
追求されているのは、他ならぬこの『全き人間性 homo totus』なのである(P16)」
「全体性への正道は、残念なことに、避けることのできない迂路や迷路からなっている。
それは、最長の道であり、ヘルメスのヘビの杖さながら曲がりくねっている。
この道の途上で、めったに出会うことのできない様々な経験が生まれる。
めったに出会えないのは、それが非常な努力を要するからで、
これらの経験が要求しているのは、世間の人々が最も恐れているもの、すなわち『全体性』である」
このすぐ後に、全体性の問題を受けて、キリスト教が語られる。
「ヨーロッパにおいて、心の教育を引き受けているのは、カトリシズムと
プロテスタンティスムの別を問わず、キリスト教である。それは宗教だけが、
いかなる合理的組織よりも、人間の外的側面と内的側面とに同程度関わりを持つからである」
ここからユングは、「真に内面的に理解されたキリスト教」と「表面的理解や恒常的な教義上の誤解」について語る。
わずか8行ほどの文章だが、これだけでも本書を読む意義があるというような記述。
欧米社会において、人の全体性を担ってきたのはキリスト教だったが、
それは表舞台の役割で、そのキリスト教すら担えなかったものがあった。
それらは表面の裏側に息づくことになり、その象徴であり代表が、「錬金術」だということになる。
彼は言う。「錬金術は、地表を支配しているキリスト教に対して、地下水をなしている。
錬金術のキリスト教に対する関係は、夢と意識の関係に相当する。
夢が意識の葛藤を補償し、融和的作用を及ぼすのと同じように、
錬金術は、キリスト教の緊張した対立が露呈する裂け目を埋めようとする」
キリスト教と錬金術は、「表と裏」「光と影」「病と治癒」といった
動的な対立概念がヨーロッパ文化で顕在化したものであり、それを受けてユングは書く。
「人格の暗黒の半身である影。それとの対決は、治療がある程度徹底したものであれば、必ず自然に生じてくる。
影とのあからさまな葛藤は、不可避であると同時に、実にやっかいな代物だ。
”そんなことをしていったいどうするつもりですか”と、私はいつも何度も尋ねられた。
私は何もしない。私にできることは、いわば神を信頼してひたすら待つことだけだ。
そうすれば、いつかは、根気と勇気を持って耐え抜かれた葛藤の中から
私の予想もしなかったような解決、当の患者の中に可能性とした与えられていた解決が現れてくる」
タイトルにすでに「錬金術」とうたっているので、ユングは微妙な問題についても、曖昧さを残さない、
率直な言い方で自説を述べていく。それが本書の大きな特徴と魅力であり、
この本はそうした「人心と社会文化の深みに降りきった知見」に満ちている。
こういった記述は、冒頭の50ページほどの導入部にすぎない。
全体の3/4は、第二部「個性化過程の夢象徴」に割かれている。
知的なカトリック教徒の男性の一連の夢を、ユングが分析していく。
読んでいくと、ユング自身の夢分析を身近に聴いているようで、読書ではあるが
ユングと共に、人の心の深みに入り込んでいくような体験を持つ。
訳文は明解で読みやすく、内容がすっと頭に入ってくる。