室町時代徳政令を中心にして、その終わりまでを論じた新書書き下ろしである。
鎌倉時代徳政令が、幕府による御家人救済法令で、室町時代徳政令は、馬借、農民の一揆により勝ち取られたものというのは教科書的知識だが、本書は、次の点につき、比較的詳しく論じている。
一、一揆発生の経済史的背景。
自然災害と重い税負担➡地域の金融が崩壊し、都の土倉から借金する必要性が増大。➡金融業の繁栄➡幕府の税財源ともなる。➡農民、馬借の借金苦、徳政要求の実力行使
二、室町時代徳政令の変遷。
正長一揆は幕府は鎮圧、興福寺が徳政令。➡嘉吉一揆は幕府が徳政令。➡応永32年幕府が、民事訴訟を推奨し、幕府による裁判興行の拡大。➡享徳一揆で、分一徳政令。幕府が1割の手数料徴収。➡徳政令を逃れるためのあの手この手の流行➡訴訟費用も増大し、徳政令のメリット低下。
三、徳政令の終わり。
一揆の担い手が、農民・馬借から、都市の牢人へ、牢人から兵士(武士)に変化。➡内乱への武士の軍事動員の対価として、徳政令がでる。➡経済システムを不安定化➡忌み嫌われる制度となる。➡織田信長等が軍事体制を整備し、軍事動員のための徳政令が不要な状況となる。
私的結論
室町時代の金融制度の変遷の解説が、事例も分かりやすく、面白かった。
徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2018/8/22
早島 大祐
(著)
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本の長さ320ページ
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言語日本語
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出版社講談社
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発売日2018/8/22
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寸法10.6 x 1.4 x 17.4 cm
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ISBN-104065129028
-
ISBN-13978-4065129029
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商品の説明
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
早島/大祐
1971年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。京都大学博士(文学)。現在、京都女子大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1971年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。京都大学博士(文学)。現在、京都女子大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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ベスト50レビュアー
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NHKの歴史秘話によれば、徳政令も日本中世の三大事件の一つに数えている…ま、それはそれとしてだな・・・
現代の状況とも合わせ合わせのムードで書き進めているので、読みやすい!わかりやすい!といえば、確かにその通りだけど、少々どころか、相当まだるっこしい部分が多々ある。
何度も同じことの繰り返しで、前に戻ったり、いきなり違ったムードになったりと、なかなかその書きぶりには、うんざりしたり・・・
だからといって、著者の言いたいことが読者に伝わってこないのではない、ただもっと、すっきりとまとめられるはず。300ページを超える新書だけど、要約すれば、A4一枚にまとまってしまう内容。
承久の乱、観応の擾乱、応仁の乱といった日本中世三大事件の新書を出した中公新書のように、年表をつけることもなく、かといって、どうでもいい図表を2枚入れることもなかったはず。
最後に「塵塚物語」を書いた著者の大いなる誤解!という段になると、読んでるこちとらとしては、???!!!と思ってしまうのだな・・・、これが。
歴史ファンにとっては、こういう時代もあったのだ!と、これまた大いなる興味を引く部分があったって思えば、なかなかに面白い”本”ではあります・・・
京都に消費者金融の本社が多いっていうことも、この本を読めば、鎌倉ー室町時代の高利貸し業者、土倉の伝統なのかな?っていうこともうかがえる…
現代の状況とも合わせ合わせのムードで書き進めているので、読みやすい!わかりやすい!といえば、確かにその通りだけど、少々どころか、相当まだるっこしい部分が多々ある。
何度も同じことの繰り返しで、前に戻ったり、いきなり違ったムードになったりと、なかなかその書きぶりには、うんざりしたり・・・
だからといって、著者の言いたいことが読者に伝わってこないのではない、ただもっと、すっきりとまとめられるはず。300ページを超える新書だけど、要約すれば、A4一枚にまとまってしまう内容。
承久の乱、観応の擾乱、応仁の乱といった日本中世三大事件の新書を出した中公新書のように、年表をつけることもなく、かといって、どうでもいい図表を2枚入れることもなかったはず。
最後に「塵塚物語」を書いた著者の大いなる誤解!という段になると、読んでるこちとらとしては、???!!!と思ってしまうのだな・・・、これが。
歴史ファンにとっては、こういう時代もあったのだ!と、これまた大いなる興味を引く部分があったって思えば、なかなかに面白い”本”ではあります・・・
京都に消費者金融の本社が多いっていうことも、この本を読めば、鎌倉ー室町時代の高利貸し業者、土倉の伝統なのかな?っていうこともうかがえる…
2018年9月2日に日本でレビュー済み
「室町幕府論」の著者ということで、大変期待して読ませていただきました。
第二章の書き出し、「正長元年の九月、赤松家四代目当主の満祐は大いに困惑していた。」
から始まるスリリングな展開で、室町時代ファンの私の心はすっかり鷲掴みにされるのですが、
著者の、多角的かつ論理的に「徳政」の深層に迫っていく構成・展開は素晴らしいの一言です。
子供の頃からこの異様な法「徳政令」には違和感を感じ続けていたので、鎌倉末期から室町時代
、戦国時代にかけて、どんな理由、時代背景から、人々がこの法を望んだのか、それがなぜ
望まれなくなっていくのかが知りたかったのですが、本書はこれに満足のいく回答を与えてくれます。
著者は、この法が忌避される時代「近世」になり、中世とは異なった意識を持つ「新しい人」が
生まれてきたと最終章で述べていますが、その理由についてのもっと納得のいく解説があるとなお
良かったと思います。特に、人の自然との関係が変わってきたとの指摘は、示唆に富んでいる分、
もっと深い考察が欲しかったです。安土城、大阪城など巨大プロジェクトを可能にする社会は、
確かに人が自然を以前より制御しようとしていた証拠だと感じます。
(それは徳政令とは別の大きなテーマですから、本書では書き切れないことは理解しつつも・・)
私の中では、同じ講談社新書の「神風と悪党の世紀」(海津一朗)と並ぶ名著になりました。
著者の今後の著作に期待しています。
第二章の書き出し、「正長元年の九月、赤松家四代目当主の満祐は大いに困惑していた。」
から始まるスリリングな展開で、室町時代ファンの私の心はすっかり鷲掴みにされるのですが、
著者の、多角的かつ論理的に「徳政」の深層に迫っていく構成・展開は素晴らしいの一言です。
子供の頃からこの異様な法「徳政令」には違和感を感じ続けていたので、鎌倉末期から室町時代
、戦国時代にかけて、どんな理由、時代背景から、人々がこの法を望んだのか、それがなぜ
望まれなくなっていくのかが知りたかったのですが、本書はこれに満足のいく回答を与えてくれます。
著者は、この法が忌避される時代「近世」になり、中世とは異なった意識を持つ「新しい人」が
生まれてきたと最終章で述べていますが、その理由についてのもっと納得のいく解説があるとなお
良かったと思います。特に、人の自然との関係が変わってきたとの指摘は、示唆に富んでいる分、
もっと深い考察が欲しかったです。安土城、大阪城など巨大プロジェクトを可能にする社会は、
確かに人が自然を以前より制御しようとしていた証拠だと感じます。
(それは徳政令とは別の大きなテーマですから、本書では書き切れないことは理解しつつも・・)
私の中では、同じ講談社新書の「神風と悪党の世紀」(海津一朗)と並ぶ名著になりました。
著者の今後の著作に期待しています。
ベスト1000レビュアー
笠松宏至は同名の岩波新書「徳政令」で、鎌倉時代の徳政令が受け入れられた根底に、中世人にとって「ものがあるべき場所にもどる」ことを正当と考える思想があったことを明らかにして、経済秩序を乱す悪法との切って捨てる見方をがらりと変えた。
本書は、時代的にはその後、室町・戦国時代の徳政令について、内容の変化や、徳政令を求めた徳政一揆の構成の移り変わりを論じ、背景にある政治・経済・社会状況について掘り下げている。中世に特有の「徳政令」はなぜ消えていったのか。また、「借金は(場合によって)返さなくてもいい」という考え方が否定され、どのようにして現代的な「借金は返さなくてはいけない」という考え方が定着したのか。本書は、笠松版「徳政令」では触れられなかった徳政令のその後と終わりを描くものであり、「はじめに」を読んで、大きな期待を持って読み始めた。
だが、期待値が高すぎたのか、物足りなかった。
結局のところ、徳政令が消えた理由は、乱発されるようになり、地域社会にまでモラルハザードが蔓延、親しい間柄でも疑心暗鬼に陥ったり、貸借を維持するためのコストが増えたために、徳政令が忌避されるようになったというもの。意外性はない。
また、徳政令が忌避されるようになったことと、「借金は(場合によって)返さなくてもいい」という考え方が否定されたことを、特に言及なくイコールとして論じているのは、いささか強引に思えた。徳政忌避の前提に、軍勢による略奪を正当化するなど、変質した徳政令が乱発されるようになっていた事例などが挙げられているが、それなら、乱脈でない「あるべき徳政令」が求められる可能性はなかったのか。著者が挙げている戦国時代の井伊直虎の例では、直虎が躊躇する一方、農民たちは依然、借金の棒引きを求めている。なぜ「借金は返さなくてはいけない」という意識が支配的になっていくのか。もう一ステップの説明がほしかった。
著者は終章で、ニュートンのリンゴの木の逸話を基に、「時間軸も長く設定したほうが、物事はより深く見える」と述べているが、笠松の論じた鎌倉時代や、後の江戸時代との比較にほとんど踏み込んでいないのも、残念だった。
以上はないものねだりかもしれないし、私の読解力の不足ゆえかもしれない。低評価の理由は、別にある。細かいことに引っ掛かり、読んでいてストレスが絶えなかったためだ。
例えば、本書は小さな課題を問いかけ、それへの答えを重ねていく記述が多いのだが、その答えがはっきりしないことがままある。一例を挙げると、第九章で小見出しに「誘取売券とは何か」と掲げているが、続きを読むと、「売券が徳政令の対象から除外されたことに着目した経済慣行、すなわち徳政逃れのために、通常の借用書ではなく売券を用いてお金を貸すという方式」と、他の箇所でも言及している「売券」の説明に留まり、「誘取」の意味が解説されない(おそらく、「相手に書かせて自分が取る」という受け取り手の主体性がポイントなのだろう)。
他にも、ほぼ同じ説明・結論が近い位置で繰り返されているところ、必要と思えないたとえ話、前述したように論理展開が強引に思える部分などが、繰り返し出てきて、それがいちいち気になって、なかなか進めない。
緻密な史料の読解に基づいた説得的な論理展開を、無駄のない文章で一気に読ませる笠松「徳政令」の完成度が、非常に高いといえばそれまでなのだが、すっきりしない読後感が残ってしまった。
本書は、時代的にはその後、室町・戦国時代の徳政令について、内容の変化や、徳政令を求めた徳政一揆の構成の移り変わりを論じ、背景にある政治・経済・社会状況について掘り下げている。中世に特有の「徳政令」はなぜ消えていったのか。また、「借金は(場合によって)返さなくてもいい」という考え方が否定され、どのようにして現代的な「借金は返さなくてはいけない」という考え方が定着したのか。本書は、笠松版「徳政令」では触れられなかった徳政令のその後と終わりを描くものであり、「はじめに」を読んで、大きな期待を持って読み始めた。
だが、期待値が高すぎたのか、物足りなかった。
結局のところ、徳政令が消えた理由は、乱発されるようになり、地域社会にまでモラルハザードが蔓延、親しい間柄でも疑心暗鬼に陥ったり、貸借を維持するためのコストが増えたために、徳政令が忌避されるようになったというもの。意外性はない。
また、徳政令が忌避されるようになったことと、「借金は(場合によって)返さなくてもいい」という考え方が否定されたことを、特に言及なくイコールとして論じているのは、いささか強引に思えた。徳政忌避の前提に、軍勢による略奪を正当化するなど、変質した徳政令が乱発されるようになっていた事例などが挙げられているが、それなら、乱脈でない「あるべき徳政令」が求められる可能性はなかったのか。著者が挙げている戦国時代の井伊直虎の例では、直虎が躊躇する一方、農民たちは依然、借金の棒引きを求めている。なぜ「借金は返さなくてはいけない」という意識が支配的になっていくのか。もう一ステップの説明がほしかった。
著者は終章で、ニュートンのリンゴの木の逸話を基に、「時間軸も長く設定したほうが、物事はより深く見える」と述べているが、笠松の論じた鎌倉時代や、後の江戸時代との比較にほとんど踏み込んでいないのも、残念だった。
以上はないものねだりかもしれないし、私の読解力の不足ゆえかもしれない。低評価の理由は、別にある。細かいことに引っ掛かり、読んでいてストレスが絶えなかったためだ。
例えば、本書は小さな課題を問いかけ、それへの答えを重ねていく記述が多いのだが、その答えがはっきりしないことがままある。一例を挙げると、第九章で小見出しに「誘取売券とは何か」と掲げているが、続きを読むと、「売券が徳政令の対象から除外されたことに着目した経済慣行、すなわち徳政逃れのために、通常の借用書ではなく売券を用いてお金を貸すという方式」と、他の箇所でも言及している「売券」の説明に留まり、「誘取」の意味が解説されない(おそらく、「相手に書かせて自分が取る」という受け取り手の主体性がポイントなのだろう)。
他にも、ほぼ同じ説明・結論が近い位置で繰り返されているところ、必要と思えないたとえ話、前述したように論理展開が強引に思える部分などが、繰り返し出てきて、それがいちいち気になって、なかなか進めない。
緻密な史料の読解に基づいた説得的な論理展開を、無駄のない文章で一気に読ませる笠松「徳政令」の完成度が、非常に高いといえばそれまでなのだが、すっきりしない読後感が残ってしまった。
2018年9月21日に日本でレビュー済み
室町時代に乱発された徳政令をあらゆる角度から解析した一冊。これまでの室町時代の解説本では、徳政令が出た政治・文化的な背景に関しては十分語られてきた気がするのですが、その要因となった社会・経済的な関係については相対的に解説が少なかった気がします。だから「徳政令がなぜ室町時代に乱発されたのか」と言う問いに対する答えがイマイチすっきりしなかった。本書は、室町時代の経済構造や法に対する考え方を丁寧に解き明かし、この問いに対する答えが明らかになります。こういう地に足がついた解説を待っていた!
また、徳政令の背景の解説の中で、室町時代・戦国時代が大きな時代の転回点だったことが描きだされます。著者は、引いた視点から室町時代から現代までつながる大きな視野を目指しているようですが、私のような素人にもそのような視野の広がりが感じられました。
長い南北朝内戦が終わったあとに、公武合体政権の室町幕府ができると、荘園領民は幕府と朝廷・寺社からの両方の負担にさらされて苦しんでいた、とのこと。一方で、遠いところに荘園を持っている人が増えると、地方から中央への大きな富の流れが加速したようです。こういう状況に地域金融では対応できなくなり大規模な金融業(土倉)が都に登場してきた。この中でお金持ちの都の金融業vs. 地方の負担に苦しむ民衆という対立構造が生まれ、そのぶつかり合いから生まれたのが正長・嘉吉の徳政一揆ということだそうです。この辺りは階級間の対立という図式で整理できそうです。
一方、時代が下ると、室町幕府の財政難や応仁の乱などで都の土倉金融は崩壊し、再び地方に金融が戻ってくると、地域社会の階級内部での対立がメインになってくる。そうなってくると、徳政令による金融の混乱は地域経済にとっても望ましくなくなってきたようです(一回徳政令で土地を取り戻すと2回目はいらない)。応仁の乱以降のたびたびの戦乱で、各勢力が徳政令を利用して軍事負担を強いてきたことも庶民にとってはたいへんなことだったようです。そういう流れの中で徳政令は「不思議の法」として忌避されるようになってきたとのことです。また、室町時代は銅銭の経済圏で、銅銭だと持ち運びが大変なので、決済用に当座資金を融通し合う金融があったようですが、それにまで徳政令が適用されたとのこと。徳政令が社会システムの根幹を揺るがしたことがよくわかりました。
徳政に関わる法律の話も面白い。中世は複数の相矛盾する法律が並存しているのは当たり前の話で、統一的な法などなかった。ところが徳政令は借金帳消しの話なので貸す方も借りるほうも必死になって、裁定を求める。そこで相矛盾する各法の上位の法として室町幕府が統一的な法令を出したとのこと。室町幕府は何も政治をしなかった政権のように一部では思われているような気がしますが、むしろ積極的に各勢力間の利害交渉をしていた面もあるのは意外な一面でした。(足利義教の死去の後に政治が混乱しなかったのは、むしろ奉行人による官僚政治が完成した、という見方もできるとのこと。なるほど。) とはいえ、現代的な感覚に照らして立派な裁判をしていたというわけでもなく、分一徳政令のようなその場しのぎの法律を出していたようですが・・。
室町時代の後期に徳政が望まれない経済・社会が実現し、それに動かされるようにその場しのぎの徳政を必要としない統一的な政権が望まれた。室町幕府から戦国時代、織豊政権への以降はそのような切り口で考えるとわかりやすいですね。
以上のように、この本は地方の領主の経済活動から幕府の官僚の動きなどを丁寧に追うことで室町時代の社会像をくっきりと描き出しています。分量や取り扱っている内容は多いですが、ダイナミックな記述なので読んでいて疲れない。すっと頭に入ってくる。これはお勧めの一冊です。
また、徳政令の背景の解説の中で、室町時代・戦国時代が大きな時代の転回点だったことが描きだされます。著者は、引いた視点から室町時代から現代までつながる大きな視野を目指しているようですが、私のような素人にもそのような視野の広がりが感じられました。
長い南北朝内戦が終わったあとに、公武合体政権の室町幕府ができると、荘園領民は幕府と朝廷・寺社からの両方の負担にさらされて苦しんでいた、とのこと。一方で、遠いところに荘園を持っている人が増えると、地方から中央への大きな富の流れが加速したようです。こういう状況に地域金融では対応できなくなり大規模な金融業(土倉)が都に登場してきた。この中でお金持ちの都の金融業vs. 地方の負担に苦しむ民衆という対立構造が生まれ、そのぶつかり合いから生まれたのが正長・嘉吉の徳政一揆ということだそうです。この辺りは階級間の対立という図式で整理できそうです。
一方、時代が下ると、室町幕府の財政難や応仁の乱などで都の土倉金融は崩壊し、再び地方に金融が戻ってくると、地域社会の階級内部での対立がメインになってくる。そうなってくると、徳政令による金融の混乱は地域経済にとっても望ましくなくなってきたようです(一回徳政令で土地を取り戻すと2回目はいらない)。応仁の乱以降のたびたびの戦乱で、各勢力が徳政令を利用して軍事負担を強いてきたことも庶民にとってはたいへんなことだったようです。そういう流れの中で徳政令は「不思議の法」として忌避されるようになってきたとのことです。また、室町時代は銅銭の経済圏で、銅銭だと持ち運びが大変なので、決済用に当座資金を融通し合う金融があったようですが、それにまで徳政令が適用されたとのこと。徳政令が社会システムの根幹を揺るがしたことがよくわかりました。
徳政に関わる法律の話も面白い。中世は複数の相矛盾する法律が並存しているのは当たり前の話で、統一的な法などなかった。ところが徳政令は借金帳消しの話なので貸す方も借りるほうも必死になって、裁定を求める。そこで相矛盾する各法の上位の法として室町幕府が統一的な法令を出したとのこと。室町幕府は何も政治をしなかった政権のように一部では思われているような気がしますが、むしろ積極的に各勢力間の利害交渉をしていた面もあるのは意外な一面でした。(足利義教の死去の後に政治が混乱しなかったのは、むしろ奉行人による官僚政治が完成した、という見方もできるとのこと。なるほど。) とはいえ、現代的な感覚に照らして立派な裁判をしていたというわけでもなく、分一徳政令のようなその場しのぎの法律を出していたようですが・・。
室町時代の後期に徳政が望まれない経済・社会が実現し、それに動かされるようにその場しのぎの徳政を必要としない統一的な政権が望まれた。室町幕府から戦国時代、織豊政権への以降はそのような切り口で考えるとわかりやすいですね。
以上のように、この本は地方の領主の経済活動から幕府の官僚の動きなどを丁寧に追うことで室町時代の社会像をくっきりと描き出しています。分量や取り扱っている内容は多いですが、ダイナミックな記述なので読んでいて疲れない。すっと頭に入ってくる。これはお勧めの一冊です。