私は恥ずかしながら、数年前友人からフロイト研究家・岸田秀という存在を教えてもらうまで、彼を知らずに過ごしてきた。私にとっては大変な損失だったと感じた。この「幻想の未来」は彼が敬愛するフロイトと同じ題名の本だけに、彼の決意の深さが現れる名著だと思います。精神分析学界からは相手にされていないだとか、博士号はほんとに取ったかわからないなど揶揄されていますが、この本の解説には精神分析学界の大御所小此木圭吾さんからのお墨付きが書かれている。権威だとか学者面することなどに興味のない岸田さんらしい姿勢だったのでしょう。
「初めての他者(母親)が個人の自我を規定するとき、過去において既に形成されてきているものに基づいており、過去が自我を形作ると言える。これに対しエスこそが現在である。自我とはいわば死んだ過去である。エスこそが現実であ」る。「我々は自我こそが生きた現実だと思っており、エスについては無自覚である。ここに人間という存在の根本的倒錯がある」。実体験から絞り出す言葉には心が締め付けられる。「祝祭は集団的狂気であり、狂気は個人的祝祭である」。聞いて聞かないふりをするしかないこんな言葉が詰まっている。
「どんな理想にせよ、ある理想の為に真面目に戦うということは立派ではなく、それ自体が悪なんだということですよ(哺育器の中の大人)」とともに、本当のことを知ってしまった爽やかさと、無である本当の現実の恐ろしさと、そこに投下された人間の運命を受け容れる優しさが行間を支えている。こんな感動を覚えたのは、稲垣足穂の「異物と滑翔」を読んで以来です。真実は無視される。健康(?)な人間は真実は知りたがらないのですから。
幻想の未来―唯幻論序説 (講談社学術文庫) (日本語) 文庫 – 2002/10/1
岸田 秀
(著)
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本の長さ291ページ
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言語日本語
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出版社講談社
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発売日2002/10/1
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ISBN-104061595660
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ISBN-13978-4061595668
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
欧米人を支える「近代的自我」―それは日本人が夢見つづけた幻影だった。著者は、人間が本能の壊れた動物であり、「自我」とはその代用品として造られた幻想だと喝破する。それゆえに自我は、常に何物かに支えられずには存立できない不安定な存在である。そのラディカリズムにより、二〇世紀後半の日本の知に深刻な衝撃を与えた「唯幻論」の代表作。
著者について
■岸田秀(きしだしゅう)
1933年、香川県善通寺市生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。和光大学教授。著書に『ものぐさ精神分析』『希望の原理』『嫉妬の時代』『性的唯幻論序説』『日本がアメリカを赦す日』などがある。
1933年、香川県善通寺市生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。和光大学教授。著書に『ものぐさ精神分析』『希望の原理』『嫉妬の時代』『性的唯幻論序説』『日本がアメリカを赦す日』などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岸田/秀
1933年、香川県善通寺市生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。和光大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1933年、香川県善通寺市生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。和光大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/10/1)
- 発売日 : 2002/10/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 291ページ
- ISBN-10 : 4061595660
- ISBN-13 : 978-4061595668
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 345,782位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 1,030位講談社学術文庫
- - 1,760位哲学 (本)
- - 2,366位臨床心理学・精神分析
- カスタマーレビュー:
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2017年4月20日に日本でレビュー済み
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2011年11月6日に日本でレビュー済み
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この本の著者、岸田秀なる人物は本当に賢い人だと思う。
「自我信仰こそは現代のもっとも強力な宗教である」(原本あとがき)とか、
「自我はまさに諸悪の根源ではないか」(学術文庫版あとがき)とか、
とにかく目の付けどころが鋭い。
氏の著作は『ものぐさ精神分析』を始め、その大体を拝読しているが、
いずれにおいても人類や事象の本質を見事に説明している。
しかも、文章は平易だし、簡潔だ。
明瞭に理解できているからこそ、難しい事柄を分かりやすく説明できるのだろう。
(もちろん、岸田氏自身の中における理解という意味で。)
本書は、自我を材料として人間という存在を解き明かした名著である。
「人間は本能が壊れた動物である」というのは、岸田氏が爾来言い続けてきた言葉で、
だから人間は、本能の代用品として「自我」という行動規範を発明せざるを得なかった。
全知全能であった胎内から生を受けた途端、人間は突然無力な存在となり、
母親へ全面的に依存し、その支配を受ける事で自我は形成されていく。
ここで、人間は「自己拡大衝動」と「自己放棄衝動」に引き裂かれる。
ただし、母親から継承した自我でさえ、他者からのコピーでしかない。
日本ならば「対人恐怖の自我」、西欧ならば「対神恐怖の自我」である。
自我は、それぞれの地域によって伝統的に受け継がれたものであって、
上記二つの衝動がもたらす葛藤を日本人はホンネとタテマエを使い分ける事によって、
他方で西欧人は神との関係にすり替える事でごまかしてきた。
この「ごまかし」とは、つまり「文化」である(41〜42ページ)。
また、欧米人は決して強固な自我を持っているわけではない。
科学の発達により絶対的な自我の支えであった神を見失った彼らの自我は今、むしろ不安定になった。
著者曰く、「神を放逐し、神の属性をわがものにしようとした努力が、その一つの結果として、
自然科学の発達をうながした」(118ページ)のだそうだ。実に興味深い指摘である。
まだまだ目から鱗の岸田理論は続く。
私自身、岸田氏の説く「唯幻論」を把握できるまでにはまだ時間がかかると思うけれども、
本書をバイブルとすれば、神も先祖もヘチマも私には必要ない気がする。
フロイトに始まった「精神分析学」や最近生まれた「世間学」など、
社会科学系の学問が挑戦してきた人間の謎に岸田秀は一定の蹴りをつけたのではないか。
なぜか在野扱いされているようだが、きっと将来、氏の著作は高い評価を得るだろう。
「自我信仰こそは現代のもっとも強力な宗教である」(原本あとがき)とか、
「自我はまさに諸悪の根源ではないか」(学術文庫版あとがき)とか、
とにかく目の付けどころが鋭い。
氏の著作は『ものぐさ精神分析』を始め、その大体を拝読しているが、
いずれにおいても人類や事象の本質を見事に説明している。
しかも、文章は平易だし、簡潔だ。
明瞭に理解できているからこそ、難しい事柄を分かりやすく説明できるのだろう。
(もちろん、岸田氏自身の中における理解という意味で。)
本書は、自我を材料として人間という存在を解き明かした名著である。
「人間は本能が壊れた動物である」というのは、岸田氏が爾来言い続けてきた言葉で、
だから人間は、本能の代用品として「自我」という行動規範を発明せざるを得なかった。
全知全能であった胎内から生を受けた途端、人間は突然無力な存在となり、
母親へ全面的に依存し、その支配を受ける事で自我は形成されていく。
ここで、人間は「自己拡大衝動」と「自己放棄衝動」に引き裂かれる。
ただし、母親から継承した自我でさえ、他者からのコピーでしかない。
日本ならば「対人恐怖の自我」、西欧ならば「対神恐怖の自我」である。
自我は、それぞれの地域によって伝統的に受け継がれたものであって、
上記二つの衝動がもたらす葛藤を日本人はホンネとタテマエを使い分ける事によって、
他方で西欧人は神との関係にすり替える事でごまかしてきた。
この「ごまかし」とは、つまり「文化」である(41〜42ページ)。
また、欧米人は決して強固な自我を持っているわけではない。
科学の発達により絶対的な自我の支えであった神を見失った彼らの自我は今、むしろ不安定になった。
著者曰く、「神を放逐し、神の属性をわがものにしようとした努力が、その一つの結果として、
自然科学の発達をうながした」(118ページ)のだそうだ。実に興味深い指摘である。
まだまだ目から鱗の岸田理論は続く。
私自身、岸田氏の説く「唯幻論」を把握できるまでにはまだ時間がかかると思うけれども、
本書をバイブルとすれば、神も先祖もヘチマも私には必要ない気がする。
フロイトに始まった「精神分析学」や最近生まれた「世間学」など、
社会科学系の学問が挑戦してきた人間の謎に岸田秀は一定の蹴りをつけたのではないか。
なぜか在野扱いされているようだが、きっと将来、氏の著作は高い評価を得るだろう。
VINEメンバー
本書は、筆者・岸田秀が「唯幻論」の全般を論じてゐる力作の一つではないかと思ひます。とは言へ、私にとって結構難解な部分があったかなといふ感じも覚えてゐます。過去にはあり得なかった心の世界を読み解く新しさと難しさが生じてゐたに違ひありません。そんな霞がかった状態ではあっても、私なりに見えて来た事を幾つか書き留めようと思ひます。先づ、日本人は「近代的な自我」を確立しなければならないといふ幻想を抱き、そのために格闘し続けただらう世界があった事です。欧米人が持つ普遍的な「自我」は幻想でしかなく、さう見えてゐるものは単なる文化の違ひで見えてゐるに過ぎず、筆者の説く欧米の「対神恐怖」の文化と日本の「対人恐怖」の文化の違ひで整理されれば、成程「近代的な自我」は幻想に過ぎない事がよく理解されて来るのであります。二つ目には、フロイト以降の心理学者が「発見」した所の現代人の病理は、嘗て宗教が信じられてゐたために殆ど認識しなかった人間の欲望を説明する必要が生じて来たために生まれて来たものであり、現代人のために「発明」された言っていい代物だった事です。三つ目には、現代人が自我の支へのために断片した流行のやうな欲望に右顧左眄しながら浮浪者のやうに生きてゐる事です。この事に関連して筆者は、興味深い考察をしてゐます。子供を勉強させるためには「子ども自身が、自分の自我の不安定の原因を勉強の不足に見出していなければならない。そうなれば、たとえ親に禁止されても、子どもは親の眼を盗んで勉強するであろう」といふのであります。現代人はある種幻想のやうな観念によって生きてゐると言っていいのかもしれません。正しいかくあるべきといふものでなく、現代の流行のやうな欲望によってさまよってゐると言ってもいいのでせう。今回、今まで氣づかなかったやうな世界を筆者の鋭い考察力のお蔭で私の目の前に広げていただき、心から感謝して居ります。
2007年2月11日に日本でレビュー済み
動物にはなく人間だけにある「自我」というものを徹底的に追究し、人間存在の謎を分かりやすく解き明かした名著である。岸田秀氏はこれまでたくさんの本や翻訳書を出しているが、その中でもっとも優れ、もっとも充実している。何度読んでも、どこから読んでも面白く、新しい発見がある。しかしこの岸田理論が多くの人に理解されるにはまだ時間がかかるかも知れない。竹田青嗣氏が書いているように、平明で簡潔な文章の中にどれほど一貫した、また突き詰めた思考を封じたか、まだ多くの人は読み取っていない(「フロイドを読む」解説)のである。岸田氏の別の本「日本がアメリカを赦す日」は英訳されたようだが、この本こそ各国語に翻訳して、世界中の人々に読んでもらいたいと思う。