田原総一朗さん、山口敬之さんの著書を読み、本書を読もうと思いました。田原さん曰く、1960年の日米安保改定時、吉田安保と岸安保の違いもわからずに、安保反対のデモに参加した。しかし、吉田安保が奴隷安保だったのに対し、岸は、日米関係をより対等なものにしようとしたのであって日本にとって良かったことに後で気がついた、と。
本書は濃厚な中身を持っているので、一度通読しただけではダメだ。戦後だけでなく、515事件から日中戦争時代をも含め、日本史を振り替える必要があると思った。今の安倍晋三政権の深層に迫ることにもなるのではないか!
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岸信介証言録 単行本 – 2003/4/1
原 彬久
(著)
- 本の長さ421ページ
- 言語日本語
- 出版社毎日新聞社
- 発売日2003/4/1
- ISBN-104620316229
- ISBN-13978-4620316222
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
日本のその後の運命を決した1960年、安保改定。岸は何を思い、悩み、そして決断したのか。生前の1年半に及ぶロングインタビューと側近、政敵の証言で構成した壮大な政治ドラマ、戦後史への貴重な証言。
内容(「MARC」データベースより)
日本のその後の運命を決した1960年、安保改定。岸は何を思い、悩み、そして決断したのか。生前の1年半におよぶロングインタビューと側近、政敵の証言で構成した壮大な政治ドラマ。戦後史への貴重な証言。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
原/彬久
1939年北海道釧路市に生まれる。1963年早稲田大学第一政経学部政治学科卒業。現在、東京国際大学教授、法学博士(一橋大学)。この間、プリンストン大学(1977‐78年)およびケンブリッジ大学(1990年)客員研究員をへて、日本公共政策学会会長(2000‐02年)。日本におけるオーラル・ヒストリーの草分け的存在(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1939年北海道釧路市に生まれる。1963年早稲田大学第一政経学部政治学科卒業。現在、東京国際大学教授、法学博士(一橋大学)。この間、プリンストン大学(1977‐78年)およびケンブリッジ大学(1990年)客員研究員をへて、日本公共政策学会会長(2000‐02年)。日本におけるオーラル・ヒストリーの草分け的存在(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2011年8月2日に日本でレビュー済み
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政治家の伝記はあれこれ出ていますが、おそらく本人にとっては間違いを訂正できない部分が
多く含まれるのではないでしょうか。
伝記は政治家に限りませんが、しかし首相という立場は命がけですから、
その信念を間違って伝えられたのでは、という思いは強いと思います。
岸信介が何を考えていたのかは右派、左派に限らず、政治というものに
関わろうとする人間にとってたいへん参考になることだと思います。
「至誠」あるいは「われわれの自由を守ることが究極の目的」といった
ことが力まずに語られています。
この厚い本のほうをぜひ若い方に読んでいただきたいですね。
多く含まれるのではないでしょうか。
伝記は政治家に限りませんが、しかし首相という立場は命がけですから、
その信念を間違って伝えられたのでは、という思いは強いと思います。
岸信介が何を考えていたのかは右派、左派に限らず、政治というものに
関わろうとする人間にとってたいへん参考になることだと思います。
「至誠」あるいは「われわれの自由を守ることが究極の目的」といった
ことが力まずに語られています。
この厚い本のほうをぜひ若い方に読んでいただきたいですね。
2018年7月18日に日本でレビュー済み
老書生と謙遜する著者が、「私がこれまで著書執筆に採用してきた政治家岸信介の肉声を歴史の共有財産として後世に残す責任を慮」って出された書です。重点は1960年の安保改定です。なんと全七章のうち、じつに四章をあてています。
それにしても安保反対運動とは何だったのでしょうか。なんせ、反対運動の急先鋒であった社会党は、1994年6月の村山政権が発足したときに、「それまでの政策を『大転換』して『日米安保堅持』、『自衛隊合憲』を打ち出」したのですから。自民党のなかも乱れました。「安保改定というのは派閥に始まって派閥におわった」と言えるようなものでした。
著者はこう答えます。《岸氏が戦後政界に復権しやがて政権を獲得して安保改定に向かったとき、国内各層からあれほどまでに敵視攻撃されたのはなぜか。その主な理由の一つは、戦前岸氏と同じ陣営にありながら、戦後「コペルニクス的展開」を果たした多くの人々をふくむいわゆる「進歩派」勢力が岸氏の「戦前的体質」を問題にしたからである。確かに岸氏において、いや、いま少し正確にいえば、岸氏の思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶はない。》
岸・元総理はこう答えます。《名前は忘れてしまったが、朝日新聞の論説委員がかつて、自分も憲法改正論者だが、岸が憲法改正を言う限りでは自分は反対だ、と言ったことがあって、私はその時はちょっと憤慨したが、よく考えてみると確かにそいつの言うことももっともだと思うことがある(笑)。》 洒脱です。
それにしても安保反対運動とは何だったのでしょうか。なんせ、反対運動の急先鋒であった社会党は、1994年6月の村山政権が発足したときに、「それまでの政策を『大転換』して『日米安保堅持』、『自衛隊合憲』を打ち出」したのですから。自民党のなかも乱れました。「安保改定というのは派閥に始まって派閥におわった」と言えるようなものでした。
著者はこう答えます。《岸氏が戦後政界に復権しやがて政権を獲得して安保改定に向かったとき、国内各層からあれほどまでに敵視攻撃されたのはなぜか。その主な理由の一つは、戦前岸氏と同じ陣営にありながら、戦後「コペルニクス的展開」を果たした多くの人々をふくむいわゆる「進歩派」勢力が岸氏の「戦前的体質」を問題にしたからである。確かに岸氏において、いや、いま少し正確にいえば、岸氏の思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶はない。》
岸・元総理はこう答えます。《名前は忘れてしまったが、朝日新聞の論説委員がかつて、自分も憲法改正論者だが、岸が憲法改正を言う限りでは自分は反対だ、と言ったことがあって、私はその時はちょっと憤慨したが、よく考えてみると確かにそいつの言うことももっともだと思うことがある(笑)。》 洒脱です。







