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岸信介の回想 (文春学藝ライブラリー) 文庫 – 2014/10/17
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安倍総理の祖父による昭和史の記録
動乱の昭和史において常にその渦中にあった名宰相が、刎頸の友と近代史家を前に語った「わが人生」。巻末資料として巣鴨日記も収録。
【目次】
1 満州時代 ……商工省時代と満州国経営
2 商工大臣から敗戦へ ……東條内閣の閣僚として
3 戦犯容疑者からの復活 ……巣鴨プリズンのなかで
4 保守合同への道 …… 日本民主党と鳩山内閣の成立
5 鳩山政権下の幹事長として ……渡米と「両岸」時代
6 石橋内閣から岸内閣へ ……東南アジア歴訪の旅
7 日米新時代と「警職法」騒ぎ ……訪米と試練
8 日中問題と日韓問題 ……悪化の「日中」、薄明の「日韓」
9 安保条約改定と反対運動
10 総理辞職以後
動乱の昭和史において常にその渦中にあった名宰相が、刎頸の友と近代史家を前に語った「わが人生」。巻末資料として巣鴨日記も収録。
【目次】
1 満州時代 ……商工省時代と満州国経営
2 商工大臣から敗戦へ ……東條内閣の閣僚として
3 戦犯容疑者からの復活 ……巣鴨プリズンのなかで
4 保守合同への道 …… 日本民主党と鳩山内閣の成立
5 鳩山政権下の幹事長として ……渡米と「両岸」時代
6 石橋内閣から岸内閣へ ……東南アジア歴訪の旅
7 日米新時代と「警職法」騒ぎ ……訪米と試練
8 日中問題と日韓問題 ……悪化の「日中」、薄明の「日韓」
9 安保条約改定と反対運動
10 総理辞職以後
- 本の長さ474ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2014/10/17
- 寸法10.5 x 1.9 x 15.3 cm
- ISBN-104168130282
- ISBN-13978-4168130281
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「昭和の妖怪」と畏れられた岸信介。その足跡は昭和の盛衰と軌を一にする。満州国経営に関わったのち東條内閣に参画した戦前。戦後は戦犯容疑者として巣鴨プリズンに。そして六〇年安保改定の総理として―幾つもの歴史的瞬間を、刎頚の友と近代史の泰斗を前に赤裸々に語り尽くした貴重な証言録。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岸/信介
1896(明治29)年―1987(昭和62)年。戦前は商工省の革新官僚として満州国経営に関わり、東條内閣では商工大臣に就任。1957年から60年まで内閣総理大臣を務める
矢次/一夫
1899(明治32)年―1983(昭和58)年。1933年に国策研究会を設立。以降、企画院委員、内閣委員等を歴任。戦後の53年に国策研究会を再建。日韓・日華協力委員会常任委員などを務めた
伊藤/隆
1932(昭和7)年生まれ。東京大学名誉教授。専門は日本近現代政治史。『昭和初期政治史研究』『近衛新体制』など著書多数。オーラルヒストリーの第一人者でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1896(明治29)年―1987(昭和62)年。戦前は商工省の革新官僚として満州国経営に関わり、東條内閣では商工大臣に就任。1957年から60年まで内閣総理大臣を務める
矢次/一夫
1899(明治32)年―1983(昭和58)年。1933年に国策研究会を設立。以降、企画院委員、内閣委員等を歴任。戦後の53年に国策研究会を再建。日韓・日華協力委員会常任委員などを務めた
伊藤/隆
1932(昭和7)年生まれ。東京大学名誉教授。専門は日本近現代政治史。『昭和初期政治史研究』『近衛新体制』など著書多数。オーラルヒストリーの第一人者でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年2月1日に日本でレビュー済み
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岸さんの生涯が良く分かる
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年7月21日に日本でレビュー済み
戦前・戦後にわたって政権中枢にいた人なんぞそうはいない。岸信介・元総理はその少ない一人です。昭和16年12月に45歳で開戦証書に副署し、昭和20年9月に49歳でA級戦犯容疑で逮捕され(留置3年3ヶ月後に無起訴で釈放)、昭和27年4月に56歳で公職追放を解除され、昭和30年11月に59歳で保守合同を果たし初代の幹事長に就任し、昭和32年2月に61歳で総理大臣に上りつめ、昭和35年6月に64歳で安保改定の国会承認を取りつけ翌月には総理辞任し、昭和62年8月に90歳で死去。
やはり気になるのは戦争責任です。開戦については「ハル・ノートがショックだったですね」「最後には仕方がないという決意をしたのですから……」と口少なめです。一方、敗戦については「第一段に考えたのは、どうせわれわれはアメリカ軍に捕らわれて、裁判にかけられるだろう。それは覚悟しなきゃならんが、これだけ破壊された日本を将来長きにわたって、どうして復興するか。これは自分の一生にはできないことだろうけれども、われわれが戦争指導者であった責任からいって、長い目でみて、日本の将来の基礎を作らねばならない、それにはどうしたらいいかを考えましたね。」とはっきり。「正義と悪との戦い」なんぞという罪悪感はありません。戦い終わればノー・サイド、さあこれから復興だ!
戦った相手はどうなのか。岸信介・総理(当時)は、アメリカのアイゼンハワー大統領、イギリスのチャーチル元首相、中華民国(台湾)の蒋介石総統とも会い、オーストラリアでは国会で演説までおこなっている。それぞれが、また、戦い終わればノー・サイド。まずアイゼンハワーです。「一国の大統領ともなると、いやなヤツだと思う男とも机を囲んで、そしらぬ顔で笑いながら話をしなけりゃならんこともある。ところがゴルフというのは、好ましく思う相手でないと一緒にやらんものだよ」岸氏とゴルフ後に新聞記者会見で、岸氏について問われて。チャーチル。「日英同盟を廃棄したことはイギリス外交の大きな失敗です。あれが存続しておったら、こんどの世界大戦の様相も非常に変わったろう。」 蒋介石。「“恨みに報いるに徳をもってせよ”という考えは実は自分が若いとき日本に留学した際、武士道の精神を当時とくに頭山満先生、犬養毅先生といった方々から実践を通じて教えこまれたものだ。それは東洋思想の基本であると同時に、日本の精神であって…。だから、私に感謝するというよりも、日本自身がもっている諸先輩の精神に感謝してもらいたい。」。ここにも「「1000年恨」などというジメジメしたものはなく、戦い終わればノー・サイド。
最後にお人柄。「昭和の妖怪」と言う人もいるけれど、やはり一人の人間です。《朝饅頭、あんずジャム、濃汁、干林檎砂糖煮、砂糖抜珈琲。昼白鶉豆入外米飯、菜葉汁、粉卵、酢キャベツ、茶。夜米飯、味噌汁、鯛煮付(但し骨ばかり)、南瓜、砂糖抜珈琲。》昭和23年10月31日。日記には、昭和23年9月23日から12月23日(釈放前日)まで、えんえんと毎日の献立が記されます。
やはり気になるのは戦争責任です。開戦については「ハル・ノートがショックだったですね」「最後には仕方がないという決意をしたのですから……」と口少なめです。一方、敗戦については「第一段に考えたのは、どうせわれわれはアメリカ軍に捕らわれて、裁判にかけられるだろう。それは覚悟しなきゃならんが、これだけ破壊された日本を将来長きにわたって、どうして復興するか。これは自分の一生にはできないことだろうけれども、われわれが戦争指導者であった責任からいって、長い目でみて、日本の将来の基礎を作らねばならない、それにはどうしたらいいかを考えましたね。」とはっきり。「正義と悪との戦い」なんぞという罪悪感はありません。戦い終わればノー・サイド、さあこれから復興だ!
戦った相手はどうなのか。岸信介・総理(当時)は、アメリカのアイゼンハワー大統領、イギリスのチャーチル元首相、中華民国(台湾)の蒋介石総統とも会い、オーストラリアでは国会で演説までおこなっている。それぞれが、また、戦い終わればノー・サイド。まずアイゼンハワーです。「一国の大統領ともなると、いやなヤツだと思う男とも机を囲んで、そしらぬ顔で笑いながら話をしなけりゃならんこともある。ところがゴルフというのは、好ましく思う相手でないと一緒にやらんものだよ」岸氏とゴルフ後に新聞記者会見で、岸氏について問われて。チャーチル。「日英同盟を廃棄したことはイギリス外交の大きな失敗です。あれが存続しておったら、こんどの世界大戦の様相も非常に変わったろう。」 蒋介石。「“恨みに報いるに徳をもってせよ”という考えは実は自分が若いとき日本に留学した際、武士道の精神を当時とくに頭山満先生、犬養毅先生といった方々から実践を通じて教えこまれたものだ。それは東洋思想の基本であると同時に、日本の精神であって…。だから、私に感謝するというよりも、日本自身がもっている諸先輩の精神に感謝してもらいたい。」。ここにも「「1000年恨」などというジメジメしたものはなく、戦い終わればノー・サイド。
最後にお人柄。「昭和の妖怪」と言う人もいるけれど、やはり一人の人間です。《朝饅頭、あんずジャム、濃汁、干林檎砂糖煮、砂糖抜珈琲。昼白鶉豆入外米飯、菜葉汁、粉卵、酢キャベツ、茶。夜米飯、味噌汁、鯛煮付(但し骨ばかり)、南瓜、砂糖抜珈琲。》昭和23年10月31日。日記には、昭和23年9月23日から12月23日(釈放前日)まで、えんえんと毎日の献立が記されます。
2015年1月27日に日本でレビュー済み
自分の学生時代は「現代の後白河法皇」とか言われていた岸信介は、安保がらみで長く悪役にされていたが、2000年前後から、そういう評価より「戦後日本を作った人」みたいな側面からいろいろ本が出ている。生の声で読める本書は、一気呵成に読書できる面白さがある。戦前まだ若かりし頃から頭角を現すところがさりげなく事実だけ語られていく感じだがこの人の飛びぬけて優れた頭の良さを垣間見る。何よりも、思想性を優先させて身動きが取れなくなるより、事が起きてしまっている「現実」の中で、物事を組み立てていく実務家、政策家の面目が出ている点が、一般読者に共感を生むところだ。一方、うがった見方で申し訳ないが、世評あんまりいいイメージがないのだが、満洲国でアヘンなど手に掛けていた中里某なる人物は知らないと言いつつ、後に何かの縁で筆を一筆とったりしているところが出て来たり、そもそも成り立ちからおかしな満洲国に幾ら「実務家・政策家」と言っても突っ込んでいくその辺りは何なのかな、と普通の人は思うだろう。やっぱり怪しい。左翼からだけではなく田中清玄なども敵だっただけに悪しざまに言うし、本書に協力している矢次一夫なる人物も素性がよくわからないのにやけに事情に詳しい怪しさがあって、田中清玄が矢次のことも悪く言っていたこともあり、なんとなく怪しい雰囲気は払しょくできない。でもそれは先入観というもので、本書から受ける印象は、少なくとも、そうではなく、岸と矢次という憂国の士の半生記のようなもので、男らしいユーモラスな言辞やこまごまとしたエピソードから垣間見られるものは、現実と格闘していた英雄の側面がありそれは嘘や作り話だけではそうはいかないと思う。岸が小選挙区制を早くから唱え、それが「派閥」解消になることも卓見だったと思うし、そこからみても、真正面から仕事をしていたと思う。戦後処理では体を張っていたことは明らか。また、安保に就いては当時の闘士が長く言論界を牛耳ったため悪役だったが、安保はしたい放題のアメリカに多少とも独立国としての立場を認めさす改正だったし、当時、安保改正賛成15%、反対10%、どちらとも言えない25%、全然わからない50%という世論調査は、事実を反映していると思う。多くの人は当時の日本の実力から言ってアメリカの庇護なしに冷戦下を生き延びることができると思わなかっただろうし、このことでまた戦争になると言うのも飛躍と思っていたのが自然だ。はたしてその感覚が正しかったことはいまふりかえると自明のことだ。岸周辺の政治家の横顔も活写されていて、とても興味深い。左翼や、吉田茂サイドばかりから戦後を見ていては駄目だと思う。
2015年5月9日に日本でレビュー済み
民主党政権のあっけない崩壊を目の当たりにした今、かつて自民党が結党したときの勢力結集プロセスが気になってくる。どうやってまとまれたのか、その後の分裂の危機をどう回避してきたのか、といったことである。いわゆる「保守合同」の立役者の一人であった「昭和の妖怪」こと岸信介元首相の証言は実に興味深い。まとまるための知恵が見事である。
それまで互いに敵対しあっていた勢力がまとまる必要があったという意味では民主党への自由党合流の場合と似ているが、保守合同時の対立の根深さは民由合併のそれよりはるかに大きなものだったように思われる。それをどう克服したか。何とただ集まってはどうでもいいようなくだらないことを話題に話をするだけだったと。そんなことをしているうちに自然と話がまとまってきたのだというのである。対立点をめぐっての交渉などあえてしないという知恵。そんなことをしていたらたちまち決裂していただろう。
何とも「日本的」と言うべきか。各勢力の条件と妥結点を明確にできないし、明確にしなかったからこそ妥結できたというあたりが実に奇妙。しかしそれがのちの小沢一派の大量離党まで40年まとまり続けることになる自民党の出発点だったわけである。自民党が分裂を回避し続けることができた理由が最初のまとまり方にあったというわけではないし、民由合併の失敗はそういうまとまり方をしなかったせいだというわけでもないだろうが、岸元首相の証言する自民党結党時のエピソードには深い含蓄があるように思える。
それまで互いに敵対しあっていた勢力がまとまる必要があったという意味では民主党への自由党合流の場合と似ているが、保守合同時の対立の根深さは民由合併のそれよりはるかに大きなものだったように思われる。それをどう克服したか。何とただ集まってはどうでもいいようなくだらないことを話題に話をするだけだったと。そんなことをしているうちに自然と話がまとまってきたのだというのである。対立点をめぐっての交渉などあえてしないという知恵。そんなことをしていたらたちまち決裂していただろう。
何とも「日本的」と言うべきか。各勢力の条件と妥結点を明確にできないし、明確にしなかったからこそ妥結できたというあたりが実に奇妙。しかしそれがのちの小沢一派の大量離党まで40年まとまり続けることになる自民党の出発点だったわけである。自民党が分裂を回避し続けることができた理由が最初のまとまり方にあったというわけではないし、民由合併の失敗はそういうまとまり方をしなかったせいだというわけでもないだろうが、岸元首相の証言する自民党結党時のエピソードには深い含蓄があるように思える。




