居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) (日本語) 単行本 – 2019/2/18
東畑 開人
(著)
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本の長さ368ページ
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言語日本語
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出版社医学書院
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発売日2019/2/18
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ISBN-104260038850
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ISBN-13978-4260038850
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『内科系専門医試験対策 特集』 Books
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商品の説明
出版社からのコメント
主人公の若き心理士は、ようやく見つけたデイケアの職場で、上司からいきなり「トンちゃん」と命名され、こう言われた。
「とりあえず座っといて」
座ってみる……。凪の時間……。
トンちゃんは1分と間が持たない。そこで隣で新聞を読みふけっているおばさんに話しかけてみた。
「あの……何を読んでおられるんですか?」
「新聞だけど」
そりゃそうだ、見りゃわかる。
「……なんか面白いことありますか」
「別に。ただのスポーツ新聞だけど」
「……ですよね」
心理学ハカセの専門性ははかなく砕け散った。
しかし、甲子園に出た興南高校をテレビで一緒に応援したり、朝夕ハイエースでメンバーさんを送迎したり、レクの時間に一生分のトランプをすることによって、やがて「ただ居るだけ」の価値を見出していく。
それにしても、なぜこの「ただ居るだけ」の価値が人々に伝わらないのだろうか。
トンちゃんは、「居場所」「暇と退屈」「愛の労働」「事件」「遊び」「中動態」「会計」「資本主義」などの概念を足がかり、探求を始めた。
この探求の旅は、彼自身の一身上の変化とともに、意外な方向に転換する。なぜこの「善きケア」がときにブラック化していくのか、という問いが彼を衝き動かしたのだ。
一般社会で居づらい人たちのためのアジール(避難所)が、なぜアサイラム(収容所)に転化するのか?
それは偶然の出来事なのか?
ケアという行いに内在した構造的な原因があるのか?
そして、いったい何がケアを損なうのか?
トンちゃんは血を吐きながら(実話)、じりじりと真犯人を追いつめていく。
――本書の価値は、これらの考察が、見事な物語として展開しているところにあります。
主人公をとりまくハゲ、デブ、ガリの看護師三人組にはケアの何たるかを教えられ、強気の事務ガールズのヒガミサと「ケアのダークサイド」に挑み、月の住人ユウジロウさんには内輪受けのギャグで心底癒されます。
そして最後、主人公がこのデイケアを去るとき、やくざに追われ続けて20年のヤスオさんとのキャッチボール風景はじつに感動的です。ここでは詳細は書けませんが、代わりに著者の言葉を引いておきましょう。
「ただ居るだけ」の価値を、僕は官僚や会計係を説得する言葉にすることはできない。
だけど、僕は実際にそれを生きた。だから、その風景を、そのケアの質感を、語り続ける。
本書はケアとセラピーについて考え抜かれた思想書であると同時に、沖縄で知り合った人々との魂の交流を描く、極上の物語です。
「とりあえず座っといて」
座ってみる……。凪の時間……。
トンちゃんは1分と間が持たない。そこで隣で新聞を読みふけっているおばさんに話しかけてみた。
「あの……何を読んでおられるんですか?」
「新聞だけど」
そりゃそうだ、見りゃわかる。
「……なんか面白いことありますか」
「別に。ただのスポーツ新聞だけど」
「……ですよね」
心理学ハカセの専門性ははかなく砕け散った。
しかし、甲子園に出た興南高校をテレビで一緒に応援したり、朝夕ハイエースでメンバーさんを送迎したり、レクの時間に一生分のトランプをすることによって、やがて「ただ居るだけ」の価値を見出していく。
それにしても、なぜこの「ただ居るだけ」の価値が人々に伝わらないのだろうか。
トンちゃんは、「居場所」「暇と退屈」「愛の労働」「事件」「遊び」「中動態」「会計」「資本主義」などの概念を足がかり、探求を始めた。
この探求の旅は、彼自身の一身上の変化とともに、意外な方向に転換する。なぜこの「善きケア」がときにブラック化していくのか、という問いが彼を衝き動かしたのだ。
一般社会で居づらい人たちのためのアジール(避難所)が、なぜアサイラム(収容所)に転化するのか?
それは偶然の出来事なのか?
ケアという行いに内在した構造的な原因があるのか?
そして、いったい何がケアを損なうのか?
トンちゃんは血を吐きながら(実話)、じりじりと真犯人を追いつめていく。
――本書の価値は、これらの考察が、見事な物語として展開しているところにあります。
主人公をとりまくハゲ、デブ、ガリの看護師三人組にはケアの何たるかを教えられ、強気の事務ガールズのヒガミサと「ケアのダークサイド」に挑み、月の住人ユウジロウさんには内輪受けのギャグで心底癒されます。
そして最後、主人公がこのデイケアを去るとき、やくざに追われ続けて20年のヤスオさんとのキャッチボール風景はじつに感動的です。ここでは詳細は書けませんが、代わりに著者の言葉を引いておきましょう。
「ただ居るだけ」の価値を、僕は官僚や会計係を説得する言葉にすることはできない。
だけど、僕は実際にそれを生きた。だから、その風景を、そのケアの質感を、語り続ける。
本書はケアとセラピーについて考え抜かれた思想書であると同時に、沖縄で知り合った人々との魂の交流を描く、極上の物語です。
著者について
東畑開人(とうはた・かいと)
1983年生まれ。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、2014年より十文字学園女子大学専任講師。
2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業。
臨床心理学が専門で、関心は精神分析・医療人類学。
著書に、『美と深層心理学』京都大学学術出版会、『野の医者は笑う』誠信書房、『日本のありふれた心理療法』誠信書房、監訳書に『心理療法家の人類学』(J.デイビス著)誠信書房がある。
*著者より
「この本は僕の青春物語です。夢見る青年が現実と出会って、完膚なきまでに打ちのめされるお話だからです。そのほろ苦い、いや苦杯を一気飲みするようなきつい敗北を経て、僕は友情と知を得ました。ですから、沖縄のデイケアで人生の一時期を共に生きた人々の物語、そしてケアとセラピーという心の援助をめぐる中核的問題についての僕なりの答えが、この本です」――東畑開人
1983年生まれ。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、2014年より十文字学園女子大学専任講師。
2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業。
臨床心理学が専門で、関心は精神分析・医療人類学。
著書に、『美と深層心理学』京都大学学術出版会、『野の医者は笑う』誠信書房、『日本のありふれた心理療法』誠信書房、監訳書に『心理療法家の人類学』(J.デイビス著)誠信書房がある。
*著者より
「この本は僕の青春物語です。夢見る青年が現実と出会って、完膚なきまでに打ちのめされるお話だからです。そのほろ苦い、いや苦杯を一気飲みするようなきつい敗北を経て、僕は友情と知を得ました。ですから、沖縄のデイケアで人生の一時期を共に生きた人々の物語、そしてケアとセラピーという心の援助をめぐる中核的問題についての僕なりの答えが、この本です」――東畑開人
出版社より

「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から≪ケア≫の世界を探ります
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---|---|---|---|---|---|
居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 | 在宅無限大: 訪問看護師がみた生と死 | 異なり記念日 | どもる体 | 中動態の世界 意志と責任の考古学 | |
著者 | 東畑 開人 | 村上 靖彦 | 齋藤 陽道 | 伊藤 亜紗 | 國分 功一郎 |
内容紹介 | 「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる 感動のスペクタクル学術書! 京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。 しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。 ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。 一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書! | 「普通に死ぬ」を再発明する。 病院によって大きく変えられた「死」は、いま再びその姿を変えている。 現在の在宅死は、かつてあった看取りの文化を復活させたものではない。 先端医療が組み込まれた「家」という未曾有の環境のなかで、訪問看護師たちが地道に「再発明」したものである。 著者は並外れた知的肺活量で、訪問看護師の語りを生け捕りにし、看護が本来持っているポテンシャルを言語化する。 「看護がここにある」と確かに思える一冊。 | 著者の齋藤陽道さんもパートナーの麻奈美さんも、耳の聞こえない写真家です。 陽道さんの第一言語は日本語。麻奈美さんは日本手話。言葉が違えば見ている世界も違います。 ふたりの間に生まれた樹(いつき)さんは、どうやら聞こえるらしい。聴者です。からだが違えば見ている世界も違います。 そんな「異なる」3人が、毎日をどんな風に過ごしているのか。本書は、ケアが発生する現場からの感動的な実況報告です。 | しゃべれるほうが、変。 何かしゃべろうとすると最初の言葉を繰り返してしまう(=「連発」という名のバグ)。 それを避けようとすると言葉自体が出なくなる(=「難発」という名のフリーズ)。 吃音とは、言葉が肉体に拒否されている状態です。 しかし、なぜ歌っているときにはどもらないのか? なぜ独り言だとどもらないのか? 本書は、従来の医学的・心理的アプローチとはまったく違う視点から、 吃音という「謎」に迫った画期的身体論です! | 自傷患者は言った「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」。依存症当事者はため息をついた「世間の人とは喋っている言葉が違うのよね」 ――当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか? それ以前に、私たちの思考を条件付けている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。 |
登録情報
- 出版社 : 医学書院 (2019/2/18)
- 発売日 : 2019/2/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 368ページ
- ISBN-10 : 4260038850
- ISBN-13 : 978-4260038850
- Amazon 売れ筋ランキング: - 9,429位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2019年3月6日に日本でレビュー済み
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とにかくユーモアも笑えるところもホロっとするところもたくさんあって面白い。作者の伝える才能、書く才能を感じます。内科医です。ただ居ることの意味は感じています。でも病院ではセラピーをしないと診療報酬に結びつかない。患者さんの側で話を聞いている心優しい看護師さんは仕事が遅いと叱責されるかもしれない。話聞いてるだけで検査しないと内科は潰れる。でもケア職の人はもっと報酬面でも辛い立場にある。でも、もっとセラピー職の者以上に患者さんの力になってるんじゃないかと思いました。とにかく面白い本です。
93人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
ベスト500レビュアー
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大学院で博士号まで取得した著者は、「ケアじゃなくてセラピーをしたい(p.22)」と考え、沖縄のある精神科クリニックで働き出す。しかし、彼に求められたものは、クリニックの一部である精神科デイケアのスタッフとしての仕事であり、著者はそこで働くなかで「セラピーとは何か。ケアとは何か。(p.28)」「『ただ、いる、だけ』の価値とそれを支えるケアの価値(p.337)」について等、根源的に考えざるを得なくなる。
本書は、そういう著者の思索を、デイケアでの様々な出来事と重ね合わせて辿っていく。全体としては、著者の「成長物語」にもなっており前向きなのだが、最終章だけはデイケアの「ダークサイド」について論じており、トーンが違う。
本書に登場するメンバー(デイケアに来る人たち)について「私のさまざまな臨床体験を断片化し、改変し、新しく再構成した(p.345)」と著者は記し、また「この本の体裁は物語とかエッセイに見えるかもしれないけど、僕はね、これをガクジュツ書のつもりで書いてます(p.268)」とも述べるが、メンバーや同僚と著者のやり取りは実に生き生きとして「物語」として魅力的である。
いくつかの引用。
「心の深い部分に触れることが、いつでも良きことだとは限らない。(p.49)」
「自立を良しとする社会では、依存していることそのものが見えにくくなってしまうから、依存を満たす仕事の価値が低く見積もられてしまうのだ。(p.107)」
「人は本当に依存しているとき、自分が依存していることに気がつかない。(p.114)」
「この本は精神科デイケアを舞台にしたお話ではあるのだけど……これはケアしたりされたりしながら生きている人たちについてのお話……そう、それは『みんな』の話だと思うのだ。(p.347)」
それにしても、「生き延び」るために、同僚にICレコーダーを貸したり贈ったりする必要がある職場っていったいどういう職場なのだ。「僕のいたデイケアが……ブラックデイケアであったというわけではない(p.305)」と著者はわざわざ書くのだが。
本書は、そういう著者の思索を、デイケアでの様々な出来事と重ね合わせて辿っていく。全体としては、著者の「成長物語」にもなっており前向きなのだが、最終章だけはデイケアの「ダークサイド」について論じており、トーンが違う。
本書に登場するメンバー(デイケアに来る人たち)について「私のさまざまな臨床体験を断片化し、改変し、新しく再構成した(p.345)」と著者は記し、また「この本の体裁は物語とかエッセイに見えるかもしれないけど、僕はね、これをガクジュツ書のつもりで書いてます(p.268)」とも述べるが、メンバーや同僚と著者のやり取りは実に生き生きとして「物語」として魅力的である。
いくつかの引用。
「心の深い部分に触れることが、いつでも良きことだとは限らない。(p.49)」
「自立を良しとする社会では、依存していることそのものが見えにくくなってしまうから、依存を満たす仕事の価値が低く見積もられてしまうのだ。(p.107)」
「人は本当に依存しているとき、自分が依存していることに気がつかない。(p.114)」
「この本は精神科デイケアを舞台にしたお話ではあるのだけど……これはケアしたりされたりしながら生きている人たちについてのお話……そう、それは『みんな』の話だと思うのだ。(p.347)」
それにしても、「生き延び」るために、同僚にICレコーダーを貸したり贈ったりする必要がある職場っていったいどういう職場なのだ。「僕のいたデイケアが……ブラックデイケアであったというわけではない(p.305)」と著者はわざわざ書くのだが。
2019年4月17日に日本でレビュー済み
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難しいことを難しく説明するのは簡単だが(いや多分前提として頭が良くないとダメでしょうが)、本当はとても難しいことを面白く表現するのというのは難しいですよね。本著はそれに成功しているのですね。面白かった。書いてくれてありがとうございました。
読む前は、え?なんですと?京大大学院卒?高学歴で頭良すぎてスパイラル起こしちゃってんじゃないのか?大丈夫なのぉと、偏見とひがみと先入観で懐疑満載でしたが、読み終わってみれば、嘘くさいハッピーエンドでお茶を濁されることなく、一緒に四年間働いてきたデイケアの同僚だったような気分にさせてもらった。そして考えさせられた。何か友との別れの虚無感のような、疲労感と爽快感と。筆者が成長した物語なので一緒に成長した気持ちになれる。だから爽やかな後味なんだろう。
そっか、河合隼雄先生の門下生ということか、見直したぜ。いえごめんなさい、お見それしました。
円環的な時を筆者と共有できて良かった。
うん、超頭のいい理想に燃える人が理想と現実を知り現場で傷つき疲労困憊し、それを恐れずに言葉にしてくれた。ありがとう。
そしてとても大事なことをこういう風に面白く読み手に受け止めやすく書いてくれたおかげで、受け止めるだけじゃなく、頭で理解するだけじゃなく、自分自身の言葉で語れる人も増えてくるんじゃないかな。そうすると、いずれここで書かれている『いる』を支えることというか、人同士の関わり…、集まり、つながり、意味、意義、そんなものの概念に対して意識改革が起こったりして。『いる』ことの本質がみんな共有できる感覚になっていけば、今は見えづらいそれが、いつか形をとり、チカラを持ち、いつの日か『会計の声』に対抗しうる何かになるかもしれない、……ならないかもしれない。
昔、デイで働き2年間で退職した酸っぱい経験を思い出した。あれは何だったのか未だ総括できていない私にはとてもとても必要な一冊でした。
読む前は、え?なんですと?京大大学院卒?高学歴で頭良すぎてスパイラル起こしちゃってんじゃないのか?大丈夫なのぉと、偏見とひがみと先入観で懐疑満載でしたが、読み終わってみれば、嘘くさいハッピーエンドでお茶を濁されることなく、一緒に四年間働いてきたデイケアの同僚だったような気分にさせてもらった。そして考えさせられた。何か友との別れの虚無感のような、疲労感と爽快感と。筆者が成長した物語なので一緒に成長した気持ちになれる。だから爽やかな後味なんだろう。
そっか、河合隼雄先生の門下生ということか、見直したぜ。いえごめんなさい、お見それしました。
円環的な時を筆者と共有できて良かった。
うん、超頭のいい理想に燃える人が理想と現実を知り現場で傷つき疲労困憊し、それを恐れずに言葉にしてくれた。ありがとう。
そしてとても大事なことをこういう風に面白く読み手に受け止めやすく書いてくれたおかげで、受け止めるだけじゃなく、頭で理解するだけじゃなく、自分自身の言葉で語れる人も増えてくるんじゃないかな。そうすると、いずれここで書かれている『いる』を支えることというか、人同士の関わり…、集まり、つながり、意味、意義、そんなものの概念に対して意識改革が起こったりして。『いる』ことの本質がみんな共有できる感覚になっていけば、今は見えづらいそれが、いつか形をとり、チカラを持ち、いつの日か『会計の声』に対抗しうる何かになるかもしれない、……ならないかもしれない。
昔、デイで働き2年間で退職した酸っぱい経験を思い出した。あれは何だったのか未だ総括できていない私にはとてもとても必要な一冊でした。
ベスト100レビュアーVINEメンバー
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ケアとセラピーの比較表(P277)にある、ケア:風景、セラピー:物語をみると、
東畑さんが、デイケアの風景を観ながら、物語を語ってくれて..."「ケアとセラピー」
は成分のようなものです。誰かを援助しようとするとき、それはつねに両方あります"
を実際にやってみせてくれていることがわかります。
ケアは「ニーズに応えること」、セラピーは「ニーズを変更すること」...ここなどは、
しっかり本質を教えてくれていると思います。
考えさせてもらって、勉強させてもらいました。
東畑さんが、デイケアの風景を観ながら、物語を語ってくれて..."「ケアとセラピー」
は成分のようなものです。誰かを援助しようとするとき、それはつねに両方あります"
を実際にやってみせてくれていることがわかります。
ケアは「ニーズに応えること」、セラピーは「ニーズを変更すること」...ここなどは、
しっかり本質を教えてくれていると思います。
考えさせてもらって、勉強させてもらいました。
2020年1月16日に日本でレビュー済み
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ケアを深く考察した意義は高く、その辺は他の方のレビューにあるので、否定的に感じた面について書きます。
まず著者含む登場人物の描写が記号的にキャラ化されているところに、ノンフィクションとの食い合わせの悪さを感じ
繰り返される自身の「おもしろ」のプレゼンがきついなという第一印象でした。
ただその辺は好みの問題で、異世界ラノベ風の文体が好きな人にとっては肯定的な評価になると思います。
問題はもうちょっと深くて、この主人公(著者)は若干傲慢な未熟な人間として描かれて、
後に「気づき」があり、成長していく形を取っているのですが、「傲慢エリートキャラ」が
過去の主人公なのか現在の著者なのかが溶けたまま進むので、視点が定まらない。
いつか主人公が成長する期待を持って読み進めなくてはならない序盤に疲れを感じます。
そして「気づき」に意味を与えるのは、精神分析や哲学の言葉が多いのですが
その内容が(いる価値についての考察含め)大学院までに学べる、少なくとも考察の課題にするはずの
ことではないかと思えるものが多い。
著者はおそらく本に書いてるほど元々未熟な人ではなく、専門的な話を読み進めやすくするために
人物をキャラ化し、青春成長物語に変えたのではないかと推測します。が、結果、構造として
たいへん中途半端な状態で卒業してしまった、専門家の自負だけを持つ人に
専門知識を噛み砕いて、という建前でなにか(常にユーモアを交えて)教えられてる厳しい読書状況が生まれます。
だからこそ成長後のラストには一種演劇的な開放感が生まれている、とも言えるかもしれませんが、
いずれにせよ、読みやすく工夫された部分が、少なくとも私にとっては引っかかり続ける。
作為的なことをアピールすることで、本当の作為性がごまかされ
傲慢と未熟を過剰に開示することで、本当の弱点が隠されている。
「エッセイの言葉」のような半フィクションを元に(人間のキャラ化にそれがあらわれます)
教訓をメインにしたプレゼンを見せられている。そのような感想を持ちました。
「気づき」や「学び」といった自己啓発的なストーリーが流行する時代にフィットしたキャラ小説、
と見れば、うまく書かれていると言えるのかもしれません。
まず著者含む登場人物の描写が記号的にキャラ化されているところに、ノンフィクションとの食い合わせの悪さを感じ
繰り返される自身の「おもしろ」のプレゼンがきついなという第一印象でした。
ただその辺は好みの問題で、異世界ラノベ風の文体が好きな人にとっては肯定的な評価になると思います。
問題はもうちょっと深くて、この主人公(著者)は若干傲慢な未熟な人間として描かれて、
後に「気づき」があり、成長していく形を取っているのですが、「傲慢エリートキャラ」が
過去の主人公なのか現在の著者なのかが溶けたまま進むので、視点が定まらない。
いつか主人公が成長する期待を持って読み進めなくてはならない序盤に疲れを感じます。
そして「気づき」に意味を与えるのは、精神分析や哲学の言葉が多いのですが
その内容が(いる価値についての考察含め)大学院までに学べる、少なくとも考察の課題にするはずの
ことではないかと思えるものが多い。
著者はおそらく本に書いてるほど元々未熟な人ではなく、専門的な話を読み進めやすくするために
人物をキャラ化し、青春成長物語に変えたのではないかと推測します。が、結果、構造として
たいへん中途半端な状態で卒業してしまった、専門家の自負だけを持つ人に
専門知識を噛み砕いて、という建前でなにか(常にユーモアを交えて)教えられてる厳しい読書状況が生まれます。
だからこそ成長後のラストには一種演劇的な開放感が生まれている、とも言えるかもしれませんが、
いずれにせよ、読みやすく工夫された部分が、少なくとも私にとっては引っかかり続ける。
作為的なことをアピールすることで、本当の作為性がごまかされ
傲慢と未熟を過剰に開示することで、本当の弱点が隠されている。
「エッセイの言葉」のような半フィクションを元に(人間のキャラ化にそれがあらわれます)
教訓をメインにしたプレゼンを見せられている。そのような感想を持ちました。
「気づき」や「学び」といった自己啓発的なストーリーが流行する時代にフィットしたキャラ小説、
と見れば、うまく書かれていると言えるのかもしれません。
2019年5月4日に日本でレビュー済み
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私は医療従事者でもなく、臨床心理とは無縁の会社員だが、好奇心で本書を読んでみた。
自分の立場だと、本書の内容が、会社の辞め方と、恋人や家族との付き合い方の2点において、特に参考になると感じた。
まずは、会社の辞め方についてだ。
これはネガティブな意味ではなく、これからの時代、1つの会社に勤め上げることはあまり現実的ではない。となると、どのような去り方が良いのかは知っておく必要があると普段から思っていた。本作で表現されている傷つけない辞め方、傷つきと向き合う辞め方という2種類の辞め方を知れたのは良かった。会社の場合だと、自分と特に関係が深い相手とはセラピー的な辞め方を、あまり関わりがなかった相手とは傷つけない辞め方が良いのかなと感じた。とはいえ、本書で述べられていた通り、人と付き合うということは、葛藤を抱えつつ、その都度その都度何が良いか判断しながら付き合っていく必要があるため、一概には言えない。
続いては、恋人や家族との付き合い方についてだ。
本書の中で、とある哲学者が、日常に支障をきたさないために誰かがやらなければいけない素人でもできる仕事を、「依存労働」と呼ぶと紹介してくれる箇所がある。依存労働について、本書では、現在の世の中は自立を良しとする風潮のもと成立しているため、家事などの依存労働の社会的価値が低くなっている、依存労働は見えにくくなってしまうため、どうしても仕事の価値も低く見積もられがちであることに言及している。そう言われてみると、確かに依存労働は社会的価値が低くなりがちだ。そのことを自分が自覚して、相手の行動に敬意を表し感謝できるか、そこが夫婦円満や、家庭円満の1つのポイントになってくるのかなと読みながら感じた。また、依存労働者には、依存労働者をケアする「ドゥーリア」による支えが必要という部分も興味深かったが、長くなってしまうためこの部分の感想は割愛させていただく。
本書は学術書である、という著者の主張どおり、参考文献も多く、学びが多い本である。一方で軽妙な語り口で、読みやすい本でもある。個人的には、自分と全然関係ない分野でも、自分にとって必要な新しい気付きや発見って本当にできるんだなと実感できた本だった。総じて読んでよかった。
自分の立場だと、本書の内容が、会社の辞め方と、恋人や家族との付き合い方の2点において、特に参考になると感じた。
まずは、会社の辞め方についてだ。
これはネガティブな意味ではなく、これからの時代、1つの会社に勤め上げることはあまり現実的ではない。となると、どのような去り方が良いのかは知っておく必要があると普段から思っていた。本作で表現されている傷つけない辞め方、傷つきと向き合う辞め方という2種類の辞め方を知れたのは良かった。会社の場合だと、自分と特に関係が深い相手とはセラピー的な辞め方を、あまり関わりがなかった相手とは傷つけない辞め方が良いのかなと感じた。とはいえ、本書で述べられていた通り、人と付き合うということは、葛藤を抱えつつ、その都度その都度何が良いか判断しながら付き合っていく必要があるため、一概には言えない。
続いては、恋人や家族との付き合い方についてだ。
本書の中で、とある哲学者が、日常に支障をきたさないために誰かがやらなければいけない素人でもできる仕事を、「依存労働」と呼ぶと紹介してくれる箇所がある。依存労働について、本書では、現在の世の中は自立を良しとする風潮のもと成立しているため、家事などの依存労働の社会的価値が低くなっている、依存労働は見えにくくなってしまうため、どうしても仕事の価値も低く見積もられがちであることに言及している。そう言われてみると、確かに依存労働は社会的価値が低くなりがちだ。そのことを自分が自覚して、相手の行動に敬意を表し感謝できるか、そこが夫婦円満や、家庭円満の1つのポイントになってくるのかなと読みながら感じた。また、依存労働者には、依存労働者をケアする「ドゥーリア」による支えが必要という部分も興味深かったが、長くなってしまうためこの部分の感想は割愛させていただく。
本書は学術書である、という著者の主張どおり、参考文献も多く、学びが多い本である。一方で軽妙な語り口で、読みやすい本でもある。個人的には、自分と全然関係ない分野でも、自分にとって必要な新しい気付きや発見って本当にできるんだなと実感できた本だった。総じて読んでよかった。
2019年2月18日に日本でレビュー済み
「野の医者は笑う」は沖縄のオカルト治療を体当たり取材する中で、臨床心理学への鬱々とした思いが、底抜けのユーモアと共に描かれた『双極的名作』であった。
一方、「居るのはつらいよ」は『統失的名作』である。ニュースで見た内地の事件が目の前の困難と繋がり、筆者の臨床を「会計の声」という幻聴が邪魔をする。
むしろ筆者が血を吐きながら示したのは、<日本の臨床心理学は何を病んでいるのか?>であろう。
筆者は熱心な著作活動を通して、「日本の臨床心理学」に対してセラピーを行っているように思えてならない。
一方、「居るのはつらいよ」は『統失的名作』である。ニュースで見た内地の事件が目の前の困難と繋がり、筆者の臨床を「会計の声」という幻聴が邪魔をする。
むしろ筆者が血を吐きながら示したのは、<日本の臨床心理学は何を病んでいるのか?>であろう。
筆者は熱心な著作活動を通して、「日本の臨床心理学」に対してセラピーを行っているように思えてならない。