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実力も運のうち 能力主義は正義か? Kindle版
ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか。超人気哲学教授が、現代最大の難問に挑む。解説/本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2021/4/14
- ファイルサイズ1027 KB
商品の説明
出版社からのコメント
「現代社会の怒りや悲しみの根源が理解できる。この事実が理解できないリーダーは怒りを受け続け悲しみを癒すことができないだろう」
――為末大(元陸上競技選手)
「宗教改革からトランプまで、社会思想からスキャンダルまで、きわめて幅広く目配りし、メリトクラシーが社会に及ぼす問題を深く論じたものとして、本書は抜きん出ている」
――本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授、本書解説より)
「鋭く、洞察に満ち、温かい。今こそ必読の書」
――タラ・ウェストーバー(『エデュケーション』著者)
「右派も左派もみんな本書を片手に着席し、真剣に議論しなければならない」
――ニューヨーク・タイムズ紙 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
――為末大(元陸上競技選手)
「宗教改革からトランプまで、社会思想からスキャンダルまで、きわめて幅広く目配りし、メリトクラシーが社会に及ぼす問題を深く論じたものとして、本書は抜きん出ている」
――本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授、本書解説より)
「鋭く、洞察に満ち、温かい。今こそ必読の書」
――タラ・ウェストーバー(『エデュケーション』著者)
「右派も左派もみんな本書を片手に着席し、真剣に議論しなければならない」
――ニューヨーク・タイムズ紙 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
著者について
著者:マイケル・サンデル(Michael J. Sandel) 1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者として知られる。類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目“Justice(正義)"は延べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定。日本ではNHK教育テレビ(現Eテレ)で『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。著書『これからの「正義」の話をしよう』は世界各国で大ベストセラーとなり、日本でも累計100万部を突破した。他の著作に『それをお金で買いますか』『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』、編著に『サンデル教授、中国哲学に出会う』(以上早川書房刊)がある。2018年10月、スペインの皇太子が主宰するアストゥリアス皇太子賞の社会科学部門を受賞した。
訳者:鬼澤忍(おにざわ・しのぶ)1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。訳書にサンデル『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』、アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』(以上早川書房刊)、クリスタキス『ブループリント』(共訳)、シャイデル『暴力と不平等の人類史』(共訳)ほか多数。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
訳者:鬼澤忍(おにざわ・しのぶ)1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。訳書にサンデル『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』、アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』(以上早川書房刊)、クリスタキス『ブループリント』(共訳)、シャイデル『暴力と不平等の人類史』(共訳)ほか多数。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B0922GS8SL
- 出版社 : 早川書房 (2021/4/14)
- 発売日 : 2021/4/14
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1027 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 391ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 6,603位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 5位イギリス・アメリカのエッセー・随筆
- - 60位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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リベラリストの基本世界観とは①集団主義者→学力が低く、個人が劣等なので国家、宗教、人種といったものを信奉する。ゆえに狭い範囲で仲間を作りたがり仲間以外の人に対しては差別的。(共和党支持者が多い)②リベラリスト→学力が高く、エリート。個人に自信があるので集団主義者のような狭い枠に囚われない、肌の色や国籍で人を差別しない。(民主党支持者が多い) である。残念なことに現在のアメリカの分断の原因はエリート(民主党支持者)と非エリート(トランプ支持者)に完全に割れている。トランプのような悪しきアジテーターに煽られて、踊らされる人々を生み出しているのは実は差別をするような愚かな人間ではないはずのリベラリストの無意識の差別が原因ではないだろうか?というのがこの本の概要である。リベラルな人々は自分が頑張って高学歴を得るために努力したから勝ち組。低学歴の人間は努力を怠った怠け者だから負け組という意識を持っており、国籍や肌の色の差別には反対しているのに学歴差別は公然と行っているのだ。そして彼らはそれを差別とは感じていない。リベラルエリートに見下されている非エリート達はそれに反感を抱いており、それが彼らを民族主義や国家主義に走らせるのだ。しかし、君たちが自分一人の力で勝ち得たと思っているその高学歴、高所得というのは実は幸運の産物であるにすぎないのだから、もう少し謙虚になって無意識の差別はやめようよ。とリベラルの一派であるサンデルは呼びかけている。本著はリベラリストの自戒を呼び掛ける読み価値のあるいい本だと思う。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年4月14日に日本でレビュー済み
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良書で日本語版を手に取れたことをありがたく思います。小さな点ではありますが、サンデル教授は、結語において、『どれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。』(Kindle版No.4956/6186)と力強く締めくくりますが、日本人(日本文化)は『実るほど頭を垂れる稲穂かな(人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ)』という心構えが美徳とされてきたように、大きな驚きがある指摘というよりは、日本の文脈においては(変容しつつもあるが)共同体への感謝を再確認した気持ちとなりました。
405人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2021年4月15日に日本でレビュー済み
発売日に買って読んだ。素晴らしかった。
興味深いのは、日本のツイッター論壇との共時性だ。
dada、エタ風、白饅頭、わかり手、パンナコッタソといった叩き上げのツイッタラーの発信内容との共通点を少なくない人が感じたのではないだろうか。
一方、日本のアカデミズムは真逆の方向に進みつつあるのが興味深い。
例えば「対話する力」の能力開発研究を標榜する大阪大学の戸谷洋志特任教授は、棋士会副会長を務める糸谷哲郎八段との対談本『棋士と哲学者』の発売記念講演として行われた哲学カフェの冒頭で「ご来場の皆さん、この場所では、野蛮で、未熟な、偏差値が低い発言はしないように」と呼びかけたという。イベントは宮台真治の妻が企画したものだったそうだ。
機を見るに敏な日本の社会学者や哲学者は、このサンデルの著作を読んで「転向」できるだろうか?それとも不都合な真実から目を背けるだろうか?はたまた「『実力も運のうち』であっても、偏差値の低い人間は野蛮だ」と自らの主張との折り合いをつけるだろうか?
YouTubeがテレビを凌駕したように「ネット論壇が日本の論壇を凌駕する」とすれば、本書はその発火点となるだろう。
革命的な1冊。
興味深いのは、日本のツイッター論壇との共時性だ。
dada、エタ風、白饅頭、わかり手、パンナコッタソといった叩き上げのツイッタラーの発信内容との共通点を少なくない人が感じたのではないだろうか。
一方、日本のアカデミズムは真逆の方向に進みつつあるのが興味深い。
例えば「対話する力」の能力開発研究を標榜する大阪大学の戸谷洋志特任教授は、棋士会副会長を務める糸谷哲郎八段との対談本『棋士と哲学者』の発売記念講演として行われた哲学カフェの冒頭で「ご来場の皆さん、この場所では、野蛮で、未熟な、偏差値が低い発言はしないように」と呼びかけたという。イベントは宮台真治の妻が企画したものだったそうだ。
機を見るに敏な日本の社会学者や哲学者は、このサンデルの著作を読んで「転向」できるだろうか?それとも不都合な真実から目を背けるだろうか?はたまた「『実力も運のうち』であっても、偏差値の低い人間は野蛮だ」と自らの主張との折り合いをつけるだろうか?
YouTubeがテレビを凌駕したように「ネット論壇が日本の論壇を凌駕する」とすれば、本書はその発火点となるだろう。
革命的な1冊。
ベスト500レビュアー
Amazonで購入
日本でも能力主義の過熱を話題にした書籍はあるが、ここまで包括的に
論じたものは少ない。学歴偏重主義や成果主義も日本で浸透しているので
アメリカの問題と共通しているので他人事では無い。自由意思か運命論かという
普遍的議題もあり時代が下るに連れて個人の責任に帰するようになったこと
が良く分かり現在猛威をふるっている。高学歴層の桁違いの収入のゴールドカラーへ
の大挙ばかりが注目される世の中ですが、エッセンシャルワーカーやシャドウワーク
にも尊厳や承認が求められ、市井の人々が普通に生活出来るようなまっとうな環境づくりが
必要であります。相変わらずの格差社会であり、突出した個人は出難いと思いますが、
社宅がある風景が郷愁を誘い幸せだと感じました。内需企業、ローカル企業ファイト!
脱線ですが、サンデル教授の新刊とかぶりそうな案件ですが、
稀でなかなかありそうにないですが、『グッド・ウィル・ハンティング』好みです…。
論じたものは少ない。学歴偏重主義や成果主義も日本で浸透しているので
アメリカの問題と共通しているので他人事では無い。自由意思か運命論かという
普遍的議題もあり時代が下るに連れて個人の責任に帰するようになったこと
が良く分かり現在猛威をふるっている。高学歴層の桁違いの収入のゴールドカラーへ
の大挙ばかりが注目される世の中ですが、エッセンシャルワーカーやシャドウワーク
にも尊厳や承認が求められ、市井の人々が普通に生活出来るようなまっとうな環境づくりが
必要であります。相変わらずの格差社会であり、突出した個人は出難いと思いますが、
社宅がある風景が郷愁を誘い幸せだと感じました。内需企業、ローカル企業ファイト!
脱線ですが、サンデル教授の新刊とかぶりそうな案件ですが、
稀でなかなかありそうにないですが、『グッド・ウィル・ハンティング』好みです…。
2021年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカやヨーロッパにおけるポピュリズムの台頭の背景には、行き過ぎた能力エリート主義と、その競争からこぼれ落ちた人たちとの分断がある。
これは所得格差の拡大や社会の分断、ひいてはポピュリズムや過激思想の台頭を促す。生まれ持った才能や、そのシグナルとしての学歴などは、家庭環境や所得と高い相関があるにも関わらず、当人たちは受験戦争などに大きな努力を払ったことから、自らがその対価に値すると錯覚する。
これは今の世界で起こっていることをうまく表していると思う。学歴や出世、所得などの競争を戦い続け、勝ち残った一部の勝者だけが自己承認を得られるような世界が、誰にとっても良いもののわけがない。
例えば保育園の保育士さんには本当にお世話になっているし、やりがいはあっても子供と向き合い続けるのは大変な仕事だと思う。収入が全てではないと言いつつ、保育士の平均給与が月24万というのはどう考えても仕事の価値に見合う対価とは思えない。
大して意味のないインターネットサービスに使わせるお客さんの時間とお金を最大化することや、社会に価値を生まない投機的なデリバティブや高頻度取引とかに世界中の頭脳が血眼になってるのも健全とは言えないよね。
消費や収益を最大化する能力よりも、社会やコミュニティへの貢献が承認される世界を目指すべきという著者の主張には深く賛同する。社会全体として大きな問題なのは間違いないし、一方でこれだけ支配的になっている価値観が、サンデルの提案を読んでも一朝一夕で変わることもないだろうと思ってる。
自分自身は、違った価値観でも楽しく生きてけるんだということを示していきたいと思う。自分はある意味では能力主義の競争から10代くらいで降りちゃって、自分が興味深い、重要と思うことだけを追いかけてきたのは、良かったかなと思ってる。自分の子供も、同じように、興味深くて重要なことを追求してくれたらいいなと思ってる。
これは所得格差の拡大や社会の分断、ひいてはポピュリズムや過激思想の台頭を促す。生まれ持った才能や、そのシグナルとしての学歴などは、家庭環境や所得と高い相関があるにも関わらず、当人たちは受験戦争などに大きな努力を払ったことから、自らがその対価に値すると錯覚する。
これは今の世界で起こっていることをうまく表していると思う。学歴や出世、所得などの競争を戦い続け、勝ち残った一部の勝者だけが自己承認を得られるような世界が、誰にとっても良いもののわけがない。
例えば保育園の保育士さんには本当にお世話になっているし、やりがいはあっても子供と向き合い続けるのは大変な仕事だと思う。収入が全てではないと言いつつ、保育士の平均給与が月24万というのはどう考えても仕事の価値に見合う対価とは思えない。
大して意味のないインターネットサービスに使わせるお客さんの時間とお金を最大化することや、社会に価値を生まない投機的なデリバティブや高頻度取引とかに世界中の頭脳が血眼になってるのも健全とは言えないよね。
消費や収益を最大化する能力よりも、社会やコミュニティへの貢献が承認される世界を目指すべきという著者の主張には深く賛同する。社会全体として大きな問題なのは間違いないし、一方でこれだけ支配的になっている価値観が、サンデルの提案を読んでも一朝一夕で変わることもないだろうと思ってる。
自分自身は、違った価値観でも楽しく生きてけるんだということを示していきたいと思う。自分はある意味では能力主義の競争から10代くらいで降りちゃって、自分が興味深い、重要と思うことだけを追いかけてきたのは、良かったかなと思ってる。自分の子供も、同じように、興味深くて重要なことを追求してくれたらいいなと思ってる。
2021年4月17日に日本でレビュー済み
貧困国と日本とかで比較するならば、日本に生まれた国に感謝するのはわかります。努力では変えられない領域があるから。
日本国内だけでいうと、割と平均的な層が多いから正直能力主義というか自己責任論の方が的確かも。
なぜ大して勉強してない人間がぴーぴーギャーギャーうるさいんですかね?この国は。
こんなにも選択肢があるのに、頑張らないで国の施策にだけ不平不満を。。
変えたかったら社会のルールに乗らなくてはならない。そして、この社会をルールを作っている人間は基本的には能力主義で勝ち上がってきた人間です。
なので、もし能力主義が気に食わないならその人達と同じところまで勉強しろって話。
なんか、やればできるとかさ、学歴関係ないとかいうけど、この国のルール作ってるのは誰なの?って視点が抜けすぎ。変えたかったら、行動しようね。
日本国内だけでいうと、割と平均的な層が多いから正直能力主義というか自己責任論の方が的確かも。
なぜ大して勉強してない人間がぴーぴーギャーギャーうるさいんですかね?この国は。
こんなにも選択肢があるのに、頑張らないで国の施策にだけ不平不満を。。
変えたかったら社会のルールに乗らなくてはならない。そして、この社会をルールを作っている人間は基本的には能力主義で勝ち上がってきた人間です。
なので、もし能力主義が気に食わないならその人達と同じところまで勉強しろって話。
なんか、やればできるとかさ、学歴関係ないとかいうけど、この国のルール作ってるのは誰なの?って視点が抜けすぎ。変えたかったら、行動しようね。
2021年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
解説文の最後にも言及されていますが、正確には「能力主義」ではなく「功績主義」が適切かもしれません。すなわち「能力主義」とは、目に見える結果を絶対視するので、裏方や縁の下でいくら活躍しても評価されません。
本書は、こういった社会通念に疑問を呈した書、と言えます。
「親の七光り」が否定的に捉えられることもあり、「自分の実力で結果を出せた人を高く評価することに、何の問題があるか?」「結果が全てということは、差別や偏見無く、実力で評価されることだ。素晴らしいことではないか?」と思われがちです。
しかしながら、その出せた結果とは、自分一人の力だけではなく、周囲の縁の下の支援や環境、巡り合わせ、時代やタイミング、そして様々な利害関係や忖度が関与すると言えます。
そう考えれば「実力も運のうち」と言わざるを得ません。
例えば、社会的権力があり、生活に余裕がある家庭で育てば、家事などの雑事から解放され、落ち着いて勉学に専念できます。優れた教材を買い、英才的な教育を受けることもできます。しかも良い人脈も得られ、好条件の推薦も得られやすくなるでしょう。
そう考えれば、能力と生まれ育った家系や家庭の経済力とは比例相関するので、能力(功績)の格差も拡大固定することになると言えます。まさに「上級国民」と揶揄されるかのように。
一方で、確固たる身分格差がある社会では「高い身分や裕福な財産も運のうち」となるわけです。
これが、「身分が上で金持ちだからと言っても、自分だけの力でなしえたのでは無い。単なる偶然にすぎないのだから思い上がんなさんな。」と、地位や資産を持つ者に謙虚さや後ろめたさをもたらしえた、という発想は新鮮に感じました。
勿論、社会の矛盾を解消するには非力であり、結果的に革命によって崩壊したりもしましたが、「王侯貴族や富豪も運のうち」という謙虚な考えは、ノブレスオブリージュや身分や階級を超えた社会的連帯感の形成、といった側面では一定の効果はあったのかもしれません。
しかしながら、能力(功績)が絶対視される社会では、謙虚さも連帯感も生じえないと言えます。例え勝者であっても、心の平安は得られず、勝ち続けること、負けて転落することへの強迫観念に駆られるでしょう。
運や社会や環境のおかげでもあることが認識されていたとしても、「能力(功績)とは本人の努力の賜物である」と見做される限り、社会の不条理と格差は正当化されかねません。
利害対立や不運の結果に過ぎないものでも、「実力が足りなかったから失敗したのだ」「今の結果や状況は、君の人徳の無さや努力不足が原因なのだ。子供でもあるまいし、他人のせいにするな」と情け容赦ないレッテル貼りが行われるでしょう。
搾取的なブラック労働すらも正当化され、能力(功績)を持つ者は傲慢になり、持てない者は(憐れまれることはあっても)見下されるため、社会は分断と怨念に満ちたものになると言えます。
特に、アカデミックな分野では、熾烈な競争やPublish or perishという同調圧力の下、目に見えて尺度がわかりやすい功績(学位、業績、インパクトファクター、科研費取得など)が自らの処遇の明暗を直接分けることになります。
その世界に生きる者が保身に走り、象牙の塔に籠るがごとく周囲に無関心かつ排他的となり、自由で異なった視点や発想を黙殺してしまうのも無理は無いでしょう。まさに、自由と自己責任論が肥大する中での、能力(功績)主義の弊害とも言えます。
だからと言って、結果の平等を重視するあまり、能力(功績)に応じた処遇を強引に否定してしまったら、すべての倫理が崩壊してしまいます。不自由と非効率と弾圧に満ちた、20世紀における共産主義社会の恐怖と悲劇を繰り返すわけにはいきません。その反動が能力(功績)や自由市場経済の絶対視を招き、今になって本書に示すような様々な弊害を生んでいるわけです。
格差や偏見の克服として、「多様性」がいろいろな分野で強調されている昨今です。タイトルで示したように、その多様性も何らかの能力(功績)が伴わなければ認められない、では無意味だと思いました。
今日求められるものとは、「能力(功績)もまた多様性の中の一つの要素に過ぎない。各人の持つ特性やできることを、自由かつ柔軟な視点を以て、いかに伸ばして活用して行くかが課題である」という発想なのかもしれません。
本書は、こういった社会通念に疑問を呈した書、と言えます。
「親の七光り」が否定的に捉えられることもあり、「自分の実力で結果を出せた人を高く評価することに、何の問題があるか?」「結果が全てということは、差別や偏見無く、実力で評価されることだ。素晴らしいことではないか?」と思われがちです。
しかしながら、その出せた結果とは、自分一人の力だけではなく、周囲の縁の下の支援や環境、巡り合わせ、時代やタイミング、そして様々な利害関係や忖度が関与すると言えます。
そう考えれば「実力も運のうち」と言わざるを得ません。
例えば、社会的権力があり、生活に余裕がある家庭で育てば、家事などの雑事から解放され、落ち着いて勉学に専念できます。優れた教材を買い、英才的な教育を受けることもできます。しかも良い人脈も得られ、好条件の推薦も得られやすくなるでしょう。
そう考えれば、能力と生まれ育った家系や家庭の経済力とは比例相関するので、能力(功績)の格差も拡大固定することになると言えます。まさに「上級国民」と揶揄されるかのように。
一方で、確固たる身分格差がある社会では「高い身分や裕福な財産も運のうち」となるわけです。
これが、「身分が上で金持ちだからと言っても、自分だけの力でなしえたのでは無い。単なる偶然にすぎないのだから思い上がんなさんな。」と、地位や資産を持つ者に謙虚さや後ろめたさをもたらしえた、という発想は新鮮に感じました。
勿論、社会の矛盾を解消するには非力であり、結果的に革命によって崩壊したりもしましたが、「王侯貴族や富豪も運のうち」という謙虚な考えは、ノブレスオブリージュや身分や階級を超えた社会的連帯感の形成、といった側面では一定の効果はあったのかもしれません。
しかしながら、能力(功績)が絶対視される社会では、謙虚さも連帯感も生じえないと言えます。例え勝者であっても、心の平安は得られず、勝ち続けること、負けて転落することへの強迫観念に駆られるでしょう。
運や社会や環境のおかげでもあることが認識されていたとしても、「能力(功績)とは本人の努力の賜物である」と見做される限り、社会の不条理と格差は正当化されかねません。
利害対立や不運の結果に過ぎないものでも、「実力が足りなかったから失敗したのだ」「今の結果や状況は、君の人徳の無さや努力不足が原因なのだ。子供でもあるまいし、他人のせいにするな」と情け容赦ないレッテル貼りが行われるでしょう。
搾取的なブラック労働すらも正当化され、能力(功績)を持つ者は傲慢になり、持てない者は(憐れまれることはあっても)見下されるため、社会は分断と怨念に満ちたものになると言えます。
特に、アカデミックな分野では、熾烈な競争やPublish or perishという同調圧力の下、目に見えて尺度がわかりやすい功績(学位、業績、インパクトファクター、科研費取得など)が自らの処遇の明暗を直接分けることになります。
その世界に生きる者が保身に走り、象牙の塔に籠るがごとく周囲に無関心かつ排他的となり、自由で異なった視点や発想を黙殺してしまうのも無理は無いでしょう。まさに、自由と自己責任論が肥大する中での、能力(功績)主義の弊害とも言えます。
だからと言って、結果の平等を重視するあまり、能力(功績)に応じた処遇を強引に否定してしまったら、すべての倫理が崩壊してしまいます。不自由と非効率と弾圧に満ちた、20世紀における共産主義社会の恐怖と悲劇を繰り返すわけにはいきません。その反動が能力(功績)や自由市場経済の絶対視を招き、今になって本書に示すような様々な弊害を生んでいるわけです。
格差や偏見の克服として、「多様性」がいろいろな分野で強調されている昨今です。タイトルで示したように、その多様性も何らかの能力(功績)が伴わなければ認められない、では無意味だと思いました。
今日求められるものとは、「能力(功績)もまた多様性の中の一つの要素に過ぎない。各人の持つ特性やできることを、自由かつ柔軟な視点を以て、いかに伸ばして活用して行くかが課題である」という発想なのかもしれません。
ベスト500レビュアー
トランプ氏を支持した人々の属性は、白人男性で高学歴ではない(大学を出ていない)層が典型的とよく云われるが、なぜそうなったのかは経済的な観点、新自由主義やグローバル化による格差拡大という文脈で語られることが多かった。本書は、経済的な理由のみならず、能力(功績)主義的な選別をもう一つの理由・背景として挙げている。
「アメリカン・ドリーム」とは米国らしい「機会の平等」を象徴する言葉である。人種や出自に関わらず、懸命に学び、働けば、才能の許す限り成功することが出来る国であり、やれば出来る、という考え方である。換言すれば、「努力と才能で人は誰でも成功出来る」という「能力主義」であるが、この考え方の危うさは、成功した人はそれを「自分のおかげ」と考え、成功出来なかった人は「自分のせい」と見做してしまう点にある。更には成功した人は成功出来なかった人を努力や能力が足りないと見下す危険があり、米国の民主党は元々弱い立場の人々が支持する政党であったにも拘わらず、クリントンやオバマが能力主義を強く主張した結果、それらの人々を置き去りにし、エリート臭が鼻につく政党になってしまったことが、トランプ政権を誕生させた、という説明である。
一見、正しいと見える「アメリカン・ドリーム」や「能力(功績)主義」にどのような陥穽があるのか、アメリカの大学における機会の平等を担保する為の筆者の提案とは何か、消費者に重きを置いた結果、生産者や労働行為に敬意が表されなくなったことが何を招いているのか、「機会の平等」を超える「条件の平等」とは何か。「白熱教室」のような議論が紙面上で展開されている。
「アメリカン・ドリーム」とは米国らしい「機会の平等」を象徴する言葉である。人種や出自に関わらず、懸命に学び、働けば、才能の許す限り成功することが出来る国であり、やれば出来る、という考え方である。換言すれば、「努力と才能で人は誰でも成功出来る」という「能力主義」であるが、この考え方の危うさは、成功した人はそれを「自分のおかげ」と考え、成功出来なかった人は「自分のせい」と見做してしまう点にある。更には成功した人は成功出来なかった人を努力や能力が足りないと見下す危険があり、米国の民主党は元々弱い立場の人々が支持する政党であったにも拘わらず、クリントンやオバマが能力主義を強く主張した結果、それらの人々を置き去りにし、エリート臭が鼻につく政党になってしまったことが、トランプ政権を誕生させた、という説明である。
一見、正しいと見える「アメリカン・ドリーム」や「能力(功績)主義」にどのような陥穽があるのか、アメリカの大学における機会の平等を担保する為の筆者の提案とは何か、消費者に重きを置いた結果、生産者や労働行為に敬意が表されなくなったことが何を招いているのか、「機会の平等」を超える「条件の平等」とは何か。「白熱教室」のような議論が紙面上で展開されている。









